第2章 悪夢の騎士②……モードレッド

 悪夢にはいつも、輝く月があった。

 月光の下、墓場の中でボクは無力な少女に戻る。

 純白のドレスを着せられ、モードレッドとして生まれ出た力を何一つ振るえず、ただ逃げ惑うまま、捕まり、哀れに血を吸われる。

 そして吸われる度に天の月が満ちていく。

 あの月が全て満ちた時、ボクは吸血鬼になる。

 後、一度か二度だろう。月の陰りは、あと僅かだ。

 そして今日もあいつは来た。


「逃げなきゃ!」


 あいつが追ってくる。墓石の間を駆け、少しでもこの場より遠ざかろうとする。

 無限に続く墓の列を、どこまでも逃げつづける。

 やがて最初の場所が見えなくなるほど駆けて、駆けて、駆けて……。


「そんな……」


 駆けた先に、あいつがいた。

 漆黒の外套クロークに身を包んだ痩身の大男。顔は闇となって見えない。ただ、獣のような牙のみが闇に輝く。


「汝、喜びの時も悲しみの時も……」


 また始まった。化け物の癖にクリスチャンなのか、結婚における誓いの言葉を読み上げ始める。


「病める時も健やかなる時も……」


 そして、読み上げ終わったとき、ボクは捕まり血を吸われる。


「富める時も貧しい時も……」


 それでもボクは逃げる。諦め屈したとき、ボクは月が満ちるのを待たずしてこの悪魔の手に落ちるだろうから。


「これを敬い、慰め、助け……」


 全力で駆ける。邪魔なドレスは脱ぎ捨てたいが、その時間すら惜しい。


「その命ある限り……」


 それでも結局は捕まる。右手を掴まれ、強引に抱き寄せられる。

 飢えた白い牙が、ボクの首筋に喰らいつかんと剥き出される。


「愛することを誓い……」


 誰か、誰か助け……。


「い……」


 いつもならここで噛み付かれ、月が満ちていく。だが、それが止まった。


「貴様……」


 闇の影が消え、初めて吸血鬼の顔が見えた。髭を携えた東欧系の美丈夫であった。

 その美しい顔が苦痛に歪み、後ろを向いた。


「何者……だッ!」


 その憎悪に燃える瞳の先に、吸血鬼より更に暗い闇があった。


「おまえを殺す者だ……」


 その闇は名乗らなかった。その代わり、背中から心臓に刺した黒刃を薙いで吸血鬼を横に裂いた。


「さ、サイゾー……本当に……」


 来てくれたのか、と言う前に。


「すまん、遅れた」


 謝罪の言葉と共に、流れるような動きで吸血鬼からボクを引きはがした。そして、強く、強くボクを抱き留めた。


「これが件の吸血鬼か?」


 ボクを抱えたまま、心臓を突き裂いた吸血鬼から油断無く距離を取る。


「ああ、うん……」


 色々言わないといけないことがあるのに、それしか言えない。


「確認する。奴は不死だな!」


 緊迫した声だ。色んな感情がボクの中を駆け巡っているが、今はそんな場合ではない。


「吸血鬼は死なない。夢でも現でも!」


「了解した!!」


 ボクを離し、後ろに庇いながら苦しむ吸血鬼に向かって油断無く剣を構える。

 改めて見ると奇妙な剣だった。切っ先から半ばまで両刃となった曲刀で、その刀身は黒く微かな妖気を放っていた。間違いなく魔剣の類であった。


「ど、どうするんだ?」


「死なぬなら……」


 地に伏せるほど低い姿勢となった。


「滅するッ!!」


 地を滑るように、飛んだ!


