第四十八話 全てを知ったその先に

 ──森をウルに乗って駆ける。その背中はとても暖かい。


「……ここも、静かになりましたね」

「あの一件から、色々変わりましたし」


 生き物の声があまり聞こえない。みんな私がいなかった五年の間に住処を移動させたのだろう。


 そう、私が、そうせざるを得ない状況を作ったのだから。


「………」

「大丈夫ですか?」


 無意識に心配させるような表情をしていたのか、ウルが心配してくる。


「……大丈夫。もう、そのことからは逃げないって決めましたし」


 この森に帰ってきてからは今まで自分のしてきた罪を認め、今度こそ殺される覚悟で大エルフと猫神の元へ一人で行った。もしあそこで、仙狐様もついて来ていたら、私のこの覚悟が揺らいでしまう。

 殺されてもおかしくないその訪問の結果は、殺されはしなかったものの相応の罰を与えられた。その罰とは暴力的なものではなく、これからの生き方についてのものだ。

 一切の武器の使用を禁止。妖術の使用を禁止。この森の外に行くことを禁止、などの私がこの世界でいる上での制約を設けられた。そしてその制約は、魔法の秀才である大エルフが私に対しての呪いとして施された。もしもその制約を破れば……何が起こるのかは具体的には知らされていない。

 その日仙狐様の元に帰ってからはかなり心配されたが、私の覚悟については仙狐様も理解してくれた。


「逃げることは自分を守る行為ですけど、自分を守ってるだけじゃダメなんです。逃げてたものから目を逸らさず、ちゃんと見ることも大事だって気づいたんです」

「……貴方と出会った時から、随分と成長されましたね」

「そう、ですか?」

「はい。言っては失礼ですが、あの時の神子様は自分を守ることで精一杯。自分が何のために生きてるかをずっと彷徨い続けてる感じで、まるで生きる屍のようでした」

「生きる屍って、そんなに酷かったんですか……」


 生きる屍とは即ちゾンビ。それと同じくらいだったなんて印象を与えていたのか私は。なんというか、少し昔の自分に対して喝を入れてきたい。

 まあ、あの時は喝を入れられないくらいの生き物だったから意味ないだろうけど。


 そう考えればウルの言う通り、こうやって自然を感じられるようになるくらいに、私は成長できているのだろう。


「そういえば……」

「ん?」

「その首に掛けてるは何ですか?」


 ウルが私の首飾りを見て質問してくる。その首飾りに付いている刀の刃は、透き通った翡翠色で陽の光に照らされ輝いていた。

 私はそれを手に持ち、目の前まで持ってくる。


「その首飾り、昨日は着けてませんでしたよね?」

「だって今日初めて着けましたし。いい感じに糸を通せるようにするの難しかったんですよ」

「刃に穴を開けて通したんですか。結構作りは単純ですね」

「単純で悪かったですね。私にはこれくらいのものしかできませんから」


 ムッとした顔でウルに言い返す。私は器用じゃないから、そんな特殊な加工はできないから刃に穴を開けるなんて荒業しかできなかった。


「それ、大切なんですか?」

「勿論。私にとっても、多分仙狐様にとっても……」


 この刀の刃は、仙狐様が私を助けた刀であり、私が過去の私と完全に決別した際に持っていた刀──翡翠刀である。折れてしまって、残ったのがたったの剣先だけではあるが。

 私に力を貸してくれたメシアは、仙狐様の意思に従うこと──即ち、私を守り助けることを使命としていた。そしてそれが成されたため、既に翡翠刀からメシアは消滅している。


 だが、刀とその能力は健在で、試しにどれだけ刀で手を切ろうとしても切り傷一つ入らなかった。分離と結合の能力も恐らく健在であるだろうか、メシアがいない今発動させるための魔力を制御する役割を担う者がいないためか、発動させることはできなかった。

 宝の持ち腐れではあるが、もうこの能力が必要になる時が来ることはないだろう。


 この刀の刃は、メシアがいたという証であり、私がしたことをより自覚させるためのものでもある。


「まるで、平和の象徴ですね」

「そうであって欲しいです。誰もが平和に生きられるような世界はただの理想ってわかってますが、いつかはそんな世界ができるって、信じてみたいんです」

「そうですね……」


 そう話しているうちに、仙狐様の家へ続く階段に着く。そこからは自分で歩くとウルに伝え、私はウルの背中から降りる。


「こう、ウルと一緒にこの階段を登ってると、思い出します」

「初めて仙狐様のところに連れて行った時のことですか」

「……そういえば、どうしてウルは私を仙狐様の元に連れて行こうとしたんですか?」


 ふと気になったことを質問してみる。

 あの時の私はウルの印象にゾンビとして残っているくらいに生気を感じられない存在。そんなものを、どうして仙狐様と会わそうとしたのか。別に自分のことでもないのに。


「……かなり前にした、昔話を覚えていますか?」

「確か、一人の人間がいて、その人間が他の人間に憎しみを抱きながら処刑される、でしたよね」

「その通りです」


 嫌でも覚えている。何しろ、自分に近い感情を抱いていた人間の話なのだから。


「実はあの話、続きがあります」

「続き? 処刑されて終わりじゃないんですか?」

「はい。何しろ、その人間は処刑されてないのですから」

「……話を終わらせるために付けたこじつけ、ってことですか?」

「察しが良くて助かります」


 つまり、その人間は生きていたということ。そして恐らく、分岐点としては逃げ出してそこから逃げ切るところか或いは……


「その人間は、処刑される前日に逃げ出すことに成功します。誰も来るはずのない下水路を通って。しかし……」


 ……だけど、下水路は無限に続かない。どこかに行き止まりか出口がある。と言っても、大体の下水路の出口は洞窟のような出口ではなく、上がるための階段がある扉か下水を排出する場所。上から逃げて下に来たのに、上に行くための階段がある方に行くのはまずない。要するに──


