第四十六話 世界の行く末
わしはあの時、黒い妖狐にやられ気を失ってから、何が起こっていたのかはわからない。しかし……誰かがわしの体力を回復させてくれていた。
その誰かは……言うまでもなく白狐だった。意識は朦朧としていたが、うっすらと見えたあの後ろ姿は白狐に間違いはなかった。じゃが、何かそう、雰囲気が違った。覚悟を決めた強者の雰囲気であった。それを見て間もなく、わしはまた気を失った。
次に目覚めたのは、わしの家の中の寝室じゃった。寝室にはわし以外にミラとかいう人間と大エルフ、猫神もいた。
──じゃがそこに、彼女らはいない。
そこからは今後のことを話し合った。人間のこと、神子のこと、妖のことなどなど。しかしどれも解決にまで至らずに、その日は解散。それからというもの、毎日会っては話し合った。
そこから半年後、人間と魔族の争いは両者の和解で終結した。にわかに信じ難い話であったが、ミラが言うからには本当のことなのだろうと確信を得た。
丁度わしが目覚めたあの日を境に、人間と魔族は戦いの意味を考え始めたらしい。復讐はしたところで意味があるのだろうか。両者が傷つき悲しみが生まれるこの戦いに意味があるのか、と。
その結果、三ヶ月後には休戦、半年後には和解という形で終わらせようと言う話になったのだとか。多少不満を持つ者もいるが、大多数の人間と魔族は賛成したらしい。
そこから人間と魔族は、自分達が住む町の復興を始めた。最初はピリピリとていたが、いつの間にか協力するようになっており、今では互いが互いに助け合ってるのだとか。とても、今までの二種族とは思えなかった。
復興を始めたのは人間と魔族だけでなく森に住まう者達もであった。人間達も責任をもって支援し、普段なら拒絶する者達もそれを受け入れていた。
この世界の生き物達が、初めて他の種族と協力し合っていた。まるで、夢のような光景であった。
こんな夢のような光景、本来ならば起こらないはずだと考えてすぐに出てきたのは、今は姿を見せない彼女らであった。きっと、全てを成し遂げて世界を変えたのじゃろう。
そのことに、わしは感謝しかできなかった。
そこから三ヶ月後、復興がかなり進んでいる中でわしら妖狐、猫族、エルフの三種族は改めて人間と和解をした。分かり合えない人も多少なりともいるのはわかっているが、ずっと拒絶していれば何も始まらない。わしは、そう学んだのじゃ。
例え向こうが信じていないとしても、わしは信じる。裏切られるかもしれないのは承知の上。
他人を理解しようとする人が増えた影響か、あの日以来妖が出現することはなくなった。
……いや、きっとそれだけではない。彼女らが、負の感情を浄化してくれたお陰で、妖が出ないこの世界が創り上げられたのじゃろう。
そんな彼女らは、一年が経過した今でも帰ってこない。
もう完全に森は元の姿に戻り、争う必要もなくなったこの世界に、帰ってこない。
もう死んでしまったのではないかと思ってしまうほど、わしは長い時を待ち続けた。しかし、帰ってこない。
そうして待ち続ける日々が、当たり前のようになっていった。
待ち続け、あの日から二年が経過した。森はすっかり元の生命力を取り戻し、新たな建物も建ち、人間の町へ続く魔法陣も繋げられた。人間側の町も魔族が住む魔界へ続く魔法陣が繋げられ、様々な種族が様々な町を行き来できるようになった。
それでも彼女らは帰ってこない。
そのまままた一年と経過する。気が付けば、人間達の町も開発されている。その影響か、この森から人間の町へ向かう者も増えた。そのまま住みっきりになる者も増えた。逆に自然の静寂さを求め、森に人間が引っ越してくることも少なくはなかった。
争う必要のない世界が、もう既に出来上がっている。じゃから、もうそろそろ、帰ってきてもいいんじゃぞ。
そう思いながら、また一年が経過した……。
あの日から、五年の月日が流れた。わしからすればつい最近のように感じる長さではあるが、この時だけはいつも以上に時間の流れが長く感じた。
朝起きて朝食を食し、襖を開けて外を見ると、そこに雲はなく快晴の空が広がっていた。良い天気なことを確認すると、昨日の家に干していた洗い物の様子を見る。
「お昼くらいに入れるとするかの」
十分に乾いてはいたが、もう少し干しておこう。その方が、どことなく気持ちよさを感じる。
