第7話 いにしえの魔術

 強い水の流れに身を揉まれながら、アリシアは絶対に離すまいとアレンの体を掴む。


 息継ぎも出来ず、意識が朦朧もうろうとしてきたところで、足が川底に着いた。


「ぷはぁ!」


 新鮮な空気を思い切り吸い込み、体に絡みつくローブを脱ぎ捨てた。そしてアリシアはしっかりと掴んでいるアレンと供に川辺へと向かう。


 ぐったりとしている彼を、上陸した川辺に横たえる。


「大変だ……息をしてない……」


 アリシアは普通の回復魔法を使えない。とりあえず救命処置きゅうめいしょちをと彼の体を見ると、装備したアーマーが大きく凹んでいた。


「これのせいで息が」


 急いで胸を圧迫していた装備を外し、アレンの頭を横向きにする。水を吐く様子もなければ息をする様子もない。


「……っ」


 これからする事を想像したのか、アリシアの顔が赤くなる。


「何恥ずかしがってるの、そんなのんきなこと考えてる場合じゃないのよ」


 そう言い聞かせ、アレンのぼろぼろになった服をいだ。


「───」


 アレンの体は、見た目よりも相当鍛えられていて、体のいたるところに古傷があった。


 その古傷とは別に、体のあちこちにどす黒いあざが浮かんでいた。間違いなく何本もの骨が折れている。その痣だらけの胸の辺りにアリシアは両手を添えた。


「痛いかもしれないけど……我慢して下さいね」


 全体重をかけて、胸骨圧迫を開始する。幼い頃に学んだように手順を踏み、人工呼吸も頬を赤く染めながらも懸命けんめいに行う。


「お願いっ。息をして下さいっ」


 どれだけの時間が経っただろうか。中々息を吹き返さないアレンの胸を、アリシアが思いきり叩いた。すると。


「ゲホッ、ゴホッゴホッ」


 少しの水を吐き出しながら、アレンが咳き込んだ。彼の吐き出したものには血も混じっていた。


「アレン!」


 急いで彼の体を再び横に向け、喉に水が詰まらないようにする。何度か声をかけるが反応はない。呼吸は戻ったが、意識が戻らない。


 今思えば当たり前だった。明らかに、ダメージが大きすぎるのだ。彼の体内は恐らくボロボロになってしまっている。


「このままでは……」


 アリシアはアレンの体を抱えて川辺から森の中へと進み、一本の大きな樹の根元に彼を横たえた。彼の命を助ける方法を、彼女は知っていた。


「アレンの命を助けたいんです……。貴方の命を……お借りします」


 そっと樹にささやくアリシア。今までローブに隠されていた、白い陶器とうきのような美しい肌をした腕。その手首の辺りには特徴的なタトゥーがられていた。


 それは、樹をモチーフにしたデザインの、ドルイド一族の紋章もんしょう


 樹の枝を一本折り、折れた部分のとがった切り口で自分の腕に傷を入れる。その血で樹の幹とアレンの胸に同じようにルーンを描いた。流されている途中で杖を手放してしまったので、使った木の枝で代用する。


「──森は生命いのち神殿しんでん。生命は万物に。万物は個に。個は我。我は森の一部」


 ポゥ、と。アリシアのタトゥー、木とアレンの体に描かれたルーンが怪しく光る。


「──我が同胞どうほうの命を救うため、貴方の命を同胞の中へ。貴方は同胞の中に生き、同胞は貴方と供に生きる」


 それは、ドルイド一族の秘術ひじゅつ。森とともに生きる彼らにのみ扱うことのできる、いにしえから伝わる魔法。


 樹が、少しずつではあるが確実に、枯れていく。


 そして樹が枯れるにつれ、アレンの体の痣が消えていった。命が、大樹に宿った命がアレンの中へと流れていく。


「本当に……ごめんなさい……。ありがとう……」


 大樹が完全に枯れた頃には、アレンの体の傷は完全に治っていた。


 森での暮らしを捨て、街へ出たアリシアに、この術が使えるのかはわからなかった。しかし、術は発動した。森が、アレンに命を譲った大樹が、アリシアを森の同胞だと認めたのだ。


 儀式が終わり、彼女がアレンの側に寄り添って座っていると、直に彼が目を覚ました。

「ん……お前、何泣いてんだ?」


 赤くなったアリシアの目を見てアレンが訊いた。起き上がると、彼の体を覆うように振り積もっていた枯葉がカサカサとなる。


「別に何も。目を覚まして本当に良かった」


 違和感を感じて、アレンは周りを見渡す。不自然に、彼らの周りに枯葉が落ちている。


 目元を拭う彼女の腕のタトゥーと、一本だけ不自然に枯れた樹がアレンの目に入った。

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