第四十二話 始まりの地

 立ち上がれない私へ手を伸ばした後、そのまま仙狐様は意識を失った。腹部からの出血量を見れば、誰だって致命傷だということが分かる。仙狐様の体内の魔力の影響か出血自体は遅くなっているが、精々持って十五分程度、それを超えれば助かる可能性はほぼない。


「なんだ、あの時のような威勢はどうした?」

「……その力を奪う為に……でもそんな考え、お前はしていなかった」

「俺はお前から生まれた妖だ。そして同時に、他の妖とは違って生まれ主との接触が多かった。その影響か、俺はお前と同様の知能を得た」


 こいつは他の妖とは少し違う、所謂イレギュラーというやつだ。

 本来妖は、人間の負の感情が集合し生まれる。そして、あの黒い妖狐は私が人間の時に出していた負の感情から生まれた。


 しかし、妖についてを仙狐様から初めて聞いた時に仙狐様は、私からは負の感情が出ていなかった、と言った。その時点で、彼の存在についての矛盾が発生する。


「……お前は、何者?」

「お前から生まれた、中途半端な妖だ」

「………?」

「妖は人間の負の感情から生まれる。だが、俺が俺として顕現する前にお前の心は壊れた。だからこそ、他の妖よりも生まれ主を探した。顕現するという、俺自身の本能が」


 私があの時、用水路で人間達と対峙していた時にはもう既に、彼はこの世に生まれていた。そして、妖狐になった私と出会ってしまった。

 何故あの時の妖だけ、遭遇した時に頭痛がしたのだろうと疑問だったが、本当の理由はそういうことだったのか。


「そこからはずっとお前を見ていた。この姿も、お前を姿を参考に形作った物だ。まあ、今はもうこの姿で定着してしまってるがな」

「………」

「俺がこの姿で定着した瞬間、俺とお前は別物になった。だから、お前は俺のことがこの力を持ってしても読めなかった」

「……それで、その力で何をするつもりだ」

「この力の解放。即ち、妖を世界に解き放つ」


 世界とは文字通り、この森だけでなくこの世界全域のことを指している。そういった説明はなかったが、私はそう無意識に解釈していた。

 だが、あの力のことは実際に使った私だけでなく他の誰もが同じことを考える。


「その力は、世界に解き放っては行けない。そうすれば、本当に世界は悪性に包み込まれる」

「この妖達は自身が生きる為にそう行動している。なら、それは罪であると言えるのか?」

「………」

「生き物は全てを生きる為に何かをしている。それを罪でないと言うならば、あまりにも勝手な話だ」


 確かに、誰しも何かの命を奪って自身を生かしている。それを罪だと言うのならば、生きていることすら罪だ。


 だが、妖は根本的に違う。妖は生き物を殺す存在だ。負の感情から生まれた故に大抵は本能でのみ行動する。彼のような自分の意思を持つなんてことはまず有り得ない。


 お互いに、あー言えばこう言うという終わりのない状況だ。これ以上話していても時間が経過して、助けられるかもしれない仙狐様を助けられなくなる。


「……やはり、言葉では解決しないか」

「そうだね。悔しいけど、私も一生お前とは分かり合えない気がする」


 自分自身だから、ということなのだろうか。それとも、妖狐となった私と人間の頃の私という光と闇の存在だからだろうか。その答えは、私には分からない。


 だが、光と闇は決して交わらない。それ故に、お互いに一歩も譲らないことくらいは理解出来る。


 影達を引き剥がされた反動で痺れていた体も動くようになり、私はその場で立ち上がる。そして、地面に落ちていた自分の妖刀を手に持つ。


「お前にだってわかっているはずだ。もう仙狐は助からない。急いだところで無駄だ」

「それはどうかな。ここに一つだけ、方法がある」

「……お前、まさか」

「その為にもこの刀は借りますね、仙狐様」


 仙狐様の元へ行き、私と妖を分離させた翡翠色の刀を拾い、もう片方の手に持つ。


