第50話 魔物

 草木が鬱蒼うっそうと茂る、薄暗い森。


 その中を、赤を纏う大勢の男たちが進んで行く。

 彼ら――ラティール騎士団を率いる団長は、森の陰気な空気に屈するかのように背中を丸めて歩き、その足取りは重かった。


「あ~やだやだ、な~んでこんなところに来なきゃいけないんだろ? 一応王子様だよ? 僕」


「王子だからこそ、果たすべき責務があるのでは? 国民の税金で遊ぶのが王子の仕事じゃありませんよ」


 すぐ傍を歩くディナが、愚痴を零す王子にぴしゃりと言い放つ。


「いや、だって僕いたって役に立たないしさぁ。討伐本番ならまだしも、今日ただの調査なら、僕、街でお留守番でよくない?」


「我慢してください。また貴方が狙われるかもしれないことを考えると、あまり戦力を分けないほうがいい。僕たちといた方が安全ですよ」


 街を出発して大分立つというのに、いつまでもぐだぐだ文句を言い募るクライルに、パリスも幾分苛立ったように答える。


 パリスも、クライルとリシェルは、安全のため街に残すことも考えた。その場合、パリスかディナ、どちらかが二人の護衛につき、どちらかが任務に行くことになる。だが、それでは騎士団内の理解が得られそうになかった。魔道士が、それも導師の弟子が3人もいるのに、なぜ任務同行する魔道士が一人だけなのか、と。ほとんど魔物退治の経験がない団員達の中には、今回の任務に強い不安があるらしく、自分たち魔道士を頼る気持ちが強いようだった。怪しまれれば、最悪リシェルの実力がばれる可能性もある。


 だから、クライルとリシェルも同行させることにしたのだ。二人を自分とディナの目の届く範囲に置いた方が、結局は守りやすいという考えもあった。


 リシェルは、今にも草陰から魔物が飛び出して来そうな不気味な森に、緊張しながら歩いていた。その肩に、ディナがぽんっと手を置く。


「リシェル、大丈夫よ。私がついてるんだから」


 周りに聞かれないよう小声で言って、片目をつぶって見せる。


「うん、ありがとう」


 肩に置かれた手の温かさに、リシェルの体から少し力が抜ける。ディナもパリスも、自分とは比べ物にならないくらい、実力ある魔道士なのだ。盗賊団だろうと、魔物だろうと、何が出てもきっと大丈夫だ。


 クライルのぶつぶつ言う声と、団員たちが歩く度、鎧や武器ががちゃがちゃと立てる音だけが響く中、一行は黙々と進んだ。


「しかし妙だな」


 しばらく進んだ後、リシェルの後ろを歩くザックスが誰へともなしに呟いた。


「静かすぎる。さっきから、動物の気配が全然しない」


 森の中に入って大分経つが、動物や鳥の姿を見かけることも、鳴き声を聞くこともなかった。生き物の気配がまるでしないのだ。それが一層、この薄暗い森に漂う雰囲気を気味悪いものにしていた。


 と、突然、視界が開けた。穏やかに晴れ渡る青い空が目に飛び込んでくる。だが、そこに広がっていたのは、決して平和な光景ではなかった。


 辺り一帯、木が片っ端から倒れていた。その断面を見れば、木こりが斧で切り倒したのではないことは明らかだ。何か巨大なものに、強い力で乱暴に折られ、なぎ倒されたようだった。


「ひ~、何これ?」


 一同に動揺が走り、クライルが青ざめ震えあがった。


「あいつだ……あいつがやったんだ……」


 先頭を歩く兵たちに縄で拘束されている男――盗賊団の生き残りだという、いかにも悪党といった人相の悪い男が、怯えた声で言った。


「なあ、アジトはもうこの先だ。案内はもういいだろ。返してくれ! あの化け物がいたら、今度こそ殺されちまう!」


 わめきだした男の言葉に、皆静まり返ってしまう。目の前の光景に、恐ろしい魔物の存在を確信したからだ。男の虚言などではなく、本当に盗賊団を壊滅させた魔物はいるのだ。おそらく、今自分たちがいる、この森の中に――


「……俺がこの先の様子を見てきます。お前たちも来い」


 エリックが、近くにいた兵たちに命じ、次にリシェルたちの方へ声を掛けた。

 

