第38話 ケーキ屋で

 花柄の壁紙がこれまた可愛らしい内装の店内に入ると、案の定、女性客ばかりだった。ベルの音とともにリシェルたちが現れた途端、店内の空気がざわめく。女性客たちは一斉に、驚いたようにリシェルたちへ目を向けていた。正確には、エリックとパリスに。それは彼らの髪色が珍しいとかそんな理由ではなく――――それならリシェルももっと注目されていいはずだ――――単純に彼らの魅力的な容姿のせいだ。送られてくる視線は熱く、彼女たちの頬はほんのり朱に染まっていた。

 女ばかりの空間にエリックとパリスは少し居心地が悪そうで、注目される彼らに、クライルは面白くなさそうにむくれた。


「ウサギのケーキ屋へようこそ~! 4名様いらっしゃいました~!」


 フリルがふんだんにあしらわれたエプロンに身を包んだ若い女の店員。その頭に結わえられた、入口のウサギの置物と同じ巨大なリボンは、クライルを除く男二人を一歩引かせるのに十分な迫力があった。


「ここ、店員さんの格好がすごく可愛いでしょ~? リシェルちゃんにもあの格好、すごく似合うと思うんだよね~」


 何を期待しているのか、目を輝かせて言うクライルに、何と答えてよいかわからず、リシェルはただ笑ってごました。


「今日は個室を予約してあるからね~」


 店員に案内され、通されたのは店の奥にある小さな部屋だった。丸いテーブルを囲んで4脚の椅子が置かれている。女性客たちの視線から逃れ、エリックとパリスはほっとした様子を見せた。


「あ、エリックも今日は一緒に座って食べてよね。側で“私は護衛です”って顔して突っ立ってられたら、僕の身分がばれちゃうかもだし?」 


「……わかりました」


「さ、食べよ食べよ~。もちろん、僕のおごりだから遠慮しないで~」


 エリックが着席すると、クライルは嬉々として置かれていたメニューを手に取る。


「僕、イチゴのショートケーキ! 子供の頃はいつもこれ頼んでたんだよね~」


「じゃあ僕はチョコレートケーキ」


「え~と、じゃあ、私もクライル様と同じ、ショートケーキで」


 クライル、パリス、リシェルの3人が言うと、店員は黙っている黒髪の騎士へ注文を促す。


「そちらのお客様は?」


「……俺はいい」


 エリックは首を振る。


「甘いのお嫌いですか?」


「……苦手だな」


 リシェルが尋ねると微かに顔をしかめた。そんな彼の目の前に、店員はメニューを広げて見せる。


「でしたら、当店のチーズケーキはいかがでしょう? 甘いものが苦手な男性にも好評でして――――」


「……アップルパイを頼む」


 エリックはメニューを一瞥すると、迷うことなく言った。


「え? あ、はい。かしこまりました」


 店員は怪訝な顔を見せたが、注文を取り終えて退室していく。


「アップルパイはお好きなんですか?」


「……他のよりかはな」


 エリックの黒い瞳が、まるで様子を窺うようにじっとリシェルを見る。


「そうなんですか。先生も好きなんです。おいしいですよね」


 リシェルがシグルトの話を出すと、エリックは目を逸らした。


「ここのケーキはなんでもおいしいよ~」


 クライルがこの店のケーキの素晴らしさ、そして店員の制服の可愛らしさについて語っている間に、やがて注文したケーキと紅茶が運ばれて来た。


「いっただきま~す!」


 クライルは早速、フォークで艶やかなイチゴを突き刺すと、一口で口に含む。


「あ~そうそう! この味~! 懐かしいな~」


 見ている方まで顔が緩むような、満面の笑みだった。


「このお店にはお母様と来られてたんですか?」


「うん。たまにね。母さんと暮らしてた頃はすっごく貧乏だったからさ、滅多に来られなかったんだけど、僕の誕生日には必ず母さんが連れて来てくれたんだ~」


 リシェルが尋ねると、クライルはにこにこと子供のような笑顔で答える。その無邪気な笑顔に、幼いクライルと母がこの店で笑いあってケーキを食べている姿を想像し、リシェルはなんだか心がほんわりと温かくなるのを感じた。


