第9幕

 爆発と炎に巻かれたムカデはそれだけで、既に事切れた様子であった。

 砕け散った甲殻と、炭化した肉。

 その姿からは『虫の息』すらも感じる事はできない。


「──あらあらぁ。絶対絶命だったわね、ヒマリちゃん?」


 陽葵ひまりやラルカだけでなく、ムカデ達までも。

 その場にいた全員が、そんな光景に呆気に取られ動きを止めるなか。

 その人物は、そんな場違いな程におっとりとした声をその中に投げかけながら現れた。


「可愛いウチの子達を虐めるワルい子は誰かしらぁ? 」


 散っていく炎の残滓を纏う様に。

 緑の草地を踏みしめるその音は軽やかで。

 平時と変わらぬ様子そのままに。


──声の主は、陽葵達とムカデの間へ割って入る様に位置取ると、異形の相手へと向き直って対峙する。

 

「……そんなワルい子には、お姉さんが『メッ!』しちゃうわね」


 そう言って、ゆるやかな笑顔を浮かべる人物──アディリスの姿を認めて、陽葵は僅かばかりホッとした様な安堵の吐息を零す。

 しかし、すぐに。

 その彼女の背にじわじわと揺らめく様な静かな怒気を感じ取ると、陽葵は安堵の表情を引っ込めて、ごっくんと息を飲み込んだ。

 アディリスの感情の矛先は鎧ムカデ達に向けられたものの筈なのに、そこには見ているこちらまで緊張を強いられる様な迫力があった──いや、この場合『凄み』とでも言った方がしっくりくるだろうか。


