第20話 化け物神官は美女がお好き

 キニギ神殿の宝物庫を掃除していた神官は、突然の主の帰還に驚いた。

「アルテミス様……どうなされたのです?」

「弓っ、私の弓はっ」

 切羽詰まった様子の主に詰め寄られ、神官はやや後退した。

 どうやら主は、いつも狩りを行うときに使う弓を探しているらしい。

 慌てて弓の入った箱を開け中身を渡すと、主は神殿の外へ飛び出して行った。


 犬にひたすら振り回されるオリオン。しかし彼も無抵抗ではない。

「この野郎っ、離せ!」

 己の足を咥える犬の鼻を、空いているもう片方の足と拳で蹴り飛ばしたり叩いたりしている。

 オリオンは、渾身の力を込めた蹴りを繰り出した。それは犬の横っ面に命中した。犬は悲鳴を上げ、ついにオリオンの足を放してしまった。突然宙に放られたオリオンは、冷静に空中で体勢を整え着地する。しかしその顔は苦痛に歪んでいた。

 ハルキュオネは口の両端を吊り上げ、不気味に笑う。

「うふ、早く降参してくださいまし。貴方にアプロディテ様の祝福など必要無いのですわ」

「俺にはアルテミス様がいる。優勝しても他の神の祝福なんざ、受けねえよ」

 毎年、大会の優勝者には優勝賞品がある。物だったり今回のような神の祝福だったりと、形は様々である。

 今回の優勝者は、美の女神アプロディテの祝福を受けられる権利を得る。彼女は絶世の美女なわけだから、その祝福を受けたい者たちのおかげで、今年は出場者が例年よりかなり増えたのだ。ハルキュオネも祝福受けたさに出場したクチである。


 片足は負傷して使い物にならない。かといってこのまま挑んでも勝ち目は薄い。

 いっそ諦めるか?自分の勝利を信じてくれているアルテミス様はどうなる。

 まさか魔物が出場してくるとは思わなかったオリオンは、考えを巡らせた。

「まだまだわたくしは元気ですわよ。さあ、どうしましょうか」

 ハルキュオネが妖艶に笑んだ。そのときだった。

「やめろ!」

 女性の大声が響く。

 見上げれば、オリオンが愛してやまない狩猟の女神が、神々の席から弓をハルキュオネに向けていた。


「ちょっ……アルテミス様!」

 テステリアが慌てふためいた声を出す。彼だけでなく、観客たちも騒ぎ出した。

 一方弓を向けられているハルキュオネは、不思議そうに首を傾げる。

「私だって殺しはしません。弓をしまってくださいませんか?」

「黙れ!これ以上オリオンを傷付けるな!さもなくばこの黄金の矢が貴様の胸に刺さることになるぞ!」

 狩猟の女神の鋭く敵意に満ちた眼光を受け、ハルキュオネは苦笑した。

「テステリア!オリオンを連れて神殿へ戻れ!」

 突然自分の名を呼ばれた能天使エクスシアは、慌てて翼を広げた。


 テステリアはオリオンの傍に降り立つと、彼に肩を貸した。俺はまだやれるのに、と戸惑いの表情を見せるオリオンに、ぎこちなく笑いかけた。

「アルテミス様のご命令だから、従わないと俺、射殺されちゃうんですよ。あんた絡みだと割と本気で」

 だから大人しく神殿で休んでください、と言えば、オリオンは少々不満そうに口を噤んだ。


 オリオンが退場したのを見届けたアルテミスも、この場には用はないといった体で神々の席を去った。


 狩猟の主従とオリオンが退場し、舞台は奇妙な沈黙に包まれた。

「…………オリオンが棄権したため、ハルキュオネの勝利!」

 やっとのことで思考が現実に戻ってきた審判の声で、決勝戦は終わりを告げた。


 ハルキュオネは跪く。目を閉じながら、己の主が近付いてくるのを感じた。

 目を閉じていてもその美しさがわかる、いい香りがする。ああ、今わたくしは世界一の幸せ者……。

 ハルキュオネは僅かに頬を赤く染め、溜め息を吐いた。

「美の女神の名において、汝を祝福す。汝に光の道があらんことを……」

 光がハルキュオネを包む。セイクリッド・ポースのように強烈な光ではない。穏やかで慈愛に満ちたものだった。

「アプロディテ様」

 祝福を終え、ハルキュオネは跪いたまま主の名を呼んだ。主は何だ、と言ってしゃがみ、ハルキュオネの顔を覗き込もうとした。

 ハルキュオネの行動は俊敏だった。近付いてきた主の頬を細心の注意を払って手で挟むと、彼女の唇に優しく口付けた。

「お慕いしておりますわ、アプロディテ様」

 スキュラのハルキュオネ。カロス神殿の美女神官から一転、美の女神を狙う者たちの強敵となったのは言うまでも無かった。

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