「殿下。今日を休みにしたのは、ここへいらっしゃるためだったんですか?」


「そゆこと~。せっかく来たんだし、ケーキ食べたいじゃん?」


 呆れて言うパリスに軽い口調で答え、クライルはフォークを振った。


「さ、みんなも食べて食べて~」


 リシェルもクライルに倣って、フォークでイチゴを刺し、クリームをたっぷり絡ませ、口にする。


「おいしい!」


 蕩けるように口の中で広がる甘さに、思わず顔がほころんだ。


「う~ん、いいね! その顔! 女の子がおいしそうに食べてるのを見るのっていいよねぇ。こっちまで幸せになっちゃう」


 クライルはそんなリシェルを見て、もともと垂れている目じりをさらに下げた。


「さあ、リシェルちゃん! 昼下がりのお茶の時間、やることはただ一つだよ」


「なんですか?」


「もちろん、恋の話!」


「そんな女みたいなことを……」


 パリスが呆れ返って言うが、この場でただ一人の女であるリシェルは、彼らの会話の意味がわからず、きょとんとしていた。なぜお茶の時間に恋の話をすることが女みたいなことなのか。リシェルは、女同士で集まると一般的にどういう会話が展開するとされているのかを、知らなかった。

 エリックは運ばれてきたアップルパイには手をつけず、会話に入るつもりもないのか、ただ静かに紅茶を啜っていた。


「じゃあ僕から質問ね。リシェルちゃんは恋人にするならどんな男がいいのかな~?」


「恋人……」


 そんなこと、今まで考えたこともない。同世代の人間と関わることのなかったリシェルは、年頃なら当然興味を持つであろうそうした話題を耳にする機会すらなく、彼女の師が嘆く通り、恋愛というものに関してとことん疎かった。


「いろいろあるでしょ? 格好いい人とか、頭いい人とか、お金持ちとか」


「……優しい人?」


 とりあえず、適当に答えてみる。シグルトから借りて読んでいる小説で、主人公が優しい人が好きだと言っていたのを思い出しながら。


「ふ~ん……あ、ちなみに僕はと~っても優しい男だよ~?」


「……こいつにちょっかいをかけるおつもりなら、シグルト様に言いつけますよ?」


「あ、それは勘弁して欲しいなぁ」


 パリスの牽制に、クライルはへらへらと笑った。


「……で、他には? 外見の好みとかもあるでしょ?」


「えっと、特には……」


「優しいだけでいいの? それならさ、例えばブランでもいいってことになるよ?」


 確かに、リシェルの数少ない知人の中で、ブランは文句なしに優しくて、良い人だ。尊敬しているし、慕ってもいる。だが、だからといって彼と恋人同士になるなど想像もできない。


「ごめんなさい。私、そういうのよくわからなくて……」


「ええ~、もしかしてリシェルちゃん、恋したことないの~? 誰かと付き合ったことも?」


 クライルが目を丸くする。


「……ない……です」


 リシェルは少し声を小さくして答えた。この年齢でそういった経験がないのは、もしかして他人からすると驚くようなことなのだろうか。確かに、一般庶民はともかく、貴族なら16,17歳、成人後すぐに結婚するのはごく普通のことだ。20歳を過ぎれば嫁ぎ遅れと言われてしまう。あまり自覚はなかったが、シグルトが言う通り、自分は世間一般と比べると精神年齢が幼いのかもしれない。


「ええ~? リシェルちゃん可愛いから黙ってても男が寄ってきそうなのに。まあ、魔道士だとなかなか普通の男は近づけないかもしれないけど……でも、法院ではモテモテなんでしょ?」


「いえ、むしろ嫌われてて……」


 リシェルが言いながら、パリスをちらりと見ると、彼は素知らぬ顔をして、黙々と自らのチョコレートケーキを口へ運んでいた。


「またまたぁ。リシェルちゃんイイ子だしそんなわけないじゃん。でもまあ、仕方ないか。あの師匠が目を光らせてるんじゃ、誰もおいそれと近づけないよね~」


 クライルは勝手に納得すると、胸を張る。


「まあ、恋については僕に何でも相談してよ~。僕は恋多き男だからね。あ、ちなみに僕の初恋はね~、城に連れて来られた時だから、6歳の時でしょ。で、初キスは9歳の時。がっつりしたのは13の時だけどね~。それから初体験は―――――」


