第4幕
部屋中に立ち込める苦い匂い。
果たして『苦い匂い』という表現が日本語的に正しいかどうかはともかく。
少なくともそれは、テーブルの前に座ってちょっぴり顔をしかめさせている
「もうちょっと待っててくれる? 今に出来上がるから」
部屋の一角に
「あ……とうとう出来上がっちゃうんですね、それ」
そんな明るい言葉を受けても、思わずイヤそうな調子が滲み出る声で応対しちゃう陽葵。
失礼だったとは心の中で反省しつつも、かと言って「待ってました!」ともなかなか言いづらいのが正直なところだった。
なんせ嗅覚を刺激してやまないその匂いは『漢方薬とかの独特な臭いを数倍にして、そこに青臭さとか泥臭さとかをプラスするとこんな匂いになるのかもしれない』って感じの代物なのだ。どの要素をとっても、陽葵の期待感をちょっぴりでも煽ってくれるようなもんはなかった。
さて、なぜ陽葵がこんな責め苦にあうことになったのか。……いや、相手も陽葵に嫌がらせしてやろうって訳じゃないのだろうけど。
ともかく、話は陽葵がイモムシから人間に戻った頃までさかのぼる。
◇◇◇◇
──微笑みかけてくる女性に向けて、苦笑いしながら肩なんて竦めて見せ。
だが、そんなことはもちろんない。
なんせ彼女は現在進行形で、絶賛『ここどこやねん』状態なのだ。
ラルカと呼ばれた女の子の槍の恐怖から解放されたのも束の間。
むしろ目の前からとりあえずの脅威が無くなったせいで、その辺にぶん投げていた疑問やら不安やらが陽葵の脳内にドヤドヤと大挙して帰ってくる。
しかも、そいつらは10代の女の子の脳みそで一瞬に整理がついちゃうほど、取り扱いの簡単な連中じゃなかった。
肩を竦めて苦笑いを浮かべたまま、自分の現状を思い出しちゃった陽葵の顔がどんどん青ざめていく。
そして、モーフィング映像の様に流れる動きで顔を両手で覆ってその場にうずくまると、陽葵は寝床を潰されてしまった小動物の様にふるふると震え始めた。
「ひぃぃん……ここどこぉ」
お気楽ノーテンキを日頃から安売りしてる陽葵だが、それにだって限度ってのはある。顔を覆った両手の隙間から、彼女の悲しみMAXな声が溢れ出す。
「あらあらまぁまぁ……」
そんな陽葵を見て。
金髪の女性は相変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま、うずくまる陽葵の隣にしゃがみこむと、その肩を抱くようにしてそっと優しく手をまわす。
「すこし混乱させちゃったかしら。――まずは落ち着いて。お茶でも飲みながら、ゆっくりお話しましょう?」
「は……はい」
優しげながらも、知性に裏打ちされたしっかりとした声。
……そんな自分の肩を抱いてくれている女性の声に幾らかの冷静さを取り戻した陽葵は、女性に促され立ち上がった。
まなじりにほんのちょっぴり涙の跡が見えたが、陽葵はすぐにそれを手で拭い。
「ひとりで立てる?」と気遣わしげな女性の声には、はにかむ様な笑みを浮かべて頷きを返して見せた。
そんな陽葵の様子に彼女の芯の強さを感じ取ったのか。どこか感心した様子で陽葵に笑みを返すと、女性は先導するようにゆっくりと歩き始めた。
――案内されるまま。
見知らぬ場所を歩く緊張感にちょっぴり表情を固くしていた陽葵だったが、通されたその部屋を見て、彼女は唖然とした様子で口を大きくあんぐりとあけた。
その部屋は、いわゆる『応接間』と呼ばれるものなのだろうか。
ログハウス調の室内はゆったりとした空間のある造りで、大きなテーブルと対面する様にして置かれた二人掛けのソファーが鎮座している。
他方へ眼を向ければ立派な暖炉も設えられていて、年季の入った大きな本棚が壁を覆う様に幾つも並び、その中にはこれまた古めかしい本がぎっしりと詰まっていた。
……そうとだけ他人に伝えて字面だけ見て想像すると、わりとお洒落な部屋だと感じる者もいるかもしれない。陽葵だってなかなか素敵な部屋だと思う。なにかのファンタジーに出てきたってなんら遜色ない
……尋常じゃないくらいゴチャゴチャと散らかっている事に目を瞑れば、だけど。
「さ、遠慮しないで中へ。ここに座って待っててね。私お手製のおいしい薬草茶をご馳走しちゃうから」
