第十八話 死に際の手掛かり

 鳥の声と風の音以外は聞こえない静かな家。これだけでもとても落ち着きのいい気分になる。


「これで最後かな」


 私は既に干されており乾いていた衣類を綺麗に畳んで重ねた。久しぶりにこうやってまともな家事をした気がする。

 私が人間の頃はこんな自分の時間で好きな速さで家事をするなんてことは出来なかった。向こうの世界では速さと量が第一。少しでも遅ければ追いつけず、すぐに置いていかれる。そして、いくら速くてもそれなりの量が出来なければ速さなんて意味が無いも同然。

 私の母……もうこんな血の繋がりのあるような呼び方はしたくないアイツは私に家事などをさせる時も余程の期待を寄せており、少しでも失敗すれば怒られた。


 ──最初から完璧でなければ、ただの凡人。


 よく私にそう言っていたのを覚えている。こんな自分勝手な言葉、納得できる方がおかしい。


 私は最初からやること全てをプログラミングされた機械では無い。考え行動する生き物だ。機械ならエラーやらなんやらで仕方ないと修理する。しかしそれを生き物に置き換えてみよう。するとどうなるか。

 あの世界の現状を見ればわかるが、生き物には失敗は許されないという考えを持ったアイツのような人間がわんさと出てくる。そしてエラー失敗が起これば、それを仕方ないと捉えるのではなく役立たずと捉える。意味がわからない。

 ライオンの子供も最初から完璧なわけがない。完璧ならばライオンが負けるなんて事も絶対に起こらない。それと同じだ。


「最初から完璧だったら、とっくにあの世界は革命を起こしてる」


 ついつい独り言を呟いてしまう。全く意味がないことだとわかっている。しかし、何故か呟いてしまった。


 ──もうあの世界のことは考えない。考えるだけで頭が痛い。


 私は立ち上がり、畳み終えた衣類を持って引き出しがある寝室に向かう。

 そう言えば、今畳んだこの衣類は仙狐様が着ていたものであろうか。巫女服以外にもこの世界で他の種族が着ている服もある。日頃巫女服しか着ないと言うのに、どうしてこんな服があるのか。


