第39話 アーシェの話

 クライルに引っ張られていった先には、人だかりが出来ていた。

 大勢の人々が足を止め、何かを熱心に見ており、時折拍手や歓声が起こる。クライルはリシェルを連れて、人々の間を巧みにすり抜け、ちょうど彼らの頭の間から前が見える場所を上手く確保した。

 狭い視界から見えたのは、顔を真っ白に塗った、二人組の道化師の姿。彼らは滑稽な動きで観客の笑いを誘いながら、手に持ち切れぬ程の色とりどりの手玉を互いに投げ合っていた。相手が投げた玉は一つも落とさずに受け取り、再び投げ返す。


「あはは~面白いね~」


「すごい……!」


 リシェルは初めて見る曲芸に夢中になった。彼らの技が決まる度、喜んで拍手を送る。

 はしゃぐリシェルとクライルを、エリックとパリスは、人々の輪から少し離れた所に立って見守っていた。リシェルが笑う度、エリックの常から鋭い眼が心なしか柔らかくなる。隣に立つ男の様子を、パリスは唇を引き結んで、じっと見つめていた。


「……さっきから何だ?」


 パリスの視線に気づいたエリックが訝しげに振り返る。


「あんたに話がある」


「なんだ? 補佐役を替えて欲しいのか? だったら今日にでも――――」


 自分への話などそれしかないと思ったのか、話し始めたエリックの言葉をパリスは遮った。


「僕は、あんたの顔に見覚えがある」


 目の前の男の反応を一つも逃すまいとするかのように、ひたりとその黒い瞳を見据える。


「あんた、6年前、ルゼル導師に捕まってた子供だろ?」


「………」


 エリックの眉が微かに寄せられた。


「6年前のあの事件を僕は目の前で見てた。アーシェが法院から追われる原因になった、あの事件を……」


 まだ魔術学院の学生であった頃、偶然にも目にした事件。今では法院内で語ることすら禁じられているあの事件で、輝かしい未来を約束されていた一人の天才魔道士が、罪人の烙印を押されて追われる身となった。

 彼女の人生を狂わせた、その原因が、今再び目の前にいる。


「…………」


「なんとか言ったらどうだ?」


 挑戦的に問うパリスに、彼の確信を感じ取り、誤魔化すことは無意味と思ったのか、エリックは肩をすくめた。


「……だとしたら、何だ?」


「あいつは……リシェルは、多分、アーシェと過去に何らかの関わりがある。……あんたがあいつの前に現れたのは偶然なのか?」


 エリックは答えない。     


「偶然、な訳ないよな? 6年前、アーシェに助けられた子供が、同時期にアーシェと関係していたあいつの前に現れるなんて……一体、あんたの目的は何なんだ? あんたは……あいつの過去を知ってるのか?」


 道化師を囲む人々の輪から、一際大きな喝采が上がった。だが、それには目もくれず、パリスとエリックは微動だにしないまま、互いを探り合うように対峙していた。






「ねえねえ、リシェルちゃん。あの二人、真面目な顔してなんか話してるよ~」


 肩を指でつつかれ、クライルが視線をやる方向に目をやれば、エリックとパリスが二人向かい合い、なにやら真剣な表情で何事か話している。何だろう。


「意外と気が合うのかな?」


 ……そうとはとても思えない。もしかして、パリスが補佐役を替えてほしいとでも頼んでいるのだろうか。パリスとザックスの仲は相変わらず険悪だったし、あの二人が話しそうなことなど、それしか思いつかない。

 クライルがそっとリシェルに耳打ちしてきた。


「ねえ、あいつら撒(ま)いてさ、二人っきりでお話しない?」


「え?」


「今だ! 行くよ!」


 考える間も与えずに、クライルは今が好機とばかり、リシェルの手を掴むと人混みをすり抜け、一気に駈け出した。


「えええ!?」


 咄嗟のことに思考が追い付かず、手を引っ張られるまま、反射的にリシェルも走り出す。ちらりと背後を振り返れば、エリックとパリスはまだ話し込んでいて、こちらの動きには気付いていない。二人がどんどん遠くなっていく。

