マスターの店作り
ヒロシはその店が大変気に入った。気紛れに不定期ではあるが、少し離れた東急の別線の駅におりてこの店に寄り、マスターお任せで1~2杯のスコッチを飲んで帰ることが増えていった。
このお店はお客さん同士が実にあっさりしている。仲間と連れ立って来る人は少なく、皆、バラバラで示し合わせもせず来る。この店で知り合いになった人と会ったとしても「来るの遅いよ」とも言われないし、「もう、帰っちゃうのかよ」とも言われない。
じぁー、客同士何も話さないのか・・、そうでもない。知らない人でも挨拶は気持ち良く交わされるのが気持ち良い。
「コンバンワー」「オッス!」「久しぶりー!」「どうもー」「いただきまーす」「乾杯?」。
「お休みー!」「またねー」「お疲れさんー」。
この挨拶がどこか気持ち良い。
1人でゆっくり飲んでいても何も言われず、でも、話したければ客同士も話をホドホドする。途中でまたゆっくり1人で飲み出してもそれはそれ。サバサバしているといえばそうかな。皆、ここらへんに住んでいる客だろうけど、深い仲を感じない。ほど良い距離間をが居心地良い。
客がヒロシ1人の時に、そういう客間の距離についてマスターに聞いてみたことがある。マスターからは意外な返答がきた。
「それはね、僕がそういう店の雰囲気作りをしているんですよ。」
ヒロシにとっては驚くことだった。どういうことか最初は理解できなかったが、何度が通ううちにマスターの接客をみていてなんとなくわかってきた。
マスターは寡黙で自らはあまりしゃべらないと思っていたが・・、そうではなくて徹底して個々の客に合わせて接客をしていたのだ。だから相手が喋らなければ黙っているし、相手が話題を振ってくればそれに付き合う。そしてさらに興味深いのは、客が求めてなければ・・、客と客とを繋ごうとはしないところだった。
冒頭に引き合いに出した女主人のいるバーとは正反対であった。女主人のバーは、
「こちらの方は〇〇の方で・・」
「こちらの方もゴルフをやられるようで・・」
と、客同士を紹介に持っていく接客をする。だから、店全体が仲良しムードになるところがある。これはこれで客にとって面白いが、時には人間関係が面倒臭いと感じることもある。
たとえば、ゴルフを店の客でやろうと盛り上がったりして面白いが・・、ゴルフの話題から遠い客はこの店は面白いと思いつつ、仲間に入れる感じてはないと思ったら、タイミングをみてそそくさと勘定をして去って行く・・。
「オリオン」のマスターは、客同士を積極的に紹介することはしない。一見、話下手のように見えて、実は、客一人一人を大切にしているということが後々良くわかった。だから「オリオン」には、老若男女、1人客が多く、さらに客が常連化するところがあった。ヒロシもその1人になった。
「オリオン」にヒロシが通いだしてから2年が経ったころだった。
別駅商店街の飲み屋横丁一体が再開発で取り壊され、マンションに変わることになったらしい。その噂が聞こえてきたと思ったら、すぐに取り壊しの工事が始まってしまった。それとともに一通りの飲み屋は立ち退きとなった。「オリオン」もなくなってしまった。
ヒロシは、マスターとも別れの挨拶もできずだった。風の便りでは、マスターはどこかでまた小さなスペース借りて店を始めたとか、川向うに戻って元の場所でやっているとか聞こえてきたこともあったか・・、いつの間にかヒロシの記憶からはすっかり忘れ去られていった。
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