第8話 一年の前村という男
「ああ‼」
落胆の洩れた声が、彼方此方から聞こえた。
皆の視線が交わる先に目をやると、山なりのボールがゆっくりと空を泳いでいるところで、落下地点には相手校のライトがずっしりと構えていた。
落ちてきたボールを、ライトは大事そうに両手できっちり掴む。俺たちの負けが決まった瞬間だった。
結局、三点を追う展開から何も変わらず試合が終了し、三年の先輩の夏が終わった。
八人いる三年生の様子を窺うが、落ち込んでいる様子は見受けられるものの、泣いている先輩はいない。ほとんど汚れの無いユニフォームからも、その資格が無いのが見て取れる。
「行くぞ」
二年の誰かがそう言うと、皆が一斉にスタンドを後にする。
俺の中に、試合に負けた悔しさや、悲しみなどは生まれていない。他の者もきっとそうだろう。むしろ三年が抜けて、自分の時代が来たと喜んでいるかもしれない。野球に限らずスポーツは、見るよりやる方が面白いに決まっている。
「くそ‼」
俺も皆に倣ってスタンドを降りようと思っていると、苛立ちと思える叫び声が、近くから聞こえた。声の主を捜すとそれは、一年の前村だった。
「前村、先輩が呼んでるから行こう」
きっと演技なのだと思っていた。自分たちの高校が負けたとはいえ、俺たちは出ていない。だから負けたのは自分たちじゃなく出場したスタメンたちであって、俺たちが悔しがるわけはないと。悲しんだり悔しがったりするのは、その場のルールみたいなもので、葬式中に笑ってはいけないことと同じようなものだ。
「さあ早く! 皆待ってるぞ」
俺の呼び掛けに返事もしない。また、立ち上がろうとする気配も無かったために再度呼び掛けた。悔しい演技もこれ以上はしつこい。
「こんなところで負けるなんて……。まだ二回戦だぜ⁉ お前はどう思うよ⁉」
「おい、声がでかいって‼ 先輩たちに聞こえるだろ‼」
言葉の内容も、声の大きさにも驚いた。きっと何人かの先輩の耳に届いたと思う。何よりも、俺も一緒になって言ったと思われているのかもしれないことが気がかりだった。
「聞こえたって構わねえよ‼ だって見ろよ先輩たちの顔を‼ 本気で悔しがっている奴が一人でもいるか⁉ いないだろ⁉ あれだったらやる気のある先輩を出してやったらいいんだ‼ どうせそこまで実力も変わらないのに‼ 俺がもうちょっとでも上手ければ……。くそ‼」
演技なんかじゃなかった。前村は本気で悔しがっている。それどころか奴は、試合に出られない者たちの気持ちも汲んでいた。
俺は忘れていた。俺は今、団体競技をやっているんだった。自分さえ良ければ良かった中学までとは違う。目から鱗とはこういうことを言うのだな。目の前にいる同い年の男を俺は今、尊敬する瞬間だった。
「前村……」
「何だよ……?」
「再来年……いや、来年は俺たちがレギュラーになって、先輩たちの仇を取ろうぜ」
前村の目を睨むようにして言った。恥ずかしい台詞が自然と口から滑るように出た。奴の熱い気持ちに当てられた結果なのだろうが、悪い気はしなかった。
「ああ。でも、仇討ちには興味無いな……。俺たちで、この太陽高校を二度目の甲子園へ導こうぜ‼」
とてつもなく大きいことを前村が言っているはずなのに、この時の俺は、なぜだかそれが願えば叶うような、幼い頃の七夕の願い事のように思えた。そう、こいつとなら、甲子園なんて楽に行けるものであると、信じて疑わなかった。
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