第5話 お返し


 シグルトの家にある、リシェルの部屋。

 リシェルは、先日シグルトから贈られた、白いドレスをかかげ持ち、眺めていた。


 窓から入る日の光を受け止め、滑らかな絹がうっすら光を帯び、縫い散りばめられた宝石が、きらきらと輝く。


 うっとりと眺め、自然と顔が緩む。

 なんだかんだ言っても、こんな贈り物をされて、嬉しくないわけがない。


 ドレスの試着の時も、疲れはしたが、シグルトに「かわいいですよ」と誉められて、照れ臭いものの、悪い気はしなかった。


 ふと、リシェルは顔を上げ、自分の部屋を見回した。


 広くはないが、日のあたる、居心地のいい部屋。柔らかいベッド、ふかふかのソファ、勉強しやすい机と椅子、整然と本の並んだ書棚、クローゼットにある上質な服……


 すべて、シグルトが買い与えてくれたものだ。


 シグルトは自分で言う通り、随分と質素な暮らしをしていた。エテルネル法院の最高権力者の一人であり、ヴァーリス王国の宮廷魔道士として、大貴族にも劣らぬ地位にありながら、それに見合わぬこの古い家に住み、使用人もほとんど雇わず、贅沢も一切せずに、静かに暮らしている。


 だが、彼はリシェルのこととなると、何のためらいもなく、湯水のごとくお金を使う。お金だけでなく、この間のように職務もそっちのけで、弟子のために時間を作ってくれることもしょっちゅうだ。


 それが有り難くもあり、申し訳なくもあった。リシェルは、手にあるドレスに視線を落とす。


(……先生からもらってばっかりだな、私)


 紛争地帯の雪山で、記憶を失って倒れていた自分。シグルトが見つけてくれなかったら、凍死するか、争いに巻き込まれて殺されるか、いずれにせよ今こうして生きてはいなかっただろう。


 この命すら、シグルトが与えてくれたものだと言ってもいい。

 何一つ持っていなかった自分に、名前も、住む場所も、教育も、何もかも与えてくれた人――


 なのに、自分は与えられるばかりで、何一つ返せていない。いや、返せていないどころか、自分の記憶を取り戻すため、魔道士になりたくて、魔法を学ぶ機会を与えろと、要求すらしている。


 この間、魔法を教えてくれないことに対して、つい頭に血が登ってシグルトに言ってしまったことを思い出すと、恥ずかしくて、自己嫌悪に陥ってしまう。


 なんでもいい。

 なんでもいいから、シグルトにお返しできることはないだろうか。

 

(お返しに何かあげられたらいいんだけど……)


 シグルトの欲しいものを考える。


 恋愛小説を読むのが趣味だということは知っている。だが、本などいくらでも買える。本に限らず欲しいものがあれば、シグルトに買えないものはほとんどないだろう。自分にこんな高価なドレスを買ってくれるぐらいなのだ。生活ぶりからは考えられないが、実際には相当お金持ちであることは間違いない。


 そもそも、リシェルの持っているお金も、シグルトが給料として支払ってくれたものだ。それだって、リシェルがしている仕事を考えれば、お小遣いのようなものだ。


(先生が欲しいもの……で、先生が買えないもの……)


 考え込んでいると、部屋のドアをノックする音がした。リシェルは慌ててドレスを衣装箱の中へしまうと、どうぞ、と返事をする。


「失礼致します」


 声と共に入ってきたのは、黒いメイド服の若い女。シグルトが唯一雇っている、メイドのセイラだ。


 4年前のある事件をきっかけに、シグルトはそれまで雇っていた使用人たちを解雇し、どこからか彼女を連れてきた。それ以来、炊事、洗濯、掃除、買い物から庭の手入れまで、ほとんどの家事を彼女一人でこなしている。


 シグルトもリシェルも、基本的には自分のことは自身でやるとはいえ、今まで数人の使用人に割り当てられていた仕事を全て任されているのだ。それにも関らず、彼女の仕事ぶりは完璧で、文句も一つも言わない。加えて、かなりの美人。


