マイタイム

 ある夜、「オリオン」にフラッと寄った時のことだった。

既に22時を回っている。カウンターでマスターお任せのアイラスコッチを楽しんでいたら、珍しく良く知っている地元の人が入ってきた。

ヒロシの愛犬がいつもお世話になっている動物病院の院長先生だった。この先生の診察・治療の腕は良く、地元では一番人気の獣医である。研究熱心で本を書いていたりテレビにも良く出ていたりする。高尚なイメージがあったので、飲み屋に来る人とは到底思っていない人であった。


人間的にとても温和で話しやすい先生である。しかし、その日お店で会った際には、ヒロシを確認したその表情に仕事のことは話題にしたくない雰囲気を感じさせた。まぁここでペットの飼育の相談などされたくないだろう。ヒロシは自分の犬のことなどは話題にしないようにして話しかけてみた。

「ご自宅はここらへんなのですか。」

「すぐ近くなんですよ。」

「このお店、良く来るんですか。」

「英会話を駅近くでやっていてね、その帰りに寄るんですよ。」


ヒロシは、少しだけ突っ込んで聞いてみることにした。

「昼は、立ちっぱなしの仕事でお疲れですよね。結構、遅くから飲むんですね。お体は大丈夫ですか?」


この質問に一瞬の考え事の間があり、そして・・次に先生が言った言葉がヒロシの心に刺ささった。


「仕事は確かに疲れますね・・。でも、今ここの時間がね、仕事からも、そして家庭からも解放される唯一の時間なんですよ。このお店、気遣いないでしょう、静かに飲めるし。だから・・、この時間とこの場所が、僕の『マイタイム』なんですよ。 」


と、にっこりした。動物医療の世界では著名な大先生が喧騒から離れたいこともあるんだと、自分を見せた瞬間であった。

そうか・・『マイタイム』か。


 ヒロシにはこの言葉がとても気に入ってしまった。ヒロシにとっても『マイタイム』の場所とさせてもらおう。


 ヒロシは今も「オリオン」に月に2回ぐらいフラ寄りする。この店で動物病院の先生とは半年に1,2回会うか会わないかだ。会ってもお互い会釈程度。因みに、最近は毎週、愛犬を病院に連れて行くので、その都度、病院では先生と会っている。動物病院で会う方が圧倒的に多い。でも、病院ではBarのお店の話はしない。スタッフや他のお客様もいるからということもあるが・・。

 だって、先生の『マイタイム』を邪魔することはできない。そして・・ヒロシも『マイタイム』を大事にしたいのだ。


なんとなく、2人の楽しい秘密になっているのであった。

(了)

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人間模様13 マイタイム herosea @herosea

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