 陽葵は思った。

 この中で、なんか一番アディリスさんが怖いんですけど──って。


「ヒマリちゃん、怪我はない?」


「は、はい! 私もラルカちゃんも無事です!」


 投げ掛けられる、おっとりとしたアディリスの声。

 その声に未だどこか放心気味だった陽葵も、ようやく現実に立ち返り、ハッとした様子で言葉を返した。


「そう、よかった……ラルカもよく頑張ったわね」


「うん……でも、まだ……」


 ムカデは残っている。

 ラルカの表情はそう訴えかけていた。


 保護者であるアディリスを前にしたせいだろうか、先程までの鋭い雰囲気はそこにはない。

 年相応の女の子らしい表情だった。

 頬を突っつけば今にもその翠玉の瞳から大粒の涙が零れ落ちてきそうな、そんな表情……。


「あ……」


──我慢してたんだ。

 ラルカの表情の変化を見て、陽葵は気付く。

 彼女が自分を守る為に、気丈に振る舞っていたのだという事を。

 恐ろしいと思う気持ちを押し隠して、雄々しく槍を構えていたのだという事を。


……自分が弱っちいばっかりに、この小さな女の子にそんな事を強いていたのかと思うと、陽葵の胸の奥がきゅっと痛んだ。


「……さぁ、二人とも。もうすこし後ろに下がっていてね」


 安堵から泣き出しそうな顔をする女の子。

 人知れず無力感に打ちのめされる女の子。


 それぞれの思いにそれぞれの表情を浮かべる女の子達を背にして、アディリスは残った鎧ムカデへと向き直る。


「アナタは熱いのと冷たいの……どちらがお好き?」


 相手へと向かって片手をかかげながら、まるでお茶の葉の好みでも聞く様な調子で首を傾げてみせるアディリス。


 それが戦闘再開の合図となったか。


 醜悪な大顎を目一杯に開き、まるで振るわれた鞭の様に鎧ムカデが襲い来る。


 その威力は折り紙付きだ。


 なんせ、ケーキに塗られたクリームを指でなぞる様にして、地面を抉る事が出来るのである。


──しかし。


 その大顎の切っ先が次の瞬間にはアディリスの体に届く、というところで。

 何故か突然、鎧ムカデは何かが軋む音を立てながら動きを急速に停止していく。


「「止まった!!?」」


「あらあら。『止まった』んじゃなくて……『』のよ?」


 不可解な行動停止を見せる鎧ムカデの姿に、陽葵とラルカは同時に叫んで同時に目をまん丸にした。


 そんな彼女達の反応をほんわかとした笑顔で見つめながら。アディリスは得意気とばかりに、ふりふりと人差し指を振って見せる。


「止めた? …………あっ」


 こんな時まで可愛いらしいんだから。


 呆れるやら感心するやら、アディリスの姿を見てそんなことを考えながら。

 あらためて鎧ムカデへと目を凝らした陽葵は、彼女の言葉の意味を知った。


「こ……凍っていく?」


──陽葵の言葉の通りに。


 鎧ムカデの体の内部を食い破ってくるように、至る所から突き出てくる氷の棘。

 その棘が全身へと広がっていき、見る見る間に怪物を氷漬けにしていく。


 その様子は以前に陽葵が何かのテレビで見た、培養皿の中で菌が増殖していくのを早回しにした映像のそれによく似ていた。


 そして、陽葵達の目の前に一体の氷の像が出来上がるのに、幾らかの時間も必要としなかったのである。


「これも……魔法なの?」


「そう! アディリスはただの魔法使いじゃなくて、凄い魔法使いなんだぞ? このくらいはパパパパッとやってスーッて出来ちゃうんだ!」


 目をぱちくりして驚く陽葵の横で、ラルカが「ふふーん」とその小さな胸を得意そうに張ってみせる。


……ラルカの言う「パパパパッとやってスーッ」の意味はよく分からないのだが。


 なるほど、きっとアディリスは凄い魔法使いなのに違いない。先程、ムカデの一匹を吹き飛ばした爆炎もアディリスの術の内だったのだろう──陽葵にそう確信させるだけの説得力が目の前の光景にはあった。

 むしろ、こんなことを出来る魔法使いが世界にゴマンといてもらっても困るだろう。


 そんな世界、コワすぎる。

 ファンタジー、コワすぎる。


「──これはオマケ。お熱いのもどうぞ」


 世界中が氷のオブジェでいっぱいになる──そんな妄想に陽葵がぶるりと身を震わせていたのを余所に。


 小さな火の玉を指先へと生み出したアディリスは、まるで飴玉を相手の口の中へと放り込む様な調子で、それを氷ついた鎧ムカデの口腔へと放り込む。


 次の瞬間──あれほどの威容を見せつけた怪物の体は、あっけないほど簡単に吹き飛んでしまっていた。


 完全に凍りつき、その体がしなやかさを失ったせいだろう。


 火の玉が生み出した爆発は、最初にアディリスが陽葵を助けた時のモノよりもずっと規模が小さかったが、鎧ムカデの体を粉々にしてしまうには充分であったらしい。


「はい、おしまい」


 まるで部屋の掃除を終えた後の様に、ぱんぱんと軽く手を打ち合わせるアディリス。


「…………」


 そんなアディリスの姿を見つめながら、陽葵は「ごくり」と音を立てて空気を呑みこんだ。──呑み込むのは、これでもう何度目だろうか? もう呑み込んだ空気でお腹がいっぱいになりそうだった。


 でも、仕方がないのだ。


 呑みたくなくても、空気の方が「こんなおっかない世界に出ていけるか!」って陽葵の中に帰ってきちゃうのだから。

 なんせ、あんなに滅茶苦茶な身体能力を見せたラルカが──自分と言うハンデを背負っていたにせよ──苦戦した怪物達を、とうとうアディリスは「あらあらうふふ」で簡単にやっつけてしまったのである。


 全くもって尋常の沙汰ではなかった。

 目の前の光景を異常と言っても誰も文句は言わないだろうし、言わせたくないと陽葵は思った。


……そして、あらためて。

 自分がものすんごい世界に迷い込んでしまったのだという事をビシビシと思い知らされたのである。


 そんなファンタジーの洗礼を受けちゃってる陽葵へと、静かな笑みをたたえたアディリスが振り返る。


「びっくりしたでしょう、ヒマリちゃん?」


「はい。これ以上ないってくらいにびっくりしてます」


 アディリスの言葉に即答すると、陽葵は力強く頷いて見せた。


「……そうでしょうね。人の住む場所から少し離れれば、こんな怪物が平然と存在している。ここはそんな世界なの」


──あ、そういう意味でか。


 微苦笑と共に目を伏せるアディリスに、陽葵は自分の『びっくりポイント』が彼女とズレている事に気付く。


 おそらくアディリスは「こんな怪物がいきなり現れてびっくりしたでしょう?」って言いたいのだろうけど、陽葵にとってはアディリスこそが一番の『びっくりポイント』だった。


