第3章 祭り④……モードレッド

 いつもの夢。いつもの悪夢。

 だけど、ここはいつもの墓場ではなかった。

 明らかに教会。それも内部。

 主の十字架が見守る聖堂で、このボク、モードレッドはいつものドレス姿で目覚めた。

 夢の中で目覚めたというと変な言い方だが、それでもそれ以外の言い方が無いので仕方がない。

 覚醒と同時にボクは探した。黒く、強く、優しいあの男を。

 でも、居ない。すぐには来られないだろう事は分っていても、少し不安になる。

 せっかく教会にいるのだから、不安を払うために祈ることにした。

 十字架の前に跪き、これからの事を祈る。

 これから……?

 ふと、気が付いた。

 今のボクは、吸血鬼のことなど憂いていない。

 自分でも驚くほど、才蔵の事を信頼していた。

 ならば何がこんなに不安なのだろう?

 これから先の事が怖いのだろう?

 自分でも答えが出ないまま……。


「待たせたな……」


「にゃあーーーッッ!?」


 びっくりした!?


「脅かしたつもりはないぞ。何をそんなに驚く?」


「きゅ、吸血鬼が来たと思ったんだ!?」


 嘘を吐いた。

 強く思い描いていた相手が急に現れて、死ぬ程恥ずかしくなったなんて言えない。


「奴は、此処には居ないな……」


「そ、そうだな。奴はいったい何処に?」


 とりあえず誤魔化すために、逸れた話しに乗っかる。


「奴は……」


 ボクの気持ちを知ってか知らずか、才蔵は厳しい表情になって教会の扉の先をじっと見つめた。


「外か?」


「ああ、だが……」


「何か、おかしいのか?」


「強烈な死臭がする。だが、その割には一片の殺気もない」


 夢の中でも臭いはするのだろうか?

 ボクにはよく分らなかったが、周囲に殺気がないのだけは分った。


「何にしても、ここでじっとしている訳にもいかんな」


「行くのか?」


「ああ、奴が待ってる」


 剣を合わせた者同士、何か通じ合うものがあるのだろうか。

 才蔵は引かれるように扉に近づき、そしてゆっくりと開けた。

 ボクの瞳に飛び込んできたのは、いつもの月、いつもの墓場、そして……。


「な、何だこれは!?」


 文字通りの意味での屍山血河。

 そしてその屍山の頂で、腰を掛けたまま空を眺める吸血鬼の姿だった。

 壮絶な光景でボクが立ちすくむなか、才蔵は平然と歩き出した。


「よう、何してる?」


 そして、古い知己のように吸血鬼に話しかけた。


「ああ、来たか……」


 返す吸血鬼の言葉にも、何か親しみのような響きを感じた。


「これは、おまえの手下か?」


 手にした剣で、吸血鬼が足下の屍山を軽く叩いて言った。


「いや、俺の客だ」


 本来は、才蔵が戦うべき悪夢だったという事だろう。


「そうか、それは失礼した。代わりに馳走になったな」


 この悪鬼の山をご馳走と言った。吸血鬼だけに本当に喰ったのだろうか?


「で、どうする?戦るのか?」


 呑みにでも誘うかのような口調で、才蔵が刀を抜いた。刀身から漏れる妖気が、血臭漂う空気を妖しく変えた。


「いや、今宵はもう腹が満ちた。それより……」


 吸血鬼が顎で才蔵を指す。


「少し、話がしたい」


「!?」


 話し?今まで問答無用で襲ってきた化け物が話しをしたいだと!?


「何だ、戦らんのか……」


 そしてあっさりと刀を収める才蔵。不思議にも、何か通じ合ってるかのような二人であった。


「それで、何だ?」


「ああ、まずは貴公の目的を聞きたい」


「目的?」


「何故、その娘を守る……」


「何故って、そりゃあ……」


 確か、才蔵が御舘様と呼ぶ主の命令で、ボクを反乱の首謀者にして傀儡国家を立てる。そう言っていた筈だ。


「そりゃあ……うん」


 何か歯切れが悪い。任務内容は秘密にしないといけないのか?


「誰かの命令か?」


「命令っていうと、何か違うな……」


 何かって、何だ?


「命令といえば命令だが、いざそう言われると何かしっくり来ないぞ」


 才蔵らしからぬ、間の抜けたことを言い出した。


「う~ん……」


 おまけに考え事を始めた。演技ではない、本気で考え込んでいる。


「考え込むことか!」


 とうとう吸血鬼が怒り出した。吸血鬼にとっては、天地がひっくり返されるほどの事をされているのだから、それに理由がないなど当然認められる筈もない。


「さて、強いて言えば……」


 一瞬、固唾を飲む。


「可愛いからだ!!」


「……」 


「……」


「「はあぁッッ!?」」


 ワンテンポ置いて、ボクと吸血鬼の声が重なって響いた。


「まず、顔が可愛い!」


 自分でも分るほどに、ボクの顔が赤くなった。


「仕草が可愛い!声が可愛い!しゃべり方が可愛い!」


「な、な、なにゃあぁぁ!」


 恥ずかしくて、変な声を出しながら才蔵の裾を掴んで激しく揺らした。

 ピクリとも動かなかったけど……。


「意外と素直なところが可愛い!賢いのに純な乙女なところが可愛い!何事にも一生懸命なところが可愛い!」


 揺らしても動かないのでポカポカ背中を叩くけど、相変わらず微動だにしない。

 この男は、ボクがこんなに恥ずかしいのに、何故こんな言葉を続けるんだ!?


