第十九話 何も変わらない
扉を開ける。すると扉の先からはとびきりの湯気と熱気がモワっと吹いてくる。そんな部屋の中、正確に言えば浴室に私は足を踏み入れる。
「どうやってお湯なんて沸かしてるんだろ?」
はっきり言ってわからない。完全にそうだとは言いきれないが、この世界に電気はない。私の知っているようなお湯の沸かし方は出来ない。
人間達は魔力を光に変えて明かりを確保しているが、この森でそんなことが出来るのは魔力の扱いに長けているエルフだけだ。猫族は人間を真似て道具に魔力を込めて光る魔道具を作りそれを使って明かりを確保している。
そして私達妖狐は魔法を使えてもエルフのようにあらゆる種類の魔法は使えないため、妖術を利用し明かりを確保している。
このことをじっくり考えてみると、この世界で言う魔力はとは電気に近いようで少し違うものなのだと言うことがわかる。
そんなことを考えながら私はシャワーから流れるお湯で体を流す。本来ならばここでシャンプーやら色々とするのだが、そんな化学製品はこの世界にはない。もしかすると人間達は作っているかもしれないが、少なくともこの森にはシャンプーはおろかボディーソープもリンスもない。
「んっ……」
耳と尻尾を撫でるように洗うと少しこそばゆい。それだけ敏感なので激しく洗うのは厳禁だ。
「こんなものかー」
ある程度洗い終えるとシャワーを止めて流したことで前に垂れた髪を後ろにまとめる。そしてそのままお湯に足から浸かる。
この頃少し寒くなってきた。この世界に来た時にも既に肌寒かったことから、この世界ではもう既に冬の季節に入ろうとしているのだろう。それかそもそもこの世界の平均気温が私のいた世界と比べて低めなだけなのか。
「…………はぁ」
湯船に浸かった後にため息をつく。このため息はリラックスした時に出るため息と少し先のことを考えてのため息だ。
先のことを考えるのはあまり良くない。そうはわかっているが、生まれてきてから今までずっとしてきたことはそうそうすぐには止められない。意識していないと自然と考え込んでしまう。
「結局、何も変わってない」
少し前のこと。私は仙狐様とレーナさんと一緒に妖を倒した。しかしその後に更なる妖がレーナさんだけではなく他の人達をも殺した。
だからなんだと思うだろうが、私はあの光景を見てからずっと考えていた。
──結局、この世界では戦わないといけないんだ。
人間の時は魔族が攻めてくるということで、あんな奴らと一緒に私にはあまり得がないのに鍛えられた。
そしてこっちに来た時も、妖を倒すために人間の時よりかはマシな環境で鍛えられて。考えてみれば前の世界のような過ごし方なんて全くできていない。
「でも、前の生活もそれはそれで嫌だ」
元いた世界が恋しいかと言われればそんなことは無い。あの世界には私を人として必要とする人はいない。必要としているのは、己の感情を爆発させるための道具だ。自分を目立たせるための格下で貧弱な生き物だ。
「お母さん、お父さんに会いたい」
「帰りたい」
「もっと自由に過ごしたい」
人間だった時に受けた国での鍛錬中にそんなことを言っていた人間がいた。少なからず元の世界に帰りたいという人はいるのだろう。
──きっと、とても恵まれて。そして、強者の家庭に生まれたのだろう。でなければそんな発言はしない。
少なくとも、私は元の世界に帰りたいとは思ったことは無い。
──あの世界には、私の敵が多すぎる。
しかし、だからと言ってこの世界に満足してるかと言われればそんなことは無い。むしろこの世界も嫌いだ。
敵が多いことは何も変わっていない。人間が碌でもない生き物だということも変わってない。平和じゃないのも変わってない。肉体的、精神的に戦わないといけない事実も変わっていない。
この世界に来て変わったことといえば、少なからず仙狐様やレーナさんのような生き物もいると認識できたことだ。
私のいた世界とこの世界の人間は結局同じ。その他の極悪非道と呼ばれるような生き物も、戦わなければ殺される。平和とは程遠い。
「そんな都合のいい世界なんて、あるわけないか」
結局のところ、そう全てが私の思い通りにはならない。それをしようとするならば、言葉が通じる相手に言葉よりも武力で解決しようとする人間と同じだ。
自分以外の生き物を力で制し、逆らう者には容赦なく殺す。そんな生き物に私はなりたくない。
「何をそこまで考えておる?」
「いえ、特にそこまでのことは……」
この時、私は違和感を感じた。何故今私しかいないはずのこの場で仙狐様の声が聞こえるのか。周りを見渡しても仙狐様の姿はない。
「ここじゃここ」
「え?」
