第3章 月は東へ、少女は『西』へ

第10幕

 月が沈み、日が昇る。


 地平の果てより光があまねく大地へと溢れで、くらく凍てつく闇を駆逐していく。

 夜露に濡れた草葉は陽光に瑞々しく煌めき、闇の内に身を寄せ合っていた小鳥達は光の訪れを賛美し高らかに歌う。

 ずっと遠い昔から。

 星霜の原初から続いてきた、世界の大いなる巡りの理。


 そんなことを長々と。


 つまり、なにが言いたいのかと言えば。


 今日もいつもと変わらぬ一日が始まったという事だ。



──森に住む小鳥達のさえずり。

 それが女の子の起動スイッチをひっぱたいたかの様に。

 翠緑の瞳をばちこんと開いたラルカは、自室のベッドの上でがばりと身を起こした。


 その表情には、眩しいくらいに生命のエネルギーが漲ってた。

 とても数秒前まで眠ってた人間には見えない。

「低血圧なんて野郎、あっしとは何の関わり合いもねぇこって」

──なんてな感じの、そんな寝起きの良さである。


 それもそのはず。

 ラルカは健康優良児。

……いや、ただの『健康優良児』じゃなくて、その頭の上には電飾された『超』って文字がくっついてて燦然とピカピカして輝いていた。

 世界が世界なら、もらった『たいへん元気でしょう』っていう表彰状で、部屋の床と壁が隙間なく埋め尽くされちゃうような女の子なのだ。そのありあまる元気は、立ち上がって両手を振り上げた熊よりも巨大なムカデを蹴り飛ばすことだって出来る。

 

