第6話 大当たりの後
うーん、うーんと唸ってばかりいる主に、テンシェイは隠しもせずに大きなため息を吐いた。
始末書三枚程度のものを完成させるのに何故こうも時間がかかるのだ。勇ましい戦神が紙切れ三枚にねじ伏せられているのを見たら、
手助けをするとは言ったが、テンシェイは始末書を手伝ってやる気はさらさらなかった。ただ頭を抱える主の姿を椅子に座って見ているだけである。
手伝いをしないのは主の為なのだ。神たる者、力が全てではない。神としての力の制御は勿論のこと、村や町の情報を処理する力も必要だ。いくらアレスが戦の神だからといって戦いに修行に明け暮れるわけにもいかず、執務室にこもって書類をさばかねばならないときもある。
「……アレス様、始末書とは、そこまで難しいものでしょうか?」
「俺には無理だ。いくら考えても、書くことが全く見当たらん」
始末書とは、起こした事件の内容と、その対策なんかを記せばよいのではないか。テンシェイは主にそれだけ言った。
するとアレスはその発言に希望を見出したようで、まるで神を崇めるような眼差しを側近に向けた。この様子を見ると、本当に書く内容が思いつかなかったようである。何故それだけのことを思いつかなかったのかは甚だ疑問だが。
「そうか、それを書けばよいのか!感謝する、テンシェイ」
「ならば早く書いてしまって、修行へ参りましょう」
昨日とは見違えるようにペンを動かす様を、テンシェイは再び眺めた。
テンシェイの助言のおかげでアレスは瞬く間に始末書三枚を片付け、側近と修行の場へ飛び出した。
天使であるテンシェイは翼で空を飛ぶことが可能だが、アレスには翼はない。故に、テンシェイは主と並んで地上を歩いていた。
修行の場所は、いつもマケー神殿の裏にある古い広場と決まっている。そこが、テンシェイとアレスが初めて出会った場所であった。
事は二ヶ月前に遡る。アレスは普段と同じく神殿裏の広場にて側近と修行をしていた。アレスが巨大な岩に拳を叩き込むと、それは物凄い勢いで砕け散り、破片は四散した。
破片といってもゆうに大人の男の身長を超えているような大きさのものばかりで、それがギリシャ中に飛んで行ったとなれば怪我人が出る可能性は大きい。
アレスと側近は破片から民を守るため、ギリシャを西へ東へ走り回った。
そして一番大きな破片が当時訓練生だったテンシェイのもとへ飛来し、アレスが間一髪のところで防いだのだ。
この事件でアレスは知恵の神アテナにこってり絞られ、その時の側近はアレスの危険な行動に我慢がならなくなり逃げ出してしまった。
事件から数日後にテンシェイは天使に昇格し、天空神殿の広間で主となる神を待っていたところ、新しい側近を探しに来たアレスと再会した。そしてアレスが半ば強引にテンシェイを側近にしたことで新たな戦の主従が誕生したのだ。
主が自分を側近にする際に言った言葉を思い出し、テンシェイは一人で苦笑いした。
「俺の側近となり、己を鍛える手助けをすることがあの時の償いとなると思っている。さあ、君も俺と共に心身を鍛えよう」
まるで何かの勧誘文句のようである。まあ、アレスがテンシェイを側近にするべく勧誘したのであながち間違ってはいないが。
側近の独り言を捉えたアレスは怪訝そうな顔をしたが、広場が見えてくると弾けたように駆けて行った。
二か月前の事件以降、アテナの指示でアポロンが広場の周りに障壁を張り、アレスが砕いた物の破片など民に危害を加える物が外に出ないようにした。障壁にはアポロンの意志が込められており、危害を加える物だけに反応するので生きている者は出入りできる。ただ、勢いよく破片が障壁に当たればそれ相応の速度で跳ね返ってくるので、中にいる時は注意が必要だった。
外に飛んで行かないからと言って、手当り次第に岩を砕かないでください。テンシェイは一心不乱に岩に拳を向ける主にそう言いたいのを堪え、自身の目の前にある岩と向き合った。
「うおおっ!?」
テンシェイがまさに拳を握ったとき、主の大声が聞こえた。何に驚いたのだろう、とは考えられなかった。意識が底に沈んでいく。
「テンシェイ、おい、大丈夫か!」
側近は固く目を閉じ、ぴくりとも動かない。その額からは一筋の血が流れ出ていた。アレスは顔を青くした。
戦神は、自身が放った拳による破片が頭を直撃したせいで意識を失ってしまった側近を担いで、慌てて神殿の寝室へ駆け込んだ。
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