「ディナも来てくれ」


「は~い」


 指名を受けたディナは、軽やかな足取りでエリックの元へ駆けていく。

 リシェルの胸が、また痛んだ。なぜだろう。彼はただ、ディナを呼んだだけなのに。


(そういえば……私、エリックさんに名前を呼んでもらったこと……一回もない……)


 そのことが、無性に悲しく思えた。自分の方が、ディナよりもエリックと知り合ったのは早かったのに……ディナの方が、ずっと彼と親しくなっているように思えた。


 リシェルはそっと、首元を抑えた。ローブの下、指先に感じる硬い感触。エリックが昨夜くれた、ペンダントだ。


(エリックさんは……私のこと、どう思ってるんだろう……?)


 憎い相手の弟子ではあるが、嫌いじゃない、とは言ってくれた。自分にこんなものをくれるくらいだ。実際、わかりにくいが何かと気遣ってくれているし、嫌われてはいないと思う。


(じゃあ、ディナのことは……?)


 会ったばかりだというのに、笑っていたし、気に入っているのは確かだろう。


 エリックがディナに見せた笑顔。自分にも昨夜、同じように笑ってくれた。だが、ディナに対するものとは違っているようにも見えた。彼がリシェルを見る時の目は、なぜかいつもほんの少しだけ……悲しげなのだ。


 リシェルを見ると、故郷のことを思い出してしまうのかもしれない。


 ふと気づけば、クライルがニタニタと笑いながらこちらを見ていた。


「な、なんですか?」


「ふふ。別に~。リシェルちゃん可愛いなって、見てただけ」


 程なくして、エリックたちが戻ってきた。兵たちの顔色がひどく悪い。


「どんな状況だった? 僕も確認しに行きたいんだけど」


 パリスの言葉に、エリックは首を振った。


「……見ない方がいい」


「盗賊団壊滅ってのは本当だったわ。みんな喰われてた」


 ディナが事も無げに言った。


「喰わっ……」


 一同が絶句する。


「他の動物や魔物の死骸もあった。どうやら見境なく他の生き物を襲って喰う奴みたい。それで森の生き物は皆逃げちゃったのね。人里へ出たら大変なことになるわ。早く見つけて始末しないと」


 この先で悲惨な光景を目にしてきたであろうに、ディナ自身には何の動揺もない。こんな状況には慣れているのか、至って冷静だ。


 その頼もしい姿に、リシェルは尊敬の念を抱いた。いつもおろおろしてばかりの自分とは違う。エリックが彼女を信頼し、頼りにするのもわかる。


「問題は今、奴がどこにいるかだけど――」


(――――!?)


 突然、リシェルは左手の方から強い魔力を感じた。

 それはパリスとディナも同じだったようで、三人は一斉に左を見やる。


 薄暗い森の奥が赤く光っていた。その光はどんどん大きくなり、凄まじい早さでこちらへ近づいてくる。


 一瞬のことだった。

 ばっとパリスとディナが前に駆け出ると、両手を広げて突き出した。目の前に青白く光り、視界すべてを覆いつくす魔力の壁が生まれる。その壁に、森の奥から飛んできた大きな炎の塊が激しくぶつかり、飛散し、消えた。


「な、なんだ!?」


 事態を把握できず、騎士団に動揺が広がる。


「来るわよ!」


 ディナが怒鳴ると、今度は森の奥からバキバキと木の枝の折れる音と共に、大きな影がやって来る。


 森を抜け日の光のもとに現れたのは、大の男の背丈の三倍はあるであろう、巨大な一匹の狼だった。赤い目で目の前の人間たちを睨み、口からはだらだらとよだれを垂らしている。だが、その尾は狼のそれではなく、先端が鋭く尖ったさそりのもの。そして、その背には無数の白い大蛇が生えており、互いに絡みつくようにうごめいていた。


「なんだありゃ!?」


「ま、魔物だ!!」


 突如現れた、醜怪な生き物に団員たちに怯えが走る。

 

「ぎゃー! 出たー! てか何あれ! 気持ちわるっ!!」


 誰よりも情けない悲鳴を上げているのは団長たるクライルだ。


 彼の横で、リシェルは初めて目にする魔物をただただ目を見開いて見ていた。この世に、こんなにもおぞましい姿の生き物がいるのか。絵でしか知らなかった存在を現実に前にして、恐怖のせいか、声も出なかった。ただごくりと唾を飲み込むのが、精一杯の反応だった。