 そんな超健康優良児なラルカの動きは、やはり寝起きとは思えない程にテキパキとしていた。

 なんせ、彼女の朝はやる事がてんこ盛りで予定がいっぱいなのだ。

 ラルカの寝相の悪さを物語るに余りある、ぐちゃぐちゃになったベッドをせっせと元の姿へ復元し。

 着ていたパジャマをせっせと折り畳むと、着なれた普段着へせっせと着替える。

 窓辺に置かれた鉢植えの花に、せっせと水差しでお水をあげるのも忘れない。


 せっせ、せっせ。


 いつもと変わらない、彼女のルーチンワークだ。

 だが、つい最近になって。

 そんな彼女の朝の行動に追加されたものがあった。


「~~♪」


 上機嫌なハミングを奏でながら。

 ラルカはドレッサーの前に腰かけると、鏡の中の自分へと向かって、にっこりと笑いかける。

 そして、自身の緋色の髪を覚束ないながらも丁寧に撫で付けはじめた。


 それは普通の女の子なら特に珍しいこともない光景である。

 しかし、ラルカは『普通』って言葉の範疇から、水溜まりのミジンコが見上げる夜空の星との間に横たわっている距離くらい逸脱してる女の子だった。

 特に、保護者のアディリスがこんなラルカの姿を見たら、誇張抜きで腰を抜かしただろう。

 なんせそれまでドレッサーなんて、ラルカには見向きもされていなかったのだ。「お前は特急サンダーバード37号か」って勢いで、その前を素通りされていたのである。

 異常事態──これまでのラルカを知る者にとっては、それも過言ではないほどの光景だったのである。


 自身の頭にくっついている獣の耳。

 その耳の先の毛並みまで、しっかりと繕って。

 ラルカはドレッサーの引き出しを開けると、その中からリボンを取り出した。

 黄色い布地にヒマワリの絵が白いラインで縁取られた、グログランリボンだ。

 命をかけた勝負の様な表情で鏡と睨めっこをしながら、ラルカはそのブキブキブキッチョな指先を駆使して、自身の横髪の一房へとそれを結びつける。

 見た目としてはお世辞にも上手く結べているとはやはり言えなかったけれども、それでもステータスの『おしゃれ』の項目に多少なりとのプラス効果はあった。


「……よし!」


 リボンの具合を確かめているのか、顔をちょっと左右に斜めにしてみたりして。

 満足した様子で元気に頷くと。

 ラルカはぴょいっとドレッサーの椅子から飛ぶようにして離れる。


 朝の身だしなみはバッチリだ。


 ラルカは廊下へ出ると、元気な笑顔を零れさせながら大股でズンズンと歩いていく。

 次に向かう場所もまた──最近になって追加された仕事の一つだった。



◆◆◆◆

──がっちゃんこ。

 ラルカがその部屋の扉を押し開けると、中から暗闇が溢れて来た。

 一緒に溢れた頬を撫でる空気もまた、まだ夜の冷たさを孕んでいる。


「ヒマリ、朝だぞー」


 ドアノブを握ったままの姿で、ラルカは暗闇の中に向かって声をかける。

 それは闇の中へ響いて、虚しくもすぐに消えた。

 返事は、無い。


「……むう」


 ラルカは腰に手を当てると、ぷくっと頬を膨らませる。

 返事が無いのは分かっていた。

 それは別に、ラルカが未来予知できる超能力者だとかそうゆう訳じゃない。

 陽葵と一緒に暮らすようになってから、毎日、毎日。

 こうゆう風に起こしに来ているのに、一度だって陽葵が起きていたためしはなかったのである。


 ほっぺを河豚の様に膨らしたまま。

 ラルカはずんかずんかと部屋の中へと進軍していく。

 そして、部屋に設えられたカーテンの前へ行くと、むんずとそれを握りしめ。

 闇を切り裂く様に、勢いよくそれを左右へと開いた。


 ──真っ白な光が、部屋の中へと向かってこれでもかと飛び込んでくる。


 ラルカは翠緑の目を細めて、朝の空を見上げてから。

 傍らのベッドの上でこんもりと膨らんだ布団の山に顔を落とす。

 布団の山は、まるで陽の光に焼かれて苦しむ吸血鬼でも入ってるかのように、どこか苦しげにもごもごと蠢いていた。

 その姿に小さく嘆息すると。

 半眼になったラルカは布団の山に手をかける。


「ほら……起きろ、ヒマリ! もうお日様が昇ってるぞ?」


 そんな声をかけながら「えいやっ」と布団をひっぺがす。

 中から多少それに抗う様な力を感じたが、ラルカの腕力の前にはあまりにも弱々しい抵抗だった。


「ぐああああああ……」


 苦しげな呻き声。

……なにが苦しいのか、ラルカにはさっぱり分からないのだけれど。


 引っ剥がした布団の下。


 そこには、まるで『蛹から成虫になる前に外にだされてしまった芋虫』のように、力なく呻きながら布団を元に戻そうと手をもたもたと動かす陽葵ひまりの姿があった。


 しばし、もたもたを続けた後。

 とうとう観念したのか、顔の前に手をかざしながら陽葵はうっすらと目を開ける。

 そして──


「まぶしい………死んじゃう」


──そして、それだけ呟くと、がくりと力を失ったように動かなくなった。


「ウソだぞ。死なないぞ」


 そんな陽葵の姿を見下ろしながら。

 ラルカのきらりと光る瞳は、一瞬で彼女の言葉の虚偽を看破した。

 その言葉が本当なら陽葵はラルカの前で、もう両手の指の数じゃ足りないくらいに命を落っことしている。


「何度も言うけど、朝は忙しいんだ。──ほら、早く行くぞ!」


 羽交い締めするように。

 ぐったりしてる陽葵の腋の下から、がっしりと腕を差し込んで。

 ラルカは問答無用とばかりに、寝間着姿の陽葵の体をベッドの上から引きずって、部屋の外へと引っ張っていく。


 ずるずる、ずるずる。


 ぐったりした陽葵の体を引きずっていくラルカの姿は、なんだか『死体を森へ捨てに行く幼い少女』と言った感じで、見る人が見ればサスペンスでホラーな香りを感じたかもしれない。


 しかし、そんなショッキングな場面に出くわす人間はこの場にいなかった。


……陽葵にとっては不幸な事に。





「────あああああああああああ???!! 」


「あら……もうそんな時間?」


 森の中から木霊する悲鳴。

 書斎にて本へと目を落としていたアディリスは、その悲鳴を聞いて掛けていた眼鏡を外すと、閉め切っていたカーテンを僅かに開く。


 差し込んでくる、やわらかな日差しが心地良い。


「ちゃんと着替えさせてってばああああ! 百歩譲って、せめてちゃんと起こしてええええ!!」


「起こしたもん! ヒマリが起きなかったから仕方なくだもん!」


 カーテンの隙間の向こう、森の奥から帰ってくる陽葵とラルカの姿が見えた。

 なんというか、もう──


「毎日、毎日、仲の良いことね」


 ベソをかいて帰ってくる陽葵の体は、泥だらけの葉っぱだらけ。

 また寝ぼけた彼女をラルカが引っ張り出したのだろう。

 すっかり、最近の朝の風物詩である。


 くすくすと笑みを零しながら、アディリスはカーテンを開く。



 今日もいつもと変わらない一日の始まり。

 ただ、日々はいつも少しの変化を含んでいる。

 それは誰にでも、平等に。


 しかし、今日に限って言えば──


「あああああん!」


 陽葵には大きな変化の日となるわけなのだが。

 べそをかいてる彼女はもちろん、それを知る由もなかった。

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