「殿下っ! あなたはまたそういう品のないことをべらべらと!」


「あ~もうそんな大きな声で殿下とか叫ばないでよ~。悪い奴に聞かれたらどうするのさ? 僕攫われちゃうかも」


 パリスの咎める声に、クライルはうっとおしい虫を払おうとするかのように手を振り、それからにっと笑った。


「お上品ぶっちゃって。そんなこと言って、パリスだって本当は聞きたいんじゃないの~?」


「ぼ、僕は別にっ……!」


「でも、僕は今はリシェルちゃんの話が聞きたいんだよね~」


 クライルはパリスをからかうのをさっさとやめ、再びリシェルへと話を向ける。


「で、シグルトとはその後どお? なんか進展あった?」


「進展なんて……」


 クライルと街で会って、3日後にはもう王都を出発したのだ。何も変わるはずがない。


「しばらく離れ離れになるってことで、出発前とか何もなかったの?」


「何もないですって」


 リシェルの答えに、クライルは不満げに口を尖らせた。


「え~つまんないの。僕が思うに、リシェルちゃんみたいな奥手な子には押しの一手が有効なんだけどな~。シグルトも紳士ぶってないで、強引に押し倒すくらいしなきゃ」


「押し……倒……」


 …………された。クライルの言葉に思わず身体が硬直する。

 盗賊討伐に行くと言い張り、怒ったシグルトにソファに押し倒された時のことが蘇った。

 圧し掛かられた時に感じた体温。囁きと共に感じた熱い吐息。首筋を這う生温かく湿った感触。耳を舐められた時の、くすぐったいような、味わったことのない未知の感覚。

 あの時はシグルトが別人になってしまったような怖さしか感じなかったが、改めて思い出すと、羞恥で体温が急激に上昇する。出発の準備で慌ただしかったせいもあるが、あの後、よく師と普通に過ごせたものだ。


「あれれ~? やっぱりなんかあった?」


 真っ赤になって黙ってしまったリシェルに、クライルはにんまりし、パリスはぎょっとした表情になった。


「別に、な、何も……」


「怪しいな~。その反応は何もないって反応じゃないよね~。まさか……」


 クライルが好奇心に目を輝かせながら、テーブルの上に手をつくと、ぐっと前へと身を乗り出し、リシェルの顔を覗き込む。


「手、出されちゃった? しちゃった?」


「は? 手……? しちゃ……?」


 ガチャーン!!


