第5幕

「ところで、ヒマリちゃんは片付けとか得意なほうだったりする?」

 

「え? えーっと、その、マメな方じゃありませんけど人並みくらいには……」

 

「あらあらまぁまぁ、若いのに立派だわぁ。私、そっちの方はてんで苦手で」


「そ、そうなんですか? あは、あはは……」


 そうじゃないかと思ってました。

 

 コロコロと乙女の様に笑うアディリスを見て、陽葵はそんな言葉をグッと飲み込むと、苦笑いを浮かべてアディリスの笑い声に追従する。

 そんなカミングアウトなくたって、この家の部屋のひとつひとつを見て行けば最後まで回るまでもなく、その答えに辿り着けるだろう。

 言っては悪いが陽葵からすると、それくらいこの家は片付いてない。

 


──部屋へと案内される道すがらの事である。

 

「ついでに家の中も一通り見せておくわね」と言うアディリスの提案により、家の中を案内してもらった陽葵。

 そんな彼女を待っていたのはカオスの極致であった。


 とにかくもう、何もかもが出しっぱなしのどっ散らかしでゴチャゴチャなのだ。

 部屋には『応接間』だとか『寝室』だとか、その役割ごとに名前があるものだが、ここでは全てが等しく『物置き』という名前で呼べてしまう。『寝室』を例にとって言えば、そこは『物置きの様な寝室』ではなく『寝室の様な物置き』なのだ。


 もしかしてこの世界には『物を出したら元の場所に戻す』って言う概念が存在しないのでは?──と、奇妙な戦慄が陽葵を襲った程である。

 しかし、アディリスの反応を見るに異世界においてもこの状態は正常なものとは言えない様で、彼女もそれについては自覚があるらしい。もっとも『恥じらい』とか『反省』とか、そう言った自戒の段階は通り越してすでに『開き直り』の域に達してしまっているようだったが。

 見た目がパーフェクト美人さんなアディリスだけに、このギャップの衝撃には陽葵でなくてもクラリと眩暈めまいを感じておかしくない。


 これを片付けるとなると、何日必要になることか。


 もしくは『何週間』と言い換えてもいい。

 なんにしても気が遠くなることだけは確かだ。──コロコロと笑うアディリスと一緒に苦い笑いを零していた陽葵は、そこに思い至ると眉間に皺を寄せて半眼になった。

……別に『家に置く代わりに家事をしろ』なんて強制する様な事をアディリスは一言も口にしてはいないのだが、なんだかんだですでにヤル気になってる辺りは、おっちょこちょいでお人好しの陽葵らしいと言えば彼女らしい。


 しかし、陽葵の笑顔を苦くしているモノについては、部屋の惨状だけが原因と言うわけではなかった。

 

「それはそうとして。アレ……なんとかなりませんか?」

 

「アレ? ……あぁ」

 

 陽葵は先程からの半眼のままに、自分の後ろの方を指さしてアディリスへと訴える。

 不思議そうな顔でそちらを見やったアディリスは、得心したと答える代わりに小さな嘆息を漏らしていた。

 

 ──陽葵の指さす先。

 そこにあったのは不自然に開かれた部屋の扉。そして、その陰からピョロンと飛び出しているのは緋色の髪と獣の様な耳だった。

 二人が見つめる中。

 その髪と耳の持ち主は、扉の陰からコソリと顔を半分だけ覗かせる。

 

「…………………」

 

 無言のまま。

 燃える様に煌めく翠玉の瞳が、陽葵をじっと見つめていた。


 ラルカ・メルカ。


 陽葵にとっては、何かと強烈なインパクトと共に記憶に刻まれている女の子だ。インパクトってのは言う間でもなく、槍とか槍とか槍とかもしくは槍の事だ。

 

 こっそりと尾行して、バレていないつもりだったのだろう。


 陽葵とアディリスの二人が自分に気づいている事を知ると、ハッとした様に目を丸くして。ラルカは扉の陰から飛び出すと、今度は廊下に設えられた窓のカーテンにサッとくるまって身を隠す。……隠すと言っても『上半身隠して足隠さず』状態ではあったけれど。

