第12幕

「もー! ヒマリは本当にダメダメだな!」


 すこーん!


「うぐっ!」


「ヒマリがお手伝いしたいって言うから、ラルカはちゃんと起こしにくるのにな!」


 すこーん!


「はうっ!」


──槍みたいに真っ直ぐなラルカのお小言が、小気味良い音をたてて陽葵の頭と体に突き刺さった。

 まるで、それが速度と質量を持っているかのように。

 苦悶の呻きと共に、陽葵の体がちょっぴり揺らぐ。


 ようやくと再開された朝のお仕事。

 その道すがら、廊下を二人並んで歩きながらの事である。


 陽葵が部屋を出てからと言うもの、先程の様にして、ラルカのお小言が延々と続いていた。槍みたいに突き刺さった沢山のお小言で、陽葵の体はすでにハリネズミのようになっている。


 こんな小さな女の子からのダメ出しでも、機関銃から発射される弾丸みたいな勢いでもらっていると、さすがにちょっぴりへこみそうだった。

 細かく刻む様に打ってくるボクシングのリバーブローみたいにジワジワと効いてくるのだ。


 情けなくも言われっぱなしの陽葵だが。

 彼女にだってラルカに対して「もう少しお手柔らかなモーニングコールをお願いできませんでしょうか?」っていう切実な訴えはある。

 しかし、それを言っても「そもそも起きれない自分が悪い」と言う根本をラルカが的確に指摘してきちゃうのが陽葵にとっては痛いところだった。お手柔らかな方法じゃ起きやしないから、ラルカも今の形に落ち着いたのだろう。