 突然、陶器の砕ける、けたたましい音が室内に響いた。

 不穏なその音に、一瞬、空気がしんと張り詰める。


「申し訳ありません……」


 気まずげにエリックが言うのと同時に、物音を聞きつけた店員が飛んできて、エリックの座る椅子の下に転がる、割れた茶器を手早く片づけていく。


「君がそんな粗相するなんて珍しいなぁ。何をそんなに動揺してるんだい?」


「いえ……ちょっと手がすべっただけです」


 部下の釈明に、主はにやりと笑った。


「あ~わかった! 大嫌いなシグルトが、こんな可愛い子といちゃいちゃしてるって知って頭に来ちゃったんでしょ~?」


 エリックはじろりと主を睨んだ。怜悧な美貌から放たれる眼光の迫力に、クライルは身体を竦ませた。


「こわっ! そんな睨まないでよ~冗談なのに~」


「わ、私、先生といちゃいちゃなんてしてませんっ!」


 二人のやり取りに、はっと我に返ったリシェルは、慌ててクライルの誤解を解こうとした。


「あはは~。わかってるって。ちょっとからかっただけだよ。僕は女の子に対する観察眼には自信があるからね。乙女かどうかなんて、見たらわかるもん」


 クライルはぱたぱたと手を振って笑う。


「まあ、リシェルちゃんの方は今後の報告を待つとして……」


 なぜか勝手に報告することにされてしまった。リシェルが抗議する前に、クライルはエリックに向き直る。


「エリック。カップを割った罰として、君の初恋話を聞かせてよ~」


「は?」


「今恋人がいないってことはこの前聞いたからね。今度は初恋の話。いつだったの?」


「なんでそんなことを……」


 唐突に話題を振られ、エリックは眉をひそめた。


「もちろん、リシェルちゃんの今後の参考にだよ~。僕もモテそうな部下の恋愛事情は把握しときたいしさ~」


 わけのわからない理由をつけて、部下を問い詰める。


「言っとくけど、これは命令だからね。一般市民の店に損害を出した罰。拒んだらこの後一日、この店で騎士団の奉仕活動の一環として働いてもらうから。もちろん、店員さんと同じ格好で」


 エリックがあのふりふりのエプロンと巨大なリボンをつけているところを想像して、リシェルは思わず噴き出した。だが、黒い瞳が今度は自分を睨んだので、慌てて口を押さえて堪える。


「さあ、どっちにする?」


 主の滅茶苦茶な命令に、エリックは諦めたようにため息をついた。渋々と答える。


「……13の時です」


「遅っ。君、僕と同い年だよね。じゃ、6年前? 相手はどんな人?」


「……」


「どんな人?」


「……」


「ねえってば」


「……年上の、気の強い女」


 しつこく迫られ、ようやくぼそりと答える。


(エリックさんて、そういう人が好きなんだ……)


 年上で、気が強い。自分とは正反対だ。リシェルはなんだか、胸の辺りに穴が空いたような、失望にも似た妙な感覚を覚えた。


「へえ、なんか意外。で、その人とはどうなったの?」


「……別に、何も。向こうには他に好きな奴がいましたから」


 言いながらエリックは目を伏せた。長いまつげが影を落とし、黒い瞳から光を奪う。


「え~振られちゃったのかい?」


 部下の失恋話に、クライルはなぜか嬉しそうだ。


「そっか~。初恋は実らないっていうもんね。僕と同じだ~。僕も好きだとも言えなかったし、気持ちはわかるよ。初恋って辛いよね~忘れられないよね~」


 クライルは自分の言葉に、うんうんと頷きながら納得している。


「うん、わかった。君の辛さはわかるからね。エリックはもう勘弁してあげる。じゃ、次はパリスの番ね~」


「はあ!? なんでそうなるんですか!?」


「僕ずっと気になってたんだけどさ、君にずっと言い寄ってたシュテインの伯爵令嬢とはどこまでいったの~?」


 その後はクライルの――――パリスに言わせれば品位に欠け、リシェルには意味のわからない言葉を含む――――質問攻めと、顔を赤くして答えることを拒むパリスの攻防が延々続いた。

 リシェルは話題が自分とシグルトのことから逸れて、正直ほっとしていた。とりあえず、エリックのおかげで、シグルトとのことをあまり追及されずに済んだ。そっと隣に座る騎士の様子を伺うと、ようやく主の好奇心から解放された彼は再び黙り込んで、腕を組み、じっと目の前に手つかずでおかれたアップルパイを眺めている。


(エリックさんの初恋の人って、どんな人だったんだろう……?)


 なぜか、無性に気になった。






 店を出た4人は、クライルの提案で、近くにある市場へと向かった。人の多い場所へ行くことにエリックは護衛として難色を示したが、クライルは行くと言い張り、結局折れたのはエリックだった。エリックはしっかりしているように見えるし、騎士団での働きぶりをみている限り、実際そうなのだろうが、主にはかなり振り回されているようだった。

 王都ほどではないにしろ、ミレーレは人口も多くそれなりに栄えている街のようで、市場も人で溢れ、活気に満ちていた。ただ、これだけ人が行きかう中で、魔道士はほとんど見かけない。リシェルは、すれ違う人々がちらちらと自分とパリスに視線を向けるのを感じていた。


 魔道士は絶対数が少ない、希少な存在だ。その大半は王都などの大都市で職を持ち居を構える。その方が自らの能力を使って、ずっといい暮らしができるからだ。都会ならば田舎と違って、魔法を悪魔の力だとするような、時代遅れの偏見もない。そうした事情から、王都から離れるのに比例して、魔道士の姿を見かけることもの少なくなっていく。田舎に住み、そこで一生を終える人間なら、生きている間に魔道士と会うことも、魔法を目にする機会もないだろう。