 そう考えながら廊下を歩いていると、ちょうど目の前にあった玄関の扉が開いた。そしてそこから仙狐様が入って来た。


「あ、おかえり……いや、おかえりなさい? あれ?」

「……神子?」

「すみません、おかえりなさいの丁寧語ってなんでしたっけ?」


 私がそう質問すると、仙狐様は信じられないものを見たかのような表情をして私を見てくる。私が何かおかしなことでもしたのだろうか。


「もう大丈夫なのか?」

「えっと、何がですか?」

「体調じゃ。かなり朝は酷かったようじゃが……」

「あぁ、そのことですか。それならばこの通り元気になりました。寝ると治るって本当なんですね」


 私のその言葉を聞くと、仙狐様は右手を顎に当てて何やら考え事を始めた。そして「当然か」と小声で呟くとぞうりを脱いで廊下に足を踏み入れる。


「元気になったなのならば調度良い。少しだけ一緒に見てもらいたいものがあるんじゃ」

「一緒に?」

「これじゃ」


 仙狐様は自身の首に掛けてあった首飾りを外して私に見せる。仙狐様は日頃首飾りなんてしないのに、一体どうして首飾りなんか持っているのだろうか。


「見覚えはないか?」


 そう言われてもぱっと思い浮かばない。首飾りなんてこの世界に来てから一度しか……。


「もしかして、レーナさんのですか?」

「そうじゃ」


 確かレーナさんは首飾りをしていた。しかも、その首飾りの特徴と今仙狐様の持つ首飾りの特徴が酷似している。というか全く同じだ。

 しかし、どうして仙狐様がレーナさんの首飾りを持っているのだろうか。


「……今から言うことは事実じゃ。覚悟して聞くんじゃ」

「はい?」


 仙狐様が険しい表情をしながら私にそう言う。そこまで険しい顔をして言うこととは何なのであろうか。


「……昨晩、森の一角に住まう猫族数十人とエルフ数人が突如として行方がわからなくなったんじゃ。あのレーナもじゃ」

「レーナさんも!?」

「恐らく原因は妖じゃ」

「でも、妖にあのレーナさんが簡単に負けるとも思えません」

「わしもそう思った。じゃから、これを使うんじゃ」


 仙狐様がそう言った途端、突然首飾りが光を放ち始めた。そしてそのまま光はどんどん強くなっていき、反射的に腕で顔を隠した。


 しばらくして腕を顔の前から退けると、そこは先程までいた仙狐様の家ではなく夜型の森の中であった。


「ここは……?」

「首飾りが記録した光景を具現化したものじゃ。言わば記録の世界と言ったところかの」

「記録の世界……」

「見ているだけじゃからこちらからの介入は不可じゃ。既に起こったことじゃしの。時間帯の方は少し弄って昨晩にしてある」


 首飾りが記録した光景の具現化なんて初めてだったので驚いた。それに加え、目に見える木や地面もまるでそこにいるかのような気分になるほどそっくりだ。いや、もう本物なのではないだろうか。


「敵意はない。だが、もしも私を攻撃するのなら、私は自分を守るためお前を戦闘不能に」


 突然声が聞こえその方向を見てみると、そこにはレーナさんが謎の黒いローブを着た人と対峙していた。

 そしてレーナさんが言い終える前にローブを着た人が短剣を投げ、それをレーナさんは最低限の動きで回避する。


「あの黒い人は誰ですか?」

「わからん。しかし、あやつがレーナを攻撃したということは、この場では重要な人物ということじゃ」


 そのままレーナさんが黒い人を追いかける形で戦闘に入った。だが、この状況でどちらが有利かというのは遠距離攻撃が可能なレーナさんだと私でもわかっていた。恐らくレーナさんも弓矢を使うだろう。

 そう思った矢先に私の予想通りレーナさんは弓を構えて『ホーミング』と言った後に矢を射る。放った矢はブレることなく黒い人に飛んでいくが、当たる直前で有り得ない方向に向きを変えて飛んで行き消失した。


「避けられた!?」


 矢が外れたことがあまりにも予想外だつたのか、レーナさんは信じられないと言わんばかりの表情をしていた。ただ矢が有り得ない方向に飛んで行ったというだけであれだけ驚くものなのだろうか。


「レーナが放った『ホーミング』は、その矢が当たるか破壊されるまでずっと追い続ける特殊な矢じゃ。それが外れたんじゃ。驚かない方がおかしい」


 必ず当たる矢が外れるなんてことは有り得ない。必ず当たるということは、既にその結果が約束されているということだ。つまりあの黒い人は、その結果を捻じ曲げたということだ。

 そう解析すると、今起こったことがどれだけおかしなことだというのがよくわかる。


 そのままレーナさんは何本か矢を射るが、同じように全て外れる。ホーミングでは当たらないと判断したのか、レーナさんは矢に炎を纏いそれを放った。しかし、それも同じように有り得ない方向に向きを変えて外れた。

 このことから遠距離攻撃は通用しないと観たのか、レーナさんは弓を手放して腰にあった剣を抜いた。


「なるほど、弓を手放した経緯はこうじゃったのか」


 弓を手放したところを見て仙狐様はそう呟く。どうやら、何か一つ疑問が解決したようだ。


 弓を手放し接近戦をしようとレーナさんは近づき、そのまま黒い人にかかと落としを入れて木の上から叩き落とした。それを追ってレーナさんも木の下に降りる。

 降りた先は沼。足元が見えないが、レーナさんが優勢なことに変わりはない。

 黒い人がレーナさんに向けて短剣を投げるが、最初と同じように軽々避ける。


「そんな短剣投げても避けれる。どうせするならもっと大きな攻撃をして私を倒して見るんだな」

「オオキナコウゲキ……イマハ……必要……ナイ」

「強がりはよせ。大方その大量に持ってる短剣を投げまくって私を翻弄し首を切る。私を殺す手順なんでこんなものだろう?」


 レーナさんの余裕な表情を見れば、レーナさん自身もこの時点では負けるはずないと思っているのであろう。しかし、少しおかしいのは黒い人がなんの焦りもなく落ち着いているからだ。まだ逆転の手があるというのだろうか。


