カルミナ3

「プロティア、ちょっといい?」


「ん?」


 床を拭いているカルミナを眺めていると、イセリーが話しかけてきた。


「ミナのことなんだけど……大丈夫?」


「ああ、多分今日もお風呂で二人になるから、そこで決行するつもりだよ」


「そっか……ありがとう」


 ちょっとお手洗い、と言ってイセリーは部屋を出ていった。やはり、カルミナのことが余程心配なのだろう。親友で、自分のために苦しんでる、となれば当然か。カルミナのためにも、イセリーのためにも、ボクが頑張らないと。


「ふぃー、片付け終了! あれ、イセリ―は?」


「お手洗いに行ったよ」


「そっかぁ……プロティア、ありがとね。前に言ってたこと、やってくれて」


「やりたくてやったことだから、気にしないで」


 人に教えるというのは、同時に自分の理解度の確認や内容の復習にもなる。恐らく、魂に刻まれていたであろう日向ひなたそらの記憶は、プロティアの脳に収納されプロティアとしての記憶になったはずだ。つまり、前世の記憶も使わなければいずれ忘れてしまう。それを防ぐためにも、誰かに教えるというのは効果的だ。


 それに、魔法の理解はまだ浅いし、こうして教えている中で理解が深まったり、新しい発見をしたり出来るのでは、という意図もあってのことだ。こんな話をするわけにはいかないが、お互いウィンウィンであることは確かだ。


 カルミナがボクの返答に「そっか」と微笑を浮かべる。さっきまでと雰囲気が切り替わり、落ち着いたカルミナへと性格が替わったようだ。


 かがんでこぼれた水を拭いていたため、背中がっているのか、一度大きく伸びをする。相変わらず男としての意識が残っているため、きょう調ちょうされる胸元を見ないよう視線をらす。


「ふぅ……もう、一ヶ月なんだね。入学してから」


「そうだね」


「毎日大変だけど、イセリーにアトラさん、プロティア、あたし……この四人で過ごせるの、凄く楽しいんだ。ずっとこのままだといいなぁ……」


 カルミナが目を細めながら、呟くように言う。


 冒険者学園は二年で卒業となる。卒業後はそれぞれの道を進むだろうし、もしボクが街に残り続けたとしても、貴族であるアトラさんは今のように自由に会うことは難しいだろう。つまり、カルミナが望む今の日々は、続いてもあと二年ということだ。


 しかし、カルミナが欲しがっているのはそんな事実ではないだろう。女性経験がほぼないに等しいボクではあるが、女性が共感を求める生き物だということくらいは知っている。


「そうだね。ボクも続いてほしいよ、この関係が」


 合わせただけだ。でも、本心でもあった。


 一か月の日々を過ごし、ボクも少しずつこのメンバーと、人と過ごすことに慣れてきた。それに、この三人はボクにとって初めて出来た友達だ。形的にはプロティアからうばったようなものだが……それでも、友達であることに変わりはない。一緒にいて楽しいし、どこか安心する。そんな人たちと一緒に居られる時間は、いくら長くても構わないという考えは、ボクも同じだ。


 カルミナが、対面のベッドに腰を下ろす。しばらく、部屋の中をせいじゃくが満たした。カルミナとだと、こういった何のやり取りもない時間も不思議と居心地がいい。最初の頃は二人っきりで静まり返ると、何か話さないとと内心慌てることもあったが、今となってはカルミナも別に嫌そうにしてないし、変にわなくてもいいと思えるようになった。こんな相手が出来るなんて、前世では一度も考えなかったから、人生続けてみるものだ。いや、一度死んだけども。


 せいじゃくを破ったのは、部屋に戻ってきたイセリ―が扉を開けた音だった。


「おかえり!」


「ただいま。片付けは済んだの?」


「うん! 終わったよ」


 イセリ―が姿を見せた瞬間、カルミナは人が変わったかのように明るさをまとう。周りの空気の色が変わってすら見える。日中の変わり身の早さは今に始まったことではないから今更驚きはしないが、毎度のごとく感心はする。音がした一秒後には雰囲気が変わっていたのだから。


