第7幕
「うわぁ……まるっきり絵本の世界だね、これは」
外へと出た陽葵は、辺りの風景に思わずそんな感想を零す。
大きな森の中にある、拓けた場所に建てられた一軒家。──森をバックにしたアディリスの家は、その古めかしい外観とも相まって、なるほど確かに『森に住む魔女の家』って感じだ。
「魔女……魔女かぁ。なんかこう、三角帽子にヨレヨレの服を着た、背中なんか直角に曲がっちゃった鷲鼻のおばあちゃんってイメージがあったんだけど」
かなりステレオな魔女のイメージであることは陽葵も認めるが、それにしてもアディリスはそんなイメージとは程遠い。
──サクサクと。
草を踏めしめるたびに聞こえる小気味よい音と濃厚な緑の香りに、思わず心が華やぐのを感じながら。
陽葵はラルカを探して家の周りを歩き始める。
「それにしても……アディリスさん、なんでこんな森の中に住んでるんだろう?」
ここが確かに素敵な場所であることは陽葵も認めるところだが。
あんな若い女の人が住む場所にしては少し不便過ぎないだろうか?
アディリスの言葉が本当なら、危ない事だって少なくないのに違いない。
しかも、ラルカって言う小さな女の子までおまけにくっついている。ラルカの外見年齢からすると、アディリスの娘というわけでも無い様に陽葵には思われた。それにアディリス自身、保護者とは名乗っても親だとは言わなかったし。だからこそ、二人の関係に対して大いなる疑問符がくっつくわけだけど……。
「ダメダメ! そーいう余計な事は考えない様にしなくちゃ。きっと色々と事情って言うのがあるんだろうし」
際限もない様子で、脳内に浮かんで来ようとする色々な憶測。
しかし、陽葵はぶんぶんと
恩人であるアディリスのプライベートに、自分の脳内での想像とは言えズカズカと土足で踏み込むなど失礼な事だ──陽葵は、そう自分を戒める。
「~~♪」
「……ん?」
そうやって。
しばし脳内から失礼な想像達を追い出す作業に従事していた陽葵だったが、どこかから聞こえてくる微かなメロディに気が付くと、辺りをぐるりと見回した。
歌声だろうか?
それは、アディリスの家の裏の方から聞こえてくる様だった。
「なんだろう、不思議な感じ……」
家の裏へと近づいていく毎に、次第に輪郭を成していくその歌声へと陽葵は意識を集中させる。
その歌は、ヨーロッパ辺りの民族音楽に近いものがあるだろうか。ただ、それも近いというだけであって似てるとまでは言いづらい。
歌詞の内容はと言えば……どうやら、誰かとの別れを惜しみ再会を約束する、そんな歌であるらしい。
初めて聞く歌。
しかし、聞いていると妙に嬉しい様な、懐かしい様な、切ない様な……なぜかそんな想い達が陽葵の胸の中に去来する。
そんな不思議な感情に、どこか心地よいモノを感じながら。
建物の裏へと周った陽葵の目に、これがアディリスの言っていたものだろう、豊かで美しい水の流れる小川の姿が見えてくる。
小川の畔──白い花が絨毯の様に咲いたその場所に、ラルカの姿はあった。
歌の主も彼女で間違いないようだった。
陽葵にはまだ気づいていないらしく、陽葵が先ほどから辿ってきた歌を口にしながら、辺りに咲いている白い花をその小さな手で手折っている。
陽葵の部屋の前に並べていた花も、ここから取ってきたものなのだろう。
陽葵は笑顔を浮かべると、自然体のままラルカの隣へと歩いていく。
彼女の傍らには出会い頭に自分へと向けられた鋭い槍の姿があったが、今の陽葵はもうそれすら気にする様子はない。
「……あ」
ラルカの歌が途切れる。
陽葵が近づいてくるのに気づいたのだろう。
しかし、やはり緊張した様に身を固くはしている様だったが、今度はラルカも逃げ出してしまうような様子はない。
「──よいしょ、っと」
ラルカの傍らに、陽葵はポスンと腰を下ろす。
地面との距離が近づいた分、花の甘い香りが濃くなる。
「…………う、ウロウロ出歩いていいのか? アディリスに怒られるぞ? アディリスが怒るとすっごいこわいんだからな」
まずはどう声をかけようか。
そんな事を考えていた陽葵だったが、意外にも先に口を開いたのはラルカの方だった。そちらを見やると、上目づかいに陽葵を横目で見上げている。
「そっかー、すっごいコワいのかー。……でも大丈夫だよ。ちゃんとアディリスさんには許可をもらってきたからね」
ラルカにとってアディリスは、やはり母親の様に頭の上がらない存在なのだろうか。彼女の言葉にそんな雰囲気を感じ取って、陽葵は微苦笑しながら頬をかく。
「ちゃんと自己紹介してなかったよね? 私、花籠 陽葵。お花のお礼、ちゃんと言いたくてラルカちゃんを探してたの……ありがと」
ラルカの顔をまっすぐ見つめて。
陽葵はやわらかな笑顔と共に、手に持っていた白い花を見せるとお礼の言葉を口にする。