「……は、はあ…」
あまりの散らかりっぷりに唖然としたままの陽葵に気づいた様子もなく、女性はてくてくとソファーの前まで歩いていくと、その上に堆積していた本やら衣類をバサバサとその辺に放っていく。そして、そうやって一人が座るだけのスペースを作ると、にこにこと笑顔のままに陽葵を部屋なの中へと手招きする。
その知的な外見を裏切って谷底に突き落としちゃうような女性の姿に、再びと唖然とさせられつつ。それでも陽葵は言われた通りにソファーに腰かけて、彼女が言う『おいしい薬草茶』を待つ事になった。
──思えばその時すでに、陽葵の中に何かイヤな予感はあったのだが。
やがて、暖炉の火にかけられた鍋の中から言いようのない匂いが立ち昇り始め。
その匂いから陽葵がネガティブな味の想像を行っている内に、現在へと至るわけである。
◇◇◇◇
「はぁい、おまちどうさま」
……お世辞にも心待ちにしていたとは言えないわけだが。
そんな厭世とした表情の陽葵を余所に、女性は上機嫌な様子でお茶の入ったティーカップを陽葵の前へと置いた。
綺麗な装飾が施された見事なティーカップだ。それゆえに、入ってる中身の見た目が完全に『湯気の立つ泥水』だったのが陽葵には悔やまれてならない。
「あ、ああ、あの…お茶はゆっくりいただくとして。まずはお話を……!」
カップの中身を一瞥し『もしかしたらアレなのは匂いだけで見た目はわりとまともなのかもしれない』という内心で抱いていたかすかな希望が打ち砕かれた事を知った陽葵は、何かかから逃げる様に、目の前に座った女性へとテーブルを挟んだままずいっと詰め寄る。
もちろん、単にお茶が飲みたくないからって言う方便だけでなく、これは陽葵の本心だ。
一刻も早く自分がどこにいて、どんな事態に巻き込まれているのか、それらを把握しておく必要がある。
「あら…そう? あったかい方が美味しいんだけど……まぁ、それじゃ私の自己紹介から始めましょうか」
陽葵の言葉に至極残念そうな表情を見せながらも。
すぐに気を取り直した様子で、女性は穏やかな笑顔を浮かべながら、自身を指し示す様にその豊かな胸へと手を当てる。
「私はアディリス。ここ……エルミタージュの森に引っ込んで薬士の真似事をしている魔術士よ」
「……へ?」
金髪の女性――アディリスの言葉を受けて、陽葵は鳩がマグナムを食らった様な顔になった。
そして、撃たれた鳩になったまんまの顔で、目の前にいる命の恩人のお脳をわりと本気で心配した。
アディリスっていう明らかに日本人離れした名前については、陽葵にも容易に受け入れる事ができるものだ。なんせ外見からして明らかに日本人じゃないのだから、これで『よし子』とか名乗られちゃう方がどう反応していいか困ってしまう。
問題はその後だ。
「アディリスさんって……その、魔術士さん…なんですか? 本気と書いて『マジ』なんですか……?」
「ええ、本気と書いて『マジ』よ。森の外では私の事を『エルミタージュの魔女』なんて呼ぶ人もいるわね」
「え? あ、あはは。そうなんですかー、あはは」
こわごわ、おそるおそる。
ちょっぴり口の端がひきつった笑顔で問いかけ直す陽葵に、アディリスは明るい調子で言葉を返してくる。
――これは『重症』かもしんない。
ひきつった笑顔でアディリスと対面しながら。
そんな事を考える陽葵の頬を、嫌な汗が一筋伝う。
命の恩人に対して「重症かもしんない」とは何事かと、陽葵自身そう思う。失礼の極みと言っていいだろう。
だがこの現代社会において、職業を魔術士と名乗る事がどれだけ変てこな事かを今さら説明するまでもないだろう。
そんなのが履歴書で通用するのは『ファイナルなんとか』とか『なんとかクエスト』の世界だけだ。
そもそも『エルミタージュの森』とはどこなのか。そんな中世ヨーロッパ風の名前がついてるような森なんて葦柄町にはないはずだ。いや、あってもらっても困る。
あまりに突拍子もないアディリスの言葉に、最初は彼女なりの冗談か何かなのかと思った陽葵だったが、話している限りそーいう雰囲気でもない。
――それゆえの「重症かもしんない」なのだ。