「そう。ごめんねプロティア、中断させちゃって。続き、お願いしてもいい?」


「ん、オッケー。じゃあ、カルミナの火属性の魔法からか」


「お願いします、プロティアせんせー!」


「任せんしゃい」


 カルミナのノリに合わせる。この後約二時間たっぷりとかけて、やっと無詠唱で火魔法を詠唱とそんしょくなく使えるようになった。


「ふぃ~……ちかれた」


 頬に汗を伝わらせながら、カルミナがイセリ―のベッドに倒れ込む。注意するものかと思ったが、イセリ―も疲れていたためか、眉をハの字にして微笑を浮かべながら見つめるだけだった。


「お疲れ。二人とも基本的な部分は出来るようになったし、明日からはしばらく、基礎的な部分を固めて行こうか」


「「おー」」


 イセリ―は小さく、カルミナは上に真っ直ぐ腕を持ち上げてハモって答える。こういうところは、むかしみなこともあって似ているのだろうか。微笑ほほえましい。ただ、疲れもあってか二人ともかなり声の張りがなくなっている。


 火という見た目的にはイメージしやすいが、原理で考えるとなんかいな内容に長く触れ続けたせいか、体力的には問題ないはずのカルミナも、イセリ―と同様にぐったりとしている。


「今日は終わりにしようか。疲れてるだろうし、ゆっくりしてね」


 二人揃って、「はーい」と返事が返ってくる。


 二人はもうダメそうなので、部屋に置いて行って一人で外に出ておくないしゅうれんじょうへ向かう。朝練はしたものの、ずっと部屋の中にいたこともあって、体がうずいてきていた。前世では別に運動好きではなかったのだが、この世界に来て毎日のようにハードトレーニングをしているせいか、動かない日があると違和感を感じるようになってしまった。


『今日も魔力振動の練習?』


 軽くストレッチをしていると、いつものごとく唐突に脳内に声が響く。カルミナの変わり身と同様、ほぼ毎回のことなので、今更驚いたりしない。


「ながらでやるのも、だいぶ慣れてきたからね」


 この一か月間、朝練やたんれん後の隙間時間を使って、プロティアが使っていた索敵の元となる魔力振動という技術の練習をしていたのだが、静止している状態での使用は問題なくなったため、最近は運動しながら使えるよう練習中だ。実戦では何かと並行して使う機会が多いだろうし、それをえてのことだ。


 ストレッチを終え、一度大きく深呼吸をする。目を閉じ、周囲の情報をしゃだんし、意識を一点に集めるようにして集中を高める。体の余計な力がスッと消え、頭の回転が上がることを感覚的に知覚すると同時に、周囲にある自然魔力に意識を広げる。


 意識が分散する感覚を感じながら、目を開ける。視覚情報に変化はない。それどころか、これと言った変化は何もない。ちょっと感覚が広まったなぁ、と言ったくらいで、何か物が範囲内を通りでもしない限り使う意味はない。それに、ピクシル曰く、物が通ったとしてそれを感じ取れるのも、超敏感であるプロティアだから成せるわざなのだそうだ。


 索敵は、この範囲内の物を感じ取る、の部分を強化したもので、魔力振動で干渉した自然魔力に五感を乗せることで使えるそうだ。まあ、まだかなり狭い範囲でしか成功していないのだが。


 魔力振動が安定したところで、ランニングを始める。今この場にはボクしかおらず、独り占めだ。普段は休日でも何人かいることが多いのだが、今日は誰もいないようだ。


「どう、安定してる?」


『ちょっと乱れてるわね。ちゃんと集中してる?』


「し、してるもん」


 実際、集中はしている。それに、感覚的には安定もしているつもりだ。恐らく、ピクシルが見ている精度で見れば安定していないのだろう。ピクシルが見て安定していると判断されるレベルになれば、次の段階に進んでも問題ないだろうし頑張るしかない。


 集中をさらに深め、魔力振動の安定をこころみる。既に、修練場内を二周はしている。体力は入学前からかなり増えているおかげで、このくらいでは何ともない。


 三度、入り口の前に差し掛かった。特に意識することもなく、前を通り過ぎようとする。


 ――ガチャン!