 目立たぬよう、リシェルとパリスは外套のフードですっぽり頭を覆って歩くことにした。


 クライルは久しぶりに来た、幼い頃を過ごした街に浮かれているらしく、「あ、あれ懐かしいな~」などと呟きながら、あちこちの店をふらふらと覗いている。パリスといえば、日ごろ移動は馬車や馬しか使ったことがないらしく、慣れない人混みに前へ進むのも一苦労しているようだった。


「すごい人ですね……!」


 リシェルは物珍しさに、きょろきょろと辺りを見まわしながら歩く。

 前を見ていなかったせいで、突然、正面から歩いてきた男にどんっとぶつかり、よろめいた。

 横を歩いていたエリックが、素早くリシェルの腕を掴み、支えてくれたので転ばずにすんだが、よろめいた拍子に、被っていた外套のフードが頭から滑り、長い黒髪が零れ落ちた。日の光に薄紅色の瞳が晒される。途端に周囲の人間の驚いたような視線がリシェルに集中した。

 だが、それらはすぐに再びフードで遮られた。


「……ちゃんと被ってろ。お前は、目立つから」


 エリックはリシェルの頭にフードを被せ、ぽんっとリシェルの頭に手を置いて言った。

 頭に乗せられた大きな手の感触に、以前髪を撫でられたことを思い出す。フードがあってよかった。少し俯けば、気恥ずかしさに熱くなった頬には気づかれない。


「……すみません」


 小さな声で応える。どうしてだろう。彼を前にすると妙に緊張してしまうのは。

 雑踏の中、目の前に立つエリックが動こうとしないので、リシェルは不審に思って顔をあげた。思いのほか近くで、秀麗な顔が自分をじっと見下ろしていたので、どきりとする。 


「……お前、何かあったか?」


「え?」


「最近、元気がないように見えるが?」


 意外な言葉に驚いた。王都を出立してから、エリックとは接する機会がほぼなかった。リシェルは何かと彼の行動を注目して見ていたが、彼の方はこちらを振り返ることもなく、目が合うことすらほとんどなかったというのに、一体どうしてリシェルの様子の変化に気づいたのだろう。


「……もうすぐアンテスタだからな。不安か?」


「いえ……そういうわけでは……」


 明日の夜にはアンテスタに到着する。盗賊討伐という任務が現実に迫りつつあるというのに、今の時点では不思議と恐怖心は湧いて来なかった。単に戦いというものがどういうものか、まだ実感できないだけかもしれない。


「何かあるなら、ザックスとダートンに遠慮なく言え。頼りなく見えるかもしれないが、うまく取り計らってくれるはずだ」


「はい……あの、お二人にはすごくよくして頂いてます」


 ザックスの名前が出て、言葉と裏腹にリシェルの表情が一瞬曇る。リシェルの様子に何かあると感じ取ったのか、エリックが続けて言った。


「……あいつらに言えないなら、俺でもいい」


 機嫌が悪いのかと思うほど、ぶっきらぼうに放たれる言葉。だがその中身は、リシェルのことを気遣ってくれているとしか思えないもの。


「あ、ありがとうございます」


 目を合わせて礼を言うと、エリックは反対に目を逸らす。表情に変化はないが、もしかしたら、照れているのだろうか。


「別に、大したことじゃないんです。ただ、誰も先生のこと抜きでは、私のこと見てくれないんだなぁって……わかっちゃって……それは、先生はすごい人だし、私には何もないから、仕方ないことなんですけど……でも……私って何なんだろうって……考えちゃって……」


 ずっと胸にあるもやもやとした感情をなんとか言葉にしようと試みる。とつとつと語るリシェルに、エリックは黙っていた。くだらない悩みだと思われたのかと、不安に思い始めた時、ようやくエリックが口を開いた。


