第9話 働きすぎらしい

「エルノンの願いだから来ましたが……果たして彼に反省する心はあるのでしょうかね」

 ヘルメスの困り笑いに、テンシェイはさっと顔が青くなった。自分の記憶が間違っていなければ、主はつい最近この夢の神の竪琴を壊したばかりである。それなのに自分のためとはいえ演奏してくれと頼むのでは、反省しているかどうか疑われても仕方が無い。

 どう謝罪しようかテンシェイが考えあぐねていると、エルノンがそっと顔を寄せてきた。

「親方はあんたをからかってるのさ。だから気にすることない」

「エルノン?私というものがありながら他の男と仲良くしてはいけませんよ」

 主の至極愉快そうな響きの声に、エルノンはむっと眉を寄せた。

「あたしは親方の女になった覚えはありませんよ!そしてテンシェイは可愛い弟子でそれ以上でも以下でもない」

「なんと!振られてしまいましたか……」

 まるで道化のように大げさに頭を抱える仕草をしてみせるヘルメス。

 喉の奥で笑う主を一睨みすると、エルノンは弟子に向き直った。弟子テンシェイは二人のやり取りについて行けず、瞳に困惑の色を浮かべていた。

「……とにかく、あんたは一日仕事を休みな。というか、仕事は神官たちがやってくれてた」

「え、そんな、申し訳ない……」

 反射的に起き上がろうとしたテンシェイの肩を、エルノンは優しく押さえた。

「神官たちは別に嫌々やってるんじゃなさそうだったよ。むしろ、皆あんたのことを心配してた」

 だから今日くらいゆっくりしな、という師の言葉に甘え、テンシェイは頷いて再び横になった。


 テンシェイがすっかり眠りについた頃、アレスが部屋に戻ってきた。きっと神官たちに監視されながら執務を行ったのだろう、顔の端々から疲れが溢れ出ていた。

 まさに疲労困憊という体の戦神に、夢の神は嫌味な笑顔を向けた。

「お疲れ様です。テンシェイはぐっすりですよ。その様子だと、相当こき使われたようですね」

「ああ……。すまない……」

 答える気力もほとんど残っていないようである。

 アレスはふらふらと床に座り込み、そのまま動かなくなった。顔を覗き込むと、目を閉じていた。眠ってしまったようだ。

 かたや寝台で規則正しい寝息を立てながら、かたや床でぐうぐうと大いびきをかいて眠りこける戦の主従を一瞥すると、ヘルメスは音を立てぬように退室した。

 主に続いて退室しようとしたエルノンは一度足を止め、寝台の方を振り返る。

 そこには、安らかな寝息を立てて眠る弟子の姿。思わず笑みがこぼれた。

「……全く、働き過ぎなんだよあんたは」

 テンシェイの頭を撫でてみても、頬を触ってみても、目覚める気配は無い。

 エルノンは弟子の頭をもう一撫ですると、主を追って部屋を出た。


 マケー神殿の神官長を務めるジシスは、夢の主従に深々と頭を下げた。

「今日はありがとうございました。テンシェイ様は日ごろから我らの仕事まで手伝ってくれるものですから……。それに、我が主アレスにも無理を強いてしまいました」

 長身を真っ二つに折る勢いで礼をするジシスに、ヘルメスは笑って返した。やはりアレスはテンシェイの分まで働かされたらしい。

「あの男はそれくらい働くのがちょうどいい。明日も馬車馬のようにこき使ってあげてください」

「へ、は、はぁ……」

 首を傾げながら礼をするジシスに思わず笑みを漏らす。ヘルメスは「行きましょう」と言い、エルノンに手を差し出した。エルノンは主の手を無視して歩き出す。

 自分をよそにつかつかと歩を進める側近に対し大袈裟に肩をすくめた後、ヘルメスも彼女の後を追った。

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