青と灰

ツチノコ

青と灰

 硬い毛先で擦られた様な痛みを含んだ冷たい風に、私の頬が熱を発する。どんなに着込もうが、顔だけは覆えない。日が刻一刻と昇り始めているのが分かる。

 日の赤と冷たい空気の青が、空を紫に染めていく。すれ違う車も人も増え、町が、目覚めていく。

 チリンチリンと後ろで音がすると、自転車が私を追い越す。フーミンだと分かった。

「おはよう」

 フーミンは立ち止り、「はよー」と言いながら、私が横に並ぶのを待つ。

「荷物置かしてよ」

「諦めろ。置けるとこねえもん」

 私は、無理矢理自分の鞄を、自転車の前かごに綺麗に収まっているフーミンの荷物の上に重ねた。ハンドルを持つフーミンの手が不安定に揺れる。

「ちょっ、あぶね、あぶね」

 そう言いながらもフーミンはちゃんとバランスを取り戻し、降ろせと言わない。フーミンが私の要求を断ったことはない。一つを除いて。

「やっぱり、フーミンは優しいなあ。付き合ってよ」

「嫌だ」

 また振られた。こればっかりは無理矢理キスしたり腕を組んだりは出来ない。

「ゲンゲン、そろそろ諦めろ」

「まあ、そのうちなあ」と答えるが、諦めるつもりはなかった。てか、私のハートが諦めてくれねえ。

 私がフーミンに告白したのは半年前、夏休みが始まったばかりの頃だ。高校最初の夏休みは告白と部活だけで終始した。振られたのだから仕方ない。しかし、私はそれ以来、隙あらばフーミンに告白している。結果は先ほどの通りで、私の学校生活は今のところ部活に打ち込む他なかった。私は吹奏楽部でコントラバスを弾いている。フーミンはチューバだ。今日も、朝錬に私達は向かっている。

 音楽室に近付くと、すでに何人か来ており、楽器同士、無秩序に音を鳴らしている。朝錬は基本個人練習で、私も自分の楽器を取り出してすぐに弦を締めたり緩めたりチューニングして、好きに音を鳴らす。運指トレーニングをしたり、昨日の放課後に行われた音合わせで間違えたところの反復練習を行った。

 一人で練習をしていると、隣でチューバを吹いていたフーミンに「そんじゃ、合わせてちょっとやってみようや」と言われる。

「何を?」

「今、ゲンゲンがやってるとこ。昨日とちったところじゃろ? 一緒にやろうや」

 メトロロームを動かし、二人だけでパート練習を行う。華のない低音同士が重なり合い、体内に重い振動が染みわたる。心地よい。

「ストップ。入りがちょっと早いな。三小節前からもう一回いこ」

 フーミンは、音楽に関しては厳しい。同い年だが、音楽のことに関しては彼の方が大先輩である。

「次は音が変だったぞ」

「ああ、もう。むずい。そんな一気に言われても出来んわ! どうすればいい?」

「練習あるのみ。もう一回いくぞ」

 朝八時のチャイムが鳴り、片付けて教室に向かうと、すでに前原が席について勉強していた。

「前原、おはよう」

「おお、ゲンゲンおはよう」

「教室でそのあだ名を使うな」

 前原は笑うだけ。きっと、私が吹奏楽部を辞めるまで、このやり取りは続くだろう。

「今日もダメだったわ」

「何が?」

「文則に告って振られた」

「ホント、香って懲りんよな」

「しゃあないやろ。好きなんだから」

「私、香のそういう素直で正直なところ好きじゃわ」

「前原からの好意より、文則からの好意が欲しいわ」

「ホント、正直やなあ」

 前原は人と話している時、いつも笑顔だ。だから、気兼ねせず話せる。だからだろう、前原はよく男から好かれる。私は楽しければ笑うが、つまらなければ無表情だし、よくそれで恐がられる。「え、怒ってるの?」と聞かれることもたまにあるが、別に退屈なだけで怒っていない。気にして質問してくるやつは、現につまらない。他人の顔色ばかり窺っており、他人からの評価第一優先で行動している。その点で言うと、前原もつまらない人間だ。面白い人間というのは、一人で勝手に盛り上がって楽しんでおり、周りの人間を魅了し巻き込み、一緒に熱狂させる。フーミンは面白い人間だ。彼は音楽を愛し、楽しんでいる。そんなフーミンが私は好きだ。

「香も一途だけど、文則君も一途よなあ」

「文則のそういう真っ直ぐなところも好きだけど、早く見切りをつけて諦めて欲しいわ」

「香、文則君もきっと香に対してそう思っとるで」

「私の事は私で決めるからいいの!」

「ホント、わがままだなあ」

 前原と私は笑い合う。つまらないと言ったが、前原と私は気が合う。前原には何でも話せる安心感があった。

 フーミンには好きな人がいる。もちろん、私ではない。同じ部活の半年前に夏のコンクールで引退した二コ上のメロン先輩だ。彼女は部内で、いや、私がこの校内で見た事のある人の中で、一番可愛い顔をしている。目が大きく、鼻はシュッと高く、まるでハーフのように彫が深いのだが、丸みを帯びた小顔が優しそうな印象を醸し出している。どんな男がメロン先輩のことが好きだと言っても、何も不思議はない。文則もご多分に漏れず、メロン先輩の容姿にやられている。私が初めて告白したときだ。

「ごめん、俺、好きな人がいるんだ」

「誰?」

「メロン先輩」

「どこが好きなの?」

「だってさ、可愛いじゃん」

 私の好きは、可愛いに負けた! 

