第19話 化け物神官現る
今回、武術大会に参加していた
オリオンが順調に勝ち上がり、ついに決勝戦を迎えた。
闘技場の入口から入場してきたオリオンは、歓声に手を上げて応えた。
対するは、アプロディテの住まうカロス神殿に仕える神官・ハルキュオネだ。
「よろしくお願いしますわ」
ハルキュオネは優雅にお辞儀をする。上品な仕草に、オリオンはひゅうと口笛を吹いた。そしてすぐ、顔をしかめる。
「……しっかし、動きにくそうだなぁ。訓練服とか、持ってないのかい。それでよく勝ち上がれたもんだな」
ハルキュオネは神官が普段纏うキトンを纏っていた。それも足の先まですっぽり覆うほど丈が長い。そんな服装では、走ることも難しいだろう。
しかし、ハルキュオネは静かな笑みを浮かべるだけであった。
「私は大丈夫です。人間一人を倒すだけなら、このくらいで十分……」
彼女が言葉を終えないうちに、オリオンは動き出した。疾風の如き速さでハルキュオネの白い喉に拳を突き付けた。
「今のうちに言っとくぜ。俺は人間最強と呼ばれた男だ。舐めた真似するとぶっ飛ばすぞ」
オリオンはハルキュオネを睨みつけた。しかし、彼女と目を合わせた瞬間、冷や汗が垂れた。
咄嗟に後ろへ飛び下がり、彼女と距離を置いた。
表面上、ハルキュオネは優美な笑みを浮かべているが、彼女の周りを漂う空気は、何者も寄せ付けぬ氷のように冷たく鋭いものであった。
ハルキュオネの双眸が、赤い光を放った。
「おい、あれスキュラじゃねえか?」
鍛冶の神ヘパイストスが、玉座から身を乗り出して下を見た。
驚いたのは彼だけではない。観客も、オリオンも目を丸くしてハルキュオネを見ていた。
上半身は先程と変わらずハルキュオネだが、腰から六匹の犬の頭、腰から下が魚の尾に変化していた。
アプロディテは冷静に告げた。
「ハルキュオネはスキュラだ。オリオンも彼女には敵うまい」
スキュラ――上半身は女性だが、下半身に六匹の犬と魚を宿す怪物である。普段は下半身を隠して海辺で過ごしているという。
美しい女性の姿で誘い出し、誘いに乗って油断した男を六匹の犬が食らうという恐ろしいものだ。ギリシャの海岸で度々目撃情報が寄せられる。
何故、そんなスキュラが神が住まう神殿の神官となっているのか。神々の間で疑問が噴き出した。
「少し前のことだが……浜辺を散歩していたとき、スキュラの姿のハルキュオネに会った。目を合わせた瞬間に一目惚れされてしまったらしいのだ。ギリシャの民を騙すことも食うこともしないと言うから、神官にした」
アプロディテの淡々とした説明に、彼女以外の玉座に座る神も、その後ろに控える側近も、思わず驚きの声を上げた。
「女子でも一目惚れか……。アプロディテは綺麗だから仕方無いな!」
絶対神ゼウスがあっはっはと笑い声を響かせたが、正妻である母性の女神ヘラの一睨みによりすぐに黙り込んだ。
スキュラと化したハルキュオネは、冷ややかな笑みを浮かべた。オリオンと対峙したときの穏やかな微笑みとは大違いだ。彼女の腰に宿る犬も唸り声を上げ、鋭い牙をちらつかせる。魚の尾も、オリオンを威嚇するように強く地面を叩いていた。
「負けるわけにはいかないのです。早く観念してくださいまし」
「はいそうですか負けました…………なんて言う馬鹿がいるか」
オリオンは高く跳躍し、勢いよく降下する。狙うは六匹の犬のうち、左端の一匹である。オリオンの脚が迫るのを察知したのか、犬は牙をむき出しにして迎え撃った。
オリオンの蹴りが、犬の鼻面に直撃した。犬は甲高い悲鳴を上げたが、即座に反撃に出た。蹴りを繰り出した直後の無防備なオリオンの脚に、思い切り噛み付いたのだ。
「ぐっ……!」
オリオンは苦痛に顔を歪める。上の方で、愛しい人の悲鳴が聞こえた気がした。
蹴りによる痛みから立ち直った犬は、オリオンの足を咥えたまま頭を上下左右に振り出した。足から流れ出た血が、犬の牙を伝い、地面に落ちていく。
「テステリア!弓を持って来い!」
狩猟の女神アルテミスは、スキュラの犬に振り回される恋人を目の当たりにし、ついに我慢の限界に達した。側近の
しかし彼は、主からの命令を下されているにも関わらず、その場を動こうとしない。鋭くねめつけて急かしても、頑として動かない。その表情は呆れているような、困惑したような、複雑なものであった。
主の舌打ちを受けて、テステリアは重い口を開いた。
「……や、これ、勝負ですし……。ハルキュオネさんの方も殺しはしませんって。大体過保護なんですよ、アルテミス様は……」
「ええい、どいつもこいつも見ているだけか!オリオンをこれ以上傷付けはさせん!」
玉座から立ち上がり、光の舞台から飛び降りるアルテミス。テステリアの深い溜め息を聞いていた者は誰もいなかった。
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