「過酷な運命なのに、誰も恨まず真っ直ぐに生きているのが可愛い。迷いながらも、自分の心を信じて生き抜くことを決めたことが可愛い。そして……」


「えっ……」


 今の言葉、ボクが誰にも言えなかった言葉。

 いや、ボク自身がなかなか自分の気持ちに気づけなかった事。

 それを才蔵は、僅か会って数日で気付いていてくれた。


「それに、何より!!」


 これが最後と言わんばかりに語尾を鋭く切った。


「笑顔が飛びきり可愛いッッ!!」


「えぅっ!?」


 最後に飛びきり恥ずかしいことを言った!

 恥ずかしすぎて、ドキドキが止まらない!


「ぷっ……」


 吸血鬼が吹きだした。


「わーはっはっはっはーーー」


 堪えられず、大笑いした。


「何が可笑しい!」


 才蔵が怒った。今までの本気だったの?


「いや、失敬した。理由としては十分だ!」


 未だクツクツ嗤いながら、吸血鬼は一応の謝罪を返してきた。


「だがな、如何にその娘が大事かろうと、それは貴公の命をかける程の事か?」


 もっともだ。昨日今日出会っただけの女の為に、容易く捨てられるほど命は安くない。でも才蔵は……。


「なに、安いもんさ!!」


 笑って言った。

 初めて見る笑顔。

 それは、少年のような素直な照れ笑いだった。


「才蔵……」


 ボクはその笑顔から目が離せなかった。

 胸のドキドキが止まらなかった。

 何故か涙が流れた。

 心の中がぐちゃぐちゃになって、自分でも何が何だか分らなくなった。

 でも、ぐちゃぐちゃな気持ちの一つ一つが、幸せでいっぱい満たされていた。

 だからこれだけは分かる。

 ボクは今、恋をしていた……。


「礼を言おう、異国の剣士よ。今宵の晩餐はこの上の無い程の馳走であった。だから最後に教えて欲しい」


 吸血鬼はもう嗤っていない。ただ微笑みを優しく浮かべていた。


「我が名はヴラド三世」


 吸血鬼が初めて名乗った!知っている名だ!!

 オスマン帝国から故国を守った救国の英雄。ワラキア公ブラド・ツェペシュ。

 串刺し公の名の通り、残酷な串刺し刑で死の樹林を作り、その恐怖を持って国とキリスト教徒を守り、そして裏切られ死んでいった悲劇の君主。

 別名、ドラキュリア。

 竜の名を冠する英雄が、何故吸血鬼などというアンチキリストの化け物に成り果てたのか、ボクには分らなかった。

 だけど、名乗った理由だけはすぐに分った。


「貴公の名は?」


 勇者と認めた好敵手の名を欲していた。

 騎士同士なら名乗り合わねばならない。だけど、才蔵にはそんなこと関係ない。 名乗り返してはくれないだろう。

 騎士であるボクは、それが悔しかった。


「霧隠才蔵」


 でも、名乗ってくれた。闇に生きる才蔵にそんな事をする理由は無かったはずだ。

 だからこそ、ボクはそれがとても誇らしかった。


「キリガクレ・サイゾー。その名、我が魂に刻んだぞ!」


「ヴラド三世。知らぬ名では無かったぞ」


 二人が交わす言葉は、今宵の宴が終わることを示していた。


「では、サラバだ。貴公のおかげで我が望みは叶う……」


 最後に意味深なことを言って、吸血鬼ヴラドは煙のように消えていった。


「奴め、何を……」


 消えた後でも、才蔵は警戒を解かなかった。

 周囲に気を配りながら、ボクを連れて教会に戻った。

 その間、ボクは一言もしゃべらなかった。

 何だか、納得がいかなかった。


「さて、今夜はもう終わりだ。どうする?」


 扉を閉めてから、緊張を解すように語りかけてきた。

 その時、ボクの気持ちが爆発した!


「ずるい!!」


「はっ?」


 目を丸くする才蔵に、ボクは詰め寄った。


「才蔵はボクのこといっぱい知ってるけど、ボクは才蔵のこと全然知らない!」


 才蔵の手を取ってブンブン振り回す。


「教えて、才蔵の事!」


 自分でも訳の分らない我儘を言っていることは分る。

 でも、知りたいんだ!


「えっと、何でだ?」


「何でも!!」


「……」


 珍しく狼狽えながらも、ボクの瞳をしっかり覗き込んだ。

 ボクもしっかりと見返す。

 しばし見つめ合って。


「分った……」


 ポツリと言った。


「でも、俺は口下手だし大して面白くないぞ」


「何でも良いから、全部教えて!」


 やれやれというように少し頭を掻いてから。


「なら、簡単にな……」


 椅子に座って、ゆっくりと語り出した。

隣に座って静かに聞いた。聞いてる間、繋いだ手は離さなかった。

 それは、日ノ本という東の島国、その伊賀という地で忍びという諜報員で剣士の家に生まれた才蔵が、様々な任務をこなしながら佐助に出会い、そして今の主君武田信玄と真田幸村に仕えこの地に派遣されるまでを綴った、神話にも負けぬ壮大な冒険譚だった。

 だけど、ボクには話の内容よりもただ語ってくれることそのものが幸せだった。 永遠に、この夜が続けばいい……。

 そんな下らないことを考える程、今夜のボクは満ち足りていた。

 だから朝が来たとき、生まれて初めて太陽を呪った。

 才蔵がもう起きようと言ったとき、窓から差し込む朝日に、


「バカヤロー!」


 と言った。

 才蔵が目を丸くしていた。




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