第46話 ディナ

 エテルネル法院。

 塔と塔を結ぶ石畳の上を、最高位の魔道士しかまとえない紺のローブをはためかせ、足早に歩くその男を、人々は恐る恐る遠巻きに見ていた。彼とすれ違う者たちは丁寧に頭を下げはするが、その顔を確認すると、怯えたようにそそくさとその場から離れる。

 男の表情が、常の穏やかなものとは違い、今から親の仇を討ちに行くかのような鬼気迫るものだったからだ。


「おい! シグルト!」


 呼び掛けられて、男は立ち止まり、小走りに走り寄ってきた赤髪の大男を振り返った。


「お前なに殺気撒き散らしてるんだよ? さっきから下級魔道士たちがびびりまくってるぞ」


 この男がこんなに殺気立つ原因は一つしかないだろう。赤髪の大男――ブランは声を落とした。


「まさか、リシェルになんかあったのか?」


「……」


 シグルトの顔に険が増す。

 昨夜、セイラの報告を受けて、はらわたが煮えかえりそうだった。荒ぶる感情に魔力が一瞬暴走してしまい、お気に入りのティーカップを木っ端微塵にしてしまった程だ。

 心配していたことが起こってしまった。可愛い弟子はどれだけ怖い思いをしただろう。彼女に乱暴しようとした男を、八つ裂きにしてやらなければ気がすまない。この手で殺してやりたかった。

 だが、自分はここを離れられない。逃げた男を探し出して殺すようセイラに命じたかったが、それもできない。今、セイラが少しでも離れれば、リシェルを“彼ら”に奪われる危険があった。

 腹の虫を収める手段がなく、シグルトは湧き出る怒りを持て余していた。さらに彼女を救ったのが、セイラではなく、黒髪の騎士だったことも、苛立ちを生む。

 やはり、リシェルを盗賊討伐などに行かせるべきではなかった。

 それもこれも、あの“自称協力者”のせいだ。手を組んだのは、間違いだったかもしれない。彼のへらへらと笑う顔を思いだし、また苛立つ。


「リシェル、無事なのか?」


 黙り込むシグルトに、ブランが不安げに問う。


「……ええ、無事ですよ。でも、きっと傷ついてる」


 答えるシグルトの表情から凄みが消え、遠くにいる弟子への心配と気遣いが現れる。

 シグルトは珍しく、ブランにすがるような目を向けた。


「……ブラン、私、行っちゃダメですかね? 君が私の分まで結界維持をやってくれれば――」


「……俺はいいが、導師会議と国王の了承がなきゃ、俺たち導師は王都を離れられない。王都の結界維持は導師の最重要責務だからな。わかってるだろ?」


 ブランに言われ、シグルトは天を仰いだ。

 雲ひとつない晴天だ。だが、“見よう”とすれば、そこにうっすら白く光輝き、空全体を覆う結界があることは、魔道士なら見てとれる。


「……ああもう。何もかも面倒ですね。こんなものに縛られて、あの子を守れないなんて。もういっそ結界なんてぶち壊してやりましょうか」


「シグルト……!」


「……わかってますよ」


 シグルトはため息をついた。この結界は重要なものだ。彼女を守る上でも。これをより強固なものにするため、自分はなりたくもない導師になった。


「ふぉふぉふぉ、物騒なことを言っておるの」


 しわがれた笑い声に二人は振り返った。


「ガーム導師」


 現れた老人は、ゆったりと、だが年齢の割には存外にしっかりとした足取りで二人へと歩み寄る。


「シグルト、お前さんの不安を減らせるかわからんが、今回のアンテスタの盗賊団討伐、わしの孫娘も向かわせた」


「ディナを? 今はスワルト山の火竜討伐に行っているんでしたよね?」


 ブランが問うと、ガームは頷く。


「うむ。そちらは無事、片をつけたようじゃ。アンテスタはちょうど帰り道じゃし、それに」


 長い白髭を手ですきながら、老人はシグルトの紫の瞳をじっと見つめる。


「ちと嫌な予感がしてのぅ。お前さんも可愛い弟子を心配しておるようじゃったし、手伝いに行かせた。リシェルちゃんも同性がおった方が心強いじゃろうしな。……余計なお世話じゃったかの?」


