第1章 ロンドン塔の三悪人②……モードレッド

 ついにこの日がやって来た。

 このボク、モードレッドが死ぬ日が……。

 モードレッドとして生まれ変わり、憧れのアーサー王の下で騎士として仕える事が出来たのは至上の喜びだった。

 ボクは主の奇跡に感謝した。それが、呪いとも知らずに……。

 結局は裏切りの騎士モードレッド。仮初めの身だとしてもその業からは逃れる事は出来なかった。

 だから死ぬことに決めた。自ら魔女である事を告白して。

 クリスチャンに自殺は許されない。最も重い罪だからだ。

 自白を元に進められた裁判はスムーズだった。

 拷問もなく、唯一の希望である鎧を着たまま死ぬ事も許された。

 流石に兜は無理だったが、鎧のまま埋葬されるので女である事は隠し通せる。

 後は主の愛を信じてその身を任せるのみだ。


「モードレッド、前へ」


 三角頭巾を被った死刑執行人がボクを呼んだ。

 刑は斬首。騎士にあるまじき刑罰だが、他人に殺してもらうにはこの方法しか無かった。

 自分の望んだ事。だから大人しく刑場に登り、首を差し出した。


「何か言い残す事は無いか?」


 遺言など考えてもなかった。何かを言おうとして頭の中のボクは記憶の世界を駆け巡る。

 走馬燈と、言うのだろうか?円卓の騎士として生きた冒険の日々が泡のように浮かんでは消えた。

 楽しかった。

 舘から殆ど出られなかったが、それでも兄ガウェインには愛され、ランスロットに憧れ、多くの仲間達に囲まれて暮らした記憶は、ボクの心を痛いほど締め付けた。


「無いのか、なら……」


 執行人が斧を振り上げた。

 何か言いたい。でも、声が出ない……。

 不意に目頭が熱くなった。頬を伝う涙を感じたとき、やっと言いたい言葉を絞り出した。


「生きたぃ……」


 何もかも遅かった。

 斧は振り下ろされ、ボクは……。

 ボクは……。

 斬り落とされた、三角頭巾の首を見た!?


「え……」


 一瞬、何が起きたか分らなかった。ボクを斬るはずだった斧は、握られた両腕ごと彼方にすっ飛んでいた。


「失礼するよ!お嬢さん」


 不意に抱き上げられた。黒装束の覆面が目前に迫る。

 覆面といっても口元だけで、目元から上は見える。見るからにブリテン人ではなかく、話す英語にも若干訛りがあった。


「な、何?」


 やっと返せた言葉はそれだけ。

 それだけの言葉に、覆面の男はボクの涙を拭いながら言った。


「君を奪いに来た!!」


「えっ!?」


 奪いに。なんと素敵な言葉だろう。ボクは不覚にもときめいた。


「何者か!?」


 審問官が衛兵を数人連れて連れて駆け上がってきた。


「神聖な浄罪の場を穢して何とする!?」


「神聖な喜劇場だろ?」


 ボクを抱えたまま周囲を取り囲まれた黒衣の男は、動ずる事無くニヤリと嗤った。


「だから、道化が芸を売りに来た!」


 言い終わらない内にボクは、天高く放り投げられた。


「ええぇぇぇーーーーっっ!!」


 くるくると回転しながらボクは目撃した。黒衣の男が北斗七星を描くような不思議な歩法で動き、瞬く間に周囲の衛兵を斬り倒す姿を。

 人間業とは思えない、凄絶な剣であった。


「軍神御拝之式太刀・・・・・・」


 先ほどの技の名前だろうか、男はポツリと言った。

 格好付けているところ悪いが、ボクはもうすぐ死ぬ。

 城の壁がぐんぐんと近づいて来ているからだ。

 ガヘリス、ガレス、アグラヴェイン、それにガウェイン兄さんごめんなさい。ボクはもうすぐ真っ赤な壁のシミになります。

 そう思ってたら、ぶつかるはずの壁がもう赤くなっていた。


「オーライ、オーライ」


 壁のシミがしゃべった。


「ナイスキャッチ!」


 ぶつかる直前、ボクはそのシミに抱き留められた。


「よーぉ、怪我はないかい?」


 変なイントネーションの英語で話しかけられた。そのシミ、いやその男は最初の男とは打って変わって目立つ真っ赤な装束で目元を覆面で隠していた。


「俺は、猿飛佐助。えっと怪我は無さそうだな」


 そう名乗ると、男はニカっと笑った。


「待て、何者か知らぬがボクは正義のために死なねばならぬ。もし情によって助けたのならありがた迷惑だ。今すぐボクを放すの……」


「あ、そりゃ心配無用!」


 男はヨイショとボクを抱えて壁上に登った。


「俺たちゃ悪党。正義に縁は無い」


 こいつらただの誘拐犯だ!