寝間着からいつもの着物に着替え終えると、すぐさま外へ出る。そして、家の前にある階段を下る。
あの日の翌日から、ずっとわしは朝から散歩をすることを習慣にしている。気分転換という理由でもあるが、実際のところは彼女らが帰ってきていないか、というのを確認している。始めた当初は期待をしていたのじゃが、さすがにこれだけの月日が流れるとその期待も薄くなる。
じゃが、その期待が薄くなってもわしの中で消えることは決してない。それだけ彼女らを思っているのじゃから。
しばらく歩き、五年前から色々なことが原因で行けなかった市場まで来る。多少店の数が増えたということと人間や魔族など、ここにいる種族の数が増えたこと以外に、特に変わりない様子じゃった。
「お、仙狐様。お久しぶりです」
「うむ。久しぶりじゃの」
すぐ近くの店の店主から挨拶され、適当な返事をする。五年がわしらにとって最近じゃとしても少し長い月日であることに変わりはない。なのに、わしのことを覚えているなんて、少し意外じゃった。
「あ、仙狐。おはよー」
声がする方に振り向くと、そのには色々な物を抱えたミラがいた。そう、あの人間のミラである。
彼女は去年にこの森に引っ越してきた。なんでも、自分の知らない自然の中で暮らしたい、というのが表向きの理由らしい。裏の理由は……わしと同じじゃ。
「今日、帰ってきてた?」
「今日はまだ見ておらん」
「そっか……」
ミラは空を見上げる。
「……あの空の向こうに、いるのかな……?」
「──さあの。一体今、神子と白狐がどこにいるか、何をしているのか。全く想像つかんわい」
もしかすると、ミラの言う通りに空の向こう側にいるのかもしれないし、別の世界にいるのかもしれない。少なくとも、わしはどこかで生きていると信じている。どこにいるかは、その次に大事なことじゃ。
「そういえば、最近向こう側とは連絡を取り合ってるのか?」
「まあ、ちょこっとだけ」
「……本当に帰らんのか?」
「もう戦いはないし、向こうにいる理由もないしね。流石にちょくちょく顔は出すけど」
聞いた話によると、ミラの親は既に他界しているらしい。それならば確かに、向こうに留まる決定的な理由はない。住む場所についてのことをこれ以上話すと流石にしつこいと言われるじゃろう。話を変えよう。
「そういえば、こんな朝早くから買い出しか?」
「今日は特別。いつもはもっと遅い」
「さてはミラ、宴会とかいうものを開こうとしとるな?」
「うーん、ちょっと違うかな」
「なら、なんじゃ?」
「内緒。私にとって大事な日ってことだけ言っとく」
「そうか。なら深く詮索するのはやめておこう」
「ありがとね」
それじゃあまたね──と言ってミラは市場からミラの住む家に向かって歩いて行った。結構気分が良いことから、決して悪い意味での大事な日ではないじゃろう。心配する必要はなさそうじゃ。
ミラと別れてからしばらくが経過した。わしは市場にて適当な朝ご飯を購入しそれを食べ、そこからウルがいつもいるところへ向かう。
今更じゃが、ウルはわしの家来だとかそんなものではない。ただ、わしに協力的で珍しく人の言葉を話せるウルフなだけじゃ。結構雑な扱いをしてきてはいるが、少なくともすまないと同時にありがとうとは思っている。
「ウルー」
「……また、ここに来たんですか?」
「そりゃー毎日来るぞ。なんたって、ぬしと神子が初めて出会った場所なんじゃからな」
「その話をするということは……まだ、神子様を待っているのですね」
「……うむ」
毎日散歩の終わりにこの苔の生えた廃墟がぽつんとあるこの場所に寄っている。初めて神子がウルと出会った場所なのだから、もしかすると思い出深い場所に帰ってくるのではと期待しながら。
──これをかれこれ五年もしておるのか、わしは。
「そういえばここの廃墟、取り壊さないんですか?」
「うむ。もし、神子が帰ってきた時に変に変わっていたら困惑されるからの」
それに、ここはウルの種族であるウルフ達の住処になっている。取り壊すなんて、そんな生き物から住処を奪うような外道な真似はわしにはできない。
「……今の世界は、平和ですか?」
「平和、と言いたいところじゃが、さすがにそこまで都合良くはいかん。少なからず野蛮な者はおる。戦うことが趣味の者も生きている以上、争いのない世界なんてどこにもない。ま、恐怖で抑えるという手段もあるがの」