 どうやらアディリスの生み出して見せた爆発の衝撃は敵の体だけでなく、その印象までも陽葵の中からぶっ飛ばしてしまったらしい。


 アディリスの言葉にさらに付け加えるなら。


 ここは『そんな怪物を「あらあらうふふ」でやっつけちゃうような人間と一つ屋根の下で暮らせちゃう世界』でもあるってことだ。

……そんな事を考えていると、半眼になった陽葵の口の端っこが笑った様にひきつった。


「それにしても──」


 正気を失った百人の暴走農家にクワで耕されたかの様な──そんな無惨な様相を呈す周囲を見回しながら。


「二人ともなにか変なことでもやったの? ……鎧ムカデがこんなに奥にまで入り込んで来るなんて異常事態もいいところよ?」


 アディリスは嘆息混じりに自身の細い腰へと両手をあてると、陽葵へと振り返る。

 そんなアディリスへと、陽葵は慌てまくった様にブンブンブンとかぶりを横に振りまくった。


「し、知りません! 私達、お喋りしてたくらいで別に何も変なことなんて!」


「……本当に?」


 まるで冤罪で法廷へと立たされた容疑者の様に。

 陽葵は、ただ自分達がお喋りしてただけだって事、お花を摘んで冠を作ってただけだって事を、懐疑的な表情を浮かべるアディリス裁判長に必死に訴えた。


──そんな陽葵容疑者の必死の弁明が行われている一方で。


 ラルカは不安気に表情を曇らせて、何かを探す様に辺りを見回していた。

 ほんの少し前まで白い花の姿も美しかったその場所は、散り散りになった花弁がその名残を成すばかりである。


「冠……どこいったんだ……?」


 きょろきょろと翠玉の瞳を周囲へ目配せながら。

 返事を求めて名を呼ぶように、ラルカはぽつりと言葉をこぼす。


……陽葵と一緒に作った花の冠。

 アディリスへの贈り物。


 先程の戦いの最中で取り落とし、その姿を見失ってしまっていたのである。


 あれほどの混乱だった。

 それは仕方のない事であった。


 しかし、ラルカにとってあの花の冠は「仕方ない」の一言で簡単に諦めることが出来るほど、軽い品物ではなかった。


「……あっ!」


 果たして何度目か。

 ラルカの視線が周囲を巡った時、少女の瞳が喜色に煌めく。


 小川のへりに僅かに残った緑の草地。

 そこに目当ての冠が、今にも川の中へと落っこちそうな危ういバランスで引っかかっているのを見つけたのである。


 曇り空が太陽を覗かせる様に。

 ぱあっと笑みを浮かべたラルカは、跳ぶような足取りで駆け寄っていく。



──その後の出来事において、そうなる理由は幾つかあった。



 ひとつは、乱戦の最中という事もあり充分に相手の絶命を観察する余裕がラルカになかったこと。


 ふたつは、アディリスという保護者の登場によってすっかりラルカは『年相応の女の子』に戻っていたこと。




──不意に。

 水の動く様な大きな音が、弁明を続けていた陽葵の言葉を遮る。

「なんじゃらほい?」とそちらへと振り向く陽葵は、目の前の予想もしない光景に、その瞳がぽろんと地面に落っこちそうなほど大きく目を見開いた。


 小川の中からそびえ立つ禍々しい姿。

 甲殻の隙間から滝の様に水を滴らせ、大鎌の様な顎の奥にある口腔からは緑色の体液を吐き出しながら鎌首をもたげる──それは、ラルカが槍を突き立て倒した筈の鎧ムカデの姿だった。


 そして、何よりも。

 そんな鎧ムカデに触れ合いそうな程の距離──川縁に少し残った緑の上にしゃがみ込んでいる女の子の姿にこそ、陽葵は己の目を疑わずにはいられなかった。

 そんな場所で何をしていたのか。

 ラルカはぺたりと尻もちをついて、鎧ムカデを見上げていた。その表情には驚きも恐怖の色も浮かんでおらず、突然の出来事に、立ち上がる事すらも忘れてしまったかのようである。


