第6幕
ちょっと外に出るにしても、やはり一言でも断りを入れておいた方が良いのではないだろうか?
──そのまま廊下の窓から外へと飛び出しかねない位のウキウキ気分で部屋を出た
アディリスが様子を見に来たら部屋がもぬけの殻になっていて……なんて、そんな変な心配はかけるわけにはいかないだろう。
うんうん、とひとりごちる様に頷いた陽葵は、
アディリスを見つけるため、心無しか早歩きで廊下を歩き始める。
その時のウキウキ陽葵はすっかり失念していたが、それはつまり──また家中の『物置き』をひとつひとつ探訪する作業の開始を意味していた。
「──……うーん、この家でかくれんぼしたらオニが泣き出すまで隠れてられそう」
初見ほどのインパクトこそないものの。
扉を開くたびに目に飛び込んでくる光景に陽葵は半眼になると、ボソリと呻く様に呟いた。
実際、アディリスが何かの気まぐれで現在かくれんぼをしちゃっている状況だったら、探し出せる自信は陽葵には無い。
「いやいや、それはどんな状況──……ん?」
あのニコニコとした柔和な笑みを浮かべて一人でクローゼットに籠っている。
……そんなアディリスの一人かくれんぼしている姿を思い浮かべちゃった事に、律儀に自前でツッコミをいれる陽葵。
──あの匂いが、彼女の鼻先をくすぐったのはそんな時だ。
忘れもしない、ベリービターなかほり。
その匂いに、口の中で起きた大惨事がフラッシュバックする。
思わず陽葵はきゅっと眉根をひそめた。
だが、これほど手掛かりになる手掛かりもないだろう。
その匂いを辿った陽葵は、その先──『台所の様な物置き』でアディリスの姿を見つける事ができた。
エプロン姿に三角巾。
分かりやすいくらいに『ザ・料理中』と言った格好をした彼女は、その格好を裏切る事なく料理中だったらしい。
◇◇◇◇
「──え? ラルカが花を?」
何かの生地の様な物を伸ばしていたアディリスが、のし棒を片手に陽葵へと振り返る。
当然の様に鼻の先についた白い粉。
それがお姉さんっぽい容姿の中にあってギャップとなり、なんだか「反則でしょ、そんなん」ってくらいに可愛らしく陽葵には思われた。
それゆえに。
……と、そんな感想はとりあえず脇に転がしておいて。
鼻先白いアディリスへと向けて、陽葵は嬉しそうに手に持っていた花を顔の辺りまでかかげて見せる。
「そうなんです。ほら、これ。多分、ラルカちゃんが私の為に摘んできてくれたのかなって」
「あらあらまぁまぁ。あのラルカがねぇ……これはいよいよもって珍しい事もあったものね」
本当に珍しいことなのだろう。
ちょっぴり目を丸くしながらも、しかし、どこか嬉しそうに微笑みながら。アディリスはしげしげと陽葵の手にある花を色んな角度から見て回る。
「私、ちゃんとラルカちゃんにお礼が言いたくて……と、言うわけで。ちょっと外にラルカちゃんを探しに出かけてきます!」
「…………」
「……あれ?」
急に微笑み顔のまま黙り込むアディリスに、陽葵は思わず素っ頓狂な顔で声を上げる。
てっきり間髪いれずに「あらあらまぁまぁ、行ってらっしゃ~い」と言うアディリスのほわほわリアクションがあるもんだと思っていただけに、この沈黙は陽葵にもかなりの想定外だった。
そんな、きょとん顔でアディリスの顔を見つめ返すに陽葵に、アディリスは微笑んだまま口を開いた。
「だーめ」
「え……ええっ!?」
アディリスから飛び出した言葉に、今度は陽葵が思わず目を丸くして後ずさりする。
これこそ想定範囲を遥かに超えたアウトレンジ攻撃だった。
そんな陽葵を尻目にしてアディリスは、目の前に置かれた生地をのし棒で伸ばす作業を再開する。
「ダメって言ったの。ヒマリちゃんの気持ちはラルカの保護者として嬉しいけど……外は危険なの。デンジャラスなの」
「危険って……そんな、家の周りをちょっと探してみるだけですから!」
普段はそれなりに聞き分けの良い事に定評のある陽葵だが、こればかりは納得いかないと言った表情でアディリスに食い下がった。
アディリスの言わんとすることはもちろん分かる。
この家を遠巻きに囲む、あの黒々とした森。
そんな中へノコノコと入っていこうなんて事までは、陽葵だって思っていない。だって『何が出てくるか分かったもんじゃない感』が半端じゃないのだ。
九州の田舎にいた頃。
父親とタケノコ取りに入った竹林の中で猪に出くわして追いかけられ、生きるか死ぬかという経験を陽葵は持っていたが、その時の猪など可愛く思える様なモノが出て来そうな凄みがあの森からはビンビンに感じられた。
この様子だと、ラルカはアディリスからきちんと外を出歩く許可をもらっているのだろう。という事は、あの小さな女の子はすくなくとも、陽葵よりは危険に対処できる能力があるに違いない。
そんな女の子と同じ調子で出歩けるとは思わなかった。
あくまでも、家の周りを探してみるだけ。
陽葵は自身にできる範囲内で、感謝の気持ちを表現したいだけなのだ。
そんな陽葵の様子を横目で見ていたアディリスは小さく嘆息を零すと、陽葵へと向き直る。
「家の周りにある柵と、裏を流れてる小川。そこまでが私の張った『獣除けの結界』なの……その向こうには絶対に行かないこと。約束できる?」
「そこから先に行けば、誰かの美味しいご飯になっちゃうわよ?」──普段と変わらない声の調子でありながら、そんな有無を言わさぬ重たさを孕んだアディリスの警告に、思わず息を呑みこむ陽葵。
しかし、アディリスはすぐにほわりと笑みを浮かべなおし。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
「は、はい!」
微笑みながら小さく手を振って見せるアディリスに、陽葵はパッと顔を輝かせる。そして、アイドル営業仕込みの深々としたお辞儀を置いて、外へと向かって早足で台所を後にしていった。
「やれやれ、
陽葵の後ろ姿を見送りながら、小さく肩を竦めるアディリス。
しかし、のし棒を手に作業を再開する彼女の口許は、やはり嬉し気に緩むのだった。
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