──冗談じゃ。恐怖で抑えることは自由を奪うことと同然。そんな恐怖に脅えた生活を、皆が望むはずがない。
「……さて、しばらくはここで日向ぼっこでもするかの」
「今日はいい天気ですしね」
廃墟の屋根に登り、わしは寝転がる。そして、その身で陽の光を浴びる。体が温もりに包まれるような感覚に陥る。一言で言って気持ちがいい。
このまま眠ってしまおうかと、そう思える程に気持ちが良かった。
──仙狐。
しかしその落ち着きは、一つの声で逆転した。
「──!?」
その声は、決して忘れるはずもない彼女──白狐のものじゃった。
わしはすぐ様立ち上がり周囲を見渡すと、少し先の方で白い光が見えた。
言葉も出さずに走り始めた。その光が何なのか、具体的にはわからないが、そこに彼女はいるという確信があった。
白い光の場所を目指すと水の音がした。確か、ここの近くには川が流れていた。そしてその光も、水の音のする方向から聞こえた。
「はぁ……はぁ……」
森を抜け川まで来る。そこでわしは、動かしていた足を止め、目の前の光景を見て呆然とする。
「──また、会えたね」
そこにあったのは、神子を抱え何も変わらない白狐の姿であった。
「ごめんね。ちょっと遅くなっちゃった」
「ごめんも、あるか……! 五年も待たせおって!」
待ち望んだこの光景に、わしは自然と涙が出てきていた。
わしはそのまま白狐に近づく。すると白狐は無言でわしに抱えていた神子を差し出す。
「──?」
何故ここでわしに渡すのか。そのまま帰るのならば白狐がこのまま抱えてもいい。そのことを疑問に思いながら神子を抱える。
「それじゃあ、私は帰るね」
「帰るって、どこに……」
「今ここに来たのは、神子をこの世界に返しに来ただけ。私はもう、この世界にはいられない存在だから」
「………」
……そんな気はしていた。これまで妖が現れなかったのは、きっと白狐のお陰だ。彼女が、この世界でないどこかで何かをしていたお陰でここまで復興が進み、更には以前よりも開発が進んだ。
「……白狐」
「何?」
「……いや、やっぱりなんでもない」
一緒に元の生活に戻らないか、なんて言えない。これは白狐自身が決めたこと。そこにわしが介入する余地なんてありはしない。
まるで、わしらが幸せに過ごせるように利用しているみたいじゃが、誰もが幸せに生きられる世界は理想に過ぎない。悲しいことじゃが、必ずしも白狐のように、自由を犠牲に世界を裏から支える者が存在して、初めて残りの者達が幸せになれる世界が創造される。
心が痛いが、我慢するしかない。
「元気でな」
「うん」
「ちゃんと休憩をとるんじゃぞ。ご飯も食べて、健康に生きるんじゃぞ。適度に顔を見せるんじゃぞ。それから……」
まるで別れを告げる友のように、白狐へ語りかける。その度に、止まりかけていた涙がまた溢れ出した。
泣き止まなければ。わしは子供ではない。白狐の目の前で、こんな情けない姿を見せたくはない。
「──最後に、長い間会えくても、わしらのことは」
「忘れないよ。だから、安心して」
白狐は振り返る。その際、少し白狐の目元から水が見えた。白狐もまた、泣いているのじゃろう。わしの言葉が心に染みたのなら、わしは嬉しい限りじゃ。
「ありがとう。それじゃあ、またね」
そう言って、白狐は自分の足元に白い魔法陣を出現させる。そこから間もなく魔法陣が白く輝きを放ち、反射的にわしは目を閉じる。
──長い間、本当にありがとね。私の姉──ミラにもよろしく伝えといて。
そう言葉が聞こえた刹那、光が止む。そしてその場に白狐の姿はなかった。
「またね……か」
決してさよならではない。また会える、と言う意味合いで白狐は言った。
「いつでも、わしらはあの家で待っておる」
だから、好きな時に帰ってこい。
わしは空を見上げながら、ここにはいない白狐に向けて言った。
「……さて」
抱えている神子を見ると、気持ち良く眠っている。その表情からは、あの時のような辛さや憎しみを感じることは無かった。
「わしらも帰るか」
その場で振り返り、神子を抱えたわしは歩き始めた。
五年の月日が経過した今日この日に、少しモヤモヤするが、無事に神子は帰ってきた。これ程にまで嬉しかったことは、今までの人生で初めてであった。
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