「場所を変えよう。ここでは、お前の大事な仙狐様にも危ないからな」

「……わかった」


 ここで私が不利になるような場所へ移動することは無い。それに、彼は恐らく私と似たような考えをする。

 今の私が考えるのは妖との決別。つまり、彼との決着だ。間違いなく、彼自身も私との決着を望んでいる。その決着の妨げになる存在は邪魔になるだけだ。


 別の場所に移動する寸前、彼は持っていた札を投げて倒れている仙狐様に貼り付ける。すると、流れていた血が止まった。


「『治癒』の妖術だが、俺は半端者だからな。精々止血が限界だ」

「……なんのつもり?」

「大事な人を助けることに意識を回されては、決着が着いても納得がいかない。俺は全力のお前との勝負を望む」


 純粋な勝負に心配などという感情は必要ない。彼はそう言い分はそういう意味なのだろう。

 仙狐様の流血は止まったが、止血だけでは出血した分の血液や先程までの戦いで付いた傷は癒えない。つまり、先程と比べて死ぬまでの時間が伸びただけに過ぎない。体力が無くなれば、仙狐様は結局は死ぬ。タイムリミットがなくなったわけではない。


「ついてこい」


 そう言って彼は大木を避けて先に進む。それに続いて、私も歩き始める。

 ここに来るのは初めてだが、先に進むにつれて気持ちが悪い感じがしてくる。


 一分程歩くと、赤色の魔法陣が展開された場所に来る。石版があるがかなり古く、解読が不可能な程にまで崩れていた。

 魔法陣に私と彼が乗ると、魔法陣は突然光を放つ。そしてその光が、私の視界を塞ぐ。


 光が収まり目を開けると、そこは先程までの森ではなくまるで神殿のような建物の中であった。

 しかしその建物も石版同様にとても古いものであるのか、所々にヒビが入っている。それに天井も無く、まるで宇宙のような空が姿を見せていた。


 そしてその空には、漆黒の丸い塊が浮いていた。


「ここは……」

「かつて聖域と呼ばれていた場所だ。だが、人類史が始まると同時に悪性に満ち、崩壊し封印された。今その封印を解き、俺達はこの始まりの地に足を踏み入れることができた」

「………」

「あの漆黒の塊がここに満ちた悪性──俺達が知る言葉で言う妖だ」


 漆黒の塊は普通に見れば大きさは小さいが、よくよく見れば塊と私の距離がかなり離れていることがわかる。あれは、私が思うよりも遥かに大きい。本当に妖と呼べるのだろうか。否。あれはもう既に妖なんてレベルではない。

 今まで森にいた妖は、恐らくこの場所で生まれあの塊に収束し、そこから漏れ出して現れていたのだろう。


 そして、今は彼の手に渡っているあの力の根源もあの塊だ。


「お前が勝てば俺は消える。逆に俺が勝てばお前が消える。この世界諸共」


 ……いや、どちらにせよあの塊を消滅させない限り世界は滅びる。今は彼が制御しているから大丈夫だが、もしも私が彼を倒せば制御する者がいなくなり暴走を始めるだろう。そうなってしまえば、私が負けた時と結果は同じで溜まりに溜まった負の感情が溢れ出し、爆発するだろう。そうなった場合のことは言うまでもない。


 だが、私にはそれを食い止め、そして消滅させる方法を知っている。

 その為にも、まずは彼を倒さなくてはならない。世界を滅ぼすほどの妖を消滅させるために。そして……


「──私自身の影との決別のために」


 刀を構える。それとほぼ同時に、彼も影を出し攻撃態勢へと移行する。


 時間は限られている。長期戦は私自身の体力的にも、仙狐様の体力的にも避けなくてはならない。少々無茶をしてでもすぐに終わらせる。


「──いくぞ!」

「──!」


 彼はその言葉と同時に影を触手上にして伸ばし、私はそれを刀で弾き接近を試みようと足を踏み出した。

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