「痴れ者!」


 苦しんでいた吸血鬼がサイゾーに向き直る。

 その右手には、いつの間にか側面が波打ったレイピアを握っていた。


「遅い!」

 サイゾーが剣を横薙ぐ。未だ構えきらない右手のレイピアでは防げない筈の一刀であった。

 しかし……。


「マンゴーシュ、とかいうやつか……」


 左手に持ったかぎ爪のついた防御用の小刀。その刃の間に挟まれ、サイゾーの黒刃は防がれていた。


「我が剣の贄となれ、下郎!!」


 弓を引き絞るかのようにレイピアを構えた吸血鬼が、剣を抑えられ動けないサイゾーに向かって突きを放った。


「それはどうかな?」


 左手で腰から素早く何かを引き抜いたサイゾーは、そのままそれで吸血鬼の突きを逸らした。


「十手、という」


 かぎ爪の付いた鉄棒。それでレイピアの軌道を逸らし、そしてその刀身を挟み抑えていた。

 奇しくも、似たような武器でお互いの剣を抑え合っていた。


「折れぬか……」


 マンゴーシュは相手の剣を挟み抑えるだけが全てではない。梃子の原理で挟んだ剣をへし折るまでがその能力である。だが、余程名のある魔剣なのか、サイゾーの剣は歪みすらしなかった。