彼女は正真正銘、ファンタジーな世界の住人として陽葵と話していた。陽葵とは『異なる世界』を生きちゃってる人だった。周りの雰囲気との違和感の無さになんとなくスルーしていたが、着ている衣装もかなりファンタジーだし。
……ともかく。
アディリスがどう思ってるかはわからないが、陽葵には彼女との間に大きな溝が横たわっているのをひしひしと感じていた。
それは共通した『世界』を生きてないがゆえの認識の隔たりだ。
――こんなに綺麗な人なのに。きっと色々とこじらせちゃったんだ。
止める者がいないのを良いことに、そんなド失礼な想像を巡らせちゃう陽葵。
ただ、そんな彼女にも自身の認識に対する懸念材料がないわけじゃあない。
陽葵は視線を動かして応接間の外へと目を向ける。窓の向こう――少し遠くに見えるのは、鬱蒼として黒々とした森の姿だ。
ちょっとやそっとの森じゃない。
少なくとも散歩程度に歩いて抜けられそうな規模じゃなさそうだった。そして、この建物、そんな分厚い森に周囲をぐるりと囲まれているらしい。
こんな森、神奈川県の町中で探すにはとてもじゃないが無理があるってもんだろう。
「そう言えば……あの夢」
そこでふと、あの空から落ちる夢の事を陽葵は思い出す。
あの時、眼下に見えていた景色。
あれは確かに大きな森の姿だったような……気がする。
「いやいやいや。それはない……それはないから。あれが現実だったらど~して私が生きてるのって話になっちゃうから」
自分で思い浮かべ行き着いた結論に、陽葵は自分でツッコミをいれる。
だってそうだろう。
あんな高い空の上から垂直落下したんなら、今頃陽葵はハンバーグの材料としてお肉屋さんに並んでてもおかしくない状態になっていたことは想像に難くない。
さらに言えば、あの夢が実は『現実』での出来事だったとするなら、そもそもなんで空から落っこちる事になったのかってところまで『現実』の出来事として遡らないといけなくなる。
……そう。
夕暮れの公園、自分を虚空へと吸い込んだ魔法陣のことまで。
「なんだか、私……異世界に呼び出された系ラノベのキャラクターみたい」
心の中で
「……? でも良かったわ。特に大きな怪我があるわけでもないのに、ちっとも目を覚まさないから。私もラルカも心配してたのよ?」
ぐるぐると様々な思いを脳内で駆け巡らせ、セルフツッコミしちゃったりしている陽葵。そんな彼女の姿を不思議そうな顔で見つめて首を傾げたアディリスだったが、すぐに笑みを浮かべなおすとお喋りを再開する。
アディリスが言うには、エルミタージュの森の中で倒れていた陽葵を見つけたのは二日前の事だと言う。
身元を調べようにもそれらしい物は持っていないし、直接尋ねようにも本人は寝込んだきり。
そもそも街から遠く離れたこの森の中はあまり人が立ち入ってくる場所でもないし、なにより危険な獣も多い。第一発見者としてはまさか生きてる人間を放り出しておくわけにもいかず保護したものの、どうしたものか、いささか困っていたところだったという。
「……その格好、どう見てもこの辺の人じゃあないでしょう? あなたがいったい何処から来たのか。何処へ行くつもりだったのか。そういったことが分かれば、場合によっては手助けすることもできるかもしれないわ。……だから、あなたの事、教えてもらいたいの」
そう微笑むアディリスの言葉からは、彼女の人柄の良さと優しさが滲み出ていた。彼女の事を『残念美人さん』だとか心の中で考えていた事が、陽葵は途端に恥ずかしくなる。
相変わらずアディリスと言う女性は、陽葵の『世界』とはなかなか相容れない。
──だけど、その認識は本当に正しいのだろうか?
アディリスの言葉から感じた温情に反省し偏見を脇に置いてみた今、陽葵はそう考えてこれまでの物事を振り返ってみる。
そして、ひとつひとつの光景を思い浮かべていくと、動かしがたい現実に気づく。
そう……これまでの光景の中で一番浮いていたのは、陽葵自身だったって事に。
目の前にいるアディリスやラルカと呼ばれたあの女の子、ログハウスちっくな建物に巨大な森に変てこな匂いのお茶……全部、陽葵の『日常』への異質な乱入者だとばかり思っていた。
だけど、それはそうじゃなくて。
陽葵自身こそがアディリス達の過ごす『日常』への乱入者だとしたら?