 騎士団の最前列で、ディナと共に魔物の前に立つパリスもまた、驚愕していた。


「こ、こいつは……!」


「何? パリス何か知ってるの?」


 ディナの問いに、パリスは頷く。

 この魔物に、見覚えがある。初めて導師会議に出た日、ルゼルが天の塔の池に投げ入れていたもの。狼の体に、さそりの尾を生やし、背に無数の蛇がうごめく醜い生き物。シグルトに言われ、魔法で燃やして片づけたが、その醜悪な姿に吐き気がした。今目の前にいる魔物より遥かに小さく、猫ほどの大きさしかなかったし、既にこと切れていたが、間違いなく同じ魔物だ。


「……多分、ルゼル導師の合成獣キメラです」


「ルゼルの? ははぁ、なるほど……狙いはあの子か」


 パリスの答えに、ディナはすぐに合点がいったらしく、ちらりと後方のリシェルを見やる。


「あいつ、いまだにアーシェの件でシグルトを恨んでるわけか。でもシグルトに直接手を出すのは怖いから、嫌がらせに次の弟子を消してやろうと……で、あんなものをわざわざ空間転送で送ってきたわけか。本当に性格悪いわね。あのとっちゃん坊やは……」


 忌々しげに舌打ちすると、リシェルたちに向かって叫ぶ。


「王子たちは後ろに下がっててください! 皆も下がって!」


 クライルが隣に立つリシェルの腕に、ぎゅっと抱きついた。


「リシェルちゃん! 僕怖い! 僕から離れないで!」


 呆然としていたリシェルは、そこでようやく我に帰った。

 後ろにいたザックスが呆れ声で言う。


「大将……情けねぇ。そんなひっついたら、リシェルちゃんが魔法使えなくて困るじゃないっすか」


「とりあえず、安全なところまで下がってください」


 ダートンに促され、リシェルはクライルに抱きつかれたまま、一緒に後方へと下がった。


 ザックスとダートンは、過去に幾度か魔物討伐に加わった経験があるせいか、他の団員たちに比べ落ち着いていた。ほとんどの団員たちは、巨大な魔物を目の前に戸惑い、助っ人の女魔道士の指示通り、後ろに下がることしかできなかった。


 最前線に立つ二人の魔道士は、それぞれ両手のうちに魔力を生み出し、魔物に向けて放っていく。だがそれは、魔物の体に当たって弾け消えるだけで、傷ひとつ負わせることはできなかった。


「この程度じゃ効かないか……体の表面を魔力で覆って防御してるみたいね。多分、剣も効かないでしょうね。さすがは性悪導師の作った合成獣キメラ


 ディナは後輩の魔道士に向かって指示を飛ばす。


「パリス! 大技出すから援護して!」


「はい!」


 パリスは左手は魔物に向けたまま、右手を下からすくい上げるように持ち上げた。と、魔物の足元の地面から、青く輝く鎖が数本、勢いよく飛び出してきた。パリスが今度は右手をぎゅっと握ると、それは意思があるかのように魔物の体に巻き付き、その動きを封じる。


 ディナは深呼吸一つすると、目を閉じ、何事か口の中で呟き始めた。どこからともなく金色の光の粒が現れ、彼女の周囲を舞い出す。


 拘束された魔物は、自らを戒める鎖を断ち切ろうと、暴れ出した。


「く……! 力が強い……!」


 パリスは魔物を抑え込むため、歯を食いしばり、爪が食い込むほど右手を握り締める。

 魔物が、その狼の鋭い牙の並ぶ口を大きく開く。喉の奥から赤い光が漏れだした。


「まずい!」


 パリスは握っていた手を開くと、もう片方の手と同じく魔物へと向ける。青い鎖が消えたのと、魔物の口から炎が吐き出されたのは同時だった。


 炎の塊が汗する熱さを感じる程、騎士団に迫り――寸前に現れた青い魔力の壁に阻まれ消えた。


 だが、攻撃を防ぎパリスがほっとしたのも束の間、戒めから解き放たれた魔物は、前進し、前足を大きくディナに向かって振り上げる。ディナは後ろに飛び退いて、降ってきた鋭い爪を避けた。彼女の立っていた地面が深くえぐられる。


