第7話 夜道
王都で一番大きな書店。
店内は広かったが、シグルトに頼まれた小説はすぐに見つかった。人気作家の最新作とあって注目度が高いのか、店の一番目立つ所に積み上げられている。
貴族学院の男性教師と、身分の高い貴族の女生徒との禁断の恋を描いた、今王都で売れに売れているシリーズの最新刊、だそうだ。
リシェルは興味本位で、試しにぱらぱらとページを捲り、目を通してみる。が、しばらくして勢いよくぱたんと閉じた。いささか刺激の強い表現を目にし、頬が熱くなる。
(先生ってば、なんでこんなのばっかり読んでるんだろう?)
この小説に影響されて、弟子に妙なちょっかいをかけるようになったに違いない。今回の話は、教師と女生徒がついに関係を持ってしまい、それを女生徒の同級生に知られ、窮地に陥る――という、なかなか過激な展開になっているようだ。シグルトがこれを読んだら……ほんの少し、身の危険を感じる。
(現実と小説の区別がつかなくなっているのかも……気をつけないと……)
師に対して、結構ひどいことを思いつつ、リシェルは料理本が並んでいる一角に移動した。
魔法は教えてくれないし、気があるかのようなそぶりを見せて、年頃の弟子をからかって楽しむ――そんなシグルトでも、リシェルにとっては、大切な師であり、自分を守り育ててくれた恩人なのだ。
リシェルは熱心に本を読み比べる。
一口にアップルパイといっても、様々な作り方があった。その中で、一つのレシピが目を引いた。隠し味として、ミーレの実の粉末を入れる、というものだ。
ミーレの実とは、独特の甘みが特徴の木の実だ。疲労回復の効用があり、魔道士が薬として調合に使うこともある。そこそこ値が張り、王都でも売っている場所は限られている、希少な品だ。
(ミーレの実か……東オルベ通りの薬草屋さんにあったような……)
どうせ作るなら、こだわっておいしいものを作りたい。東オルベ通りは少し遠いが、リシェルは買いに行くことにした。
シグルトに頼まれた小説と、アップルパイのレシピの載った本を買うと、店の出入り口へ向かう。
「おかあさん、これほしい」
途中、子供向けの絵本が並んだ書棚の前を通り過ぎる時、幼い女の子の声が耳に入った。
「絵本なら、こないだ買ってあげたばかりでしょう?」
女の子と手を繋いでいる、母親と思われる女性が優しく言い聞かせる。
「こないだのと、ちがうのだもん」
少女は口を尖らせ、主張する。どこか甘えたような響きもあった。
「困ったわねぇ……ほんとに絵本が好きなんだから……」
母親は、口では困ったと言いながら、柔らかい微笑みを浮かべている。娘を見る目には、愛しさが溢れているようだ。
リシェルは一瞬、足を止め、親子を見つめていた。
胸がざわつく。
昔からそうだ。
親子連れや、仲の良さそうな家族を見ると、胸にぽっかり穴が空いたような、落ち着かない気持ちになる。
家族――
普段は見ないようにしている、本当はずっと心に空いている穴。
シグルトがいつも傍に居てくれたから、寂しさはほとんど感じなかったけれど、その穴がなくなるわけではなかった。
ふとした瞬間、意識してしまう。
自分にも、どこかに家族がいるのだろうか――?
その可能性がないに等しいのは分かっている。
リシェルが拾われた、カロンの村は国王軍と反乱軍の激しい戦いで壊滅状態に追いやられ、生き残っている人間もいないという。シグルトもリシェルの家族を探してくれたらしいが、結局見つからなかったらしい。自分に家族がいたとしても、きっともう生きてはいないのだろう。
それでも――もし記憶を取り戻せたら、あるいは――
自分の本当の名を知る家族に会えるかもしれない。
リシェルはその想いを捨てきれないでいる。
「おや、お嬢ちゃん、好きな人でもできたのかい?」
「え?」
東オルベ通りにある、小さな薬草屋。
店番をしている老婆に、ミーレの実があるかどうか尋ねると、老婆はにやにやと笑った。
「ち、違いますけど……な、何でですか?」
「知らないのかい? ミーレの実はね、惚れ薬の原料なのさ。まあ、本格的な惚れ薬なんて、材料揃えるのが難しくてなかなか作れないけどね、ミーレの実を入れた料理を意中の相手に食べさせる……っていう一種のおまじないが、若い娘たちの間で流行ってるのさ。なんかの小説に出てきたらしいけど、おかげでこっちは商売繁盛させてもらってるよ」
(それってまさか、先生の読んでる小説じゃないよね?)
