第12話 海神は自虐癖持ち
美しい黒髪が緩やかになびく。その宝石の如き蒼い双眸は、広大な、偉大な海を連想させる。整った顔は物憂げな表情、その身体も適度に鍛えられ引き締まったもので、彼はまるで神が三日三晩心血注いで創り出した人形のようだった。……まあ、彼自身が神ではあるが。
このタラッタ神殿に差し込む月明かりは、彼の彫りの深い顔に黒い影を落とした。
「……資料の誤り…………なんと大きな罪を犯してしまったことか」
祭壇の前で一人頭を抱え蹲るこの男の名は、ポセイドン。オリュンポス十二神の中でも海を司る神なのだ。
思わぬ来客、そしてその来客が同僚の少女で、彼女に自分の醜態を見られたと悟ったテンシェイは、羞恥のあまり倒れたまま動けずにいた。その顔はほのかに赤く染まっている。
顔を赤くして天井を見ているテンシェイに、少女は苦笑して手を差し出した。やっとのことで起き上がったテンシェイは、顔をひきつらせながら用件を問うた。
「サフィーダ……どうしたの」
「あ、ええ…………大会の資料の不備があったの」
サフィーダと呼ばれた少女は、おずおずと紙を一枚差し出した。
己を追い込みがちなポセイドンのこと、きっと今回の資料のミスもまるで大罪を犯したような顔をして悔やんでいるに違いない。
「……ポセイドン様は最近どう?」
なんとなしに、テンシェイは興味本位で尋ねた。大体結果はわかっているが。
「私は大罪人だなんて言って……ずっとお食事もとられないの。このままでは飢え死んでしまうわ」
サフィーダは声を震わせた。
しかし、ポセイドンの自虐癖など今に始まったことではない。過去の事件のことを引きずって生きている彼は側近をとることをよしとせず、周囲が強引に側近を迎えさせても「大罪人の為に側近が働くことなどない」と頑なに拒否し、側近候補の天使たちをことごとく他の場所へ送ってきたのだ。そんな彼を心配したサフィーダは、拒否を押し切って仕えている。彼女は仕え始めたばかりの頃いつもの如く後ろ向きな思考に陥ったポセイドンに他の神の神殿へ異動させられそうになり、タラッタ神殿の支柱にみっともなくしがみついて離れなかったという話はテンシェイも伝え聞いていた。大人しく清純な少女というイメージがあるサフィーダからは想像ができかねるが、当の本人が実話だと頷いたために本当の話なのだろう。
「私、ポセイドン様が心配だから帰るわね」
「う、うん。資料ありがと」
サフィーダを見送りながら、テンシェイは彼女に心の中で声援を送った。
サフィーダは神殿の前で翼を畳むと、すぐさま主がいるであろう祭壇の間へ走り出した。
もし思い余って自害などされたら困る。彼の場合は冗談ではなく、本気でそうしかねない。彼には、海の平穏を保ち民たちを支える役目がある。世界に生ける者たちにとって、無くてはならない存在。そして、自分にとってはとても大切な人。
案の定、主は祭壇の間にいた。頭を抱え、蹲っている。
「ポセイドン様っ!」
側近の声に、海の神はゆるゆると顔を上げた。その表情からは、悔恨の念が浮き出ていた。彼は、どこか疲れたように側近の名を呟いた。
「ポセイドン様、もう今日はお休みください。朝から儀式に執務……お疲れでしょう。何も、他の神々の仕事まで率先してやらなくても……」
サフィーダは、主がこの申し出を受ける筈がないだろうと思った。
「私が休むわけにはいかない。大罪人の私が……」
全く予想通りの反応に、サフィーダは眉を下げた。そして、自身の背にある翼の間に挟んであった一輪の花を勢いよく主の鼻面へ突き出した。一瞬驚いたように目を丸くしたポセイドンだったが、その瞼はゆっくりと閉じていき、身体は力が抜けたように崩れ落ちた。
「お許しください……」
流石は豊穣の神デメテルから貰った眠り草。そうやって強引に眠らせでもしなければ、主は休まず永久に働き続けるだろう。
主の身体を抱き留めたサフィーダは、彼を寝室へ運ぶべく神官たちを呼んだ。
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