「ああもうっ! 何やってんのよパリス! これじゃあ呪文唱え終わらないから!」


「あの魔物相手に拘束魔法と防御魔法、同時に使うのは無理です!」


「修行が足りないわね!」


「ディナ様はできるんですか!?」


「絶好調の時なら多分ね!」


「できないって素直に言ったらどうですか!」


 二人の魔道士が口喧嘩している間にも、魔物は炎を吐いては、素早く爪を振り下ろしてくる。ディナとパリスはそれらをかわし、防ぐので手一杯になり、完全に防戦一方になった。


「あの口から出す炎がやっかいね。あれさえなきゃ……」


 魔物が魔力によって吐き出す炎。自身だけを守るならばともかく、後ろに大勢いる兵たちを守るためには、大きな魔力の障壁を生み出す必要がある。それが負担になり、他の魔法が思うように使えないのだ。


 と、ディナの呟きに応えるかのように、彼女の背後から人影が飛び出した。


「エリック様!?」


 突如前線に現れたエリックは、剣を抜き、まっすぐに魔物へ向かっていく。


「そんな無闇に突っ込んだら……!」


 猛進してくる騎士の気迫に何かを感じたのだろうか。魔物が数歩下がり、距離を取る。すると、その背で蠢いていた無数の蛇たちの体がするすると伸び、一斉にエリックに向かっていく。とても一人では避けることも、さばき切ることも不可能と思われる多さだった。


「エリック様、危ない!」


 だが、ディナの心配を他所に、黒髪の騎士は走り続けたまま、自身に襲い掛かる蛇たちを目にも止まらぬ早さで片っ端から切り捨てていく。数え切れぬほどの切断された蛇が地面に転がった。


「すごい……!」


 大勢の驚愕の眼差しを背に、騎士はあっという間に魔物の足元まで辿りつく。

 魔物が前足を振り下ろす。エリックはあっさりそれをかわすが――その頭上では、彼を睨む狼の牙の間から炎が溢れていた。


 避けられない、と誰もが思った。

 だが、エリックは攻撃を避けた勢いそのままにくるりと回転しながら、魔物の前足に斬り付ける。彼の赤いマントと、赤い血しぶきが舞った。

 同時に、魔物の口内から、炎が消える。

 

「え? あれ?  魔力が消えた?」


 戸惑う魔道士二人の元へ、エリックは魔物に追い打ちをかけることなく、駆け戻った。


「ディナ! パリス!」


 呼びかけに我に返ったパリスとディナは、傷を負わされ唸り声を上げて向かってくる魔物に、攻撃を再開する。

 パリスの青い鎖が再び魔物を縛り、ディナは呪文を唱え始める。


 魔物が再び炎を撃ってくることはなく、ディナの周りには金色の光の粒がどんどん集まってきた。それは彼女の姿を、女神のように神々しく照らし出す。


 リシェルはその様子を後方から見ていた。これだけ離れていても、びりびりと皮膚が痺れるように、ディナの力強い魔力を感じる。彼女の日頃の、過剰とも言える自信に溢れた言動は、虚勢ではない。この魔力こそが、その根拠なのだ。


 ディナがゆっくりと片手を持ち上げ、魔物に向かって振り下ろした。


「――――いかづちよ!」


 その瞬間、天がぴかりと光り、稲妻が走る。それは魔物を直撃し、すぐには消えずに、その全身を舐めるように這い回る。


 魔物は絶叫し、びくびくと痙攣すると、やがて拘束していた青い鎖が消えるのと共に、その場に横から倒れた。体中焼け焦げ、目は閉じられていた。さそりの尾も、背で蠢いていた蛇たちも、皆だらんと地面に力なく横たわっている。