 どうしよう。シグルトにはパリスの側を離れるなと言われているのに。

 リシェルの逡巡を感じたのだろうか。クライルが走る足を休めぬまま言った。


「アーシェの話! デートしてくれたら話すって言ったでしょ? あいつらが一緒じゃデートじゃないもんね~!」


 アーシェ。自分の過去への唯一の手掛かり―――――

 リシェルは、このままクライルに付いて行くことを決めた。

 いくつもの通りの角を曲がり、もう先程の場所への道がわからなくなったところで、ようやくクライルは走る速度を緩めた。


「あの! どちらへ行かれるんですか?」


「うん、僕の母さんの墓」


 クライルは言った。ケーキを食べた時に見せたのと同じ、無邪気な笑顔で。

 

「悪いんだけどさ、墓参り、付き合ってくれる?」






 






(……まったく、いつまで待たせる気でしょうね?)


 赤い起毛の絨毯の敷き詰められた、重厚な家具の並ぶ部屋の中、シグルトは幾分苛立っていた。朝が弱いのと面倒臭さを堪え、せっかく時間通りにやって来たというのに、自分を呼び出した男は急な来客が入ったという理由で、まだ姿を見せない。

 座っているのも飽きたので、立ち上がり壁に飾られた一枚の肖像画を時間潰しに眺める。淡い金髪に緑の目を持つ、やや小太りの中年の男が描かれていた。垂れ気味の目じりと口元に薄く浮かんだ笑みのせいで、好色な印象を受ける。以前のこの国の最高権力者。


(……改めて見ると、目が馬鹿王子そっくりですね)


 女好きで知られた前国王ジュイルは、十年前、何者かに毒殺された。娘と共に摂っていた夕食に、神経麻痺を引き起こす毒を盛られ、あっけなく命を奪われたのだ。娘のミルレイユの方は一命は取り留めたものの、足に麻痺が残り、歩けない身体となった。そして、残された11歳の王女と9歳の王子に代わり、彼の弟が王位に就いた。犯人は未だ捕まっていない。

 その時、ガチャリとノブの回る音がして、部屋の重厚な扉が開いた。 


「シグルト、待たせたな」


「陛下」


 ようやく現れた男に向かって、シグルトは丁寧に頭を下げる。内心の苛立ちはおくびにも出さない。


「付いてまいれ。天気もよいしな。庭で話そう」


 現王ジュリアス――――兄王と同じ金髪と緑の瞳を持ちながら、その顔つきも身体つきも纏う雰囲気すらまったく正反対の、現在の最高権力者に促されるまま、シグルトは彼とその従者について行き、外へと出た。

 何人もの庭師たちが日々維持しているのであろう、隅々まで手入れの行き届いた庭園へと出ると、幼い声が響いた。


「父上~!」


「トルシュか」


 ジュリアスは表情を緩めて、駆け寄って来た幼い息子を腕に抱え上げてやる。


「トルシュとあそんでください!」


 父親と同じ金髪と緑の瞳が愛らしい、まだ5歳の少年は父親の腕の中で無邪気に甘える。


「ああ、わかった。だが、まだシグルトと話があるのだ。また後でな」


「はい!」


 父に元気よく返事を返してから、トルシュは父の後ろに立つシグルトをじっと見つめた。見慣れぬ白銀の髪と紫の瞳が珍しいようだ。


(馬鹿王子よりは物怖じしないし、賢そうな顔してますね)


 シグルトは初めてクライルと会った時のことを思い出す。姉にべったりとくっついて離れず、びくびくと怯えた目で自分を見上げてきた幼い子供。


「いい子だ」


 自分と同じ、息子の金髪を慈しむように撫でてやりながら、ジュリアスがちらりとシグルトを見る。


「トルシュがもう少し大きくなったら、ミルレイユやクライルのように、そなたに教師を頼みたいものだな。この子には一流の教育を与えてやりたい。……いずれこの国を背負う身なのだから」