「ま、大人しく話してくれれば殺しはしない。どうやら、カクカクとは話せるみたいだしな」

「……ソウ……ヨユウ……モテルカナ?」

「どういうことだ?」


 その言葉にレーナさんが疑問を持ったように、私と仙狐様も疑問を持った。ただの強がりにしか聞こえない言葉だが、その声は何故か自信に満ち溢れていた。

 二人の会話が途切れてから間もなく、沼の方からボコボコと音が聞こえてきた。そしてその音のする方を見た瞬間、本来出てくるのはおかしいものが出てきた。


「なっ!?」

「あやつは……!」


 出てきたのは昨日レーナさんと協力して倒したあの妖だった。その事にレーナさんだけでなく私と仙狐様も驚いた。


 この事で黒い人への注意が逸れたところを狙い、黒い人はレーナさんに攻撃し肩に傷を負わせた。

 レーナさんは黒い人に反撃しようとするが、肩が余程痛むのかもう片方の手で抑える。そこに妖が触手を伸ばして攻撃してくる。その触手の本数は私達が倒した時よりも遥かに多く、その数を見てレーナさんは全力で回避行動に移る。今の状態であれを全て弾くことは不可能と判断したのだろう。


 しかし、流石に全てを避けきることは出来ずに足を掴まれ沼の中に引きずり込まれる。

 それからしばらくして、魔力を纏わせた剣で触手を切断し沼から飛び出したレーナさんは下から向かってくる触手に矢筒にあった矢を全て投げ大量に触手を切断する。


「大きな攻撃は必要ないって、あいつこのことを知っていたから……!」

「チガウ……ナ」

「あぐっ……!?」


 沼に着地した瞬間にいつの間にか接近していた黒い人がレーナさんの首を掴む。


「レーナさん!」

「……呼びかけても無駄じゃ。最初に言った通りここは記録の世界、こちらからの干渉はできん」

「っ……」


 この状況で何も出来ないというのが一番悔しい。しかし、私が今この状況に介入出来たとして何か出来るだろうか。この状況を打破する手段があっただろうか。

 私はふと妖の方を見る。妖は触手を沼の底から伸ばしていた。


 そもそも、人間が何も得しない戦争なんてするから……。


 妖を見るといつも思う。いつも人間が憎くなってくる。それと同時に、今回は魔族も憎くなった。人間が戦争をする理由として魔族も何らかのことを人間にしたのだろう。

 戦争とは言わば規模が大きい喧嘩のようなもの。起こる理由はお互いにあるのだ。

 何故生き物は争うのだろうか。何故全員が全員、自分の意思を押し付けようとするのか。その考えさえなくなれば、こんな妖なんてものも生まれない。争いのないいい世界になる。


 ──でも、これも私の意思の押し付けであって、なんの解決にも繋がらない。


 私はいったいどうすればいいんだ。わからない。誰か教えてくれる人もいない。ヒントなんかもない。明確な答えもない。いったい私は……。


 そう考えていると、記録の世界だと言うのに妖と目が合った。まるで、妖が私のことが見えているかのように。いや、そんなはずは無い。

 私は自分の考えに首を振って否定する。認めたくない。

 ここは記録の世界。私が介入できないように向こうも私達が見えていない。妖が私を見るなんてことも出来ないはずだ。きっとたまたまピンポイントで妖がこっちを見ただけだ。目が合ったというのもきっと思い違いだ。


 そう必死に自分を言い聞かせているうちに記録の再生は終わり、元の仙狐様の家に戻って来た。


「……これは近いうちに猫神と大エルフに見せる必要があるの」

「……レーナさんは……どうなりました?」

「恐らくは、もうこの世にはおらん」

「………」


 初めて作れた猫族の友達を一日も経たずに失ってしまった。その事実が、さらに人間と魔族への憎しみを増す。


「とにかく、今はゆっくり休むかの。わしは疲れた。夕飯の時間になったら起こしとくれ……」

「わかりました」


 そして仙狐様は座布団を枕にして昼寝を始めた。と言っても、あと二時間もすればもう午後七時だ。二時間なんてあっという間に経過するだろう。


「……レーナさん。あの黒い人に殺られたのなら、貴方の遺体は何処に……?」


 恐らくレーナさん以外の行方不明者もあの黒い人か妖に殺られた。ならば、何処かに遺体が残るはずだ。

 しかし現状では見つかってはいない。見つかっていれば仙狐様もわざわざ行方不明とは言わない。


「……あれ?」


 その疑問について考えていると、無意識にお腹をさすっていることに気がついた。

 どうしてだろうか。もしかしてお腹が空いたのかな。いやでも、まだそこまで空腹は感じないし……。


「まあ、何か軽く食べればいっか」


 遺体についての疑問は置いておいて、とりあえず何か軽く食事をしようと私は家の台所へ向かった。

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