「──結局は下水の排出口……それも、比較的に下の川から高い位置の方に辿り着きました。そこからは、どうせ上にも行けない、留まればいずれ見つかるという結論から、その人間はそこから川に向かって飛び降りたんです」

「………そりゃ、そうですよね」


 私は先に進む足を止める。ほとんど同じ状況に遭遇したことがあるから、あの時の記憶がフラッシュバックする。


「大丈夫ですか?」

「……はい。続けてください」

「わかりました」


 ……大丈夫ではない。嫌な思い出を抉り出されてるかのようでとても気分が悪い。だけど、この話は聞く必要がある。何故か、そんな気がする。


「その人間は、とある森に流れ着きました。その時の人間の目からは憎悪以外に何も感じられませんでした」


 私とは少し違うが、その人間はきっと、復讐心に燃えていたのだろう。理由は違えども、私との共通点はいくつかある。


「その人間を、私の父が仙狐様の元へ案内しました」

「……言い方的にもしかして、とは思ってましたが」

「はい。私がまだ幼き頃にその人間と実際に対面しています」

「……それで、その人間はどうなったんですか?」

「仙狐様の元に案内して行ったことは、神子様と同じことです」

「その人間も仙狐様の神子に?」

「ではないのです。仙狐様には既に、その役割を担う者がいましたから」

「あれ、それっておかしくないですか?」


 仙狐様の神子は私しかいないし、私が初めてだと言っていた。既にいる、というのはこのことと矛盾している。


「あ、すみません、説明不足でしたね。今私が話している仙狐様は、今の仙狐様ではなく先代の仙狐様のことです」

「先代の?」

「はい。今の仙狐様はまだ、先代の仙狐様の神子だった時の仙狐様です」

「なるほどです」


 要は、仙狐様がまだ神子としての役割を担っていた時のこと、ということだ。このことがわかって、ふと私は仙狐様の話し方が昔からあーだったのかが気になった。この後直接聞いておくとしよう。


「そしてその人間は、妖狐として生まれ変わりました。神子としてでは無く、神子のお手伝い役として」

「まあ、そこは仕方がないですよね」


 神子は基本的に一人。そうなれば、神子の仕事を手伝う役割を任されるのは当然だ。もしも私が神子になる前に仙狐様が他の人を神子に選んだ場合、私も同じような感じの役割を任されていただろう。


「そう言えば、生まれ変わった際に自分の名前とか忘れてましたよね。その人間の名前はどうなったんですか?」

「人間の時の名前は記憶から消え、先代の仙狐様は真っ白な毛並を見てこう名付けました。『白狐』と」

「白狐って……あの?」

「はい」


 白狐と言えば、あの時私の魂を救ってくれたあの白狐だ。元々人間だったと考えれば、人間達の良性から蘇ったと言われても、なんだか納得できる気がする。


「最初は色々納得できないことが多かったのか、白狐様は手伝うことに意欲的ではなかったんです。しかし、いつからか氷のように動かなかった表情は柔らかくなっていたんです。きっと、今の仙狐様と白狐様との間に何らかきっかけがあったんだと私は思います」

「でも、蘇ったって言うからには……」

「察しの通り、とある時に白狐様は亡くなられました。原因は、当時様々な種族の領地が安定しておらず戦争が大量に勃発していたことで負の感情が溢れ、通常よりも強化されていた妖です」

「それは、私が戦っていた妖と比べてどっちが強かったんですか?」

「同じくらいですね。しかし、当時はあの時の妖の数の数倍はいたので、とにかく数が違いましたね」


 ただでさえ、一つの戦争が起これば強くなった妖が出るというのに、戦争が大量に勃発していたとなれば生まれる妖の数は計り知れない。まさに地獄絵図だ。


「とある時に大量の妖に先代の仙狐様と今の仙狐様、そして白狐様は追い詰められてしまいます。先代の仙狐様は自分よりも強くなれる可能性を秘めた二人を生かすため、決死の覚悟で囮となって二人を逃がすことに成功します。しかし、先代の仙狐様は」