 ジュリアスがトルシュを腕から降ろすと、トルシュは迎えに来た侍女たちに連れられて行く。途中、名残惜しそうに振り返る息子に、ジュリアスは微笑む。


「……子供は可愛いな。この年になって生まれた子だけに、余計にそう思うのか」


 父親の顔のまま、シグルトを振り返る。


「聞けばそなたの弟子も、幼い頃からそなたが育てたという。子がなくとも、余の気持ち、わかるであろう?」


「……はい。お察しいたします」


 嘘をついた。親としての気持ちなどわからなかった。最初は彼女の親代わりになろうと努力した。だが、結局は無理だったから。何の疑いもなく自分を信じきって、慕ってくれる彼女に、罪悪感を感じつつも、気持ちを封じ込めることなどできなかった。


「そなたの弟子……実に愛らしい娘だったな。クライルの任務に同行していると聞いたが……クライルと親しいのか?」


 問う表情は穏やかなままだが、その目は既に父親ではなく、王としてのものになっていた。

 シグルトも気を引き締める。ここからは言動に十分注意しなくては。


「いえ、殿下とはついこの間お会いしたばかりで、親しいというわけでは……ただ、殿下にお目を掛けていただきまして」


「あれは亡き兄王に似て、女好きだからな。器量のよい女に目がない。そなたも弟子も迷惑であったであろう?」


(ええ、軽く殺意を覚える程にはね)


 本当にあの王子はこちらの意に反することばかりしてくれる。

 ジュリアスはため息をついた。


「クライルにも困ったものだ。仮にも王家の人間としての自覚がまるでない。国を憂うことも、何かを成そうという気概もなく、遊んでばかりで……街へふらふらと出歩いているというし、兄のように下賤の女を孕ませはしないかと案じておる。兄も女ばかり追いかける愚かな王であったが、あれはそれに輪をかけて愚鈍だ。どれだけ厳しく教育や躾を施そうとも、やはり生まれの卑しさはぬぐいきれぬものか……」


 シグルトは黙っていた。あまり見くびっていらっしゃると、いつか寝首をかかれますよ――――思ったことは口には出さない。忠告してやる義理もないだろう。


「だというのに、貴族の中にはあれを次の王位後継者に推す者も少なからずいる。愚かなあれを王位に就けて操り、思うように権力を握ろうと企てる輩だ。クライル本人が王位に興味を持っていないのが救いだが……いつそのような連中の口車に乗せられるかもわからぬ」


 ジュリアスの口調には、甥への嫌悪と不信が滲み出ていた。


「せめて姉のミルレイユがあのように病弱でなければよかったのだがな。あの子は聡い。身体のことさえなければ、余も長子継承の伝統に則って、あの子が次の王でよいと思っておる。しかし……年老いた貴族の連中は頑なに伝統を守るべきだと主張しておるが、国のことを考えれば、やはりあの子に後を継がせるわけにはいかぬ」


 シグルトは話が本題に近づいて来るのを感じた。


「王位の長子継承などという、時代遅れの伝統があるから、今のような後継者問題が起こるのだ。先に生まれた人間が必ずしも王に相応しい器とは限らぬ。余の兄のようにな……そうは思わぬか?」


(……やれやれ。やっぱりそっちの話でしたか)


 うんざりしながら、シグルトは慎重に言葉を選ぶ。


「恐れながら、どのような継承者を決める方法も一長一短かと。法院ではいかなる役職も、年齢、出自に関わりなく、完全に実力によって決まります。ですが、実力を競っての不毛な争いや対立が生まれやすいのもまた事実」


「実力主義か……」


 ジュリアスは一時考え込む。


「一つ聞きたい。法院では実力ある者がそれに相応しい地位を得るというが……そなたの弟子、あのように大人しそうな娘にそなたの後継者が務まるのか?」


 疑問を口にしてすぐに、はっと気付いたように、答えを待たずに言った。


「……法院内部の問題は余と言えど、口出しすべきことではなかったな。許せ」


 シグルトはゆっくりと首を振った。


「いえ……私は彼女に後を継がせる気はございません」


「だが、そなた、他に弟子はいないのだろう?」


「導師の弟子が後継者となるのはただの慣習で、厳密にそのような掟があるわけではありません。確かにほとんど例はありませんが、弟子ではない、まったく別の人間を後継者に指名しても問題はないのです。……私は彼女を、いずれ妻にするつもりでおりますので」


