第6話 本音
シグルトに案内され、客間に入るなり、ブランは友に頭を下げた。
「シグルト、この前はすまなかった。パリスにはよく言っておいた」
「おやおや、もしかしてわざわざ弟子のために謝罪に来たんですか? 君は真面目ですねぇ……まあ、座って下さい」
シグルトは苦笑すると、部屋の隅のテーブルに置いてある水差しを手に取る。ブランは来客用の革張りのソファに腰掛けた。
「それで、パリス君は反省してくれましたか?」
「……一応表面上は謝ってたが、正直
ブランは頭を
「君も大変なのを弟子に取りましたね」
シグルトは言いながら、水差しを左手で軽く撫でた。瞬間、中の水が沸騰する。
「前から聞こうと思ってたんですが、なぜ彼を弟子に?」
「なんでだろうな……俺もそろそろ弟子を取らなきゃと思ってたし……お前にあっさり弟子入りを断られて、しょげてたあいつに同情したってのもあるが……まあ、直感、かな」
「君らしい」
シグルトはくすりと笑って、水差しから茶葉を入れたティーポットに湯を注ぐ。芳しい香りが立ち上った。
「あいつは確かに性格にちょっと難はあるが、実力は確かだし、努力家だ。これからまだまだ伸びる。……人間的にもな。その成長を見てみたい……そう思った」
ティーポットから立ち上る湯気を見つめながら、ブランが言った。
「俺もお前に聞きたい。お前、どうしてリシェルを弟子にしたんだ?」
「彼女を弟子にした経緯は君も知ってるでしょう? 傍に置きたいからですよ」
シグルトはティーポットからカップに茶を注ぎ、ブランの前に置くと、自身も友に向かい合ってソファに腰掛ける。
「ああ。俺もリシェルのことは小さい頃から知ってるから、ちょっと不安定だった時期があったことも知ってる。それでお前が心配して弟子にしたことも。弟子ってことにすれば、法院内で連れまわしても、誰からも
ブランはまっすぐに友を見、かねてからの疑問をぶつけた。
「お前、どうしてリシェルに魔法を教えてやらない?」
シグルトはさりげなくブランから視線を自身のカップへと移し、一口
「それも前に言ったと思いますが」
「子供の頃から魔法なんて使うようになったら、ろくな人間にならない……か?」
ブランは口の端を皮肉っぽく吊り上げた。
「まあ、それは確かにそうだ。お前がいい例だ」
「私が代表例、君が例外ってとこですかね」
シグルトが茶化すように応じる。
「けどな、たとえ子供の頃から魔法を学んだって、実際そこまでの力を手にするのはほんの一握りだ。悪いが、リシェルにそこまでの才能はない。それはお前だって、あいつが子供の頃からわかってたはずだ。俺達導師や、上級魔道士になる人間はみんな、子供の頃にその強力な魔力を制御しきれず、周囲の人間を傷つけたり、物を壊したりした経験が少なからずある。魔力に関して言えば、どの程度の力を手にするかは、生まれた時からある程度決まってるんだ」
「そうは言っても、子供っていうのはいろんな可能性がありますからね。思いがけず才能が開花するってこともあるでしょう」
シグルトはゆっくりとカップを揺らし、中の茶色い液体が波打つのを眺めている。
「その可能性はかなり低いけどな……それに、魔法で人を傷つけることが心配なら、治癒魔法とか、防御系魔法とか、そういう術だけ教えてやればよかったじゃないか」
「最初はそれでいいかもしれません。でも、そのうちもっと大きな力を求めるようになってしまう……それが魔法の怖さです」
シグルトは淡々と反論する。
ブランは眉をひそめて、シグルトの言葉を受け入れらないとばかりに、首を振った。
「俺にはお前が理屈をこねて、リシェルを魔道士にさせまいとしてるとしか思えない……」
「…………」
「お前、リシェルをどうするつもりなんだ? 魔法が使えないリシェルが、法院内でどう言われているか、お前だって知らないわけじゃないだろう?」
ブランの声には、責めるような響きがあった。
「ほんとは弟子じゃなくて、お前の愛人なんじゃないかって噂までされてるんだぞ」
「愛人ですか。なんかやらしいな。まだ清い関係なのに……恋人って言って欲しいですね」
真剣なブランに対し、シグルトはどこかおどけた調子だ。そんな友の様子に、ブランはため息をつく。
「リシェルは美人だからな……魔法が使えないのに弟子をしてるとなれば、そう思われても仕方ないだろう。お前も、いい年して子供が趣味の変態だの、女にうつつを抜かしてすっかり腑抜けただの、結構いろいろと言われてるみたいだぞ」
シグルトは自身の評判にショックを受けることもなく、可笑しそうに笑った。
「変態って……まあ、否定はできませんね。私は他人にどう思われようと構いませんけど」
「お前はいいかもしれないけどな、リシェルは傷付いてる」
シグルトの
「パリスのことは悪かったが、あいつの言ったことは、そのまま法院の魔道士たちが思っていることでもある。お前のことが怖くて、はっきり言ってくる奴はいないだろうが……このままリシェルを導師会議に出して、自分の後継者として示せば、絶対に内部で反発が起こる。結局つらい思いをするのはあの子だぞ」