 

「さっきからずっと、あーやって後ろを付いてきてたみたいで……視線がこの辺りに当たりっぱなしで何かもうムズムズしちゃって」

 

 そう苦笑しながら、陽葵は頭の後ろを手でさする。

 これでも元アイドルだった女の子、他人から向けられる視線には敏感だ。

 あーして何時いつからやっていたのか定かではないが、少なくともアディリスと一緒に応接間を出た時くらいには陽葵はラルカの存在に気づいていた。

 気づいていたけどアディリスになかなか言い出せなかったのは、ラルカの視線から感じる圧力のせいだった。漬物石でものっけられたかのようなそのプレッシャーは、おいそれと振り返るのもためらわれるほどだったのである。

 

「まぁ、ラルカも悪気があるわけじゃないんだけど。お客さんが来るとどうしても……ね? ──とはいえ、これからしばらくヒマリちゃんと一緒に暮らすわけだし、ずっとアレでも困るのは確かね……」

 

 そう言って困った様な笑みを見せていたアディリスだったが、すぐに表情を引き締めると。


「ラルカ・メルカ!」


 カーテンにくるまってミノムシになっているラルカへと向けて声を上げた。

 その声に、カーテン・ミノムシがびくりと身を震わせる。


「こちら、ヒマリちゃん。しばらくここに泊まってもらうことにしたわ。……さぁ、カーテンから出てきて改めてご挨拶なさい!」

 

……いつもはどこかほわほわとしたお姉さんと言った風情のあるアディリスも、ラルカへ対してはまるで彼女の母親の様な印象を纏う時がある。


 アディリスの言葉にカーテンの隙間がゆっくりと開き、中からラルカの顔が覗く。

 ラルカのエメラルドの瞳は、まずアディリスの顔色を窺うように彼女を上目づかいに見上げた後、ゆるゆると陽葵へ移ってゆく。

 

「よろしくね、ラルカちゃん」

 

「!!」

 

 自分へと向けられるラルカの視線。

 陽葵はラルカを驚かせないように、努めて明るい笑顔を浮かべて挨拶を投げてみる。


 だが、それが彼女に受け止められる事はなかった。


 最初に出会った時のデジャヴュの様に。

 大きく身を震わせたラルカは廊下の窓を開け放つと、まるで解き放たれた矢の様に外へと飛び出していってしまう。

 

「あ……」

 

 そんなラルカを呼び止める暇も無く。

 陽葵の投げた言葉だけが虚しく廊下に落ちて転がった。


 その一連の光景に、一際大きくアディリスが嘆息を吐く。

 

「やれやれ……ごめんなさいね、ヒマリちゃん。もう少し時間が必要みたい」

 

「いえ、私は大丈夫なんですけど。もしかして、なにかラルカちゃんを怖がらせるようなことしちゃったんでしょうか……?」

 

 イモムシ事件の時にアディリスは「気にしなくていい」なんて事を言っていたが、陽葵としてはやはり気になるところだ。

 

「大丈夫……だと思うけど、今回はちょっと様子が違うみたいね。もちろん、ヒマリちゃんの事が怖いだとか嫌いだとかそういうことじゃないと思うの。私以上に熱心にあなたの事を看病してたのはラルカなのよ? ……まぁ、夕飯までには帰ってくるでしょうし、その頃にはあの子も少しは落ち着いているでしょう」


「そうだといいんですけど……」


 微笑むアディリスに、苦笑を返しながら。

「大丈夫です」とは言ったものの、陽葵としても理由も分からないまま嫌われるってのはかなりへこむ話だし、保護者のアディリスから嫌われてるわけじゃないと保証してもらっただけでも多少はホッとした気持ちになる。

 ただ、かといって全く気にならなくなるかと言えば、もちろんそんなことはない。


 すこし寂しげな陽葵の表情に気付いたのか。

 気分を切り替えるように、ことさら明るい声を上げてアディリスが陽葵の背を押して歩き始める。


「……さて! ちょっと時間をとらせちゃったけど、もう部屋に案内しちゃうわね。ヒマリちゃんも夕飯までゆっくり休んでおいて?」



◇◇◇◇

 結局、陽葵が案内されたのは最初に彼女が目を覚ました部屋だった。

 

