アトラスティの決意

 フォギプトスの言葉に、アトラが目を見開き、息を大きく吸う。


「そんな事はありません! 何故私が、お父様、お母様、お姉様を軽く見るなど──」


「ならば、お前は一度でも私達の誰かに相談したのか?」


 アトラの反応をさえぎるように、フォギプトスが質問をする。その問いに、アトラは言葉に詰まってしまった。つまり、この場にいる家族三人のうち、誰にも相談したことはないということだ。


「ないだろう。アトラは、私達ではお前の悩みを解決することは出来ないと思っているのだからな」


「そんな、ことは……」


 きっと、自覚のあるはんでは思っていないのだろう。ただ、自分だけで背負い続けてきた現実が、アトラの心の奥底の考えを示している。フォギプトスも、セイネリスも、ラプロトスティもアトラの問題を解決する糸口にはならないと。自分でどうにかしなければならないのだと。そう思ってしまったから、誰にも相談してこなかった。


「……私はフォギプトス・フェルメウス。フェルメウス領の領主にして、こうしゃくだ。我が領及び関連領は国内の生産の過半数をになっており、大抵の貴族は表立って口出しは出来ない。その上、納税額も国内有数だ。ぜいたく好きのあの国王が、手元に入る金を減らしてまで、フェルメウス家に手を下すことは無いだろう。散々、おどしも掛けているからな。故に、フェルメウス侯爵家はさいなことで地盤が揺らぐほど、なんじゃくでは無い」


 主語は隠しているため深読みしなければ分からないが、フォギプトスは今の言葉の中でアトラの悩みを些細なことと言い切った。実際大きな問題ではないのかもしれないが、本人の前で言い切るというのは余程のものだ。


 フォギプトスが言い終わった数秒後、隣に座っていたセイネリスが口を開く。


「私もお父様に関係のある貴族に圧を掛けてもらったから、国内のほとんどの貴族は心配しなくて大丈夫よ。軟弱どころか、ばんじゃく、なんてね」


 フォギプトスの言葉を引用し、いんを踏む形で締める。クイッと上がる語尾のせいで、この人はいつも楽しそうに感じる。多分、実際にどんな事でも楽しんでいるのだろうが。


 それに、セイネリスさんの実家もフェルメウス家と同様に侯爵らしく、国内での発言力はかなり大きいそうだ。確か、ローゼリスタ家とか言っていただろうか。十年ほど前まで存在していた公爵の血縁だそうだ。


「そういうことだから、家名のことを心配する必要は無い。お前が唯勇流をやめたところで、フェルメウス家に大した影響は無いからな」


 アトラがうつむく。口は横一文字であり、目は半分しか開いていない。


「アトラ」


 左側から声が聞こえてくる。アトラに手を置いたままのラプロトスティさんが、上から覗き込むようにして、仰ぎ見るアトラの顔を見て妹に呼び掛けた。


「私のことも気に掛けてくれてるみたいだけど、その心配もないよ。学院じゃあんなだったけど、今は結構幅広く友達もいるのよ。貴族だけでもほとんどの階級にいるし、名高い冒険者とか、今の国王騎士団の団長とも仲良いし。皆、私が大きな間違いを犯さない限りは味方でいてくれるって言ってくれてる。だから、私の事も気にしないで」


「お姉様……」


「それに、私はアトラの可能性を見たいの。アトラには才能がある。唯勇流とは違う道の先に、アトラが輝ける可能性があると思うの。勿論、どうするかはアトラ次第だよ。でも、私は見てみたい。アトラが、自分の道で輝いている姿を」


 握られた拳に、力がこもっている。俯いた顔には、迷いが見て取れた。昨日までは色々と手を回したが、今のボクに出来ることが何も無いのが、何とももどかしい。ただただ、アトラが後悔しない選択をしてくれることを祈るばかりだ。


「……アトラよ。お前のわがままを聞かせてくれ。このような事は滅多に言わないが……一度くらい、お前の我儘に応えてやりたい」


「右に同じ」


「お父様、お母様……」


 フォギプトスとセイネリスの言葉に、アトラが顔を上げる。


 話の流れは、先日ボクが提案した通りに進んでいる。論理的に不安要素を取り除き、家族として情に訴えかける。具体的な内容については丸投げだが、この流れに沿っていればある程度アトラの気持ちが揺らぐ自信があった。現に、アトラの迷いが強まっていることは、表情からも確かだろう。


「……もし。もし、私が唯勇流をやめて、お姉様やフェルメウス家に何かあったら──」


「だいじょーぶ。その時は私達で握り潰しちゃうから」


「お前はまだ子供だ。ずっと我慢させ続けて来た事は申し訳なく思っている……だから、冒険者学園にいる間くらい、好きに生きなさい。その後のことは、卒業後に考えればいい」


