第3話 シグルト

「リシェル、君にきちんと話をしてこなかったせいで、君を不安にさせてしまったことは謝ります。今から君に対する私の教育方針について話します。君が納得してくれるかはわかりませんが……聞いてくれますか?」


 シグルトの一言で、すっかり怒りを静められてしまったリシェルは、少し悔しい気もしたが、素直に頷いた。


「リシェル、君は魔法をどういうものだと思っていますか?」


「えっと……魔力を使って傷を治したり、気象を操ったりする技術で、皆の役に立つものです」


 リシェルは以前法院の図書館でこっそり読んだ、魔術学院初等科の教科書の冒頭に書いてあった一文を思い返しながら答えた。


「そうですね。確かに今や、魔法は人々の生活に必要不可欠なものになっています。夜の街を照らし、火事が起これば火を消し去り、魔物を結界で街から遠ざける……それらは確かに、魔法のよい面です。ですが、リシェル。物事には必ず良い面と悪い面があって、魔法も例外ではないのですよ」


 シグルトは、隣に座る弟子の薄紅色の瞳を覗き込みながら話し続ける。


「魔法は人類が手に入れた、最も大きな力です。このヴァーリス王国が大陸一の大国となれたのも、エテルネル法院の魔道士たちと手を組み、その力を戦争に利用してきたからです。魔法の力の前に、他国の魔道士を持たない軍隊など、まるで歯が立たなかった」


 シグルトの紫の瞳がかげった。


「あれはもう戦争ではなく、一方的な殺戮さつりくです」


 語る声にも暗いものが滲む。大陸統一を巡っての、ヴァーリス王国と他国の戦争がひとまず沈静化したのは、ここ数年の話だ。エテルネル法院の魔道士として、シグルトも他国との戦争に加わって戦っていたはずだ。


(戦場で先生は、どんな光景を見てきたんだろう?)


 いつも能天気に笑って、ふざけていても、シグルトにはリシェルと違い過去の記憶がある。自分と同じ年の頃、彼が生きた時代は戦乱の真っただ中だったはずだ。その過去が明るく楽しいものであるわけがなかった。

  

「魔法は人を救えもしますが、簡単に傷つけ、ねじ伏せ、理不尽に命を奪い去ることもできる。魔法とは本来、人間の身には余りある力なのかもしれません……そしてそんな力を得る、ということは必ずしもいいことばかりではないんですよ。代わりに多くのものを失うものなんです。君は子供の頃から術を学んできたパリス君をうらやましいと思いますか?」


 問われ、リシェルは正直に頷いた。


「では、人間的に尊敬していますか?」


 これには力いっぱい首を振る。シグルトはその様子に笑った。


「魔道士というのは、強大な力を得る代わりに、人間的な部分が少なからず欠落するものなんですよ。優しさとか、思いやりとか……特に、子供のうちから他者を簡単にねじ伏せる力を得てしまうと、どんどん傲慢ごうまんになっていく」


「でも、先生は優しいじゃないですか」


 優しくなかったなら、素性もわからない子供を引き取ったりするはずがない。普段だって、リシェルをからかうことはあっても、本当に嫌がることは絶対にしない。


「君にそう思われているなら、私の努力も無駄じゃなかったみたいですね」


 シグルトは嬉しそうに笑顔を見せたが、それはすぐに自嘲じちょう的なものへと変わった。


「でもね、私は優しくなんてないんですよ。君にだけは嫌われたくないから優しい振りをしているだけで、本当は冷たくて、酷い人間なんです。君には言えないような、残酷なこともたくさんしてきた。その結果、大切なものを失ってしまったんです……悔やんでも悔やみきれません……」 


 過去に思いを馳せるかのような、どこか遠い目。シグルトはほとんど昔の話をしないので、リシェルは師の過去について、何も知らなかった。だが、それがシグルトにとって、辛く悲しいものであることは察せられる。


「た、大切なものって……?」


 リシェルは迷いながらも、恐る恐る尋ねた。初めて触れる師の過去を、もっと知りたかった。

 シグルトは遠い目をしたまま、ぽつりと答えた。


「……髪の色」


「へ?」


 予想外の答えに、目が点になる。

 シグルトは悲しげな表情で、自らの白銀の髪を一房、指先でつまみあげた。


「魔力の影響で、髪や瞳の色が変化する魔道士がいるのは知っているでしょう? 特に幼少期から術を扱うようになった者にその傾向が強い。私もまだ若いのに、こんな白髪になってしまって……これはほんとにショックでしたよ……」


 そう言って、自らの髪から手を離すと、今度はリシェルの艶やかな黒髪を愛おしげに撫でる。


「だから、もし君のこの綺麗な黒髪が、おかしな色になってしまったら……そう思うとなかなか君に魔法を教える気になれないんですよねぇ」


「……まさかそれが私に魔法を教えてくれない理由ですか!?」


「まあ、それもありますね」


 シグルトは冗談ぽく笑って、その滑らかさを楽しむように、弟子の髪を優しくき続ける。

 髪の変色の話が出たので、リシェルはかねてからの疑問を口にしてみた。


「……先生、私の目の色、どう思いますか?」


「綺麗ですよ、とても。君の黒髪とも合っているし」


 至近距離で覗きこまれながら言われ、リシェルは少し赤くなった。


「変な色じゃありませんか? 生まれつきこんな目の色の人、いませんよね?」


「まあ、確かに見たことはありませんが……」


 黒髪もこの地ではかなり珍しいが、大陸東方部の出身者には稀にいる。


 だが、リシェルという花と同じ、薄紅色の瞳。一般人はもちろん、魔道士でも同じ色の瞳を持つ人間に会ったことがなかった。


「この目の色って、きっと何か魔力の影響があって、変わっちゃったんだと思うんです」


「……なるほど。それが君が魔道士を目指す理由ですか」


 シグルトは察しがいい。


「はい。私が記憶を失ったことには、きっと魔法が絡んでるはずです。魔法を学べば、記憶を取り戻せるかもしれない……」


「……それはどうかな」


 リシェルの言葉に、シグルトは同意しかねるとばかりに首を傾げる。


「君は覚えていないかもしれないけれど、君をここへ連れてきた時、君に魔法をかけて記憶を引き出そうとしたんですよ。でも駄目でした。魔法は万能ではない。特に、記憶や人格など、精神面にかかわる部分ではね。君自身が魔法を学んだところで、結果が変わるとも思えませんが」