そこで初めて、シグルトは顔を上げ、まっすぐにブランを見た。紫の瞳に強い光が宿っている。
「……あの子は私が守りますよ。何があっても。絶対に」
「お前……」
ブランは何かを言いかけたが、
自分のカップを手に取り、一口だけ茶を飲み下すと、カップを戻し、そのまま
「リシェルに魔法を教えたくないのは……アーシェのことが原因か?」
その名を口にしたのはいつぶりだろう。
あの事件以来、シグルトはこの名を聞くと、決まっていつも浮かべている微笑みを消し、無口になる。法院内ではシグルトの機嫌を損ねないよう、その名を出さないようにすることが暗黙の了解となった。ブラン自身も、親友の心の傷を
シグルトは答えない。
ブランは友の表情を確認することなく、俯いたまま慎重に言葉を選ぶ。
「シグルト、その、アーシェのことは……」
「まさか、“お前は悪くない”……なんて言わないでしょうね」
シグルトの声音は、先程と変わらない。
だがその言葉の裏には、ブランも想像もできない程、複雑な感情が渦巻いているに違いなかった。
「……言わないさ。言えない」
ブランは正直に答えた。ここで下手な慰めを口にすることは、何の意味もない。
「そう、彼女のことは私の責任です」
シグルトは、静かにカップをテーブルの上に置くと、淡々と言葉を紡ぐ。
「魔道士を辞めたい…そう彼女が望んだ時、私が引きとめず、すぐに法院から出していれば、あんなことにはならなかったかもしれない」
「…………」
「いや、そもそも、私が彼女を魔道士になんかしなければ、彼女は普通の女の子として、普通の幸せを掴めたかもしれない。私がこんな歪んだ世界に引き込んだばかりに、彼女をあんなに苦しめてしまった……その挙句に、私は……」
そこまで言って、シグルトは口をつぐんだ。
六年前に起こった事件。
あれ以来、シグルトときちんと彼女のことを話すのは初めてだった。初めて聞く、親友の後悔と自責。
同時に、疑問が湧き上がる。
「そこまで後悔しているのに、なぜあの時、お前は……」
言いかけて、ブランは浮かんだ想いを振り払うように首を振った。
「いや、悪い。いまさら過去のことをどうこう言っても仕方ないな」
そこでようやく、ブランは面を上げた。
「俺が言いたいのは、リシェルとアーシェは違うってことだ」
「……」
「性格も、容姿も、才能も、まるで違うのに、俺にはお前がリシェルにアーシェを重ねているように見えるんだよ……アーシェにしてやれなかったこと、全部リシェルにしてやろうとしてるんじゃないのか?」
ブランの脳裏に、一人の少女の姿が浮かんだ。
灰色の髪に、灰色の瞳。決して美人ではないが、妙に人を惹きつける、理知的な顔立ち。
シグルトの初めての弟子。
師すら越える天才と
ずば抜けた才能への嫉妬から、周囲にその容姿を“灰かぶり娘”“子ネズミ”と馬鹿にされても、負け犬の遠吠えだと鼻で笑い飛ばしていた、気の強い娘。
目を引く美少女だが、それ以外に目立つ賢さや魔力もなく、その出自ゆえか、人見知りで、大人しく気の弱いリシェルとは、すべてが真逆だった。
「お前はリシェルにアーシェとは違う道を選ばせたいのかもしれないけどな、リシェルはリシェルなんだ。あの子の想いも尊重してやれ」
「……記憶を取り戻したい、ですか……」
「それだけじゃない。前に一度リシェルが俺に言ったことがある。“いつか立派な魔道士になって、先生の役に立ちたい”ってな」
「…………」
シグルトの表情が、かすかに歪んだ。
「なんだかんだ言って、リシェルはお前を信じてるし、心から慕ってる。それがお前が望んでいる形でかどうかは、俺にはわからないが……うらやましいよ。お前は本当に弟子に恵まれる」
ブランは、カップに残された茶を一気に飲み干すと、立ち上がった。
「リシェルのこと、ちゃんと考えてやれよ。魔道士にするにせよ、しないにせよ、だ。あいつは、お前の後悔とは無関係なんだから」
見送りはいい。そう言って、ブランは友を残し、部屋を出て行った。
残されたシグルトは、しばらく瞑想するかのように目を閉じていたが、やがて席を立ち、ゆっくりと窓辺へ歩み寄る。
窓の外では、花壇に慎ましく咲く、薄紅色のリシェルの花が風に揺れていた。
その様子をぼんやりと眺める。
「……役になんて、立たなくていい……」
ぽつりと―――呟きが零れた。まるで、リシェルの花に向かって
「……魔道士になんて、ならなくていい……」
それは、愛しい弟子に隠している、本音。
「……記憶なんか、取り戻さなくていい……」
自分勝手だとわかっていても、それが、本音。
「君はそのままで……私のそばにいてくれさえすれば、それでいい……」
シグルトは苦しげに表情を歪めると、窓のガラスにそっと手を這わせた。指の隙間で、何も知らない無垢な花が揺れていた。
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