第四十七話 結城神子と────

 光を見た。──その後、何も聞こえなくなった。ただ、今自分の意識は現実世界にないのだというのは理解ができた。


 ──大丈夫?


 そうでもない。体に力が入らないから、立とうにも立てない。目を覚まそうにも瞼が開かない。


 ──手、貸してほしい?


 ……それはダメだ。手を借りては行けない、これは自分の力でやることだと思っている。そうでなければ意味が無い。

 それより、お前は誰だ。


 ──僕は、君だ。


 ……? 私の影である黒い妖狐は倒した。もう存在していない。それに、私の一人称は僕ではない。お前と一致している特徴は何一つない。


 ──なら、お互いに姿を見せよう。


 その言葉と同時に、重たかった瞼が軽くなる。私はゆっくりと閉じていた瞼を開ける。


「ここは……」


 視界の中に現れたのは、私がいた神殿でもなく森の中でもない。見覚えのある天井に家具、木造建築の家にありがちな木の匂い。

 ……これだけの特徴があるのに、これだけの懐かしさを感じるのに、ここがどこかがわからない。


「……こっち」


 少年の声が聞こえる。振り返り部屋の扉を開ける。その後に続く階段を降り、一階の居間へ向かう。

 居間に続く扉を開けて中に入った途端、一瞬視界が白くなる。ノイズのような不快音が一瞬だけ頭に走る。


 ──いい学校に行って、いい仕事につくのよ。


 不快だ。この声を聞くと、この言葉を聞くと、どうしても腹が立ってくる。知らない……いや、忘れた声なのに。


「母親だからって、僕の生き方を決める絶対的な権利はないのにね」


 ──そうだ。この声は私の母のものだ。いつからか父が姿をくらまして、そこから母は何かに取り憑かれたように僕に英才教育をさせようとしてきた。

 今になって改めて考えてみると、少し母からは競争心のようなものがあった。それがきっと、父の失踪と何か関係あるのだろうと思うが、真実は子供の私にはわからない。


「次、行こうか」

「っ……!」


 その言葉と同時に辺りが光によって眩しくなり、反射的に目を閉じる。


 次に開くと、そこは先程までの家ではなく、同じくどこか見た事のあるような雰囲気を醸し出す建物の中であった。目の前に一つ部屋があり、その上の板には数字が書かれている。


「………教室」


 ふと、そんな言葉が出た。頭で考えてはいないが、何故か無意識に口に出た。やはり私は、ここを知っている。

 その瞬間、またもノイズが走る。


 ──すぐ怒る。見せつけるように真面目で、やっぱり気に食わない。


 私がこの手で殺した誰かの声がした。名前は母の時とは違って思い出せない。だが、身近な人であったことだけはわかった。


 ──怒らせると面白い。いい暇つぶしになる。


 怒りやすい、というのは彼らが何となく私に対して気に食わないという感情を自然と抱くように、自然と出た感情だ。嫌なことをされて怒らないのは、よほどの人間好きか感情を持たない者だけだ。むしろ、怒った方が人らしいではないか。

 彼らが求めたのは自身が面白く感じるもの。即ち、玩具だ。だから私は、人らしく生きようと抵抗した。


 だけどそれは無意味で、結局私は心無い一人の人間に成り果てた。


 どうして、今更こんな心苦しいものを見せられなければならない。忘れたかった記憶、既に消え失せた記憶──どうして、無理矢理にでも向き合わなければならない……?


「君は、忘れては行けない。思い出さなければならない。この記憶は、────と結城神子を形作るための欠片だから」


 よくわからない。私は私だ。もう既に出来上がっている。これ以上、私を構成する物はない。


「逃げてはいけない」

「……逃げてない」

「嘘。本当は君だって、心の奥底では思い出さないといけないって思ってる」

「………」


 全ての私としての存在を犠牲に、自身との戦いに勝利した。だがその戦いの裏には、私を形作っていた様々な要素がある。それは、私が存在するために必要なもの。それを取り戻そうとするのは、当たり前だ。


「ここは学校。僕が人間に憎しみを感じ始めたきっかけのある場所」

「……そいつらは、私が殺した」

「殺したから、何?」

「………」

「殺された者達の魂が消滅することは無い。この星を巡り、再び別の生を受ける。彼らにその時の記憶がなかったとしても、彼らがいたこの場所、この時間を、忘れてはいけない」