「先生、まるで私に魔道士になって欲しくないみたい……弟子にしたくせに……」


 リシェルは不満げに口を尖らせた。シグルトは困ったように微笑む。


「君を弟子にしたのは、いつも一緒に居たいと思ったからですよ。弟子ということにでもしないと、法院内までは連れて来られないですから」


「そんな人をペットみたいに……」


 物珍しいペット――パリスの言葉が浮かび、言いかけたが、すぐにはっとして口をつぐんだ。シグルトの優しい眼差しに、幼い日の記憶が蘇る。


 いつも一緒に居たい――そう望んだのは、シグルトというより、自分だった。


 王都に連れて来られたばかりの頃、リシェルは精神的に不安定でシグルト以外に心を許せず、一人にされると不安で泣いてばかりいた。シグルトが仕事に行く時間になると、行かないで欲しいと泣いてすがって、シグルトや家の使用人たちを困らせたものだ。法院内は原則魔道士以外立ち入り禁止となっており、リシェルを連れて行けるはずがなかった。


 だがある日、仕事に行く時間になると、シグルトはリシェルの手を引き馬車に乗せ、一緒に法院まで連れて行ってくれた。不思議がるリシェルに、シグルトは優しく言った。

 今日から君は私の弟子ですから、これからずっと一緒ですよ――


 シグルトがリシェルを弟子にした理由――それは、リシェルを一人にしないためだったのだ。なのに、魔法を教えてくれないことを責めて、自分勝手なことばかり言ってしまった。

 とんだ恩知らずだ。


「……先生、ごめんなさい。さっきは怒鳴っちゃって……」


「謝るのは私の方ですよ。君のためには、君を弟子にして傍に置いても、魔法は教えない方がいいと思っていました。でも、それで君を苦しめてしまったんですから」


 恥ずかしくなってリシェルは謝ったが、シグルトは首を振る。


「私はね、君が大人になって、魔道士を目指すことのいい面も悪い面もきちんと理解した上で、自分の道を決めて欲しいと思ってるんです。私は父も母も魔道士でしたから、物心つく前から魔道士になるべく育てられました。他の選択肢なんてなかった。でも、若い君には色々な可能性がある。それを最初から潰したくなかったんです」


「先生は、魔道士になったこと、後悔してるんですか?」


 魔道士として最高位を極めたというのに? 

 思いもしなかったことだったが、シグルトは否定せず、曖昧あいまいに笑う。


「さあ、どうでしょう? 生まれ変わってもまた魔道士になりたいかと言われると……でも、魔道士になっていなかったら、君と出会うこともなかったわけだし……」


「確かに、先生がもしも普通の靴屋さんとかだったら、あんな紛争地域の雪山に来ることなんて、ありえなかったですもんね」


 リシェルとしては、既に亡くなっているという師の両親に感謝したいところである。シグルトは目を細めて、リシェルを見つめた。


「……そうですね」


 妙な間があった。

 しかし、すぐにシグルトはいつものにこにことした笑みを作り、ふざけるように言った。


「私と君が出会ったのは運命だったのかもしれませんね。やっぱり運命の赤い糸ってあるんだなぁ」


「ありません!」


 リシェルは赤くなって否定した。ふざけているだけだとわかっていても、先ほどの「世界で一番大切な子」という言葉を思い出すと、変に意識してしまう。

 

「リシェル、君がどうしても魔法を学びたいと言うなら仕方がありません。でも、君には魔道士になる以外にも色々な可能性がある。朝、来月君が成人したら大事な話があると言いましたね。その話を聞いた上で、どうするのか考えてもらいたいんです。それが私の方針です」


 シグルトの言い方は優しかったが、有無を言わせないものがあった。師にそれが自分のやり方だ、と言われてしまえば、弟子としては従うしかない。


 大事な話とは何なのか、今問い詰めたところで、シグルトは絶対に答えないだろう。

 結局、来月まで待つしかないのだ。


「わかりました」


 リシェルが頷くと、シグルトは満足げににっこり笑った。


「よかった。じゃあ、行きましょうか」


「え? どこへです?」


「君と行きたいところがあると言ったでしょう?」


「仕事はどうするんです?」


 今日シグルトは導師会議に出ただけで、他の仕事は一切していない。導師として、すべき仕事は山のようにあるはずだ。 


「そんなことよりもっと大事な用なんですよ。さ、早く行きましょう。あ、馬車の中で食べますから、お弁当も持ってきて下さいね」


 あっさりと職務を「そんなこと」の一言で切り捨て、さっさと部屋を出て行ってしまう。


 こうやって師が仕事をさぼるのは日常茶飯事だ。一応法院の最高責任者の一人であり、弟子を持つ教育者でもあるわけだから、その辺りの自覚と責任感を持って欲しいのだが。


(先生、いつか導師クビになるんじゃ……)


 一抹の不安を覚えつつ、リシェルはため息をついて、師の後を追った。

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