 欠点といえば、表情に乏しく、たまに相当ずれた発言をする、という点くらいだろう。


「これから市場へ買い出しに行って参りますが、何かご入用な物はございませんか?」


 セイラは人形のように整った顔立ちに、何の表情も浮かべず、淡々と事務的に話す。セイラがここへ来て四年経つが、リシェルは彼女の笑顔を見たことがなかった。表情というものがないので、黙って立っていると、その端正な容姿とあいあまって、本物の人形のように見える。


「特にないから大丈夫。ありがとう」


 返事をすると、彼女は静かに出て行こうとする。


「あ、待って!」 


 ふと思いついたことがあって、リシェルが呼び止めると、セイラが振り返った。肩口で切りそろえられた、暗めの茶髪が揺れる。


「セイラに聞きたいことがあって……」


「なんでしょうか?」


「先生って、何か欲しいものとか、好きなものってあるか、知ってる? お金で買えないもので」


 セイラは無表情のまま、声のトーンを変えることなく、答えた。


「ご主人様は、リシェル様のことがお好きです」


 リシェルは思わず赤くなったが、否定したり、笑ったりすることはしなかった。別に冗談でも、からかっているわけでもなく、彼女は真面目に答えているだけなのだ。


 相当変わっているとは思うが、彼女はこういう人なのだ。さすがに四年もすれば慣れた。

 質問を変えてみる。


「え~と、じゃあ、先生が貰って喜ぶものって何だと思う?」


「お金で買えなくて、喜ぶもの、ですか?」


 セイラはしばし考えてから、


「ご主人様は、いつもリシェル様のお作りになった料理を、喜んで召し上がられます」


「料理、かあ……」


 確かにシグルトはいつも、リシェルの作った料理を、大げさなまでにおいしいといって残さず食べてくれる。


 料理の腕に関して言えば、正直リシェルのほうがセイラより上だ。セイラは他の一切は完璧なのだが、料理だけはさほど上手くない。まずいわけではないが、おいしいわけでもない。本人曰く、「味というものがよくわからない」そうだ。そのため、リシェルが料理をすることも多く、腕にはそこそこ自信がある。


 お返しにもならないかもしれないが、シグルトの好物を作って、少しでも感謝の気持ちを伝えられたら。


 今の自分には、それくらいしかできないし、シグルトならきっと喜んでくれる。


「先生、食べ物だと何が好きかな? キノコが嫌いなのは知ってるけど、なんでもおいしいって言うから特に好きな物がよくわかんなくて」


「アップルパイ」


「え?」


 セイラがじっとリシェルを見つめながら言った。藍色の瞳の奥には、何の感情も読み取れない。


「ご主人様は、アップルパイが、好物でいらっしゃいます」


「そうなの? 知らなかった」


 六年間、一緒に暮らしているが、シグルトがアップルパイを食べているところを見たことがない。


「セイラ、よく知ってるね」


「以前、ご主人様にお仕えしていた頃には、よく召し上がっていらっしゃいました」


「以前? セイラって、私がこの家に来る前もここで働いてたの?」


「はい」


 初耳だった。セイラは基本的に自分からはあまり話さないし、シグルトもそんなことは一言も言っていなかったからだ。リシェルの好奇心がうずいた。


「そうなんだ。どうして辞めちゃったの?」


「ご主人様に、もう必要ない、と言われたからです」


「ええ!?」


 何でも卒なくこなすセイラに対して、シグルトがそんなことを言ったというのが信じられなかった。


「先生がそんなこと言うなんて……なんかしちゃったの?」


「理由は存じません。ご主人様の都合だったようです」


「そうなんだ……」


 一体どんな事情だったのだろう?