「離れなさい! ラルカ!!」


 この異常事態に一早く反応を示したのは、やはりアディリスであった。

 平時のほんわかした色を一切感じさせない、彼女の緊迫した鋭い声が空を裂く様にしてラルカを打つ。


 その声に。

 ラルカはビクッと身を震わせると、ようやく我を取り戻したようであったが……声も出せないのか、陽葵達へと振り向いた彼女の表情は目の前の恐怖へと慄いていた。


 槍を構えていた時の雄々しさはすっかりと消え失せ、面影もない。


 その表情は陽葵が最初に出会った時の、あの怯えきったラルカの表情だった。


 それ以上、陽葵はラルカの顔をもう見てはいられなかった。


「待ってて! 今、行くから!!」


「ヒマリちゃん!?」


 脇目も振らず、ラルカへと向かって駆け出す陽葵。

 その姿に、アディリスも今度こそは驚きを隠せない様子で声を上げた。


 もうラルカの顔をただ見ていることは、陽葵にはできなかった。

 この状況を打破できる何かなんて、もちろん陽葵は持ち合わせていない。

 なんせ彼女はただの、人よりも歌が上手いだけの元アイドルだった女の子に過ぎないのだから。


 だが、それはラルカだっておんなじだ。──陽葵は奥歯を噛みしめて走りながら、落ちていた槍を拾い上げると、鎧ムカデへと向かって投げつける。


 どんなに槍が上手だって、身体能力がめちゃめちゃ良くたって。

 ──ラルカだって女の子なのだ。


 陽葵は知っている。


 ラルカが極度の人見知りで、他人をロープでぐるぐる巻きにして、ついでに槍まで向けてきちゃう怖がりな女の子だってことを。

 そして、彼女が他人の為にお花を摘んで来てくれたり、大事な人の為にお花の冠を作りたくてぶきっちょながらも悪戦苦闘しちゃう、そんな優しい女の子だってことを。


 そんなラルカが自分の弱さを押し殺してまで、命がけで自分を守ってくれたのだ。

 

 今度は自分が彼女の為に──命がけになる番だ。

 そう思うと、陽葵の中に勇気が漲った。


 陽葵の投げた槍は、なんとも頼りない勢いではあったものの、なんとか鎧ムカデの体へとぶつかってくれた。


 鎧ムカデの注意が一瞬、槍へと揺らぐ。


 その隙を見逃さず陽葵は、驚き顔でこちらを見つめるラルカへと向かって、強く地面を踏みしめた。


「おりゃあああああ!」


 生まれて初めてのヘッド・スライディング。

 甲子園球児ばりの泥臭さで見事にそれを決めた陽葵は、ラルカの体を突き飛ばすと、ごろごろごろと地面を転がった。


「──ラルカちゃん!」


 すぐさま、がばちょと顔を上げる陽葵。

 陽葵から少し離れて──そこには、何があったのかと目をぱちくりさせているラルカの姿があった。


 ラルカとムカデ、両者との間にはだいぶ距離が稼げたと言っていいだろう。

 この位の間合いがあれば、ラルカならきっと逃げおおせる筈である。

 陽葵はその身を起こしながら、ホッと表情の緊張を緩めた。


「ひ、ヒマリ! 後ろ!」


 その反対に、今度はラルカの表情が強張る番だった。

 立ち上がろうとする陽葵の背後に、あの鎧ムカデの大顎が迫っている。


「……まいっちゃったなぁ」


 そんな異形の怪物を肩越しに振り返り、陽葵は苦笑いしながら、ぽつりと言葉を零す。

 ラルカを助けるという一事のみを持って飛び出した手前、その後の事までは全く考えていなかった。彼女なら時間さえ稼げば何とかするだろうとは思っていたけれど、自分自身をどうするかって事となれば、それはなおさらだった。


 万事休す。


 陽葵は今度こそ、自身の体がAパーツとBパーツに分離する事を覚悟した。

 スーパーロボットみたいに変形合体できる機能を持ってれば助かる見込みもあるだろうが、如何せん陽葵はスーパーロボットじゃない普通の女の子だった。


 あれほど恐ろしく見えた大顎が、今は不思議とさほどには感じられなかった。


 ラルカの命を救えたという満足感があったせいだろうか。

 どうせ、元の世界に帰るアテもない身の上である。

 普通の女の子の最期としては、十分過ぎるくらいにヒロイックだ。


 後悔はない。


 心残りなんて、ない──





「──本当に?」




 全ての時が止まった様な不思議な感覚。


 そんな中で。

 陽葵は自身の前に、誰かが立っている事に気づいた。


 丈の短い派手やかな衣装に身を包んだ女の子──それは紛れもなく、アイドル衣装に身を包んだ自分自身の姿だった。


 アイドル衣装に身を包んだ陽葵はその煌めく蒼色の瞳で、『普通の女の子』となってしまった陽葵を見つめている。


 死ぬ事を前にして、とうとう頭がおかしくなってしまったのだろうか?

 それとも、これが有名な走馬燈というやつなのだろうか?