 だけど、やっぱり忘れたい。覚えていても苦痛なことは捨てたい。そんな嫌なところまでを、私は取り戻したいとは思わない。


 ……でも、そうせざるを得ない。その記憶があってこその私という存在だ。その欠片か一つでも欠けてしまえば、それは私ではない別の誰かだ。


「……次、行くよ」


 そうしてまた辺りを光が覆い、私は目を瞑る。


 次に目を開けると、そこは先程までいた場所とはまた違った雰囲気を感じた。周りを見渡すと、そこには西洋風の作りをした壁に床──私がこの世界に来た時にいたあの城だ。


「………」


 ここは、少しずつ私の記憶が戻ってきたのか、うっすらと覚えている。だけど、肝心な何かを思い出せない。

 ……また、ノイズが走る。


 ──強くなるためには、仲間さえも利用しろ。


 この言葉は確か、あの王国一の剣士の男の言葉だ。強くなることにしか生き甲斐を感じられない、少し悲しい男だ。


 ──もう少し、自分を出してみてはどうだい?


 これは、私を信じてくれていた人の言葉だ。人形のように生きていた私に助け舟を出した、唯一の人間だ。


 どちらも、私を強くしようとはしていた。だけど、その方法が合わなかった。その時既に、私は治しようがない程にまで壊れていたのだから。


「壊れた人形に言葉をかけても、帰ってくるのは無言の答え。人間と人形はお互いの意思疎通なしに分かり合えない。だけど、それは人間同士でも異なる種族同士でも同じこと」


 言葉が通じなければだとか種族が違うからだとかではない。根本的に、相手を信じようとしていないから、争いや対立は起こる。だがそれが、生き物としての性であり、生き物を構成する欠片の一つだ。

 だからこそ、それぞれの意思が必要だった。分かり合おうとする、そういう意思が。


 だがそれは遠い理想であり、現実では絶対に起こらないことだ。だからこそ、私達がこうやって別の世界から呼び出された。勝利者こそが正義のこの世界で確実な勝利を得るために。


「その考え方は、種族が変わっても捻じ曲がることはなかった」

「……どの世界にいても、常に身近にあったことだから」

「……次」


 もう説明は不要だと一言で済ます。その後、辺りが眩く光り、私は目を閉じる。


 そこから何度も繰り返す。見覚えのある場所に着き、ノイズと共に声が聞こえる。そして、また光によって目を閉じ、その目を開けば別の場所にいる。木造の家、市場、崩壊した人間の町、大木など様々だ。そしてそれを見ると感じる懐かしさから、恐らく私が一度でも行ったことのある場所なのだろう。


「──次で最後」

「………」


 ここまで様々なものを見た。それと同時に、神子としての記憶はほとんど回復した。だが、まだ思い出せないものがある。


 ──私は結局、誰なんだ。


 大体の記憶を思い出した。だが、それだけがわからない。────としての記憶を持つ私が本当の私なのか、それとも神子としての記憶を持つ私が本当の私なのか。


 ……わからない。わからない。全然、わからない。記憶があるだけで、私は誰なんだ!


 理屈で君は誰々だ、なんて言われても理解できない。心の奥底でそれを納得することを拒んでいる。

 考えれば考えるほどに頭が痛い。気分が悪い。早くここから逃げ出したい。


「──目を開けて」


 ……言われたままに、目を開ける。しかし、目を開けた先には、最初にいた場所のような真っ白な世界が広がっていた。

 何も変わっていない。私と同じだ。


「そう、君はあれから何も変わっていない。少なくとも、精神面では」

「……どういうこと?」

「まだ誰かを受け入れることを恐れている。君はまだ子供なんだ」

「……だって、受け入れようとしても、みんながみんな、それを利用する。私だけが受け入れようとしても、それを相手が望まない」


 受け入れてくれない。私が例え本気で信用しようとしても、誰も応えてくれない。私は孤独だ。誰からも愛されず、生き続けるしかない……。


「──本当にそう?」

「え……?」

「君を受け入れない人は、本当にいない?」

「………」


 ……胸がソワソワする。何か、何かを私は、必死に思い出そうとしてる。確かにいたはずの、あの人を。あの、私を救ってくれた人間と妖狐。顔はうっすらと出てくる。だけど、名前が途切れ途切れにしか思い出せない……!