「チョイとおしゃべりが過ぎたかな?」


「狼藉者!神妙にしろ!!」


 早くも壁上は兵に囲まれていた。


「諦めろ!早くボクを置いて投降しろ!」


「投降?なんで?」


「何で、だと?貴殿には周りを囲む兵が見えないのか?」


「視野が狭いなあ。もっと遠くまで見ないと」


 言って男は顔を横に逸らす。背後の視界が開けて、遠くにそびえ立つロンドン塔が見えた。

 そのロンドン塔の最上階、鐘の鳴る屋上で何かがキラリと光った。


---ドオォンッ!--- 


 その瞬間、轟音が大気を裂いた。

 同時に正面の衛兵が眉間から鮮血を咲かせて吹き飛んだ。


「狙撃兵か!」


 兵達に動揺が走る。ロンドン塔の屋上には、長槍ほどの長さを持った長銃を構えた帽子の男が、こちらを狙っていた。


「隙あり!!」


 動きの止まった兵を嗤いながら投げた。また、ボクを。


「にゃああぁぁxfdげrw!!!」


 また天高く翔んでいきながらボクが目撃したのは、火薬か何かをバラまき、動揺する周囲の兵を焼き殺す赤い影法師だった。


「次は、どこまで……」


 遠く遠く投げられ、河が見えて、橋が見えた。

 激突の寸前、気を失いかけながら落下したボクは、再び誰かに抱き止められた事に気づく。


「しっかりしやがれ、モードレッド!」


 不意に、聞き慣れた声に起こされた。


「ガウェイン兄さん……」


 テムズ川に架かる橋の上、フランス遠征に参加していたはずの兄ガウェインの、その腕の中にいた。


「兄さん、どうして……」


「弟の死に目にいなくて何が兄だ。最初からいたんだよ!」


 黒衣に身を包んだ太陽の騎士ガウェイン。長く尖った前髪をなびかせ、野性味あふれる顔でニカっと笑った。


「モル兄ぃ!!」


 もう一人いた。弟ガレス。まだそばかすの残る少年ながら、螺旋の刻まれた円錐状の巨大な槍を持った円卓屈指の騎士である。


「アーサー王に頼んで一時的に戦線を離れたんだよ!」


 今ブリテンは、フランスで宿敵のシャルルマーニュと合戦の最中である。

 決して余談の許す戦況ではない筈だが、それでも二人は来てくれた。


「ふたりとも、ありが……」


 最後まで言葉が出なかった。

 そんなボクに再び笑みをくれた兄さんは、急に険しい表情になって前を睨んだ。


「で、テメェは誰なんだ?」


 怒気を孕んだ声。その視線の先に、闇を纏ったのような男はそこにいた。

 処刑人を斬り殺した、あの最初の男だ。


「その子を、渡してもらおう……」


 血に濡れた黒刃を構え、黒衣の男は声に殺気を孕んで返した。


「テメエ、この状況で良くそんなこと吐けるな」


 よく見るとここはロンドン橋。既に前後は衛兵で囲まれていた。

 恐らく橋から飛び降りて河に逃れようと計画していたのだろうが、それを読んだガウェイン兄さんはボクの着地点に先回りしていてくれたのだ。


「テメェ、モードレッドを攫ってどうするつもりだった!?」


「その命、救うつもりだった……」


「なっ!?」


「もし、そうだとしたら?」


「ふざけてんのか!?」


「大まじめよ。貴様こそどうして奪い返す?」


「テメェには関係ねぇ!」


「殺すためか?」


「魂を救うためだ!」


「小さいッ!!」


「なん……だと?」


「愛するなら全てを救ってみせろ!」


「!?」


 思わぬ台詞に全員が声を失う。

 その静寂を男は嗤った。


「フッ……。ならばこうしよう」


 黒衣の男は、口元を隠すマフラーらしきものをはぎ取り、素顔をさらした。

 そして天高く黒刃を掲げ、高らかに言い放った。


「我が名は霧隠才蔵!我が一刀流を持って」


 掲げた剣を兄さんに向ける。


「太陽の騎士ガウェインに勝負を挑む者なり!!」

 堂々とした決闘宣言。

 そして、挑まれたなら受けるのが騎士の倣い。


「ガレス……」


「ああ、アニキ……」


 ボクをガレスに任せて、兄ガウェインは霧隠才蔵と名乗った男と相対した。


「偉大なるアーサー王の甥にして、円卓の一席たる騎士ガウェイン!」


 剣を抜き、胸の前で構える。ブリテン騎士の正式なる決闘の礼。


「受けて立とう!!」


 太陽の聖剣ガラティーンを大上段に構え、迎え撃つ姿勢を見せる。

 灼熱のような殺気が、その刀身から放たれる。あまりの殺気に弟ガレスはボクを抱えたまま大きく退った。常人なら浴びただけで気絶するほどの殺気だが、黒衣の男は難なく受け流す。

 そのまま二人は静止する。それだけで、才蔵と名乗った男がどれほどの実力者か分る。だが、それでも兄ガウェインは勝つだろう。この世界に生まれ落ちてから今に至るまで、兄ガウェインが至高の騎士ランスロット以外に後れを取ったことなど一度もないのだから。