「当然!折りたきゃ戦神の雷鎚でも持ってこい!!」


「ならば、このまま捻り潰す!」


 吸血鬼は怪物である。その膂力は素手で肉を裂き、大岩を砕く。

 されどサイゾーは動かない。足は根が張る如く地に食いつき、腕は太枝の如く伸びたまま。


「表面に見えるのだけが筋肉ではない。そして、筋力のみが力じゃない!」


 深く長い呼吸の音が聞こえた。それと共に、抑え込まれた剣を徐々に押し返し始めた。


「力が、上手く入らぬ……」


 吸血鬼に、焦りの色が見えた。


「もらったッッ!!」


 その隙を見逃さず、一挙に力を抜いてマンゴーシュから黒刃を解放し、そのまま横に薙いだ。

 だが……。


「吸血鬼は無数のコウモリに変化する!無理だッ!」


 サイゾーの剣が空を薙ぐのに間に合わず、ボクの叫びは虚しく響いた。

 吸血鬼の変身能力。

 四方に飛び散った無数のコウモリは、群体となってサイゾーに襲いかかった。


「逃げ……」


「無数じゃない。108だ……」


 一片の焦りも見せず、サイゾーは襲いかかるコウモリに向き直った。

 そして、躱し様剣を振るい、コウモリの群れをやり過ごした。


「まず九つ。残り99」


 ボトリと、コウモリの死体が9匹分落ちた。


「さて、燕返しならぬ蝙蝠返し、存分にご覧に入れよう」

 そこからは一方的だった。サイゾーとすれ違う度、コウモリ達はその数を減らしていった。

 だが、あと十匹足らずというところでコウモリ達の動きが止まった。

 サラサラと、風に吹かれる砂のようにその姿が消え始めたのだ。


「気をつけろ!今度は霧になるぞ!!」


 今度の忠告は間に合ったかもしれない。だが、だからといって霧を相手に何が出来るはずもない。


「逃げろ、サイゾー!」


 触れ得ない霧に剣は無力。だが、その霧は自在に牙を生やして肉を食む。

 今度こそ逃げないと死ぬ。

 だがサイゾーは動かない。懐から水筒のようなものを取り出し中身を飲み込んでから、ただ長く長く息を吐いていた。


「逃げ……」


 霧が襲いかかる瞬間、その姿が消えた。

 吸血鬼が自ら消えたのではない。

 一瞬で、サイゾーが霧を丸ごと吸い込んだのだ。周囲が真空となるほどの勢いでだ。


「嘘……」


 次の瞬間、サイゾーは顔の前で指をパチンと鳴らしながら一気に息を吐いた。

 小さな火花が見えたから指に火打ち石を仕込んでいたのだろう。

 その火花でサイゾーの息は着火し、巨大な火炎を作り出した。

 先ほど飲んだ水筒の中身は、油だったのだ。

 その火炎は人型となり、燃えながら地面を転げ回った。

 あの、吸血鬼だ。


「覚悟!」


 黒刃を構えてサイゾーが飛んだ。


「化け物が!」


 レイピアを取り出して吸血鬼が迎え討とうとする。

 だが、遅い……。


「滅せよ!!」


 レイピアがサイゾーの首筋を浅く裂き、黒剣が吸血鬼を股下から脳天まで、一直線に斬り裂く。


 今度こそ、吸血鬼はその身を保てなくなった。


「塵は塵に……」


 油断無く剣を構えながら、サイゾーは灰となって消えゆく吸血鬼を見送った。


「今宵は、ここまでだな……」


 消える瞬間、吸血鬼はそう言葉を残した。


「今宵……」


 まだ終わっていない。吸血鬼は復活するもの。

 また次の夜には、同じように襲ってくるだろう。

 でも……。


「サイゾー。本当に、本当に来てくれたんだな……」


 サイゾーに向かって駆けだした。夢の中なのに、涙が抑えられない。


「約束したろ」


 血振りし、刀を納めながら迎えてくれた。


「今まで苦しかったろ。もう大丈夫だ」


 その腕に飛び込んだボクの頭をくしゃくしゃにして撫でながら、サイゾーは優しく言った。


「奴は俺が完全に殺しきる。だから、もう何回かは耐えられるか?」


「……うん」


 子供のように頷いた。流れる涙でもうサイゾーの顔がよく見えない。


「そうか、なら……」


 そういってサイゾーは辺りを見回した。


「早く起きろ。ここは危ないぞ!」


「はっ?」


 意味が分らないボクに、サイゾーは顎で後ろを示した。

 涙を拭いて周りを見る。吸血鬼は居ない。だけど……。


「いやぁぁぁぁぁぁーーーーーッッッ!!」


 辺り一面を、亡者の群れが囲んでいた。

 いや、亡者だけではない。

 中には、角の生えた赤く巨大なオーガやミノタウロス、狼や虎、それとありとあらゆる怪物が蠢いていた。


「何!?何なの!?」


 慌てふためくボクに、サイゾーは笑いながら言った。


「こいつら俺の客だ」


 意味が分らない。


「悪夢に呪われてるのは、君だけじゃないって事さ!」


 あまりの事に気を失った。

 いや、目が覚めた。

 悪夢は、終わるようで終わってなかった……。




 朝日がボクのまぶたを撫でた。

 久しぶりの睡眠に、全身が喜びを感じているのが分る。

 ここはどこだろう?揺れてるし馬車の中かな?

 くるまった毛布が暖かい。いや、人の温もりも感じる。

 肌と肌が直接触れあい、温もりを伝え合う。

 このまま腕の中で、もう一眠り……。

 ……ん?肌と肌?

 まず自分の躰を見る。そして目の前の男の躰を見る。

 そして……。


「いやぁぁぁぁぁぁーーーーーッッッ!!」


 拳と同時にボクは飛び起きた。


「アウチッ!!」


 悲鳴と共に吹き飛んだサイゾーが、馬車の天井に天井に突き刺さってそのまま首から吊り下がった。


「ボクに何をした!変態っ!!」


 一糸まとわぬボクは、毛布にくるまって必死に肌を隠した。


「あら起きたのね。おはようモードレッド」


 馬車の外から、ミレディーが馬に乗りながら挨拶してきた。


「才蔵もおはよう」


 暢気にも、天井の上から顔を出したサイゾーにも挨拶をしていた。


「おはよう。雨は大丈夫そうだな」


 天井の上からまた気の抜けた返事が聞こえた。 


「何なんだよもー!こいつらは!!」


 毛布が落ちないように必死に抑えながら、ぶら下がったサイゾーをポカポカ殴る。 サイゾーはよく見ると下は穿いているようだが、そんな事は問題じゃない。


「ボクの純潔を、よくもーーッ!!」


「まあまあ、落ち着……フゴッッ!!」


 最後、ボクの拳が股ぐらの邪神を成敗した。


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