 自分の知らない、過去の話。

 自分は本当に過去のことを何も知らないのだと思う。シグルトの過去も、自分自身の過去も。


 ふと、セイラが手に提げている買い物かごが目に入り、慌てて言った。


「あ、ごめん! 買い物行く前に引きとめちゃって」


「いえ。では、失礼致します」


 セイラは一礼すると、静かな足音と共に去って行った。


(アップルパイかあ……)


 リシェルは本棚から、料理の本を引っ張り出す。お菓子作りはあまりしたことがなく、持っている本にもレシピが載っていなかった。

 

(本買いに行こうかな……)


 シグルトのために、アップルパイを作って、喜ばせる。もはやこれ以外、リシェルがシグルトにできるお返しはないように思えた。


 リシェルは早速、薄手の外套をはおると、部屋を出て階下へと降りて行った。


 階段を半ばまで降りると、玄関にシグルトが立っているのが見えた。誰か来たようだ。

 足音に気付いて、シグルトが振り返る。


「おや、お出かけですか?」


「はい。ちょっと……」


「よお、リシェル」


 扉から、赤毛の大男が顔をのぞかせた。


「ブラン様!」


「近くまで来たんでな。寄ってみた」


 今日は休日のため、二人とも導師がまとう、濃紺の重厚なローブではなく、シグルトは簡素な生成りのローブを、ブランはごく一般的な街の人間が着る普段服を、それぞれ着ている。


 ゆったりしたローブではなく、体に沿ったすっきりしたラインの服を着ていると、ブランの鍛え上げられた筋肉がよくわかる。魔力だけでなく、体力と腕っぷしにも自信があると以前言っていたが、嘘ではないようだ。


「あ、今お茶お入れしますね」


 リシェルが言うのを、シグルトは手で制した。


「大丈夫ですよ。自分で出来ますから。それより、出掛けるなら本屋にお使いに行ってきてくれませんか? さっきセイラに頼むのを忘れてしまって……ローラ・シャルトルの最新作が今日発売されているはずなので、買ってきて下さい」


 ローラ・シャルトルとは、王都で若い婦女子に熱烈な支持を受けている、恋愛小説家だ。シグルトは彼女の熱狂的読者の一人で、書斎には彼女の作品が全巻揃っている。


「またですか? 先生、ほんとお好きですね」


 呆れ口調で言うと、シグルトも同じ口調で返してきた。


「リシェル、君こそああいう本を読むべきです。年頃なのに、恋とか愛について興味がないのはどうかと思いますよ。大人になるためには、そういう勉強もしないと」


「私は恋より、魔法の勉強がしたいんです」


 リシェルは口を尖らせた。


「君が大人になってくれないと、私が困るんですけどねぇ」


 反抗的な弟子の態度に、シグルトはため息をつく。


「なんで先生が困るんですか?」


「君がそんなんだから、私と君の仲が進展しないんじゃないですか」


「進展とかしませんから! 弟子に変な妄想抱くのはやめて下さい!」


 傍で聞いていたブランが噴き出した。


「お前ら仲いいな~。うらやましいよ」


「まあ、君の弟子はあの勘違い自惚れお坊ちゃんですからね。仲良くなんてできませんよ。同情します」


 シグルトはさらりときついことを言う。どうやら彼もパリスのことは嫌っているらしい。あれだけシグルトに憧れているにも関わらず、こんな言い様をされるパリスに、リシェルはほんの少し同情した。


「あいつはあいつで、いいところもあるんだがな……」


 ブランは苦笑いする。

 パリスのあの言動から察するに、おそらく師であるブランに対し、日頃からかなり無礼な態度を取っているに違いない。にも関わらず、弟子を擁護ようごしようとするブランは、本当に優しい、いい人だと思う。きっとパリスがどんなに態度が悪くても、見捨てることなく、師としてきちんと指導しようとしているのだろう。


「ブラン様が先生だったらなぁ……」


「何か言いましたか?」


 内心の想いが、つい外に漏れ、師の紫の瞳がじろりとリシェルをにらむ。


「なんでもありません! お使い行ってきます。ブラン様、ごゆっくり!」


 リシェルは一礼すると、慌てて二人の脇をすり抜け、外へと出た。


「日が暮れる前には帰ってくるんですよ!」


「はーい!」


 背後からかかった保護者の声に、返事をして、リシェルは家を後にした。


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