 けれど、私は諦めようとも、焦ったりもしなかった。男は可愛いより性欲処理の優先度が高いと知っていた。男は届かない高嶺の花よりも、蜜の吸えるところに咲く花のほうにいってしまうものだ。だから、フーミンがその気になれば身体を差しだすことも厭わない覚悟、「こいつ、頼んだらヤラせてくれるんじゃね?」とフーミンに思わせるまで、私は好意を示し続ければいいと思った。しかし、半年経ってもフーミンはメロン先輩のことを諦めないし、私に手を出そうともしない。しまいには「今度さ、メロン先輩の誕生日なんだけど、何プレゼントしたら喜んでくれるかな?」と私に相談してきやがった。好意を示し、気を許し続けた結果、フーミンの中で、私は恋の相談相手のポジションを得たのだ。嬉しくねえ!

「あんたのことが好きな娘に、他に好きな娘の相談するなんて酷いと思わない?」

 私がそう言うと、フーミンは、とても申し訳なさそうな顔をして、「ごめん。ゲンゲンの好意に甘えてたわ。もう相談しないよ」と言った。

 違う。私は拒絶したくてされたくて憎まれ口を叩いたわけじゃなかった。ただ、私のフーミンに対する言動の根底には、いつだってフーミンに私だけを見て欲しいという気持ちしかなくて、その表現方法が不器用な私は、いつだって空回りする。そういう時、私は全然私らしくない無理した笑顔をつくって「冗談、冗談。私からメロン先輩にそれとなく今欲しい物を聞いてあげるよ」と、フーミンの中の私の印象を悪くしないよう必死になる。

 本当の私、フーミン用の私、私の中のフーミン。

 この三者は全て私の中から生まれた存在だが、一つに混じり合うことがなく、私の心と身体は常に振りまわされる。

 私が選んだプレゼントは、かなり喜ばれたらしい。それからというもの、メロン先輩は放課後、受験勉強の合間に音楽室へ遊びに来る度、フーミンに必ず話しかけるようになった。メロン先輩と話している時のフーミンは、私の前では見せたことないぐらい嬉しそうな顔をする。それを見ている私は、フーミンを憎む。

 憎む度、フーミンへの好きはどんどん重量感を増し、背負うのがしんどくなる一方、下ろしてしまったら、きっと重みが消えて、私は空っぽになると恐れ、しんどくても無様でも、私は背負い続ける。

 一年で一番寒い二月を越し、三月となった。三年生の先輩が卒業する。私の学校の吹奏楽部ではこの時期、追いコンと呼ばれる、部活でお世話になった卒業生への送別会として、三年生追い出しコンサートなるものを毎年行うのが習わしだった。一、二年生だけで劇をしたり、吹奏楽の演奏を行う。今回は例年の追いコンではなかった初の試みがあった。エレキギター、ドラム、エレキベース、ヴォーカル、キーボードによるバンド演奏である。

 立案者はフーミンで、彼は部内の同じ学年の仲の良い者同士で、ロックバンドを組んでいた。このバンドは学校内でも評判で、去年の文化祭では演奏後、割れんばかりの拍手喝采を浴びていた。実は私がフーミンを好きになったのは、彼のヴォーカルとエレキベースを聞いてからだった。

 追いコンで、このバンドが演奏した曲の中に、メロン先輩が大好きだと言っていた曲が入っていた。少女マンガ原作の甘ったるい恋愛映画の主題歌だった。それをフーミンは、時折メロン先輩を見ながら歌っていた。あからさま過ぎるぐらいの求愛行動に、メロン先輩の目は潤み、興奮していたように見える。彼女はその曲のヒロインになりきっていたに違いない。

 しかし、誰がそれをバカに出来ようか?

 気になる男の子にそんなことされたら、誰だって発情する。

 四月になり、私はまたフーミンに「付き合ってよ」と言った。フーミンはいつもみたいに「諦めろ」ではなく、「無理」だと言った。

「俺さ、メロン先輩と付き合うことになったんだ」

 分かっていたはずだ。フーミンは、私を選ばない。フーミンは自分の本当に欲しいものしか選ばない、私の好きな面白い人間なのだ。

 私は帰宅した後、庭にある錆びたドラム缶に、楽譜やら部内で撮った写真やらを放り込み、灯油をかけて火をつけた。顔に炎の熱風を浴び、流れ出る涙は落ちる前に乾いた。

 桜舞う春風が、燃えて灰になった思い出を吹き飛ばしていく。青い涙は灰となり、桜並木の根元へと運ばれる。その上には、次はどんな色の花が咲くだろう?

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青と灰 ツチノコ @tsuchinoko_desu

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