 最早、言うまでもないことかもしれないが。

 元の世界にいた頃から陽葵は朝が苦手だった。

 食パンを口に咥えて全力疾走しながら「遅刻しちゃうぅ!」なんて、ベッタベタなマンガみたいな事をリアルでやっちまう女の子なのだ。

 アイドル活動中はさすがにギリギリ遅刻したことはないが、その『ギリギリ』で関係各位──主に事務所の社長──のきもをキンキンに冷やしてきた過去がある。


「せめて目覚ましアラームが使えたら……!」


 くっ! と陽葵は唇を噛んだ。

 そう……これまで幾度となく彼女の窮地を救ってきたスマホのアラーム機能。この機能が使えないのは、彼女にとって痛恨事だった。

 ちなみにそのスマホだが、この世界に来た日から活動を停止している。

「陽葵ちゃんが倒れてたそばで拾ったのよ?」と、アディリスが陽葵に渡してくれたのだが……機械に疎い陽葵でさえ一目で「ぶっ壊れている」と確信することができた。

 何がどうしてそうなったのかは陽葵にも分かりはしないのだが。

 まるで凄まじい熱にでもさらされたかの様に、飴細工みたいにグニャグニャになって、スマホは珍妙な物体Xと化していたのである。


──まだ本体の支払いが残ってるのに。


 今は部屋に置かれ、不気味なオブジェとなってしまったスマホの事を思うと、陽葵の目尻に涙の粒が浮かんだ。

 くすん。


「……おい、ヒマリ。聞いてるのか?」


 陽葵の服の裾がつんつんと引っ張られる。

 またも思考の砂漠の民となりかけていた陽葵は、ハッとしてそちらを見やる。

 そこには、じっとりとした目付きで陽葵の顔を見上げるラルカがいた。

「いま、ラルカのこと無視してましたよね?」ってデカデカと書かれた顔だ。


「も、もちろん聞いてるよ! 反省してます! 明日からまたがんばります!」


 陽葵はぺこぺこと、真心70パーセント、おざなり30パーセントで頭をさげた。

 そして、水飲み鳥みたいにぺこぺこしながら。

 なんとかラルカの気を逸らすものは無いものかと、陽葵は日常で滅多に発揮されない素早さをもって周囲に視線を巡らせた──と、


「──あ、そのリボン。今日も着けてくれたんだ?」


 ラルカの緋色の髪。

 そこに鮮やかに映える黄色のリボンが、陽葵の目に留まった。


「……う、うん」


 まるで、ようやく気づいてもらえたとでも言う様に。

 ほんのりと笑みを浮かべ、ラルカの頬が桜色に染まる。

 そして、気恥ずかしげに少し俯くと、もじもじとリボンを指先でいじくりだした。


「せ、せっかくもらったから……使ってあげないとだから……」


「あはは、そっかそっか」


 先程までの舌鋒はどこへやら。

 照れ隠しとなると、途端に『もにょもにょ語』を喋りだすラルカ。

 そんな彼女を見つめながら、──こちらも先程まで「どうやって話を誤魔化そうか」なんて考えていた事も忘れて──陽葵は笑みを輝かせた。


 ラルカの身に付けているリボンは、鎧ムカデから守ってもらったお礼にと、数日前に陽葵がプレゼントしたものだ。


 ちょっとした時に陽葵が髪を纏める為に使っていたリボンなのだが、ポケットの中に突っ込んであったので一緒に世界を渡ることができたらしい。

 雑貨屋のセール品だったリボンなんて、命を守ってもらったお礼としてはいささか安すぎるとは思うのだが、生憎とこの世界へ持ち合わせた物が他になかった。

……強いて言えばグニャグニャになったスマホもあるが、それをプレゼントにしちゃおうと考えるほど、陽葵の脳ミソは幸いなことにそこまでポンコツじゃなかった。


「いっぱい使ってもらえて私も嬉しいよ」


 そういえば、と。

 思い返せば結構な頻度で、ラルカはリボンを身に付けてくれている。

 よほど気に入ってくれたのだろう。

 陽葵はにこにこと上機嫌に、この可愛らしい友人の頭をなでなでと撫でた。

 ラルカの獣の耳が、くすぐったそうにぴくぴくと動く。

 

「あのね、そのリボンの黄色。私がいた世界だと『向日葵色』って言うんだよ」


「……ヒマワリ?」


「そう、向日葵。こっちの世界にはないお花かなぁ」


 聞きなれない単語に。

 きょとんとした表情でラルカが陽葵の顔を見上げる。

 そんな異世界の年少者へと、陽葵はどこか得意気な表情で、向日葵について説明を行う。


「向日葵っていうのはね、大きくて黄色くて太陽みたいな……えーっと……元気いっぱいって感じの花なの」


 小学生並の語彙力だった。

 得意気ガールと化した陽葵と反対に、案の定、ラルカの顔には疑問符が大量にくっついている。


「ちなみに私の陽葵って名前も、その向日葵からきてるんだよ?」


「……ヒマリと同じ名前の花」


 陽葵の説明のせいでひどくボンヤリとしていた向日葵のイメージだが、陽葵の名前の由来だと聞くと、少しだけその輪郭がラルカにも見えた気がした。

……なるほど、きっと『元気いっぱいの花』に違いない。


「ヒマワリ……ラルカも見てみたい!」


 ラルカの顔にパッと笑顔が咲いた。

 槍をぶんまわすイメージが先行しがちだが、ラルカは花好きだって事を陽葵は知っている。


「そうだね。いつか一緒に見られたらいいのに」


 そのラルカの笑顔につられるように、陽葵の笑みもさらにゆるゆると緩む。

 どうやったら二人で向日葵を見る事ができるのか?

 その方法は皆目見当もつきはしないが、こんな笑顔を見せてくれるラルカの為なら頑張って方法を探してみようかなって思えた。


「……天使の笑顔っていうのは、こういうのを言うんだろうなぁ」


 並んで歩くラルカの笑顔を横目で見つめながら。

 陽葵はしみじみと呟き、ひとりごちるのだった。



◇◇◇◇

「鬼ぃーー! 」


 ぱっかん!


「悪魔ぁーー!」


 ぱっかん!


──振り下ろす斧が薪を真っ二つにする度に、陽葵の慟哭にも似た叫びが木霊する。

 必死の形相で斧を振り下ろす陽葵の背後。

 そこには彼女に割られるのを待つ薪が、山の様に積み上げられていた。


「口を閉じろ! 斧を振るえ! 薪は自分で割れてくれないぞ!」


 息を荒げながら薪割り台の上に新しい薪を置く陽葵へ、厳しい叱責が飛ぶ。

 お叱りの主は腕を組んで仁王立ちしていた。

 ほんのちょっと前まで『天使の笑顔の持ち主』と評されていた女の子だ。

 天使はどこに飛び立ったのやら、今はすっかり鬼軍曹さんになっている。


「そんなスピードじゃ朝ごはんまでに終わらないぞ!」


「ひぃぃん!」


 ぴしぴし!

 どこから持ってきたのか、都合の良い長さの細い枝切れをムチの様にして、ラルカが陽葵のお尻を打つ。

 打たれる度に情けない悲鳴をあげながら、陽葵は叫んだ。


「誰よ!? 天使の笑顔なんて言ったのは!!」


 見つけたら一発ひっぱたいてやるのに! ──心の中でそう付け加えもした。

 無論、犯人は自分自身だった。


「無駄口をたたくな!」


 自分自身はひっぱたけまいと言う様に。


 代わりにラルカの枝切れが陽葵のお尻を打つのだった。

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私、異世界で聖女《アイドル》やっちゃいます!! ひるこ @hiruko001

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