 陽葵はそんなことを考えながらも、目の前に立つ『もう一人の自分』を直視できずに目を逸らす。……彼女は、今の陽葵にはあまりにも眩し過ぎた。


 煌めく陽葵は笑顔のまま、言葉を紡ぐ。


「本当にそうだって、私の前で言い切れる? 自分の全てを出し切って、やり尽くしたって言い切れる? もう自分の中には何も残ってないくらいに曝け出して、燃やし尽くしたって言い切れる?」


「それは──」


『自分自身』の言葉に、陽葵は返事を窮する。

 だって……そんな答え、考えるまでもないことなのだから。


「花籠流! アイドルのススメ! そのいちぃっっ!」


 突然、煌めく陽葵が声を上げた。

 その声にハッと、陽葵は俯いていた顔を上げる。


 それはアイドル時代、陽葵が自分を鼓舞する為に勝手に作り出した心得だった。

 ことある事にそれを唱えては自分を奮い立たせてきた──そんな言葉だ。


「って──えええっ!?」


 顔を上げた陽葵を待っていたかのように。

 大きく振りかぶっていた右手を振りぬくようにして、煌めく陽葵が目の前に立つ陽葵の頬をペチーンとビンタする。

 そして、


「あきらめません!──」


 その言葉の続きを促す様に。

 もう一度、大事な何かを思い出すようにと願う様に。

 煌めく陽葵はそう声をあげると、口の端っこに不敵な笑みを見せながら、もう一人の自分を真っ直ぐに見つめていた。


 そんなの言われなくたって。

 

 これまで幾百、幾千と口にしてきたのだ。

 そして、今だって──この胸の内で燃え盛っている。


 確かに感じる、ジンジンとした頬の痛みを胸に刻み付け。

 陽葵は力強く目を見開いた。


「あきらめません! トップアイドルになるまでは!!」




──鎧ムカデの大顎が地面へ深々と突き立った。

 ラルカの槍のダメージはやはり軽いものではなく、鎧ムカデの動きからは最初の頃のような機敏さは失われていた。

 そのお陰もあって。

 間一髪というところで、陽葵はその大顎を回避する事ができたのである。


 それはカエルが地面を跳ねるのに似ていた。

 お世辞にも華麗とは言い難い無様な動きだった。

 しかし、そんな事など物ともしない煌めきが、今の陽葵の瞳には燃えている。


 先ほどまでの事は夢だったのか幻だったのか、陽葵自身にも判断はつかない。


 しかし、それでも。


 この胸の内で燃える想いと共に、ハッキリと言える事がひとつだけあった。


「アイドルを──」


 ぼこりと大顎の先端を引き抜き、ゆらりと鎌首をもたげる鎧ムカデ。

 陽葵はそれを仁王立ちで見つめながら、大きく息を吸い込み──


「なめるなあああああああああああああ!!!」


 不敵な笑顔と共に、その言葉を相手へ向かって叩きつけた。



──その刹那。



 まるで審判の槌が振り下ろされたかのように。


 頭上から降り注いだ巨大な光の柱が、ムカデの巨体へと突き刺さる。



「こ、これは──」


 陽葵を助ける為に魔術を用意していたアディリスだったが、目の前の光景に思わず術の構成をほどくと、見入った様にして声を上げた。


 それは、凄まじい力の奔流だった。


 ムカデを倒す為にアディリスが使った魔術の数倍──いや、十数倍の威力があると見ても誤りはなさそうであった。

 しかし、アディリスを驚嘆させているのは威力云々だけではない。


「光を使った攻性魔術……?」


 そう、アディリスにとっては何よりも『光』である事が一番の重大事なのだ。

 もし、光を使った攻撃であるならば、そんな事が出来るであろう存在をアディリスはこの世界で『一種』しか知らない。

 そんなモノを陽葵が行使した──ように、アディリスには見えた。


 光に包まれた鎧ムカデの体が音も無く、真っ黒な灰の様になって崩れていく。

 そして、最後には。

 その灰の一握りも残さずに、完全な虚となって消え去っていた。


「ヒマリちゃん、今のは……」


 真偽を問いただそうと、陽葵へ歩み寄るアディリス。

 しかし、当の陽葵はと言えば──


「あ、ありがとうございます! アディリスさんのお陰で命拾いしましたああぁぁぁ……」


 歩み寄って来たアディリスへ、ひっしと抱き着くと。

 そんな言葉を、わあわあと喚いていた。

……どうやら諦めるのをやめて威勢よく啖呵を切ったものの、それからどうしようっていうのはやっぱり思いついていなかったらしい。


「ええっと──」


「アディリスーーーー!!!」


 抱きついてきた陽葵を受け止めていると、半べそをかいたラルカまでもが飛び込んでくる。


 どうも陽葵自身には何かの術を行使したという自覚はないらしく、ムカデを倒したのはアディリスだと思っているようだったが……最早、何事かを問いただすという雰囲気でもない。


 わあわあやっている少女達と周囲の光景、それらを見比べると小さな嘆息と共に肩を竦め。


「なんだか大変なことになりそうな予感……」


 まるで前途に並々ならぬモノが横たわっているのが見えたかのように。


 アディリスはぽつりとした呟きを零すのだった。

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