 それでも、ひとつだけ不安がある。


「兄さん、太陽が……」


「黙ってろ!」

 もうすぐ日没。兄ガウェインは太陽が昇ると共に力を増し、それが頂点に達する時には3倍もの力を得ることが出来る精霊の加護ブレシング を受けていた。

 だがそれは、日没にはその力が最盛期の3分の1に落ちる事を意味する。


「大丈夫だよモル兄ぃ。アニキが負けるはずは無いよ!」


「う……、うん」


 例え日没後でも、決して曲者などに後れを取る兄ではない。だが、消えない不安がどうしても顔に出ていた。


〈ボクは、何を恐れている……〉


 思い浮かぶのは、兄ガウェインがサイゾーとかいう男を斬り裂く光景のみ。だが、その光景こそボクを不安に駆り立てた。


〈そもそもボクは、誰の心配をしているんだ……?〉


 混乱する頭の中を、ある一言が絶えず反響した。


―――愛するなら、全てを救ってみせろ!―――


 力強い言葉だった。


〈ボクは、何を……〉


 その刻、鐘が鳴った。


―――ゴーン―――


 教会から響き渡る鐘の音が大気を揺らす。

 その僅かな振動が、二人の剣士を同時に動かした!


「ウォリャアァァーーーッ!!」


「粗い!」


 大上段から振り下ろされたガラティーンを黒刃で流し、サイゾーが懐に入る。

 そのまま下段から胴を薙ぎ払うかに見えたが……。


「甘えぇー!」


「ムグッ!」


 振り下ろした勢いそのまま、兄はサイゾーの頭蓋に頭突きをかました。

 この荒々しさこそ、兄の剣であった。

 絶好の機会。後は斬り上げて終わり。

 その筈が……。


「ゲホッ!」


 ガラティーンは血に濡れることなく、サイゾーが後ろに飛び退くのを許していた。


「足癖悪ぃな、テメェ」


 頭突きを受けた瞬間、サイゾーは咄嗟に相手の腹を蹴り上げその勢いと反発を利用して後ろに飛んでいた。


「貴様こそ騎士とは思えぬ荒さだな」


「褒めてんのか?」


「そうだ」


 軽口を叩いたはずが、そのまま返された。


「では、最大の敬意を込めて」


 サイゾーが担ぐようにして剣を構える。


「騙し討つ!」


 投げた。ただ一本の黒刃をまっすぐ。


「舐めんな!!」


 ガラティーンを左手で払って黒刃を弾き飛ばす。

 その隙に急接近したサイゾーが、掌底を突き上げていた。

 一瞬遅れて右の拳で迎え撃つガゥエイン。

 互いの右手が交差し、掌底は腹を、拳は頭を捉えた。

 肉弾戦ともなれば大男の部類である兄ガウェインが、やや小柄とも見えるサイゾーに負けるはずはない。

 だが、轟音と共に吹き飛んだのは兄ガウェインであった。

 肉がぶつかった音ではない。

 見ればサイゾーの足下の石畳が、大きな亀裂と共に砕けていた。

 恐らく、地を砕くほどの踏み込みを必要とする何らかの奥義を使ったのだろう。


「この野郎ぉッッ!!」


 即座に跳ね起きた兄ガウェイン。左手の剣は離していない。


「もう遅い!!」


 サイゾーが追撃する。まっすぐ駆けながら、左手をクイッと引く。するとまだ中空にあった刀が、跳ねるようにして戻ってきた。細く丈夫な糸を結びつけていたのだ。

 黒刃を掴み取り、そのまま体制の整わない兄ガウェインに斬りかかる。


「テメェ、倍返しだ!!」


 不利な体勢ながらガラティーンが押し返す。膂力は兄が上だ。

 だが、サイゾーは不敵に嗤う。


「いや、俺の勝ちだ」


 不意に力を抜いて剣を流した。

 まっすぐこちらを向く。そう、気が付けばボク達の真横まで来ていたのだ。

 眼と眼が逢う、その瞬間……


―――ドオオォォォォーーーーンッッ!!―――


 天を裂く轟音と爆発が、橋を落とした。


「テメ、これが狙い……」

 兄ガウェインが落ちた。

 囲んでいた衛兵も、ボクを抱えていたガレスも落ちた。

 このまま手足を縛られたままのボクも河に落ちれば、助かる術はない。

 嗚呼、結局は魔女裁判はここで成るのか。


「掴まれ!」


 絶望に堕ちようとしていたボクを、力強い声が引き留める。


「生きるぞ!」


 その言葉に、思わず手を伸ばした。

 縛られたままの両手を掴んで引き寄せ、そのまましっかりと抱き締めてサイゾーは言った。


「水は飲むなよ!」


「えっ?」


 最後の一言を理解する前に、ボク達ふたりは少し遠くの水面にドボンと落ちた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る