「まあ、ざっとこんなもんよ」


 ディナが得意げに髪をかき上げた。その背後でわあっと歓声が起こる。


「す、すげー! つえ~!」


「姉御~」


「ディナ様~!」


「一生ついていきます!」


 兵たちがディナに駆け寄り、賞賛を送る。


「さすがディナ! もうやっつけちゃった」


 皆に囲まれるディナを遠目に見ながら、クライルがへらへら笑った。


「ね、すぐ終わってよかったね~! リシェルちゃん」


「……大将、いつまでリシェルちゃんにひっついてるんですか?」


 ダートンの指摘に、戦いを見守るのに集中していたリシェルは、クライルに腕に抱きつかれたままだったと気づき、慌てて言った。


「あ、あの! 放してください!」


「え~もうちょっといいじゃん。リシェルちゃんってなんかすごくいい匂いするんだよね~。洗髪料の匂いかな。どこのやつ使ってるの?」


「知りません! 家から持ってきたのだから先生と同じのです! 放してください!」


「シグルトと同じ? じゃあ、あいつと同じ匂いってこと~? なんかそれってちょっとやらし――」


「大将!」


 ザックスがクライルを引きはがし、ようやくリシェルは解放された。

 ほっとして前方へ視線を戻すと、ディナから少し離れたところで、エリックもまた他の兵たちに囲まれていた。


「エリックさん! さすがっすね!」


「もう駄目かと思いましたよ。でもやっぱ強ぇ」


 エリックは得意がるでも、謙遜するでもなく、いつもの無表情だ。


 彼が魔物に向かって行ったときは肝が冷えた。いくら強いとはいえ、ディナやパリスが苦戦する相手に敵うとは思えなかった。だが、彼はどうやったのかわからないが、魔物の炎の吐息を止めてしまった。ミレーレの時も、魔道士の刺客相手に対等に戦っていたし、彼は一体何者なのだろう。本当に……彼から目が離せない。 


 パリスもまた、リシェルと同様、エリックに視線を送っていた。


 エリックが魔物に斬り付けた瞬間、魔物から魔力が消えた。あの時、一体何が起こったのか。魔道士でもない彼に、魔力を封じるなどという最難度の高位魔法が使えるわけがない。考えられる可能性は、一つしか思い当たらなかった。


「あいつ、まさか“悪魔狩り”の力があるのか……?」


 大陸東方部で生まれる、黒髪を持つ人間の中には、ごく稀に魔力を無効化する能力――“破魔の力”がある者がいるという。その特殊な魂の波動は、あらゆる他者の魂の波動――すなわち魔力を打ち消す。“破魔”の能力者に敵意を持って触れられた相手は、しばらく魔力を生み出せない状態に陥ってしまう。


 彼らはその力を使って、魔力を持って悪事を行う者たち――“悪魔”を葬ってきた。ヴァ―リスにおけるエテルネル法院と同じ役割を担ってきたのだ。ゆえに彼らは、“悪魔狩り”と呼ばれた。


 だが、彼らは魔道士よりもさらに数が少なく、近年では実際にその存在を目にしたものはほとんどいない。大陸東方部でも魔道士の組織が生まれ、魔力を持った人間の管理が進むと、“悪魔狩り”として活躍する者もいなくなったからだ。


 聞いたところで素直に答えるとは思えないが、確認する必要がある。

 パリスがエリックに向かって一歩を踏み出した、その時――――


「動いてる!」


 誰かが上げた、悲鳴に近い声に振り返れば、倒れた狼の頭が動き、その赤い目がかっと見開かれていた。

 

「……嘘でしょ? これでもまだ生きてるの?」


 先ほどまで鼻高々だったディナも、予想外の事態に唖然とする。

 ぼとり、と狼の背から蛇が落ちた。ぼとりぼとりと、次々に蛇が抜け落ち――それらもまた、小さな赤い目を開き、動き出した。最も近くにいた兵に向かって行く。


「ひっ!」


 幼い子供の胴回りほどの太さのある大蛇に怯んだ兵に、蛇が牙を向き襲いかかり――その首が刎ね飛ばされる。エリックの剣によって。


「ぼさっとするな! 剣を抜け! こいつらは普通に倒せる!」


 エリックの怒鳴り声に、団員たちははっとしたように皆腰から剣を引き抜いた。


 それからは、総員での乱戦になった。

 騎士と兵たちは襲い来る蛇を剣で一匹一匹始末していき、ディナとパリスは、再び立ち上がった狼本体と戦っていた。だが、皆苦戦していた。蛇は次から次に狼の背から落ちてきて兵たちを襲い、狼の方は炎こそ吐かないものの、鋭い爪と牙、そしてさそりの尾を使い、素早い動きで魔道士二人に絶え間なく襲いかかる。呪文を唱える少しの余裕すら与えない。


