母性の女神の誕生会

第21話 知恵の神の無茶ぶり

 武術大会は、カロス神殿の神官・ハルキュオネの優勝により幕を閉じた。

 それから一週間が経った現在は、ギリシャの男たちはリュカオンによって破壊された闘技場の修理に精を出していた。


 翼が焼け、それが治っていない力天使デュナミスフェアトも、例外無く修理に駆り出されていた。

 崩れた柱を運んでいる最中だったフェアトは、後輩の天使エンジェルのテンシェイから後は自分たちに任せて帰るように言われ、ソフィア神殿への帰路を辿っていた。


 事件は、炉の女神ヘスティアが住むフロガ神殿の前を通ったときに起こった。


 炉の女神ヘスティアが泣きじゃくり、その側近である権天使プリンシパリティのペペが目を吊り上げて彼女の前に立っている。そして何故かフェアトの主である知恵の神アテナもいて、彼は困ったように笑っていた。

 何か面倒なことが起こっている気がしてその場を素通りしたかったが、我が主が困っているのを見過ごすことはできない。

 フェアトは意を決して、主に声を掛けた。

「アテナ様、どうしたんですか?」

「ああ、フェアト、ちょうどいいところに。少し頼みたいことがあるのです」

「え?」

 アテナの頼みを聞いたフェアトは、ここに来たときに感じた嫌な予感が当たってしまったことを知った。

「フェアト、泥棒に盗られたヘラの腕輪を取り返してきなさい」

 泥棒に盗られたヘラ様の腕輪?どこにあるかもわからないのに取り返して来いと言うのか。無茶だ。

 頼みと言いながらすっかり命令口調の主に反論しようとしたが、主の瞳には有無を言わさぬ色があったため、押し黙った。


 事は今朝に遡る。


 普段通り神殿暮らしが退屈なヘスティアは、ペペの目を盗んで神殿を飛び出し、神殿群を探検していた。他の神々の神殿に侵入してはつまみ食いをしたり、そこの神官たちに遊んでもらったりした。


 ヘスティアは、母性の女神ヘラの住まうミテラ神殿に入った。この日はヘラがギリシャ辺境の村へ慰問へ出掛けていて、神官たちもヘラにお供した者、買い物に出掛けた者と様々で、神殿の関係者は老齢の女神官一人が留守番をしている他にはいなかったのだ。


 厨房の掃除をしている女神官に見つからぬようにあちこちの部屋を巡っていると、宝物庫に出た。

 精神的に幼い彼女は、財宝の山に目を輝かせ色々な物を手に取っては戻した。

 しかし、黄金の短剣や女神像などの美しい財宝よりも、彼女の好奇心を捕らえて離さない宝が宝物庫の奥にあった。

「わぁ……綺麗な腕輪……」

 奥の小ぶりな祭壇の上に、見事な意匠の腕輪が鎮座していた。それは細かな細工が施され、紫色の宝石がちりばめられている。

 ヘスティアはそれをそっと腕にはめてみた。薄暗い宝物庫の中にあってなお、まばゆい輝きを放つ腕輪に、ヘスティアは夢中になった。

 ちょっとだけなら。ほんのちょっとだけなら、着けて外を歩いてもいいよね。

 幼い女神の好奇心は、ほんの僅かな理性に打ち勝った。

 ヘスティアは辺りをきょろきょろ見回した。女神官がいないことを確認すると、

廊下を走り抜け、神殿を出た。


 神殿群を抜け、ギリシャ市街に出た。

 市街には神殿の神官や天使が買い物などの用でいる可能性があるため、持参した白い布で頭を覆って赤い髪を隠した。炎のように明るい赤毛は、人混みの中でも灯台のように目立つ。それを隠していれば、幼い少女の姿をしているヘスティアは、どこにでもいる子どもに見える。


 綺麗な腕輪を身に付け、上機嫌で歩いていたヘスティアは、ヘラの腕輪が一人の泥棒に狙われ、後をつけられているのに気付かなかった。

 人気の無い細い路地で、少し休憩しようと足を止めたときだった。

 背後から男が素早く迫り、ヘスティアの腕から腕輪を抜き取った。はっと気付いた時には既に遅く、男は路地を出て人ごみに紛れてしまった。

 取り返そうにも泥棒は見当たらない。突然の出来事で彼の見た目も覚えていない。


 泣きじゃくりながらフロガ神殿へ戻ったところをペペとアテナに会い、事情を知ったペペがかんかんに怒って主に説教をしていたところに、フェアトは出くわしたのだ。


「では、頼みましたよ。明後日のヘラの誕生会までには見つけて戻るように」

 事情説明を終えた主に有無を言わさぬ声でそう言われ、フェアトは隠しもせずに溜め息を吐くと、ギリシャ市街へ歩き出した。

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