「………言ったはずだ。俺はお前のことが別に嫌いじゃない」


 リシェルは一瞬、エリックの言わんとする意味がわからず、ぽかんとした。


「……お前の師匠のことは大嫌いだけどな」


 補足するように付け足され、ようやく理解する。

 シグルトのことが嫌いなエリック。でも、自分のことは嫌いじゃないと言ってくれている。それはつまり、シグルトの存在は抜きにして、自分のことを見てくれているということではないか。


「はい! ありがとうございます!」


 口数は少ないし、表情もあまり豊かではないせいで、一見すると冷たくて近寄りがたい雰囲気のあるエリックだが、本当は他人を思いやれる、優しい人なのだ。そのことが妙に嬉しくて、リシェルは笑顔になって、礼を言った。

 エリックはそんなリシェルを眩しげに目を細めて見つめる。


「……お前、笑えるんだな」


 呟く声は、なぜか寂しげだった。その意味を問おうと、リシェルが口を開いた時。


「あれまあ、可愛いお嬢さん! それに、なんていい男!」


 市場に並んだ店の一つに座る、年配の女が横手から声を掛けてきた。装飾品を扱っている店らしく、女性ものの首飾りや腕輪が所狭しと並べられた台の向こう側で、女はリシェルとエリックをしげしげと眺める。


「あんたたち、黒髪なんて珍しいね。兄妹かい?」


(兄妹――――?)


 リシェルは驚いてエリックを見上げた。他人から見ると、自分と彼はそういう風に見えるのだろうか。確かに、この国で黒髪は珍しいから、一緒にいればそう見られても不思議ではないかもしれない。

 背の高い、美貌の騎士を見ながら思う。 

 もしも自分にこんな兄がいたら、どんなに素敵だろう。


「……違う」


 だが、リシェルが一瞬抱いた儚い夢は、エリックのにべもない一言で打ち砕かれた。


「じゃあ、恋人同士?」


「ち、違います!」


 からかうような女の問いかけを、今度はリシェルが力いっぱい否定する。


「まあまあ、友達でも恋人でもなんでもいいけどさ、ちょっと見ていっておくれよ。お嬢さんなら可愛いからなんでも似合うよ!」


 恋人同士という言葉が出たことで、妙な気まずさを感じ、リシェルはごまかすように熱心に並べられた商品を屈んで眺めた。首飾りや耳飾り、腕輪など、美しい装飾品がずらりと並んでいた。ミレーレはガラス細工が有名で、この店で取り扱っている装飾品も、そうしたガラスを加工して作られたものだ。光を受けて、赤や緑、青など色とりどりのガラスが日の光を受けて透明な輝きを放っていた。


「わあ……! 綺麗……!」


 中の一つを、思わず手にとって眺める。薄紅色のガラスを花形に加工した可愛らしいペンダント。リシェルの花を思わせる。


「……欲しいのか? 買ったらどうだ?」


「あ、いえ。いいです」


 エリックの言葉に、リシェルは首を振って手にしたペンダントを元の位置に戻した。リシェルは普段から装飾品の類を身につけない。この前の夜会の時に、シグルトが半ば強引に買ってくれた首飾りや髪飾りを身につけたのが、初めてだったくらいだ。もちろん興味がないわけではないが、シグルトに拾われ、養ってもらっている身分で、そんなものを買うのはなんとなく贅沢で、罰が当たりそうな気がして、自分で買ったことは一度もなかった。


「ちょっと~、エリック!」


 突然、背後からクライルの声がして、リシェルとエリックは振り返った。不満げな表情を浮かべて立つ王子は、ぎゅっとリシェルの腕に自分の腕を絡めた。


「リシェルちゃんは今日は僕とデートなんだからね? わかってる? リシェルちゃんとお話したいのはわかるけどさ、ちょっとは遠慮してよね! さ、リシェルちゃん、向こうで面白いものやってるから見に行こ?」


 そのまま強引にリシェルを引っ張って行く。


「え? あの?」


 リシェルは引っ張られた勢いでフードが頭から落ちないよう、手で押さえながら、王子に引きずられていった。

 残された騎士は呆れたように肩をすくめ、二人の後を追おうとした。だが、何を思ったのか、すぐに足を止めた。再び店の方へ振り返り、リシェルが先程手にしていたペンダントを手に取ると、店主の女に向かって言った。


「……これ、もらおう」


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