「──亡くなってしまったんですね」

「……はい」


 恐らく仙狐様も白狐も、先代の仙狐様を囮になんてしたくはなかったはずだ。そんな心境の中、大切な人を一人亡くなってしまったとなれば、そのショックはかなり大きい。


「先代の仙狐様が亡くなったことで、神子だった今の仙狐様が仙狐の役割に就くことになりました」


 これが、仙狐様が仙狐という役割に就いた経緯。なんだ、仙狐様も私もそれぞれ苦しんでたのか。

 今回の件で、より苦労をかけてしまったことに対して本当に申し訳なく思う。やっぱり私も自分勝手なのだと思い知らされる。


「……それから間もなくのことです。白狐様の身に、神子様と同じことが起きたのです」

「まさか、妖が?」

「はい。人間だった頃に出てきた負の感情から生まれた妖が、お二人の前に現れたのです。それも、神子様の時とは違い復讐心があまりにも強すぎる為か、誰かを殺すことに特化した妖だったのです」


 私から出た黒い妖狐は大きく偏ることがなかったのか大きく歪んだ性格はしていなかった。それどころか、まるで己を乗り越えることを促してきた。

 あれよりも酷く、殺人に特化した妖なんて、私は想像なんてしたくない。


「あまりの強さに歯が立たず、白狐様自身がその妖を己のうちに取り込み命を絶つことで、なんとかその妖は倒されました」

「……そうしかなかったんですよね」


 当時はこんな分離と結合の力を持つ翡翠刀が仙狐様の手になかった。白狐の独断で道連れという手段を取った時、仙狐様にはそれを止める術がなく、白狐が犠牲になる以外の選択肢を選ぶことが不可能だった。たとえ戦うことを選んでいたとしても、実力的に勝ち目はない。

 それ故に、こういう結果しか生まれなかった。これではまるで、戦争のそれと変わらない。


「その時の仙狐様は……なんというか、自分の無力さに酷く失望していました。自分が強くなかった故に、二人を失ってしまったと」

「……それが、私を助けた意味?」

「はい。もう、仙狐様が酷く悲しむ姿は見たくないので」


 大切な人を二人も失った時、仙狐様は間違いなく正気ではいられなかったはずだ。酷く落ち込み、自分を責め、無力な自分に腹を立て、今にでも死んでしまいたいような気分になるはずだ。私だって、もしも身の回りにいる大切な人達が私のせいでいなくなれば、今すぐにでも死にたくなる。


「さて、暗い話はここまでにして、早く仙狐様の元に行きましょう。これ以上待たせては申し訳ないです」

「……そう、ですね」


 気持ちの切り替えをしようとするが、どうしてもさっきまでの話が頭の中に残っている。よっぽど私にとって、印象に残ったのだろう。

 もしかすると、私を神子にした時に仙狐様は不安だったのかもしれない。白狐に近い私を見て、同じ運命を辿るかもしれないと。


「──だけど、私は生きている」


 色んな人達から助けられて、私は生きている。今はもう、昔のような自殺願望はない。むしろ、この世界で生きていたいという気持ちが強い。私にとって初めてできた大切な人達がいるこの世界で。


「仙狐様、神子様と共にただいま戻りました」

「うむ、いい時に帰って来たな。丁度配膳が終わったところじゃ」


 勿論、私だけが満足できるような都合のいい世の中ではない。今後も理不尽なことや苦しいことはきっとやってくる。


「ほれ神子、早く手洗いを済ませるんじゃぞ。今日は油揚げを増量しておるぞ」


 それでも、私はそれらのことにも向き合って生きていくと心に決めた。

 昔の藤橋優希はもういない。そして、昔の結城神子もいない。今ここにいるのは、かつての藤橋優希と結城神子が合わさった一人の妖狐だ。


「……仙狐様」

「なんじゃ?」


 仙狐様の目を見る。そこにはもう、悲しみや悔しみといった感情は籠っていない。代わりにあるのは嬉しみや歓喜などの感情であった。

 私はもう、この感情を抱いている人に羨ましさを感じはしない。私も既に、その感情を抱くことができるようになっているのだから。


「これからも、ずっと変わらず不束者ですが、よろしくお願いします」


 仙狐様を見て頭を下げ、改めて私は、これから先一緒に過ごす仙狐様に挨拶をする。


「──うむ。わし自身も不束者じゃが、こちらこそこれから先もよろしく頼む」


 仙狐様は真っ直ぐ頭を下げる私を見て返答する。

 これから先に待っている苦しいことも、大切な人達となら乗り越えられる。私はもう、一人じゃないのだから。


「さて、改めて挨拶を済ませたところで、早く食べるぞ。空腹が限界突破しそうじゃ」

「限界は迎えないんですね」

「限界なんて面白味がないじゃろ」

「無理はしないでくださいね」

「当然じゃ」


 この何気ない会話に、私はつい嬉しくなって笑ってしまう。


「神子、今の生活は楽しいか?」

「──はい。それは勿論。むしろ、幸せです」


 私は満面の笑みで、そう答えた。


 ───さて。


 私達の戦いは終わった。だけど、これから先も私と仙狐様、様々な人達の物語は続く。私達の物語の最終回はもっともっと未来の話。

 とりあえず、このご馳走を食べよう。私の大好きな、誰かと食べるご馳走を。

 これからの生活でイメージするのは幸せな光景。もう悲しいことをイメージすることもない。



 さあ、今日もまた、幸せな一日を過ごそう───

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