 ジュリアスの目が興が湧いたように、見開かれる。


「ほお、そなたが独身を貫いておったのは、あの娘が原因であったか……どおりで余がいくら縁談を勧めても頷かぬはずだ」


「陛下には度々お気にかけていただきましたのに、申し訳ございません」


「謝ることはない。そうか、あのような娘がそなたの好みであったとは……前の弟子は随分気の強い才女だったからな。苦労させられたのであろう? そなたも懲りたということか」


 からかいを含んだ、何気ないジュリアスの言葉に、シグルトの肩がぴくりと微かに震えた。


「……あの時は、弟子がご無礼を致しました」


「よい。昔のことだ。まあ、女は気が強いよりも、大人しくて従順な方がよいな。余の妃も気が強くて困る」


 ジュリアスは可笑しそうに笑った。その時、ずっと跪き頭を垂れて控えていた従者が声を上げた。


「陛下、そろそろ次の謁見のお時間です」


「わかった。すぐに行こう」


 王を見送るべく、シグルトは頭を下げた。その耳元にジュリアスは小声で耳打ちした。


「シグルトよ、そなたが宮廷のことにまったく興味がないことはわかっておる。後継者問題で余に味方せよとは言わぬ。だが、今のまま、誰にも味方せず、中立のままでおれ。よいな?」


「……王家の問題は、一介の魔道士に過ぎない私が口を挟むべきことではないと承知しております」


 返って来た返事に王は満足げに頷き、城の中へ戻るべく踵を返した。だが、一度足を止める。


「……あともう一つ。ディアマス王国がラゴール魔道士協会と手を組んだようだ」


 なんでもないことのように王は言う。


「後継者問題が決着したら、ディアマスに攻め入るつもりだ。今度は敵軍にも魔道士がいる。先の戦争より、激しい戦いになるだろう。またそなたの力が必要になる。力を貸してくれるな?」


「………」


「結婚が決まったら報告にまいれ。ではな」


 王と従者の気配が完全に去った後で、ようやくシグルトは顔を上げた。緊張を解くように、大きく息をつく。


「力を貸すのはともかく……結婚報告はしますよ。なるべく早くに、ね」






 






「お母様、亡くなられてたんですね……」


「あれ~? 知らなかった? 僕、母さんが病気で死んじゃってから、城に引き取られたんだ~」


 クライルと共に向かったのは、街のはずれにある墓地だった。小さな墓が一定間隔で、見渡す限り並んでいる。その中の一つを前に、クライルとリシェルは立っていた。他に人気はなく、とても静かだ。


「随分久しぶりになっちゃった。ごめんね、母さん」


 クライルは膝をついて、途中花屋で買った花束をそっと墓の前に置く。


「リシェルちゃんはさ、僕の生まれのことは知ってる?」


「いえ、詳しくは……」


 世間の事情に疎いリシェルは、彼が正妃から生まれたミルレイユとは腹違いの、妾腹の王子だ、ということしか知らない。


「僕の父親……前の国王は、すっごい女好きで有名でさ。僕の母さん、お城で侍女として働いてたんだけど、美人だったから気に入られちゃって。前の王妃は……姉上の方の母親だけど、えらい嫉妬深い人だったらしくて、母さんのこと城から追い出したんだ。でも、その時にはお腹に僕がいてさ。母さんの両親はもう他界してて他に頼れる人もいなかったから、この街に来て、一人で僕を生んで育ててくれたんだ。毎日食べるものにも困るくらい貧乏だったけど、楽しかったなぁ」