 クライルとリシェルは、さらに後退し、避難していた。先ほどまで傍にいたザックスとダートンは、今はじわじわとここまで迫りつつある蛇の群れと戦っている。


「……うーん、押され気味だね。ちょっとやばいかな。リシェルちゃん、僕の傍、離れないでね」


 またリシェルの腕にしがみついてきた割には、クライルの声は冷静だった。


「僕とこうしていれば、怯えた僕がリシェルちゃんにしがみついて、君は何もできない状態……にみんな見えてるだろうから、君が魔法苦手だってことも誤魔化せるしね」


 リシェルははっとした。彼が自分に抱きついているのは、本当に怯えているからではない。リシェルのために、情けない王子を演じているのだ。自分はいつも……誰かに守ってもらってばかりだ。


「危なくなったらさ、二人で逃げよ」


「逃げるって、そんな……みんな戦っているのに……」


 クライルに対して感謝を感じたのも束の間、団長とは思えぬ発言に、リシェルは非難めいた口調になる。


「君も僕も戦いじゃただの足手まといだよ。わかってるでしょ?」


 リシェルは口をつぐんだ。まったくその通りで、言い返す言葉もない。

 クライルは唇の端を吊り上げた。


「君に死なれちゃ困るんだ……リシェルちゃんは人気者だけど、僕にとっても必要な子だからね」


「??」


「ほら、リシェルちゃんに何かあったら、君をこの任務に誘った僕がシグルトに殺されるかもしれないってことだよ~」


 クライルは、へらへらと笑った。

 よくわからない人だ、とリシェルは思う。本当は何を考えているのかまるでわからない。いつも軽薄に振る舞い、人々からボンクラだの愚かだのと軽んじられている一方で、騎士団の皆や民から慕われるような優しさを持ち、意外にもその発言は鋭い。


 ロビンの一件以来、男性に近づかれることに抵抗があるリシェルだったが、今こうしてクライルにくっつかれていても、なぜか不快感はなかった。


「いってえ!」


 二人の会話は、聞き覚えのある声によって中断された。


「ザックスさん!?」


 見れば、ザックスが地面に座り込んでいた。その足には噛みつかれた痕があり、服が血でべっとり濡れている。その傷を負わせたであろう蛇は自分で倒したのか、すぐ近くに倒れていた。だが、あの状態でまた他の蛇に襲われてはひとたまりもない。


 リシェルはとっさに、クライルの制止の手も振り払い、ザックスの元へ駆け寄っていた。


「大丈夫ですか!?」


「つっ……情けねぇ。油断した」


 リシェルは膝をつくと、両手を揃えて、ザックスの足の傷へと向ける。治癒魔法はずっとパリスに教わっていたが、まだ実際に人間の傷を癒したことはない。傷をつけた植物の茎で練習していただけだ。それも成功は五分五分。


(お願い……成功して……)

 

 祈るような気持ちで集中し、魔力を生み出す。リシェルの掌が淡く緑色に発光し、ザックスの傷口がゆっくり塞がっていった。安堵し、ほっと息をつく。


「す、すげー! 痛みがなくなった! もう歩けそうだ!」


 ザックスは感嘆し、リシェルに笑いかけた。


「ありがとうな。リシェルちゃん、助かったよ。さっすがシグルト様の弟子!」


「いえ……」


 初めて、魔法で誰かを助けることができた。そして、感謝された。ずっと誰かに守られてばかりのお荷物の自分でも、誰かの役に立つことができたのだ。嬉しさがこみ上げる。


 リシェルもザックスに微笑みかけた、その瞬間――


(え――?)


 気配に振り返れば、数匹の蛇が目前に迫っていた。

 その開いた口から、鋭い牙と、赤い舌が覗く。

 もう逃げられる距離ではなかった。

 反射的に目を閉じ、顔を背ける。


(先生――!)


 死を意識した瞬間に浮かんだのは、シグルトの顔だった。


 だが――――

 覚悟した痛みはやってこない。


 恐る恐る目を開けると、そこにあったのは、黒い服を着た女の後ろ姿だった。


 その足元には数匹の蛇の頭が転がっている。そして、女のぴんと指を揃えて伸ばされた、白く細い右手には、赤い血がべったりとついていた。


 女が顔だけを少し振り返る。深い藍色の瞳と目が合った。


「セイラ!?」


 リシェルが見たのは、王都にいるはずの、メイドの姿だった。



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