 もともとここは客室として使われていた部屋で、陽葵の看病の為にひさしぶりに開かれた場所らしい。


──すこし埃っぽいかもしれないけど、ごめんなさいね。


 それは去り際に残していったアディリスの言葉だったが、散々っぱらこの家の『物置き』巡りをした後では、少し埃っぽいくらいなんて事ないと思えてしまうから不思議だ。元が客室で閉め切ってあったせいか、他の部屋の様に本や衣類がどちゃどちゃと落っこちてるなんて事がなかったのも幸いだった。

 

「ぶはぁぁぁ……つかれたぁぁ」

 

 アディリスが去った後。

 陽葵はベッドの上へとうつ伏せに倒れ込んだ。

 ふかふかのベッドに包み込まれる感触がとても心地よい。

 その状態でしばらくもぞもぞとベッドの上でうごめく陽葵だったが、ごろりと体勢を変えて、部屋の窓の外に見える光景へと目を移した。


 そこに見えるのは、大きな森と蒼い空。

 

「ここって本当に異世界……なのかな?」

 

 自分がマレビトだとアディリスは言う。

 だがそれもあくまで彼女だけの言葉であり、陽葵にとっては確証と呼ぶにはいまいち頼りない。


 そう……現状を含めて、全てがあやふやなのだ。


 このままでは『自分』というモノまで輪郭がぼやけて有耶無耶うやむやになってしまいそうな──そんな漠然とした恐ろしさの様なものが陽葵の心の中にはあった。

 

「はあああああぁぁぁぁぁ……どうしよ」

 

 自分の中で渦巻いている不安を吐き出そうとするように大きなため息を吐き出しながら、枕へと顔をうずめる。


……コトリ、と。


 窓の外から物音がしたのはそんな時だった。

 

「……?」

 

 緩慢な動きで少しだけ顔を動かし、目の端っこで窓の外を見やる陽葵。


「…………」


 そこには、緋色の髪と獣耳が、窓の外でぴょこぴょこと動いているのが見えた。


 なにしてるんだろう?


 そう思う陽葵だったが、ラルカに声をかけるのは控えておく事にした。

 またびっくりさせて逃げ出されてもアレだし、なによりそのぴょこぴょこ動く姿がなんだか愛らしくてしばらく眺めておきたかったってのもある。

 

 陽葵が気づいていることなど、露とも知らない様子で。


 窓枠の下からラルカの小さな手が伸びてくる。

 どうやら、その窓縁まどべりに何かを並べている様子だった。

 ラルカのその作業は、時間にすればそう長いものではない。

 やがて何かを並べ終えた様子で、ラルカの緋色の髪と獣耳がぴょこぴょこと移動して見えなくなっていく。

 

「ラルカちゃん、なにを並べてたんだろ?」

 

 ベッドを降りると、ひょこひょこと窓の方へ歩いていく陽葵。

 そして、窓縁に並べられたものに目を丸くした。

 

「わぁ……」

 

 そこに並べられていたのは……綺麗な白い花だった。

 つい今しがた摘んできたばかりなのだろう、どれもまだ瑞々しい姿を保っている。

 

「もしかして、私の為に摘んできてくれたのかな?」

 

 陽葵は窓を開けると、並べられた幾つかの花の内から一輪を手に取って、ラルカの姿を探して外を見回す。

 すでに彼女の姿はそこになかったが、白い花の甘やかな香りと共に、陽葵の心の中にじんわりとしたあたたかさが広がっていく。

 

「……うん。やっぱりお礼はちゃんと言わなきゃね」

 

 この部屋で目覚めてから今まで、初めて見せる陽葵らしい明るい笑顔。


 そう思い立った次の瞬間には。


 一輪の白い花を手に、陽葵は外へと向かう為に部屋を出ていた。

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