 一滴のしずくが目尻に溜まる。そして、張力が耐えきれなくなり、頬をゆっくりと伝った。それが合図とでもなったのか、アトラは顔をゆがめ、涙を拭こうと両手で目を何度も拭き取る。でも、涙は一向に収まらない。溢れて、伝って、落ちる。


「……ずっと。ずっと、我慢、してきました。お姉様の、悪口を言われることも……家族が、白い目で見られることも……私が間違えたら、大好きな家族に、迷惑を掛けるから……出来損ないな私のせいで、これ以上、迷惑を掛けたくないから……」


 嗚咽おえつ混じりのうわった声で、思いをぽつりぽつりと言葉にしていく。誰もそれを遮ることなく、静かに聞いていた。


「……でも、もう我慢しなくて、いいのですか? 嫌なことは、嫌と言ってもいいのですか?」


 手を退かし、涙を流したままのアトラが、フォギプトスに向けて問い掛ける。その表情は痛ましく、見ていられない。でも、


「ああ、構わない」


 その答えを受けて、アトラの目が一度きらりと光を反射し、笑顔で満ちた。


 少し気持ちを整理したいと申し出たアトラが、メリエリさんに連れられて自室へと出て行った。結果として、応接間にはフェルメウス家のトップ三人と、ボクという構図になる。気まずいことこの上ない。


「……はぁ。これでまた、国王に目を付けられる事になるな」


「まあまあ、何とかなるでしょ」


「お前の顔の広さを活用して、挨拶回りには同行してもらうからな」


「ごめんちゃい……」


「あはは……」


 苦笑いを浮かべてはいるが、ボクも他人事では無い。国王への脅しも、他の貴族へのかんもボクの提案の元で行ったのだ。つまり、責任の一端は間違いなくボクにもある。目を逸らしたいけど、こればっかりは貴族の問題に自分から首を突っ込んだごうとくだ。でも、後悔はない。こうして、アトラと家族の仲が深まって、アトラ自身の迷いも恐らく断ち切れたのだから。


「ところでプロティアや。アトラにどーんなことを教え込むのかなぁ?」


 こちらへ近寄り、肩に腕を回して体重を掛けて来ながらラプロトスティさんが尋ねてくる。


「変な聞き方やめてください……実際に触って貰った感触を見てから決めるので、まだ構想段階ですが、今のところはレイピアを教えてみようと思います」


「ほう、レイピア。最近他国ではちょっと流行ってるらしいね」


「そうなんですか?」


 確か、地球でも16世紀頃に街中でのしんや、貴族の決闘用の武器として使われていたらしい。こっちの世界でも似たような感じで使われているのだろうか。それとも、その前のフルプレートアーマーを貫くためのエストックのような武器として流行っているのだろうか。現状、この世界には銃はまだ開発されていない為、タンクや騎士の装備はフルプレートであることが多いように思える。ということは、後者の理由かな。


「らしいよ。まあ、この国はあまり外国との交流をしてないから、正確な情報は分からないけどね」


 よくそれで国を回せるな。


 ちょっと呆れそうになるが、なんとか表に出ないよう耐える。


「それにしても、レイピアか……うん……うん、イメージ出来た、レイピアを使うアトラがプロティアを追い詰めてるところ」


「なんでボクなんですか」


「そうなる気がしただけ」


 本当にこの人は、勘で全部考えていんじゃないか。ただ、アトラの話を聞くに、かなり当たっていることが多いらしい。勘が鋭いというか、もうこれほぼ未来予知だろ。ボクの魔物察知より便利なんだが。


「楽しみだなぁ、アトラがどんな成長を遂げるのか。いつかは私より強くなっちゃったりして」


「アトラは努力家なので、可能性は結構ありますよ。覚悟しておいた方がいいかもしれませんね」


「お、言うじゃないか。私より前に君が負けるんじゃないの?」


「既に一度負けてます」


「マジで?」


「マジです」


「マジかー」


 余程意外だったのか、語彙力が死んでいる。


 先のアトラとの試合は、本気ではなかったとは言え、負けは負けだ。これから先、アトラは才能を伸ばしていくことになるのだから、実力の伸び度合いは今までと比にならないだろう。こちらも気を抜かないようにしなければ、剣士としてすぐに追い抜かれてしまいそうだ。


「プロティア」


 えー、マジかー、アトラが勝ったのかー……とぶつぶつ言っているラプロトスティさんを他所よそに、フォギプトスがボクの名前を呼ぶ。


「なんでしょう?」


「これから先、そうそう無い事だとは思うが、唯勇流をやめる以上アトラに何らかの悪意を向ける者が現れるかもしれん。我々の目が届く所にいる時はこちらで対処するが、学園にいる間はそうもいかん。大抵の事は本人で事を収められるだろうが、そうならなかった場合はお前の力を貸してやってくれ」