その笑顔に、ラルカは顔を真っ赤にすると俯いてしまう。
「べ、別に……いっぱい取り過ぎたからちょっと分けてあげただけだ」
照れ隠しなんだろう。
モゴモゴと口ごもるように色々長々と弁明の言葉を口にするラルカを見つめながら、その愛らしさに思わず抱きしめたくなるのをグッと我慢し。陽葵はその感情を別のモノに代えて贈る事にして、周りにある白い花を摘み取りはじめる。
……幸いかどうかはともかく、ラルカの弁明は放っておけばしばらく続きそうな雰囲気があったし。
「──はい、ラルカちゃん。あらためて、これは私からのお礼だよ」
「え……わぁ」
陽葵は出来上がったものを手に一度、その出来に満足げに頷いたあと。
いまだ弁明を続けているラルカの頭の上にそれをそっとのせてあげる。
それは、白い花で作った冠だった。
陽葵にしても子供の頃に作ったきりだったので、その出来はちょっぴり不格好ではある。
しかし、そんな些細な問題などラルカにとってはどうでもいいらしく、頭に乗せられた花輪を手に取るとまじまじとそれを見つめ。
「……ありがとうだぞ、ヒマリ!」
ラルカは無邪気な笑顔で陽葵にお礼の言葉を口にした。それは陽葵が初めて見る、ラルカの笑顔だった。
「──あのな、ヒマリ。これ、アディリスにも作って持って行ってあげたい」
しばし小川の水面を鏡代わりにして、自分の頭の上に乗っかった花輪の姿を色々な角度から眺めていたラルカだったが、良い事を思いついたと言った様子の笑顔で陽葵の方へと振り返る。
なぜかは分からないがラルカからの警戒感が一気に取り払われたのを感じて、陽葵はホッとすると同時に嬉しくなった。
……鈍感な陽葵には気づけるはずもないが、ラルカの警戒感の正体は『嫌われたくない』という一心から来るものだったのに違いない。
嫌われたくないがゆえになかなか近づけない。
陽葵はそんなラルカの防衛線を無意識のうちに、ひょいっと飛び越えてしまったのだ。そして、ラルカも自分の内に入ってきた陽葵がやはり好ましい相手だったからこそ一気に打ち解ける事ができたのだろう。
言葉にすれば野暮な話だ。
とにもかくにも。
自分が受け入れられた事に陽葵は大いに喜び、「まかせんしゃい!」とばかりにドンとその胸を叩いて見せる。
「もちろん、教えてあげるよ。大丈夫、ぜんぜん難しいことなんてないから!」
──こうして二人は、しばらく取り留めのない事を話しながら和やかに時間を過ごす事になった。
目的である花輪の出来は、いかんせん師匠である陽葵自体がうろ覚えな事とラルカのぶきっちょぶりが際立って、お世辞にも素晴らしい出来の物が出来上がったとは言いにくかったのだが。
「~~♪」
ラルカが花輪づくりに奮戦奮闘する中。
陽葵は小川を見つめながら穏やかな気持ちのままに、先程までラルカが口にしていた歌をふと口ずさんでいた。
その歌声に、ラルカが目を丸くして陽葵へと振り返る。
陽葵の口にするそれは、ラルカが歌っていたものからすると彼女なりに少しアレンジが加えられていた。と言うのも、ラルカはさほど歌が上手な方ではないのか、メロディや音程に不自然な部分が多い様に感じられたからだ。その部分を陽葵なりにしっくりくるように変えている。
「……んー、いい歌だね──って、きゃっ!?」
──やがて歌い終わった陽葵だったが、突然、花輪を放ったラルカに押し倒され小さな悲鳴を上げる。
押し倒された勢いで、白い花びらが宙へと舞う。
肩を掴んで覆いかぶさるようにして、陽葵の上へとまたがるラルカ。
その表情にはどこか真に迫るものがあり、陽葵を大いにたじろかせた。
「メルカの歌……なんで陽葵が知ってるんだ!?」
「え、いや知ってるって言うか。ラルカちゃんが歌ってたのを聞いて覚えただけd──」
もしかして、歌っちゃいけなかった?
そんな考えが脳裏を過り、あせあせと言葉を返そうとする陽葵。
──しかし、そんな彼女の言葉は突然の地鳴りに中断してしまう。
「……地震?」
そう呟いたものの。
それにしては震え方が違うような気がする。気が付けばラルカもこの異変に対して、獣の様に耳をそばだたせているようだった。
陽葵もそれに
これは地震というよりはもっと近いところから何かが地面の中を盛り上がってきている様な──
そこまで陽葵の思考が行き着いた刹那、地面を突き破って複数の『何か』が陽葵達を取り囲む様に屹立する。
バラバラと土塊を辺りにまき散らし、もうもうと土煙の中に浮かび上がるシルエット。
そして、晴れていく土煙の中から現れた『それ』はどう見ても──陽葵には巨大なムカデの姿にしか見えなかった。
「なっ、なんじゃこりゃああああああああああああ??!!」
陽葵、大絶叫。
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