 幼い日の記憶を思い出しているのか、クライルはくすっと笑う。それから、手を伸ばし、母の名前の刻まれた、白い墓石にそっと触れた。


「だけど、母さん、生活のために無理して働き過ぎて、身体壊しちゃって……病気になったんだけど、薬を買うお金もなくてさ……ある朝僕が起きたら、動かなくなってた」


 クライルは淡々と話す。ただ過ぎ去った過去の事実を説明するだけ。それが余計にかつて幼い日に味わった彼の悲しさを物語っているようで、リシェルは黙って聞いていた。


「親切な街の人たちに助けてもらって、どうにかお葬式を終えて、母さんをここに眠らせて……他に行く場所もないから、孤児院に引きとられたんだけど、そこで毎日泣いてた。そしたら、突然、お城からお迎えが来たんだ。僕の父さん、あ~んな女ったらしだったのに、医者にもう子供を作れない身体ですって宣告されたんだって。その時点で妾は数え切れない程いたけど、子供はほとんどいなかった。で、一人娘が生まれつき身体が弱かったから、“保険”としてもう一人子供が欲しかったみたい。つまり、僕の存在を知っていながら、必要になるまでずっと放置してたんだよ。なかなかひどい話でしょ?」


 もしも、父がもっと早くに迎えに来てくれていたら、母は死なずに済んだ。クライルは口には出さなかったが、絶対にそう思っているに違いない。能天気で何の悩みもなさそうな、王子様らしからぬ王子が抱える、決して明るくはない過去を知って、リシェルは言葉が出なかった。

 そんなリシェルを、ちらりとクライルは目だけで見ると、にっと笑う。


「……あ、もしかして今僕にクラッときちゃった? 悲劇の王子様だって知って? 意外な一面を知るって、一番異性に惚れちゃう瞬間だからねぇ。でも駄目だよ~。僕がシグルトに殺されるからさぁ」


 一時、いつもの調子で言った後、再び母の墓に目を戻し、話を続けた。先程まで淡々としていた口調が、今度は大切な思い出を語るように優しいものになる。


「城に連れて来られてからもさ、僕はずっと泣いてた。母さんがいないのがすごく悲しくて……偉そうな大人たちにいきなり王子様とか呼ばれて、知らない場所で一人にされて、とにかく怖くて……震えてた。その時にね、目の前に金色のふわふわした髪の女の子が現れたんだ。緑色の瞳がすごく綺麗で、僕の手を握ってくれて……優しい声で言うんだ。“大丈夫、怖くないよ”って………僕はその子を天使だって思った」


 一拍の間を置いて、声を落として続ける。


「まあ、彼女は天使じゃなくて、腹違いの姉だったわけだけど……」


 不謹慎かもしれないが、羨ましいとリシェルは思った。母を亡くしたことは確かに大きな悲しみだったかもしれないが、代わりに彼は、血の繋がった姉という家族を得たのだ。何もかも失くしてしまった自分とは違う。


「あんな素敵なお姉さんがいて、羨ましいです」


 クライルがリシェルを振り返り、微笑んだ。穏やかで柔らかな微笑み。常とは違うその表情にリシェルは息を呑む。彼のふわふわとした柔らかそうな茶髪が、日の光に透かされ、金に近い色へと変化していた。子供のような無邪気さも、遊び人のような軽薄さも、今はない。そこにあったのは王の血がもたらす、隠しきれぬ気品だった。ただそこにあるだけで他者に頭を垂れさせる、庶民には持ち得ない、生まれ持った高貴さ。