「んにゃ!?」


 唐突に扉が開き、目の前にいたこともあり、猫のような声を上げながら内開きの扉から飛び跳ねるように距離を取る。


「……なんだお前」


 開いた扉の奥から姿を見せた暗い紫髪の少年が、鋭い視線をボクに向けてくる。こんの瞳はフォギプトスとホブ・ゴブリンの中間とも思えるかもし出しており、存在感的圧と殺意のような圧が同時にそそぐ。端的に言うと、怖い。


「あ、えと、プロティアです、クラスメイトの……エニアスさん、で合ってますか?」


「……だったらなんだ。使わせてもらうぞ」


「あ、どぞ」


 威圧感のある声変わり途中の声で答えると、短くそう言ってボクの横を通り過ぎる。そのまま入り口の右側にある用具倉庫へ入り、数秒程で直剣の木剣を手に持って出てきた。色を見るに、用意されている中で一番重いやつだ。


 そのまま修練場の中央へ移動し、両手で持った木剣を正面に構える。しばらく、目を閉じて細く長い呼吸を繰り返したかと思うと、素早く息を吸い、目を見開いて木剣を振り上げ、「しっ」と短く息を吐くと同時に一歩踏み出し、木剣を振り下ろした。


 場内に、ブォンという木剣が空を斬る音が響く。


「……何か用か」


「……あ、いや、凄くせんれんされた素振りだなって」


 剣の鋭さ、体の動き、息遣い。まるで熟練の剣士かと思うほどの練度だ。それこそ、芸術だとすら思えてくる。


「……邪魔するつもりなら失せろ」


「ごめん、そういうつもりじゃないから」


 このまま見続けていたら、気を損ねさせて斬られるかもしれない。ボクも自分の方に戻るとしよう。


 エニアス・ネアエダム。アトラさんから聞いてはいたが、これは本当にかなりの実力者かもしれない。武にけた家系、という前触れも、しんぴょうせいがぐっと増した。


 エニアスを意識から外し、魔力振動を再開させるため集中する。ある程度落ち着いたところで、場内を再び走り始める。それを見てか、エニアスも素振りを再開させた。


 二人しかいないせいで、場内にはエニアスが剣を振るう音とボクが走る足音、そして二人の息遣いだけが響く。どちらも集中しきっているせいか、互いに視線を向けることすらしない。


 もう何周したかも数えるのを諦めて約一時間後、集中もかなり切れ始めてきたのでいったん休憩を挟もうと足を止める。一度、二度と深呼吸で息を整えて、顎まで伝っていた汗を服のえりぬぐう。


 五月に入りだいぶ気温が上がって来たからか、かなりの薄着ではあるがそれなりの汗をかくようになった。集中が乱れるから少々厄介なのだが、こればっかりは人体の仕組み上仕方ないので我慢するしかない。


 魔法を使い、魔力の物質変換により氷でコップを作りその中を水で満たす。数秒待ってから、それを一気に飲み干す。食道を通り胃にひんやりとした液体が落ち、体の内側からじんわりと冷えていく。魔力から出来ていた氷は、意識を外すと形を消し自然魔力としてさんする。


「ふぃ〜……」


 ――どう、安定性は?


 ずっと黙っていたピクシルに、ねんの如く思考だけで聞いてみる。姿こそ見えないが、すぐに返事が返ってきた。


『そうね。最初より安定していたわ。人が増えてむしろ乱れると思ったのに、意外ね』


 ――あの集中力を見せられちゃ、ね。


 最初に見たエニアスの素振りを思い返す。振りの速度や体の使い方も凄かったが、何より集中力が凄まじかった。一瞬、ゾーンに入っているのではないかと疑ってしまったくらいだ。


「……おい」


「え?」


 ピクシルとのやり取りに気を取られていると、いつの間にかエニアスが目の前に立っていた。ただ、何故か頬がほんのりと赤みを帯び、顔は背けられていた。横目に視線が向けられたかと思うと、一瞬下に移動し、すぐにボクから外れて行った。何事かと頭上にハテナマークを量産していると、エニアスからその理由が伝えられた。


「……もう少し服装を考えろ」


「服装……あっ」


 言われたことが一瞬分からず、視線を落としてみると、発言の内容とエニアスのきょどうの理由が一致した。あろうことか、汗でれた麻のTシャツが透け、その下のブラが見えていた。なんなら、その他の肌色も透けている。


 妙な恥ずかしさが込み上げ、ほぼ反射的にさっと腕で胸部を隠す。


「あ、あはは……ごめんなさい」


 今日は切り上げよう。このまま継続は無理だ。


 にしても、こういったものには興味無さそうな雰囲気のエニアスだけど、ちゃんととしそうおうに気になるんだな。アトラさんに全く言い寄らない珍しい男子だったけど、色恋沙汰に興味が無いわけじゃなさそうだ。

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