第14話 最強の狩人
武術大会当日。会場となる闘技場には、民が詰めかけていた。
闘技場が十分見渡せる高い場所に十二の玉座が置かれており、アレスを中心にして神々が腰かけている。その後ろには、テンシェイら側近
アレスは、普段の豪快さが失せたように厳かな雰囲気を放っている。玉座に深く腰掛け、下の民たちを見下ろす主に、テンシェイは違和感を覚えた。多分この態度こそが神にふさわしいものなのだろうが、訓練着で修行三昧の姿を毎日見るために、こう大人しくなられては調子が狂うのだ。
ギリシャ中からこの巨大な闘技場に集まった民たちが、アレスの方へと跪き、頭を垂れている。
「これより、武術大会を行う。この闘技場に集まりし勇士たちよ、己の力を存分に発揮し、私に力を示しなさい」
アレスの言葉が終わっても尚続いた重苦しい静寂は、ヘスティアの大会の開催を喜ぶ無邪気な大声によって破られた。
男は、声援や野次の飛び交う中、闘技場の入口から飛び出した。訓練着を身に纏った長身のその男は、マケー神殿の神官長のジシスであった。
そう、彼もこの武術大会に出場していたのだ。マケー神殿の、アレスの配下の中から大会に参加するのはこのジシスだけで、戦神勢の代表のような形となっていた。本人もまさか同僚が皆参加しないとは思わなかったので、一人で戦の神アレスの名を背負って戦うことに非常に緊張していた。
参加者登録を済ませたばかりの頃は、「私は腕っぷしは強い方だと思いますからね、大会では優勝してきますよ」と豪語していたが、今はその影も無い。
ジシスは、自分が飛び出した入口の反対側にあるもう一つの入口から出てきた相手を見て硬直した。
「アルテミス様、見ててくださいよー!」
十二の玉座の方に手を振りながら入場してきた相手は、動物の毛皮で作った羽織を脱ぎ捨てた。
狩人オリオン。狩りの名手で、その名はギリシャ中に轟いている。そして、狩猟の女神アルテミスの恋人でもある。時々アルテミスの住まうキニギ神殿を訪れては、彼女と共に過ごしているようだ。お世辞にも優しいとは言い難い性格のアルテミスは、彼の前では若い娘のようによく笑い、恥じらう。二人は、傍目からは若い恋人同士のように見えた。
そんな有名人を前にして、戦神勢代表のジシスは震え上がり、足を一歩も踏み出すことができなかった。
我らが神官長の姿を見て、テンシェイは苦笑した。
「ジシス……大丈夫だろうか」
アレスは玉座の上で落ち着かなさそうに闘技場を見下ろしていた。その左隣に座るアルテミスは、うっとりとした表情で恋人を見つめている。
審判を務める神官が、試合開始の旗を振り下ろした。
ジシスとオリオンは、同時に地を蹴った。
「えいやっ!」
ジシスが自信なさげな顔で拳を繰り出す。それをオリオンは、余裕の表情で避けた。そして、まるでジシスをからかうように一度宙返りをした後、強烈な蹴りをジシスの腹に叩き込む。人間最強と謳われる狩人の蹴りをまともに受けたジシスは、そのまま吹っ飛び、闘技場の柱に背中を打ち付けて動かなくなった。
数秒後、審判の神官がオリオンの方へ旗を振った。彼が勝利したという意味である。
大会開催直後の期待と興奮に包まれた中で行われた第一試合は、あまりにあっけないものであった。
身軽に地面に着地したオリオンは、アルテミスに向けて両手を広げた。まるで、我が胸に飛び込んで来いとでも言うように。
テンシェイはまさかと思い、主の座る玉座の左隣を見た。そこには、玉座から乗り出しまさに遥か下の闘技場へと飛び出さんとしている狩猟の女神の姿があった。
玉座の並ぶこちらから地上までは少しとは言えない距離がある。そんな場所から飛び降りて着地できなければ大怪我をしてしまうだろう。
主が自殺に等しいことをしようとしているのに、側近のテステリアは何もしようとしない。呆れ顔でその場に突っ立っている。
テンシェイは慌てて止めようとするが、時すでに遅し。
「オリオン!」
アルテミスは、満面の笑みで地上の恋人の胸へ飛び込んで行った。オリオンは彼女を難なく受け止め、その背を愛おしそうに撫でた。
「やはり強いな、オリオンは」
「はは、そんなことはないですよ。アルテミス様が見ていてくれたから頑張れたんです」
アルテミスは、見事試合に勝った恋人に首飾りを着けた。それは、先日狩りで仕留めた狼の牙と宝石で作られている。それを見た恋人――オリオンは、顔をほころばせた。
仲良く寄り添い退場していくアルテミスとオリオン。彼らと反対側、神官らに運ばれ、ひくひくと痙攣しながら退場して行くジシスに、アレスとテンシェイは揃って溜め息を吐いた。
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