 シグルトはどこか浮かない顔だった。

 ディナ。彼女もまた、リシェルに近付けたくない人物の一人ではあった。だが、実力は確かだ。確実にリシェルの身を守る戦力になる。

 シグルトは最高齢の導師に頭を下げた。


「いえ……お気遣い感謝いたします。ガーム導師」


 ブランがシグルトの肩をぽんっと叩く。


「ディナも来てくれるなら、パリスもセイラもいるし、もう大丈夫だろ。あいつらを信じよう。自分が行こうなんて、早まったこと考えるなよ」


「……君の弟子は、肝心な時に寝てたみたいですけどね」


「え?」


「では、失礼します」


 シグルトはガームに会釈すると、その場を後にした。ブランもそれに倣い、慌てて彼を追う。

 ガームは、笑顔で手を振り、二人の会釈に応えたが、彼らが背を向けるとすぐに笑みを消した。去っていく白銀の髪の導師の背に向かって、呟く。


「……貴方様もご苦労が絶えませんな、今生こんじょうも」










突然の来訪者によってもたらされた一瞬の静寂を破ったのは、クライルだった。


「お~ディナじゃん~。久しぶり~」


「あら、ボンクラ……じゃなくてクライル王子。お久しぶりです」


女魔道士は、つかつかとクライルの側へ歩み寄ると、丁寧に一礼した。


「君、今さらっとひどいこと言わなかった?」


「聞き間違いでしょう」


ディナはしれっと笑う。


「君も相変わらずだなぁ」


「殿下も相変わらず気の抜けたお顔でいらっしゃいますね」


「はは、女の子には優しい僕でも、さすがに王族侮辱罪で訴えちゃうよ~?」


 クライルはそう言いつつも、ディナの無礼な物言いをまったく気にしていないようで、へらへらと笑う。二人は親しいようだった。


「王子、彼女は……?」


 エリックが問う。


「ああ、君は僕の護衛になったの最近だから、会ったことなかったっけ。彼女はさっき派手に自己紹介してた通り、ガーム導師の弟子のディナだよ。2年前から、姉上の足の治療に関わってくれててさ。姉上と仲良いんだ~。僕にはきついけど。ね、ディナ?」


 クライルの同意を求める声を、しかしディナは聞いてはいなかった。彼女の目は、王子の横に立つ、黒髪の騎士に釘付けになっていた。


「ちょ……超絶イケメン……!」


 一気に距離を詰めると、彼の手を取り、ぐぐっと顔を近づける。


「私、ディナっていいます。騎士様、あなたのお名前は?」


「……エリックだが」


 騎士は答えるものの、いきなり迫ってきた女魔道士に、さすがに動揺したのか少しのけぞった。


「エリック様! 素敵なお名前。これからよろしくお願いしますね!」


「あ、ああ」


 エリックは珍しく、その秀麗な顔に困惑を見せていた。対するディナは満面の笑みだ。


「あ~ん、まさかこんな美形がボンクラ王子の寄せ集め騎士団にいるだなんて……出会いはどこに転がってるかわからないわね。お爺ちゃんありがと~」


 エリックの手を握りしめ、跳び跳ねんばかりにきゃっきゃっと騒いでいる。


「……ったく。相変わらずうるさい人だな」


 パリスがぼそっと呟く声を、リシェルは聞き逃さなかった。その声音だけで、彼がこの先輩魔道士を快く思っていないことがはっきりわかる。


「ディナ様。どうしてこちらへ?」


 パリスが問うと、ディナはようやくエリックの手を放し、リシェルたちの方へ向き直った。

 片手を腰に当てて立つその姿からは、自信が溢れていた。


「お爺ちゃんに頼まれたのよ。新人さんたちを手伝ってあげなさいって」


「ガーム導師に?」


「そうよ。しかし、お爺ちゃんも人使い荒いわよねぇ。こっちはようやくスワルト山の火竜退治の任務が終わったばっかりだっていうのに」


 ディナは大きくため息をつく。


「これが結構手強くてね……遭遇しては戦って、逃げては逃げられ、追っては追われ……なっかなか決着がつかなくてね。上級魔道士7人も連れて行ったのに、2ヶ月以上かかっちゃったわ。最近の魔道士って上級でも質が悪いのよね。使えない奴ばっか。でも、まあ、最後は私がきっちりトドメをさしてやったけどね」


