第16話 美人は強い

 試合は続いた。やはり力天使デュナミスであるフェアト、人間最強の狩人・オリオンが順調に勝ち上がって行く。


 審判がフェアトの方へ旗を振った。フェアトはひとしきり喜んだ後、倒れている相手を助け起こす。互いに称え合い、歓声が闘技場に響いた。

「フェアトさん、連戦か……」

 テンシェイは小さく呟いた。

 フェアトはこの後もすぐに次の試合に出場しなければならない。人間と天使の戦いだったとはいえ、フェアトの方も疲労は溜まっているだろう。

 しかしここを勝てば決勝進出である。頑張らねばならない。テンシェイは、先輩に心の中で声援を送った。

 相手の神官が退場し、続けて戦うフェアトだけが残っている。持っていた出番表を見たテンシェイは、顔を青くした。

 うろたえる側近の気配に気付いたのだろう、アレスは怪訝な顔で後ろを振り返った。

「どうした?」

「……い、いや、次の、フェアトさんの対戦相手が……」

 そのとき、観客たちがしんと静まり返った。彼らは、たった今入場してきたフェアトの対戦相手に注目しているようだった。


 美しい人形のように整った顔には、青く濁りの無い瞳がはめ込まれている。長い金髪を靡かせて歩くその様は優雅だった。何かに例えるならば、まるで美の女神のよう……というか、彼女自身がその美の女神なのだが。

 アレスは一瞬顔を紅潮させたかと思うと、さっと青ざめた。表情が忙しい。

 下を見れば、遠目からでもフェアトが怯えているのがわかった。

 美の女神アプロディテは、その形のよい唇を動かし、声高らかに言い放った。

「私は美の女神アプロディテ。我が力、存分に見せようぞ」


 試合開始の合図が下ると共に、フェアトは地を蹴った。自分より各上の存在だからといって手加減してはならない。手加減をして、中途半端に相手をしようものなら死んでしまう。

 もとよりフェアトに手加減などという選択肢は無い。むしろ、相手が強大な存在だからこそ全力を出しきれるというものだ。

聖龍昇旋脚せいりゅうしょうせんきゃく!」

 フェアトの蹴りは荒れ狂う風を生み出し、アプロディテを包んで舞い上がった。それは天に昇る龍のようだった。マルトとの試合で突如として巻き起こった旋風はこの聖龍昇旋脚によるものだったのだ。

 おおおっと歓声が上がる。荒れ狂う竜巻の中で、美の女神は無事なのだろうか。フェアトは二発、三発と続けざまに聖龍昇旋脚を放つ。その度に竜巻は威力を増した。

「アプロディテ様……大丈夫かな」

 いくら絶対的な力を持つ彼女とはいえ、その身体は女性のものである。テンシェイは不安な気持ちになり、竜巻の中心部を見た。

 その呟きを拾ったアレスは、側近の不安を否定するかのように首を横に振った。

「あれはフェアトの技をあえて受けているのだ。アプロディテを見くびってはならない。彼女は強い」

 ふいに、竜巻が跡形もなく消し飛んだ。強い風が一瞬、観客席を襲った。

 フェアトは警戒したように身構え、上を見上げた。その視線の先には、竜巻に呑み込まれた筈のアプロディテの姿。余裕の表情で宙に浮いている。

 ふっ……と、アプロディテが一瞬微笑んだ。

 その直後、天から幾本もの光の線がフェアト目掛けて放たれる。フェアトは飛び下がったり、時には翼で滑空しながらそれらを避けた。

 美の女神の光をかわし着地したフェアトだったが、それでも光が掠ったのか、右の上翼の端が少し焼けてちぎれていた。

 アプロディテは、この世の者全てを魅了するような美しい笑顔を彼に向けた。

「流石、アテナにこき使われているだけはある。この【セイクリッド・ポース】を避けきるとは見事だ。掠りはしたがな」

 テンシェイには、こき使うとは失礼ですね、という知恵の神の声が聞こえた気がした。


 アプロディテが地面に降り、再びフェアトが攻撃に出ようと足を動かしたときだった。

「きゃあーっ!魔物っ、魔物よーっ!」

 女性の甲高い悲鳴が聞こえたかと思うと、その次には狼のような咆哮が闘技場を揺るがした。

 闘技場の上を、何かの影が覆ったかと思うと、次の瞬間には、闘技場の中心で巨大な狼の魔物――リュカオンが低い唸り声を響かせていた。

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