「落ち着いて。焦る必要は無い」

「……うん」


 深呼吸をして、もう一度記憶を探る。


 もうどうでも良くなったあの時に、手を差し伸べてくれたあの人は、─狐様。そして、私を最後まで信じてくれたあの人は、ミ─さん。


 ダメだ。どうしても、あと少しのところで霧がかかる。あと少しだけでも、何かきっかけがあれば……。


 ──神子。


「──!」


 声が聞こえた。優しく、落ち着く声。この声を、私は知っている。忘れるはずもない、あの人の声。


「……仙……狐」


 ──そうだ、あの人の名前は、仙狐……仙狐様だ。そして、もう一人の人間の方は……ミラだ。


「……何か、約束してた」


 必ず成し遂げる必要のある約束は、私はしていた、その約束を果たさないといけない。それが、私のやるべきことだ。


「……ようやく、神子としての君を取り戻したね」

「結局、私は誰……?」

「君は僕──藤橋優希であり、妖狐の結城神子でもある。どちらかなんて考えても、出てくる答えは

「両方……?」

「僕は君の藤橋優希としての人格。そして君は結城神子としての人格。それら二つが合わさって、初めて真に君の魂は全てを取り戻す」

「……」


 全てを取り戻した先に、何があるのか。本当の私とは一体何なのだろうか。


「……だけど」

「……?」

「僕はもう、表面上には出られない人格だ。僕と一つになっても、結城神子としての人格に藤橋優希としての記録が戻るだけ」

「それじゃあ、死んだも同然……」

「いいや、それは違う。僕は君の中で生き続ける」


 そしては、私に手を伸ばす。


「君がこの手に触れれば、僕は君と一つになる」

「……本当にいいの?」

「覚悟を決めた。それに、そうあるべきだと、僕は思ってる」

「……わかった」


 彼の差しのべた手を、私はそっと触れる。その瞬間、から白い光が現れ、それが私の中へと入っていく。その時、の姿は段々薄くなり、次第に消えていく。


「君は一人じゃない。周りに敵だけでなく味方もいる。君はもう、玩具だったころの僕じゃない。この世界で生きる、結城神子だ」

「────」


 は透け始めた体を動かし、私をそっと抱きしめる。その時私はその行為に、何処か懐かしさを感じた。


 ──さあ、帰ろう。君を待つ場所へ。


 そして、は完全に私の中へと入り、その姿を消した。


 その瞬間、今まで穴が抜けたように無くなっていた記憶が、全て元に戻った。かつての自分に関しての記憶を。

 私はこの記憶を持ちながらも、生きなければならない。前を向いて、ただひたすらに。


「……帰るよ。言われなくたって」


 私は、この白い空間を歩き始め、意識の扉を開けて外へと出た。




 ──そして、目が覚めた。


 暗い夜の中、視界に入ってきたのは見慣れた天井。どうやら私は、この部屋で眠らされていたようだ。

 かけられていた毛布を退かし体を起こす。何故だろうか、とても気分がいい。


「……すぅ……はぁ」


 めいいっぱい空気を吸って吐く。この懐かしい空気、とても癒される。約束を果たすため、仙狐様の元へ行こうと立ち上がろうとした時、突然部屋の襖が開いた。

 そこにいたのは、急いで来たのか息を切らしている仙狐様であった。


「………」

「……あの、仙」


 ──その刹那、仙狐様が突然私に向かって走ってくる。そして、私の体に飛びついてくる。その反動で、起き上がっていた体が押し倒される。


「……やっと、帰ってきおって……!」

「……ごめんなさい」

「謝るな……いや、やっぱり謝れ。今までの分、きっちり謝れ」

「……ふふっ」

「な、何がおかしいんじゃ!」

「別に。ただ、やっぱり私は、仙狐様のことが好きなんだなーって」

「……神子、なんだか雰囲気が変わったな」

「まあ、色々ありましたしね」


 胸が痛い。でもこれは、今までの苦しみではなく嬉しさによるもの。それに加え、涙が溢れるように出てくる。ここまで歓喜に満ち溢れるのは、生まれて始めだ。

 すぐ隣から、隠すように鼻をすする音が聞こえる。チラッと見てみると、仙狐様が涙を流していた。しかしその表情は、とても嬉しそうだった。


「……おかえり、神子」

「はい。結城神子、ただいま戻りました」


 仙狐様が抱きしめている力を少し強める。私はそれに応えるように、仙狐様をぎゅっと抱き締め返した。


 そんな私達を、部屋に射し込む星々の光が照らしていた。私はこの時の光り輝く満天の星空を、生涯決して忘れることはないだろう。

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