謎の木
屋内修練場の
「……乾いたかな」
さっきのこともあってか、エニアスも集中が切れて休憩に入ったようだ。壁に背をもたれかけさせて座っている様子は、歳の割に大人びて見えて、男目に見てもどこかかっこよくすら思える。
とはいえ、服も乾いたし、これ以上迷惑をかける前に
扉を開ける前にちらっとエニアスを見てみるが、こちらを気にする様子もないのでボクも特に何をするでもなく、彼を一人置いて修練場を後にする。
外に出る。視界の真ん中に、学園の
「ねえピクシル、あの木ってなんなの?」
赤い光球のような見た目をしているピクシルに、巨木を指しながら尋ねてみる。数秒もせずに赤髪赤眼の黒百合ドレスになったピクシルが、「あ〜、あれね」と呟いてから返答をくれる。
「あれは神樹よ。この辺の人は、神様が数千年前に植えた木だって
四国を守る神様かな?
とまあオタクな反応は少しだけにして。数千年ものの巨木か。日本にもそういった杉や
ただ、木についてはそこまで気にならない。問題は、その周辺だ。
「……黒い
そう。巨木──神樹が変に見えるというのは、その周囲に黒い靄が見えるようになったのだ。魔力を感じ取る練習を続けていたら見えるようになったから、魔力関連なのだろうとは思うが、実情は分からない。
「そういえば、たまに気にしてたわね」
「勝手に人の思考を読まないで」
「しょうがないでしょ、聞こえるんだから……あれは、負の感情よ。あんたでも見えてるんだから、余程強い、ね」
「感情……?」
感情が何故、魔力を通して見えるのだろうか。
「魔力っていうのは、頭の中で考えたことを元に形を変えて体外に出てくるの。つまり、感情や思考も、ある程度の強度を持てば魔力に乗って出てくるわけ」
「そっか。確かに、思考が乗るなら、感情が乗っても何らおかしくないな」
ピクシルが魔力を介して思考を読み取っているんだから、感情を読み取ることだって出来て当然だ。
「色は魔力の状態によって変わるのよ。だから、黒く見えてるの」
ピクシルのおかげで、ここしばらくの疑問が一つ解決した。ただ、あれだけの主張をしている存在が、今後何も無いとは思えない。ボクのオタクとしての経験がそう言っている。
とはいえ、今知りたいことは聞けたので、ピクシルにお礼を言って寮に戻るべく顔を寮のある北へと向ける。
不意に、少し強めの風が吹き抜ける。運動と服を乾かすための温風で温まった体に、涼しい風が心地よい。ふと、花のような身に覚えのある香りが
「あら、毎日精が出ますわね、プロティアさん」
「おかえりなさい、アトラさん」
朝食の後に姿を消して以降、今日一日中姿が見えなかったアトラさんがちょうど帰ってきたところだった。校門の奥には、今まさに角を曲がろうとしている馬車の影が見えた。察するに、家に帰っていたのだろう。
「家に帰ってたんですね」
「ええ。今週でちょうど一か月でしたので、一度顔を見せておこうと思いまして」
「そうなんですね」
実際、休日に家に帰って家族に顔を見せる生徒も少なくない。家が遠い、それこそフェルメウス領外に実家がある場合は、春や夏の長期休暇しか帰ることが出来ない生徒もそれなりにいることはいるが。
ボクも、一度だけプロティアの血の
大変だなぁ、と思いつつアトラさんを見ると、どこか疲れているように見えた。身体的な、と言うよりは、精神的に疲れているように見える。なんと言うか、目の開き具合とか、息遣いとか、そういった部分がいつもと違うような感じがしたのだ。
「何かあったんですか?」
「な、何のことですか?」
「ちょっと疲れてるように見えたので」
「……何も問題はありませんわ。お父様とお姉様の相手をするのに、疲れただけですので」
ボクに見抜かれて少したじろいだのか、一瞬視線を
アトラさんのお姉さんは、父親であるフォギプトスの話から関わると大変そうだな、と想像はつくのだが、そのフォギプトスの相手が疲れるというのは意外だ。ボクの知らない親子間の何かがあるのかもしれない。部外者のボクが踏み込んでいいものか分からないから、ここでは触れないでおくが。
「そろそろ夕飯ですし、一度部屋に向かいましょうか。それとも、プロティアさんは先にお風呂でしょうか?」
右手を
「……臭う?」
「嫌なにおいではありませんが、少し」
出来れば夜中にカルミナと入るつもりだから、今入ってしまうのは避けたいが……とはいえ、汗のにおいを