ミーレの実が入ってるとわかったら、シグルトはまたからかってくるに違いない。
「隠し味にアップルパイに入れるとおいしいって、本に書いてあって……」
「アップルパイ? ああ、そういえば昔、同じようなこと言って、よくミーレの実を買いに来てた子がいたねぇ……私も気になって作ってみたけど、ありゃ絶品だね」
おいしいと聞いて安心したが、同時に心配になる。
「あの……食べたらミーレの実が入ってるって、わかっちゃいますか?」
リシェルの問いに、老婆は笑った。
「なんだ、やっぱり好きな人に食べさせるんじゃないか」
「ち、違いますってば……」
「安心しなよ。粉末にして入れれば、まずわかんないから。そんなしょっちゅう口にするもんじゃないしね」
老婆は背後にある棚から、網籠を引っ張り出す。
「お嬢ちゃん、運がいいよ。ミーレの実、残り一つだ。幸先がいいねぇ」
「ですから、本当にそんなんじゃ……」
「なんなら、作り方教えてやろうか? お嬢ちゃんの恋がうまく行くように」
「本当ですか!?」
すっかり誤解されているようだが、有り難い申し出だった。
老婆は片目をつぶってみせる。中身は外見より若いようだ。
「ああ、わたしゃ恋する乙女の味方さ」
「遅くなっちゃったなぁ…」
老婆にミーレの実の粉末の作り方、アップルパイを上手く作るコツなどを聞き、さらに老婆の若かりし頃の恋愛話――これが長かった――を聞かされるうちに、時間はあっという間に過ぎ、気づいたらすっかり日が暮れていた。
昼間はあれだけいた、通りを行きかう人もめっきり減っている。通りに沿って立つ外灯に、ローブを着た、何人かの男たちが手を
彼らは、役所に勤める下級魔道士たちだ。
魔術学院を優秀な成績で卒業した者は、たいていはエテルネル法院に仕える魔道士に弟子入りし、法院の仕事をこなしながら、技を磨き、より高位の術を修得していく。特別優秀なパリスのような者は、導師の弟子となることもある。
だが、それ以外の卒業者、際立った才のない者の多くは、役人になったり、魔法医になったり、法院の外で、それぞれの道を見つけていく。
法院の魔道士たちは、そんな法院の外で働く魔道士たちを、エリートの自分たちとは違う、能力の低い者として馬鹿にしていた。
その馬鹿にされている魔道士たちでも、ああやって闇に光を生み出すことができる。
リシェルにはそれすら出来ない。
卑屈になりそうな心を振り払うように、足早に家路を急いだ。
日が暮れる前に帰ると言ったのに、こんなに遅くなってしまって、きっとシグルトは心配しているだろう。
少し迷ったが、リシェルは近道を使うことにした。
大きな通りから、狭い裏通りに入る。設置されている外灯は大通りよりはるかに少ないため、通りは薄暗く、夕食時で通る人もいない。
少し怖かったが、以前にも遅くなってしまった時、この道を使ったことがある。
それに、これ以上遅くなって、シグルトを怒らせる方が怖かった。シグルトは普段優しいし、ほとんどのことは適当なのだが、リシェルの門限にだけはかなり厳しいのだ。もうすぐ成人なのだから少しくらいいいじゃないか、と思わなくはないが、それが四年前の出来事が原因だとわかっているだけに、リシェルも文句は言えない。
リシェルは急く気持ちのまま、足早に歩いていく。
角を曲がろうとした時だった。
どんっ!
正面から何かにぶつかり、リシェルは足を止めた。同じく反対から角を曲がろうとしていた人にぶつかったらしい。
「あ、ごめんなさ――」
反射的に言いかけ、ぎょっとした。
ぶつかった男が、顔に覆面をしていたからだ。顔を覆う黒い布の、二つ切り抜かれたところから、眼だけがのぞいている。近くにある外灯の明かりに照らされ、
男は無言でリシェルに
恐怖で悲鳴を上げようとするが、出来なかった。背後から別の男の手が伸び、布で口を塞がれたからだ。
甘い香りが鼻腔をつく。
(ネルン草……!?)
睡眠薬の原料として使われる植物だ。濃縮されたその香りを嗅げば、数秒で眠りに誘われる。
リシェルは吸い込むまいと、必死で抵抗する。
「こら、大人しくしないかっ!」
目の前の覆面の男が怒鳴る。
不意に、その覆面がぼやけた。
頭がぼんやりとし始める。
急速に体の力が抜けていく。
たまらず膝から崩れ落ちようとしたところを、背後の男に支えられた。
「よし、効いてきたな」
リシェルの口を押さえている男が安堵したような声を漏らす。
「お前、びびってたのか」
覆面の男が
「だって、もし魔法を使われたら……」
「大丈夫だって言われてただろーが」
「そうだけどさ……」
男たちの会話が、一枚膜を通して聞いているかのように、遠くなっていく。
怖い。
四年前に感じた、あの恐怖が蘇る。
(先生!)
シグルトの顔を強く想い浮かべる。
四年前のあの時、そうしたように。
(先生! 助けて!)
今にも失いそうになる意識の中で、リシェルは叫んでいた。
そのとき――――
「のわあっ!」
耳元で悲鳴が上がると同時に、自分を拘束していた男の力が弱まる。支えを失って、リシェルは地面に投げ出された。
口元に充てられていた布もはずされ、リシェルは夜のひんやりした空気を吸い込み、むせた。
「な、なんだ貴様っ!?」
「ぐわっ!!」
背後で人の争う気配がする。
カランと、石畳の上を何か硬質なものが叩く音が二回。ドゴっと、鈍い音が数回。
「ひっ! 強い!」
「逃げるぞ!」
最後は石畳の上を走り去る足音が、狭い道に反響する。
「せ、んせ……?」
シグルトが助けに来てくれた。
四年前の、あの時みたいに。
そう思い、リシェルは地面に尻もちをついたまま、後ろを振り返る。
だが、そこに師の姿はなかった。
立っていたのは、一人の騎士。鞘に納めたままの剣を片手に、じっとリシェルを見下ろしていた。
外灯の明かりで照らされた、その髪と瞳の色は、黒――――
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