第15話 逃走

 携帯端末オーパスが手の中で振動している事にも気づかないユウタは、目の前で起こる破壊という名の竜巻を目で追い続けていた。


  直立すれば六十メートルはありそうなシルバーバックは、ナックルウォーキングで地面を陥没させながら悠々と歩き、目の前の車も人も等しく潰していく。


  段々と距離が縮まっているのが分かっていても、ユウタは金縛りにあったように動けなかった。


  足が地面に縫い付けられた様に固まり、瞬きする事を忘れて乾ききった両目が、迫る巨大な鋼鉄のゴリラを仰ぎ見る。

 

  ユウタの後方で、砲撃音が二回轟き、その音で金縛りが解けた。


  音速を超えた砲弾が、ほぼ同時に二発シルバーバックの胴体に着弾。


  振り向くと、そこにいたのは履帯を軋ませながら走るDH-ティーガーだ。


  先程10式戦車と競争していた戦車だろう。


  たった一両しかいなかったが、殺戮ロボットを止めようと砲撃を繰り返す。


  砲撃は全て命中するが、シルバーバックには傷ひとつ付いていなかった。


  シルバーバックは次の獲物を戦車DH-ティーガーに決めたようだ。


  両手両脚を使い、まるで四足歩行の肉食動物の様に走る。


  DH-ティーガーは砲撃しながら距離を取ろうと、全速で後退するが、すぐに追いつかれてしまった。


 シルバーバックの鉄球のような拳から、三本の爪トライクローが現れ、割り箸の様に細い二本のレールガンを鷲掴みにする。


  そして仕事熱心にカメラで一部始終を撮っていた報道関係のヘリめがけて投げつけた。


  DH-ティーガーをぶつけられたヘリの胴体は二つに割れ、メインローターが回転しながら吹き飛び、戦車と一つの残骸になって墜落し、爆発炎上。


 シルバーバックは炎に照らされながら、一つ目のような胸の赤い球体を、次の獲物を探すように動かし、ある一点で止まる。


 ユウタは気づいてしまった。


「ああ、ああああ……」


  僕を、見ている。


  シルバーバックが一歩一歩近づいてくるも、地面に縫い付けられたようにユウタは動けない。


  身体は震え、歯の根がかみ合わなくて火打石のように鳴り続ける。


  脳が早く逃げろと命じているのに、身体は言うことを聞かない。


  あと三歩も近づかれれば、判別できないほどすり潰されるか、殴り飛ばされて全身の骨を砕かれるだろう。


  あと二歩まで迫って来た。このまま立ちすくんでいれば確実に死ぬ。しかし身体は動かない。


 あと一歩まで迫ってきた時、左肩を掴まれ後ろに引っ張られた。入れ替わるようにアサルトライフルを持った数人の歩兵がユウタの前に出る。


「もう大丈夫だ。早く車に乗るんだ」


  助けてくれたのは防衛軍の兵士だった。


  ユウタを半ば引っ張るように、陸軍で使われている高機動車の助手席に乗せ、運転席に滑り込む。


  運転手を認識したAIが起動し、機械的な男性の声を発する。


『どちらに行きますか?』


「ここから一番近い地下鉄へ向かってくれ」


『目的地を設定しました。シートベルトを締めてください』


  非常事態なのに、勤めて平静なAIの対応に、兵士は苛立ちを隠せない様子で、ハンドルを叩く。


「締めた締めた。早く出してくれ!」


『出発します』


  ユウタが乗せられた車が動くまで、後ろから散発的な銃声が聞こえていたが、爆弾が落ちたような轟音にかき消されてしまった。


  ユウタは後ろを振り返らずに頭を抱える。何が起きたかなんて確かめたくなかったからだ。


  一体何が起きてるの? これは夢? 現実だったら誰かあいつを何とかしてよ!


  ユウタは心の中で助けを求めるも、映画のように力のある存在が颯爽と現れるはずもなかった。


  何度も後ろを振り返っていた兵士がユウタの左手を指差す。


  「君、大丈夫か? 電話が鳴ってるみたいだぞ」


  そう指摘されて、初めてユウタは左手に握りしめたままのオーパスが振動していることに気づいた。


  電池残量が極小と表示された液晶を確認してすぐに電話に出た。


  自分から声を出す前に、切羽詰まった声が耳を突き抜けて行く。


『ユウタ! ユウタ無事なの⁉︎』


  それはアンヌからだった。母の声が聞けて、ユウタの涙腺が崩壊する。


『テレビ見てたら、ユウタの行ったイベント会場で事件が起きて、警報もなって……電話かけてもユウタ全然出てくれないし……ねえ大丈夫なの? 返事して』


  返事しようとするが、涙と鼻水が邪魔してうまく喋れない。


「うん……うん。僕は大丈夫だよ。今防衛軍の人の車に乗って避難してるから」


『そう。無事なのね。フワリちゃんも無事? 二人とも一緒にいるの?』


「あっ……」


  ユウタは、今の今までフワリのことを忘れていたことに初めて気づく。


『どうしたの? 一緒じゃないの』


「そ、それが、途中で別れて一緒じゃないんだ」


『そんな……こっちから電話しても繋がらないの。ユウタの方で連――』


「母さん? 母さん!」


  突然電話が切れた。何度呼びかけても反応はない。液晶を見ると真っ暗になっていた。


  しまった。充電切れたんだ! それよりフワリ姉を探さないと!


  ユウタはフワリがいたであろうセフニャーショーの場所を思い出すと、前の座席に座る兵士に話しかけた。


「あのすいません。僕と一緒に来た女性がいるんですが、逸れてしまって連絡つかないんです」


「その女性がどこにいるのか分かるか?」


「えっと、セフニャーの着ぐるみショーをやってたところにいると思います」


  兵士はしばらく唸ってから答えを出した。


「難しいな。奴はそっちに向かっている」


「えっ?」


  ユウタが後ろを見ると、シルバーバックはフワリがいるであろうセフニャーショーの会場がある方向に歩いていた。


「まず君を安全なところに避難させて我々が救出しに行く」


「そんな。先に助けに行ってください!」


「駄目だ。君を安全なところに送ってから装備を整えて救出しに行く。必ず助けるから信じてくれ」


  嫌だ。このままじゃフワリ姉が、フワリ姉が死んじゃうよ!


  心の中で叫んでも車の進行方向は変わらなかった。




  会場の出口に向かっていく途中で、車の速度が段々と遅くなり、ついには止まってしまった。


  前を見ると、同じように逃げようとした人や車が詰まって大渋滞を起こしていた。


『前方に歩行者を感知』


  AIは自分に課せられたルールを従順に守り、停車してしまう。


 今しかない。


「あっ、君!」


「ごめんなさい! フワリ姉を置いてなんていけないんです!」


  ユウタは兵士の制止を聞かずに、後部座席のドアを開けて外に飛び出した。  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る