 やはり、この人は“王子様”なのだと、リシェルは知った。


「そう……綺麗で、賢くて、優しい、自慢の……僕のお姉さん」


 愛おしげに、ひとり言のように呟いて、それから、聞き取れぬ程小さな声で続けた。


「……ほんとに、神様って僕には残酷なんだ」


「?」   


「……ってまあ僕の話はともかく、リシェルちゃんはアーシェのことが知りたいんだよね~?」


 クライルは一転、普段のふざけた調子に戻ると、立ち上がる。先程束の間見せた、“王子様”の雰囲気は幻だったのかと思うほど、綺麗に消えていた。


「はい。アーシェさんて、どんな方だったんでしょうか?」


 ようやく、アーシェのことを知ることができる。期待に胸が高鳴った。


「アーシェはねぇ、ちょうど僕とミリイ――――姉上がシグルトの生徒だった頃には、もうあいつの弟子でさ。僕も子供だったからよくは知らないけど、当時法院では天才って呼ばれてるようなすごい魔道士だったみたいだね。お世辞にも美人じゃなかったけど、自分に自信があるのか、すっごく気が強くてさ。昔、あの泣く子も黙る叔父上に向かって、“戦争をして国土を広げることは、本当に国益になるのでしょうか?”って意見したりとか……あれにはびっくりしたね~」


 準宮廷魔道士に叙任された際に謁見した国王ジュリアスを思い浮かべた。あの睨まれただけで心臓が止まるような威圧感を漂わせた王に意見するなど、想像しただけで足が竦む。自分にはとてもできない。


「あ、そーだ。シグルトとアーシェ……僕ね、あの二人が一緒にいるの見た時、もしかして恋人同士なのかなって思ったんだよねぇ」


(恋人同士――――?)


 クライルの言葉にどきりとした。


「ほら、シグルトって一見にこにこして人当たりよさそうだけど、結構他人に壁作ってるっていうか、そういうとこあるじゃない? でもアーシェに対してはなんていうか、心許してるっていうの? そんな感じがしたんだよね~。だから、二人が一緒にいる時に、シグルトに聞いたんだ。“この人は恋人なの?”って」


 リシェルはごくりと唾を飲み込んだ。なぜか祈るような気持ちになって、クライルの言葉を待つ。


「そしたらあいつ、“違います。ただの弟子です”って、即答してたけど」


 ほっと肩を撫で降ろした。


(……って、なんでほっとしてるの? 私……先生とアーシェが恋人同士だったとしても、別に……)


 でも……そうだとしたら、なんとなく嫌だった。最近、自分で自分の気持ちがよくわからなくなることがある。記憶を失った直後、シグルトに引き取られて間もない頃のように、情緒不安定にでもなっているのだろうか。

 クライルは一人安堵から不安へと表情を変化させるリシェルの様子を、目を細めて見た。あの時、自分の問いを即刻否定したシグルト。その後ろで、彼の弟子が一瞬見せた表情。あれは、おそらく――――


「ところでさ、なんでリシェルちゃんはアーシェのことがそんなに知りたいの?」


「私、実は小さい頃の記憶がないんです。カロンの雪山で倒れているところを先生に拾って頂いて……でも、そのアーシェって人と小さい頃の私が一緒にいるのを見たっていう人がいて……だから、できれば会って話を聞きたいんです」


「ふ~ん……」


 クライルは考え込む風で、リシェルに背を向けた。


「記憶喪失……カロン………ああ、なるほど……」


 シグルト、君ってばひどい男だねぇ――――リシェルには聞こえぬよう、口の中で呟き、一瞬ほくそ笑む。日ごろの彼からは想像もできない、狡猾と表現してもいい笑み。それをすぐに消し、眉を寄せて困った顔を作ると、くるりとリシェルを振り返る。


「う~ん、残念だけど、アーシェにはどうしたって会えないよ」


「どうしてですか?」


「アーシェは法院から追われたんだ」


「追われた……? どういうことですか?」


 アーシェは自分から弟子を辞めたのではなかったのか。シグルトは確かにそう言っていたはずだ。


「う~ん、僕も詳しくは知らないんだけど、なんか導師の一人に逆らったらしいよ。ほら、リシェルちゃんならもちろんわかってると思うけど、あそこって滅茶苦茶上下関係厳しいじゃない? もう国の法律なんかまるっきり無視の、やったら厳しい掟があるみたいだし。で、アーシェも法院から逃げたんだけど、結局見つかって処断されたみたいだね」


「処断……?」


 不吉な響きに心臓が震えた。

 クライルの緑の瞳が、じっとリシェルを見据える。


「殺されたってこと」


「殺、された……」


 アーシェはもう、この世にいない――――――



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