「ええ、勿論。そもそも、そうなったのはボクの責任ですので、アトラのことは、学園ではボクにお任せ下さい」


 そもそも、現状大半の貴族生徒の目はボクに向いているから、しばらくは大丈夫だろうが。とはいえ、卒業までそれが続くとも限らない。アトラと仲良くなっているイセリーにも協力してもらいつつ、上手くやっていくしかない。


 ボクの返答にフォギプトスが頷いた直後、応接間の扉が三度ノックされる。反響が消えた頃に聞こえた「入ってもよろしいですか?」という声を聞くに、アトラが戻ってきたようだ。


「構わん」


 フォギプトスの返答を受けて、アトラが姿を見せる。目元はまだちょっと赤いが、メイクを直した時に隠すようにして貰ったのか、あまり目立っていない。


「申し訳ありません、取り乱してしまい」


「気持ちの整理はついたの?」


「はい」


 セイネリスさんの質問に、アトラは頷きと共に肯定する。その反応にあんを抱きつつ、深呼吸をするアトラを見守る。


「……お父様、お母様、お姉様、そしてプロティアさん。皆さんの説得を受け、私は唯勇流をやめることを決意しました」


「ほんと!?」


 ボクの隣にいたラプロトスティさんが、裏返りそうな声で尋ねる。


「はい。今後は、プロティアさんを師として、指導を受けるつもりです。お願いしますね」


「任せて」


 視線を向けて来るアトラに、そう返す。いつもなら最善は尽くす、みたいに保険を用意するところだが、アトラの決意を見せてもらったのだ、せっかくだからボクも逃げの姿勢をやめるべく全面的に引き受ける返答をする。


「それと、プロティアさん」


 再び名前を呼んだかと思うと、アトラがこちらへとゆっくりと近付いてくる。突然の事で、何されるのか分からずにちょっと身構えてしまうが、一メートルもない距離を空けて、向かい合って立ち止まる。次の一手が分からず、微笑を浮かべるアトラの顔も直視出来ず、数秒の沈黙の間に、数度視線を左右に往復させる。


 ニコリと笑みを浮かべたかと思うと、前で重ねていた手を腕ごと大きく広げ、ボクに飛び付いてくる。咄嗟とっさに反応出来ず、ふわりと花の香りがこうをくすぐる中、全身でアトラを受け止める。アトラの両手はボクの首の後ろで組まれ、言ってしまえばハグをする体勢になる。


「ほわっ!?」


 訳が分からず、意味も何も持たない変な声が勝手に口から出ていく。


「ありがとうございます、プロティアさん! あなたのおかげで、生まれ変わった気分です!」


 とても楽しそうに、感謝を述べる。不意のことに心臓は高鳴りっぱなしだが、可愛いしいいか。


「新生アトラがどうなるか、楽しみにしてるよ」


 どうやら気に入っているらしいので、そのまま頭をでる。隣からの「えへへ」といういつものはにかみ笑いを聞きながら、ふと何故抱き着いたのかを考える。アトラのことだ、多分友達ならこういう時はハグをするものだ、とか思ったんじゃないだろうか。いくらプロティアになって二ヶ月経ったとはいえ、気持ち的には男のままなのだ。何度もこんな事をされてはたまったものではない。理性がもたん。


「あと、友達だからってひんぱんにハグはしないよ」


「そうなのですか!?」


 やっぱり。


 まあ、日本出身だからそう思うのであって、欧米などではハグは挨拶のようなものらしいから、絶対にそうとも言い切れない。今回に関しては、今後ハグされないために日本文化を軸にさせてもらおう。


「少なくとも、ボクは友達でハグする文化圏じゃないかな」


「……たまにでもダメですか?」


 その目やめて! 断れない!


 久々に、子犬アトラが姿を見せる。ほうようを解き、顔が見える状態にしてからの、しゅんとした表情と来た。これでなびかない奴はそう居ないだろうと思わせる、強烈な罪悪感が襲ってくる。


「……たまにだけね! あと、不意打ちもやめて」


「やった」


 一転して、満面の笑み。もうこれ、わざとやってるだろう。


「……アトラのあんな姿、初めて見た」


「良い友達が出来たみたいね」


「……だといいが」


 三人の話を聞くに、アトラのこの様な姿は家族にも見せたことが無かったみたいだ。新たな、そして意外な一面となっただろう。ボクはただただ、この可愛い圧にこれから先何度堕とされるか心配だ。

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