 どんなもんよと言わんばかりに、ディナはぽんっと自らの胸を軽く叩いた。鼻高々なその様子に、パリスは独り言のように、だが相手に聞こえるようにはっきり呟く。


「……シグルト様は若干13歳で、たったお一人でラメキア渓谷の魔竜を退治されましたけどね」


 ディナはもともと吊り気味の目をさらに吊り上げ、舌打ちした。


「出た、この忌々しいシグルト崇拝者め」


「人を悪魔崇拝者みたいに言わないでください」


 ディナとパリスは互いに睨み合う。バチバチと散る火花が見えるようだ。こちらの二人は仲が悪いらしい。


「あの……」


 険悪な雰囲気を変えるべく、リシェルは口を開こうとした。そこで初めてリシェルの存在に気付いたディナは、これでもかと目を丸くして、黒髪の少女を凝視する。


「ちょっ……パリス! 誰なの? この超絶美少女は!?」


「シグルト様の弟子です」


「シグルトの?」


 びくんっと、ディナの眉が不快げにはね上がった。


「リシェルです」


 言いながらリシェルはぺこりと頭を下げた。

 ずずずっとディナが近づいてきて、リシェルの顔を穴が空くほど見つめる。同性とはいえ、こんな間近でじろじろ見られるのは居心地が悪い。


「ああ、遠くから何回か、あいつと一緒にいるのを見たことあるわ。……しっかし、近くで見ると、本当に噂通りの絶世の美少女ね。あいつ……面食いだったのか。あなた、歳いくつ?」


(あいつ……って先生のこと?)


 自分のせいでシグルトは散々陰口を叩かれてはいたが、それでも彼をあいつ呼ばわりする魔道士など、初めてだ。

 戸惑いながら、リシェルは答えた。


「16ですけど……」


「あいつと10歳以上離れてるわけね……面食いでロリコンの変態か。最低ね」


 吐き捨てるように言う。師への暴言に、リシェルは怒るよりもただ驚くばかりで、目を白黒させた。


「うっわ、あのシグルトを変態呼ばわり。さすがディナ姉さん」


「ディナ様。口を慎んでください」


 クライルは面白がっているが、パリスの方は崇拝する魔道士を侮辱され、額に青筋を浮かべている。エリックはいつもの無表情に戻っていたが、興味があるのかそんなディナをじっと見ていた。