声が聞こえるのは少し上の方。しかしそこには当然仙狐様の姿はない。あるのは換気用の窓だけだ。
「んー、鈍いやつじゃのぉ」
「鈍くて悪かったですね」
「まあそう怒るでない」
その言葉の後に、突然換気用の窓から何かがこっちに飛び出してきた。そしてそれは私が浸かる湯船に落ちる前に壁を蹴り、湯船の前に着地する。その着地術はまるで猫のようだ。
しかし、降りてきたのは猫ではなく狐だ。それにこの狐は一度だけ見た事がある。確か、仙狐様が狐に化けた姿だったはずだ。見たのがここにきた初日だったこともあってうろ覚えだ。
「どうしてその姿なんですか?」
「少し家の屋根に登ろうと思っての。いつもの姿よりもすばしっこい動きができるから家の屋根とか隙間とかはこっちの姿の方が良いと思っての」
「猫ですか?」
「狐じゃ」
しかしその話が本当ならば、何故屋根ではなく今この場にいるのだろうか。様子を見に来るのであれば別に声なんて発する必要なんてない。
「何か用ですか?」
「すこーしだけゆっくり話す機会が欲しくての。ほら、最近妖の件で物騒じゃからその件でも話しておきたくての。あと日常的なこともじゃ」
「結構話したいことありますね」
「そりゃそうじゃ。神子が来るまではずっとこの時間帯は基本的に一人じゃったからそう気持ちになるんじゃ」
「ずっと……ですか」
ずっと一人。それが寂しい。そんな感情は普通の生き物ならば当然のように感じる。仲間や友人など自分にとって親しい人といることで安心感を持ちたいからだ。それに、親しい人といることによる幸せや喜びなども生き物ならば必ずしも感じたい。
しかし、私の場合はそんなことを思ったことは無い。昔から、どうも一人でいることが嫌ではなかった。むしろ集団でいるよりも一人でいることを望んでいた。
一緒に遊ぼう、どうして一人でいるの。こんなことを何度も聞かれたことがある。正直言って、余計な心配だ。
「そう言えば、『何も変わってない』とはどういうことじゃ? 少しだけじゃとしても変わったことはないのか?」
「……パッと見は変わっても、根本的には何も変わってないんです。……人を拒むことも」
生き物というのは一人でいるよりも仲間といる方が何かとうまくいく。最初の頃は少し一緒に行動してもいいかと思っていた。
しかしその考えはあの時に消滅した。結局人は仲間という存在を蹴落としてでも上を目指す。アニメや漫画などのキャラクターのような仲間のためになんて感情は、私の知る人間には絶対に抱かない。そう決意した。
いや、今考えればそういう考えをしているのは人間だけではないのかもしれない。その証拠に、人間をやめて妖狐になった私にもその考えが僅かにだがある。
生き物としての意思がある以上、生き物はみなそんなことを思っているのかもしれない。
「ふーむ。まあ、神子がそう思うんのならそう思っていれば良い。生き物にはそれぞれ違う考えを持っとるしの」
「そうですか。って、その言葉を聞いてるっていつからいたんですか」
「シャワーを浴び始めたくらいじゃな」
「結構前からいるんじゃないですか」
しかしかなり長く湯船に浸かっている気がする。実際は短いのだろうが、体がのぼせ始めている。
これ以上は完全にのぼせてしまうと思った私は湯船から出て浴室にあった椅子に座る。
「ん、上がるのか?」
「話すことがあればこの状態で聞きます。のぼせそうですから」
「なるほど。納得じゃ」
これから何を話すのか。先程挙げた妖についてや今後のことについての話をするのだろうか。もしもするとしたら、私に対する無茶はするなという忠告か本格的に強くなったらしい妖を探すのか。この辺りだろう。
私はそう思いながら狐の姿をした仙狐様をじっと見つめる。しかし、突然仙狐様はそっぽ向いて入ってきた窓に向かってジャンプした。
「え、あ、話はどうしたんですか?」
「なにか話そうとはしたんじゃが忘れた」
「なんですかそれ」
「まあそこまで大切じゃない話じゃったんじゃろ。多分そのうち思い出すじゃろう」
「はあ……思い出したらまた話してくださいよ?」
「わかっとる。それじゃ、また明日じゃ」
「あ、はい」
そう言うと仙狐様は外へと飛び出した。それを私はぼーっと眺めていた。そしてその後すぐに浴室から出、居間でくつろぎ始めた。
しかし妙なことに、仙狐様を浴室で見かけた後に戻ってきたのが屋根に登ったにしては少し遅すぎる時間だった。このことに少し気にはなったが、ゆっくりしていたのだろうと考え、そのままいつも通りに就寝準備をした後に私は眠りについた。
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