ネットでありそうな声に嫌悪感ツッコミを入れるのはいいとして。この世界に汗拭きシートなるものはないし、体を洗う魔法も、今のところ裸にならないと使えない。部屋に戻ったら、せめて濡れタオルで拭くくらいはしておこう。
「……部屋に戻りましょうか」
「ええ」
そうして、二人で部屋に戻る。道中、汗のにおいがどうしても気になるので、なるべく人に近寄らないよう警戒しながらの移動だったから、アトラさんにまた笑われてしまったが。
部屋に入ると、ベッドに腰掛けて教科書に目を通しているイセリーに膝枕をしてもらいながら、カルミナが眠りこけていた。
「お帰りなさい」
「ただいま。カルミナは寝ちゃったか」
「うん。珍しく沢山頭を使ったから、思ってたより疲れてたみたい。プロティアが出て行ってから、すぐに寝ちゃった」
イセリーが苦笑を浮かべる。それからずっと寝てるとなると、既に一時間は優に超えて寝ていることになるが、夜に寝られるのだろうかこの子は。多分大丈夫か、カルミナだし。
適当に納得しながら、ロッカーを開けてタオルを取り出す。アトラさんはイセリーに近付き、二人で今日は何をしていたのか話を始めた。
アトラさんは事情を知ってるし、イセリーの注意を引いてくれているのだろう。今のうちに済ませてしまおう。そう思い、服を脱いで、魔法で作った温水で濡らしたタオルを使って上半身を
運動用の白いシャツと黒のズボンは洗濯行きの袋に入れ、赤色の寝間着に
「終わりましたか?」
「はい。夕食に行くとしますか」
アトラさんは笑みで返事とし、イセリ―も一度頷く。カルミナは相変わらず寝ていて、イセリ―が揺すってみるが起きないので、かつて言っていた乱暴な起こし方――頬を
「うう、ほっぺ痛い……」
食堂へ向かう道すがら、カルミナは涙を目尻に溜めながら、ずっと抓られた右頬を両手で押さえていた。かなり強く指で
「自業自得ね」
「なんでぇ……寝てただけじゃん」
「十分だけ寝るって言ったのは、どこの誰だったかしら?」
「うっ……ね、寝ちゃったら自力で起きるとか、むりだもん……」
反抗するのは諦めたのか、カルミナは尻すぼみになりながら視線を逸らし、最後の言い訳を漏らした。唇を尖らすカルミナを見て、眉をハの字にして微笑を浮かべているあたり、イセリ―は本気でカルミナを責めているというわけではなさそうだ。まあ、自業自得というのも本音だろうが。
「そういうイセリ―も、寝てるカルミナを膝枕するの、
「そ、それは……嫌なわけじゃ、ないもん……」
イセリ―は尻すぼみに言いながら、ボクのいない方へと視線を逸らした。あまりに同じ反応をするものだから、微笑ましくて無意識に笑みが零れてしまった。
「似た者同士、ですわね」
「ですね」
アトラさんとそう言葉を交わす。今日まで何度同じ言葉を交わしたか、もう忘れてしまったくらいにはカルミナとイセリ―はよく似た反応をする。ただただ、
そんな願望を思い描いていると、食堂へ着いた。既に人でごった返しており、注文するのにすら十分は下らなさそうだ。
「相変わらずの人口密度ですわね……」
「これでも、平日より少ないとか信じられないですね」
先にも言ったが、休日は家に帰る生徒も少なからずいる。そのため、食堂に集まる生徒の数は平日に比べれば一割程度は優に減っているのだ。しかし、それでもこの密度である。移動もままならない。
「三階の物置も食堂に改装すればいいのに……」
「
「え、そんなこと出来るんですか?」
「
「だ、だったら、他にもお願いしてもいいですか?」
せっかくだ、この際学園に言いたい文句を全てアトラさんに任せてしまおう。
「二人も、何かあったら言っておいた方がいいんじゃない?」
「うーん……私は、別に学園にはそこまでの不満を持ってないから、いいかな」
「あたしも。勉強とか鍛錬とかはすごく大変だけど……それを受けに来てるわけだし、みんなと過ごせるの、楽しいし!」
やめてくれ、ボクががめついみたいじゃないか。
「ふふっ。プロティアさん、改善の要求は私達だけでなく、将来の生徒にとっての
「……はい」
アトラさんがボクの思いを察したのか、そうフォローを入れてくれる。優しすぎてちょっと
十五分近く並んだ末、四人とも夕食にありつけた。既に何度も食べてお気に入りのメニューに四人で
そうして、夜は
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