 ディナは周囲の反応など気にせず、小声で続けた。


「あなたのことは、いずれ助けなきゃって思ってたのよ」


「え?」


 ディナはにっこり微笑んだ。


「リシェル。法院では数少ない女の子同士、仲良くしましょ」


「あ、はい。よろしくお願いします」


 ディナはくるりとクライルたちの方へ向き直ると、高らかに言った。


「さて、この私が助っ人に来たからには、盗賊団だろうが魔物だろうが瞬殺よ。さくっと片付けてみんなで王都に帰りましょ!」


「ぐへぇ~、やっぱ行くのか~」


 クライルは情けない声で嘆いた。

 主に代わって、エリックが指揮を執る。


「今日はもう遅い。明日一日で、捕らえた盗賊からの聞き取り、調査隊の編成を行い、必要な装備を調達する。出発は明後日にしよう」


「あぁ、格好いい……!」


きらきらと輝く赤黄色の瞳から送られる熱い視線を、無口な騎士はさりげなく顔を背けて避けた。













「あ! これローラの小説じゃない!」


 領主の館内に用意された、リシェルとディナの部屋。二つ寝台が並んで置かれた、日当たりのよい場所だった。

 ディナが女の子同士親睦を深めたいというので、二人は相部屋になった。隣がパリスの部屋だ。

 リシェルの荷の中に、若い婦女子に大人気の恋愛小説を見つけ、ディナは嬉々とした声を上げた。


「私、昔から彼女の大ファンなのよね~。全作欠かさず読んでるわ。リシェルも好きなの?」


「あ、それは先生から借りたもので……」


「は? 先生? まさかシグルト?」


 師の話になった途端、ディナの声音が2段ほど下がる。


「はい。先生もローラの小説は全巻持ってるくらいお好きで……」


 リシェルの答えに、ディナは目を剥いた。


「はぁ? 冗談でしょ!? シグルトが!? あいつ昔、こういう恋愛小説を私たちが読んでると散々馬鹿にしてたのに」


「先生が……?」


 意外だった。リシェルがシグルトの家に引き取られた頃には、彼はもうローラの熱狂的読者だったはずだ。


「どういう心境の変化かしら? あいつが恋愛小説って、なんか気持ち悪いわね……」


「シグルト様を気持ち悪いとか言わないでください。先程からお言葉が過ぎますよ、ディナ様」


 横手から入った不機嫌な声の主を、ディナは睨め上げる。


「あら、シグルト狂信者くん。なんであなたがここにいるのよ? ここは男子禁制よ」


「今後の打ち合わせです。あなたにも状況を把握してもらう必要がありますから」


パリスは嫌々といった感じではあったが、ミレーレでの刺客騒動、リシェルがまだ魔法がろくに使えず、それを周囲に隠していることなどを手短に説明した。


「ふーん、なるほどね。ボンクラ王子はともかく、リシェルも狙われてるのね。まあ、やっぱりシグルトの弟子だからか。あなたもいい迷惑よね」


 話を聞き終えると、ディナはリシェルを同情するように見た。


「しかし、弟子にしておいて、6年も何も教えないなんて……あなた、やっぱり……」


 ディナは急にリシェルの両肩をがしっと掴むと、はたと目を合わせてくる。


「リシェル、よかったらうちに来る? 魔道士になりたいなら、私の弟子になればいいわ」


 突然の申し出に、リシェルは面食らった。会って間もない人間にそんな提案をする理由がわからない。だが、ディナの橙色の瞳は真剣そのものだ。


「あなた身寄りがないんでしょう? あいつに養ってもらう代わりに、その……いろいろされてるなら、我慢することないのよ?」


「いろいろ……?」


 ディナは声を落とした。


「だから、体を求められたりとか……」


「なっ!? そんなこと全くないですから!」


 リシェルは真っ赤になって否定した。ひどい誤解だ。


「先生はそんな方じゃないです! 先生は私を拾って育ててくれた恩人なんです。今までずっと本当の家族みたいに優しくしてくれました」


「あなた……あいつに洗脳の術でもかけられてる?」


 ディナは訝しげに首を傾げた。リシェルの言葉を信じていないようだ。

 パリスがリシェルに小声で耳打ちする。


「……この人、ちょっと思い込みが激しいんだよ」


「……聞こえてるわよ」


 睨み付けてくる先輩弟子に屈することなく、パリスはきっぱり言い放った。


「ディナ様。シグルト様は本当にこいつのことを大切に思っておられますよ。法院内の噂なんて嘘です。僕が保証します」


「あなたに保証されてもねぇ」


 ディナは腕を組み、疑わしげにパリスを見る。


「噂が嘘なら、ただの師弟関係ってこと? なのにあいつはなんで、弟子にちゃんと修行させないわけ?」


 追求に、パリスは少し怯んだ。


「それは……シグルト様はこいつに特別なお気持ちがあって……それで、多分、危険の多い魔道士にはされたくないのかと……」


「特別なお気持ちって何よ?」


「だから、その……恋愛感情が……」


「なんだ。結局弟子に下心があるんじゃないの」


 ディナは勝ち誇ったように鼻先で笑った。どうあってもシグルトを悪者にしたいらしい。


「シグルト様は本気でこいつのことをですね……!」


「あの、ディナさんは、シグルト先生のことがお嫌いなんですか?」


 むきになるパリスをリシェルは遮った。ディナのシグルトへの誤解は解きたい。だがこれ以上、師の自分への気持ちについて他人に議論されるのは正直恥ずかしい。


「大っ嫌いよ」


 ディナは表情にも声音にも嫌悪感を滲ませ、全力で肯定する。


「それは……その……先生が昔、戦争でひどいことをしてきたから……ですか?」


 パリスがはっとしたようにリシェルを見た。誰かからカロンのことを聞いたのだと察したのだろう。


「それは……違うわ」


 リシェルの問いは、今度は否定される。ディナは目の前に何か見たくないものでもあるかのように、視線を落とした。声も沈む。


「あの戦争で魔道士がやったことなんて、皆似たり寄ったりよ。シグルトも、お爺ちゃんも、私もね……」


 ディナのその顔が、かつてシグルトが戦争について語ったときのものと重なる。明るく強気な彼女に似合わない、悲しげな表情。

 多分、彼女もシグルトと同じような行為をし、それを悔いているのだ。


「じゃあ、どうして……?」


 ディナは顔を上げた。そこにさっきまでの翳りはない。代わりにあったのは――憎悪だった。


「あいつは、私の親友を……アーシェを殺したから」


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