異世界。
そんな単語が再び陽葵の脳裏に、より強く鮮明さを増して蘇る。
そう……これではまるで、本当に別の世界に飛ばされでもしてしまったようではないだろうか。
「……私、陽葵。花籠 陽葵って言います──」
陽葵は自分の中にある『世界』が大きく揺らいでいるのを感じながら、ゆっくりと名前をアディリスに告げ、そしてゆっくりと自分の事を語った。
アイドルになる為に九州から上京した事、葦柄町に住んでいた時の事、アイドルをクビになった事……そして、魔法陣に吸い込まれて空から落下し気が付いたらベッドの上でロープでぐるぐる巻きにされていた事、その他諸々。
「…………ふむ」
陽葵の話を聞きながらアディリスは興味深げな様子で何度か小さく頷いていた。
そして、彼女の話が終わるとアディリスは自身の唇に指先を当てて、沈思する様にわずかに視線を下に落とした。
そんなアディリスの姿を、固唾を飲んで見守る陽葵。
できることなら「なんだーあそこの人なんだー」と明るく笑い飛ばしてもらいたかった──と、陽葵は表情に緊張感を漲らせながらスカートの裾をもみくちゃにする。
「あ……ごめんなさい。いきなり黙り込んじゃって」
そんな陽葵の姿にハッと気づいた様子で、アディリスは微苦笑しながら顔を上げる。そして、申し訳なさそうに眉をハの字にして陽葵を見つめた。
「まず、結論から言うと……ごめんなさい。陽葵ちゃんの言う話ね、ほとんど……と言うよりは全く、全く分からなかったの。カナガワケンなんて国も街も、中央大陸じゃ聞いた事ないし……」
「そ、そんな……」
その言葉に、緊張していた陽葵の顔が途端に蒼くなっていく。
アディリスのその申し訳なさそうな表情も声も、嘘をついたりしている風にはとても見えない。もしこれが演技だって言うなら今すぐ女優になった方がいいって思える位にはリアリティがあった。……ていうか、
こういう返答があることを幾らか予想してた陽葵だったが、それでもやはりショックだった。
「えっと、でも、でもね! ヒマリちゃんが今、どういう立場にあるかは分かるかもしれないわ! ……あのね、ヒマリちゃんは多分『マレビト』になってしまったんじゃないかしら」
「マレビト……?」
聞きなれない単語に、陽葵はかくりと首を真横になりそうな位に傾ける。
それを「あらあら」と真っ直ぐにしながら、アディリスは頷いて言葉を続ける。
「そ、マレビト。──別の世界から来たヒトやモノの事を、私達はそう呼ぶの。極々稀にいるのよ……ヒマリちゃんみたいに変わった服を着てたり、聞いた事もない国や街の事を詳しく話したりする人。そういう人はよくよく調べると大抵マレビトだったりするものなの。そして、本人達にも元の世界に帰る方法が分からないって言うのが大抵なんだけど……」
「そんな……」
「まぁ……これは可能性の話でもあるから。ヒマリちゃんもまだ目が覚めたばっかりで混乱してるみたいだし、今は答えを急ぎすぎるのも良くないかもしれないわ。しばらくうちでゆっくりして心を整理しながら考える方がいいかもしれないわね」
様々な感情がない交ぜになった陽葵の表情を見て、あまり話が急すぎたかと、アディリスはあえて話を切り上げたようだった。
実際、陽葵の脳みそはパンク寸前だった。これ以上、色々と話がややこしくなると頭が爆発していたかもしれない。
「でも……そんな、しばらくなんて……お邪魔じゃありませんか? お金も、お礼になるようなものも持ってないですし」
「別に大丈夫よ、ここにはラルカと私の二人しかいないし。あと、こんなボロい家の部屋を貸してお金を取ろうなんて事も考えてません……それでも申し訳ないってヒマリちゃんが思うようなら、家事でもちょっと手伝ってもらえればそれでいいわ。──さ、お茶を飲んだらお部屋に案内するわね」
それどころじゃないだろうに、変なところで律儀というか。
目の前に座る少女の言葉にアディリスは明るく笑いながら、自慢の薬草茶を陽葵に勧める。
……何もかもが分からない場所で、親切な人に出会えたという事にホッとしていたせいだろうか。
すっかり苦い匂いの事など頭から抜け落ちていた陽葵は、アディリスの言葉に笑みを返してこっくり頷く。
そして、何の躊躇もなくそれを口元へと運び、カップを傾け──
「…………まずっ」
口からダダ漏れた心からの感想は部屋の空気を確かに一瞬、パキンと凍りつかせたのだった。
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