第6章 デーモンズブリゲード④……霧隠才蔵

「さあ霧隠才蔵。貴様も見せろ、貴様の地獄を!」


 悪魔共の増援が、地より湧き上がる。

 この期に及んで、この吸血鬼は往生際が悪い。

 だが、好都合だ。


「俺は見せたぞ、俺の地獄を!」


 ああ、分かってる。

 見せてやるよ、俺の”地獄”を!

 悪魔共が襲って来るが、問題じゃない。

 問題なのは、俺自身。

 刀を鞘に納め、極限まで精神を研ぎ澄まし、俺は”ワレ”を解放する。

 

 「臨」と言って独鈷印を切る。

 「兵」と言って大金剛輪印を切る。

 「闘」と言って外獅子印を切る。

 「者」と言って内獅子印を切る。

 「皆」と言って外縛印を切る。

 「陣」と言って内縛印を切る。

 「裂」と言って智拳印を切る。

 「在」と言って日輪印を切る。

 「前」と言って隠形印を切る。


 仕上げに、先陣を切って襲って来た悪魔を抜き打ちに袈裟斬る。

 

―――臨む兵、闘う者、皆陣烈れて前に在り―――


 ”九字の秘法・現夢”。



 その瞬間、俺の中にあった悪夢があふれ出し、現実を浸食した。

 修羅が、羅刹が、夜叉が、屍人が、悪魔の陣を埋め尽くし、殺戮を開始した。

 巨大な牛頭の鬼が、巨大な山羊頭の悪魔に襲いかかる。

 落ち武者の亡霊が、地獄の亡者を喰い千切る。

 夜叉の大群が、蠅騎士の大軍を蹴散らす。

 奴らに敵味方はない。

 吸血鬼の陣に攻め込んでいた十勇士も円卓の騎士も、等しく襲いかかった。

 だが、辛うじて武田とブリテンの本軍には届いておらず、混乱した悪魔の軍に両軍とも優位に展開することが出来た。


「そうか、これが貴様の地獄か!」


 楽しそうに、本当に楽しそうに吸血鬼は言う。

 だが……。


「残念ながら、これは俺の地獄じゃない……」


 俺の黒刃は白銀となり、神刀小烏本来の輝きを取り戻していた。

 その一方、俺の肌は浅黒く変色し、全身から瘴気を溢れだしていた。


「俺の地獄は……」


 視界が歪む。

 左眼に、もう一つの瞳孔が浮き上がる。

 周囲全ての情報が吸収される。

 思考が高速で疾る。

 未来が見える。

 俺が換わる。


「「”我ら”自身だ!」」


 一つの口から、ふたつの声が出た。


「貴様、何者だ……」


 流石の吸血鬼も、我らの変化にただならぬ物を感じていた。


「ひとつは霧隠才蔵」


 俺が答える。


「「もう一つは……」」


 声が重なる。


「新皇・平将門なり」


 我らは、その呪われた名を口に出した。





 これが俺の地獄。俺の呪い。

 既に三年。

 神刀小烏を手に入れた時から、俺は日ノ本最大の怨霊平将門に取憑かれていた。

 呪われて以後、俺に安眠は無い。

 呪いは俺を、修羅の悪夢へと誘う。

 悪夢の中で殺し合い、毎晩毎夜俺は数千の死を経験していた。

 そして、その悪夢は人を殺す。

 幻の死に心が耐えられなければ、うつつの命も死に引き込まれる。

 それが俺の地獄。

 その地獄を現に解き放ったらどうなるか?

 それは、小烏に封ぜられた怨霊平将門の解放を意味する。

 そう、俺が将門とひとつになるのだ。


「これは幻か?」


 吸血鬼辺りを見回してが言う。


「そうだ。取るに足らぬただの幻。だが、この幻は人も殺すし、地も砕く」


 この悪夢はただの幻術。偽りの虚影。

 だが、偽るは人ではない。

 この世界そのものを騙す。

 この悪夢が人を殺せば世界が殺し、物を壊せば世界が壊す。

 故にこれは幻であって幻に非ず。

 夢現の住人なり。


「そして、不死の化け物も殺し得る」


 小烏をヴラドに突きつける。


「貴様がか?」


「”我ら”がだ!」


 俺に取憑きし怨霊平将門。

 かつて朝廷に弓引き関東一円を焦土に替えた後、死後も厄災を振り撒き続けた強大な厄災。

 その格、決して串刺し公に劣るものではない。


(後方。悪鬼。棍棒。迎撃。剣)


 頭の中で、将門が囁く。

 正確にいうと言葉では無く、周辺全ての情報を読み取った将門が、それを俺の頭に響かせ強いるのだ。


”殺せ”と。


 だから俺は振るう。

 振り返りもせずに、後ろに迫った悪鬼を斬り殺す。


「ほう……」


 同じように屍人を突き殺しながら、ヴラドが感心したように呟く。


「征くぞ、将門……」


 じき此処も完全に地獄に呑まれる。

 そうなる前に、吸血鬼と決着を付ける。


(殺せ、才蔵!)


 勝利への道程が、幻影となって”視え”る!


「ハハ、来い才蔵!」


 ヴラドもこちらに向かう。

 その動きは、将門が視せる幻影とピタリと重なる。

 故に、俺も幻影に合わせて動く。

 俺とヴラド。お互い、道中の悪鬼悪魔どもを斬り払いながら近づく。

 二人とも、剣が作る間合いの壁を躊躇無く踏み越える。

 俺は鋒両刃造の神刀小烏。

 奴は戦場の刺殺剣エストック。

 奴が突き、俺が払う。

 甲高い金属音。

 最後の戦いが、いま始まった。





 一振り振るうごとに肉を削る。

 ひと突き突くごとに血を奪う。

 ひと傷ごとに重ねられる痛み。

 痛みの上に重ねられる疲労。

 傷と痛みと疲労が重なり、積み上がる死の形。

されど敵は吸血鬼。

 不死の怪物。

 殺せぬ者を殺す。

 なに、難しいことではない。俺にとっては。

 今も、奴の右目を殺した。

 すぐに再生を始めるが、今この瞬間奴の右目は”死んで”いる。

 完全に蘇る前に、今度は喉を斬り裂く。

 死なぬ魔物でも、息は吸う。

 酸素を使わねば、躰は動かせない。

 僅かな間、奴の動きが鈍る。

 次は腕を。

 その次は足を。

 肺を、肝臓を、そして心臓を。

 再生が追い付く前に、次々と”殺し”続ける。

 その間、俺も傷付く。

 奴のように再生はしない。

 だから致命を避け、最小限の傷で凌ぐ。

 必要経費だ。

 俺が血を一滴流す間に、奴には桶一杯の血を流させる。

 これで対等。

 傷と傷を交換しながら、俺は勝利の道程を駆ける。

 次はそう、横払い。奴の左腕を飛ばした。

 次はそう、斬り上げ。奴の腿を斬った。

 次は突き。肺を。

 次は刺した胴を抉る。肝臓だ。

 次は……ああ、眼も腕も足も肺も肝臓も再生していた。

 奴が力を集中して、全力で再生させたのだ。


(才蔵!)


 将門の叫び。

 思わず”笑み”が零れる。

 これでいい。

 全ては計画通り。

 力を集中させた吸血鬼に隙が出来た。

 俺は、奥義の構えを取る。

 左手で剣を横に構え、右手は刀身半ばの峰に添える。

 こちらの動きに気付いた吸血鬼が、防御の構えを取る。

 もう遅い。

 俺は放つ。


―――秘剣・無想の太刀―――


 一刀流の最終奥義。

 地を砕く程の震脚。

 脚を伝う衝撃を、右手まで通す。

 その衝撃を、掌底にして剣の背に当てる。

 一瞬にして、剣が”消え”る!

 次の瞬間、俺の剣は振り切られ吸血鬼を構えた剣ごと横一文字に斬り裂いていた。

 その剣の軌跡には、途中奴の心臓があった。


「貴様……」


 吸血鬼が呻く。

 だからもう、遅い!

 次の斬撃。

 奥義を応用した下からの斬り上げ。

 今度は奴の心臓を縦に斬り裂く。

 奴はもう呻きすらしない。

 仕上げだ……。


「先ッッ!!」


 叫びと共に、最後の幻術を仕掛ける。

 奴の心は、心臓を十字に斬られ空白。

 その空白に”百万の死”の幻影を叩き付ける。

 それはただの幻覚。

 おれが悪夢の中で経験した死の形。

 胴を斬られて死んで、首を裂かれて死んで、頭を砕かれ死んで、腑を喰われて死んで、焼かれて死んで、凍えて死んで、溺れて死んで、血を流して死んで……。

 俺が耐えてきた死の悪夢。

 それを一度にぶつける。

 奴の心が、それに耐えられなければ……。


「ああ、そうか。これが……」


 死だ。


 吸血鬼の躰が、自壊を始めた。

 百万の死に負けたとき、奴自身の心が全力で奴を殺す。

 不死者だろうと関係はない。

 むしろ、死を軽んずる不死者だからこそ耐えられる業ではない。

 これを耐えられるのは、死地において泥を啜って汚物に塗れようとも生にしがみつく不屈の精神を持つ者のみ。

 これが、”九字の秘法”の裏に隠されたもひとつの秘事”十字の秘法”だ。


「俺の死か。もう、失われたと思っていたのにな……」


 心なしか、吸血鬼が微笑っていた。

 懐かしい友に会うかのような目だ。


「もう帰れ、吸血鬼……」


 この世は、生者の住処だ。


「才蔵、楽しかったぞ……」


 最後にそう言って、ヴラドは塵と消えた。

 地獄は消え、奴は風が運んだ。

 そして、十字架に貼り付けられたモードレッドがゆっくりと落ちてきた。

 腕を広げ、彼女を抱きとめ、その頬にキスをする。

 首筋の疵は、もう消えていた。

 戦いは、終わった。

 



 その時、武田の諸将は一斉に鐙を外し、ブリテンの騎士達は面貌を上げた。

 鐙を外す。それは武士にとって最高の礼儀であり、敬意の表れであった。

 面貌を上げる。それは騎士にとって最高の礼儀であり、後の敬礼の原型となる敬意の表れでもあった。

 この戦場にいた全ての|いくさ人(ミーレス)が、霧隠才蔵という一人の忍びに最高の敬意を示したのだ。

 


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