カルミナとイセリー1

「プロティアさん、お風呂だいぶいてきましたよ」


 夕食を終え、先にお風呂に行っていたアトラさんとイセリ―が部屋に戻ってきた。ボクは休日である今日はいつも通り、人が少なくなってから入るつもりで、カルミナも推測通りまだ入る気配はない。


「分かりました。ありがとうございます」


 休日のお風呂は、こうしてアトラさんかイセリ―に人が減ってきていることを教えてもらってから、アトラさんの髪を乾かしたり雑談したりして、しばらくのんびり待って入るようにしている。今日も例の如く、アトラさんが教えてくれた。


 隣にアトラさんが腰を下ろす。髪を乾かしてください、の合図だ。この世界に来てから、アトラさんには色々と教えてもらっているし、女子としての生活もアトラさんを手本にすることが多い。そのお礼も含めているから、断ることはない。アトラさんの背後に移動していると、対面でイセリ―も腰を下ろす。カルミナは、向かいの二段目のベッドでごろごろしている。


 アトラさんの頭上に手をかざし、そこから魔法で温風を作る。軽くウェーブのかかった綺麗な金髪が、小刻みに風になびく。


「こうしてプロティアさんに髪を乾かしていただくのも、習慣になってきましたわね」


「そですね。この一か月、ほぼ毎日ですし……まあ、アトラさんには色々とお世話になってるので、そのお礼みたいなものです。魔法の練習にもなりますし」


「あなたに何かをしたという覚えは、あまりありませんが……あなたがそう言うのであれば、お言葉に甘えさせていただきますわ」


 こっちが勝手におんを感じているだけだし、アトラさんからすればそんなものだろう。アトラさんが喜んでくれればボクも嬉しいし、どのみちウィンウィンだ。


 十分ほどでアトラさんの髪は完全に乾いた。どうも気に入ってるらしいので、でるようにして全体が乾いているかを確かめる。これをすると、いつも嬉しそうに可愛らしい笑みを浮かべるのだ。大人びてはいるが、こういうところはまだ子供だ。


「さてと……そろそろお風呂行こうかな」


「あ、あたしも行く!」


 お風呂用具の準備をしようと立ち上がると、カルミナも二段ベッドから飛び降りた。膝を曲げて着地の衝撃を殺し、ぴょんと跳ねるように靴に近付いて足を入れる。ボクが入浴セットを取り出すとほぼ同時にロッカーを開け、ものの二秒ほどでカルミナも自分の入浴セットを抱える。


 これでついて来なかったら、今日の計画と決意が台無しになってしまうので、いつも通り一緒に来てくれてよかった。三人にばれないよう、小さく胸を撫でおろす。


 脱衣所に入ると、数人の人が残っていたが、みんなお風呂から出た後のようだ。肌がじょうして、火照ほてっている感じからしてそうだろう。いつもの如く、甲高い声が響く中、意識を向けないようにしつついつもの浴室間近のかごに近付く。


「まだちょっといそうだね」


「そうだね」


 カルミナが上着を脱ぎながらそう言うので、浴室から聞こえてくるきょうせいにも似たにぎやかな声から、そう同意する。声の数からして三人ほどだろうし、体を洗っているうちに居なくなるだろう。まあ、魔法で洗えないのはちと面倒だが。


 身にまとっている衣類を全て脱ぎ、腕に髪をまとめる用の紐を巻き付ける。タオル一枚を手に持ち、こちらもほぼ同じ状態――ボクから紐を引いた状態――になったカルミナと浴室へ入る。予想通り、三人の女子達が湯船に浸かっていた。いつも遅くに入っている、同学年Bクラスの平民達だ。


「いつものメンバーだ」


「だね~」


 カルミナも覚えていたのか、三人を見て同じ感想を抱く。元気なカルミナだけを知っていたら、平民同士仲良くしようとしそうなものだが、本来のカルミナを知っている以上そんなことはほぼないと言える。


「とりあえず、今日は普通に洗ってしまおうか。さすがに、人前であの魔法は使えないし、お湯の張替えもしたいし」


「はーい」


 浴室の端に置いてある桶とせっけんを手に取り、お湯の近くに移動して全身を桶に溜めたお湯で濡らす。体を洗って数分、お湯に浸かっていた三人がボク達にしゃくをしてから出て行った。脱衣所の声は既にほとんどなくなっており、これでカルミナと二人きりになれたということになる。なんとか、話をすることが出来そうだ。


 体を洗う魔法を作る前の時を思い出しながら、全身を十分以上かけて洗い終える。ボクが洗い終える頃には、カルミナは既に洗い終えて桶に座って左右に揺れながら、鼻歌を歌っていた。


「よし、じゃあお湯の張替えしようか」


「おー!」


 お湯の張替え手順はこうだ。まず、魔法でお湯を全て気体にした後、もう一度液体に戻す。そして、魔力を物質変換して作った塩素を通すことで塩素殺菌も行う。作った塩素は、ボクが干渉をやめれば数秒後には魔力になって霧散するので、人体に影響は全くない。魔法様様だ。


 カルミナには、お湯を上空に維持しておくのを頼むことが多い。今日もいつものように一度蒸発させて凝結させたお湯を、塩素を通すために空中に維持しておいてもらっている。


「今日、無詠唱の勉強をしたおかげで、いつもよりやりやすいかも」


「そりゃよかった。教えたがあるってもんだよ」


 空中維持は、干渉している物質なら何でも出来るから魔法だと思われないことが多いらしいが、実際のところは立派な魔法らしい。種類としては時空魔法に当てはまるようだ。まあ、魔法で作ったり元から存在する物体に干渉して空中に維持するにも、魔力を消費するし魔力切れの可能性があるということだ。とはいえ、空中維持は比較的簡単だし、無詠唱や魔法の操作の練習にはもってこいだろう。


 湯船の上空に球体となって浮かぶ、およそ千リットルにも及ぼうとしているお湯に向けて右手を伸ばし、その先に魔力をへんかんした塩素を作り出す。


 日本における水道水の塩素消毒の基準濃度は、確かれい点一ミリグラム毎リットルから精々一ミリグラム毎リットルのはずだから、千リットル近いこのお湯に必要な塩素は、大体百ミリグラムから一グラムだ。気体の塩素の分子量は大体七十だから、みんな大好き物質量で表したら、一点四掛ける十のマイナス三乗モルからその十倍くらいまでだ。ちなみに、この濃度は人体に影響のある濃度の五分の一以下とからしいから、水道水を飲むのをしている人、水道水は店で売ってる天然水より安全な場合もあるし人体への影響はないに等しいってことを知った上で判断しようね。


 などと、塩素消毒も水道のがいねんもまだ薄いこの世界でこんなことを言っても、なんの意味もないのだが。今度アトラさんの家に行くことがあったら、フォギプトスに水道を引くように提案してみよう。


 右手の近くに出来た黄緑色の気体の塊を、水の塊へと入れる。


「混ぜてー」


「はーい」


 別に、塩素は水にゆうかいして勝手に拡散するから、こんなことをしなくてもいいのだが、あくまで時短だ。水の中ではえんさんや次亜塩素酸イオンとなり、これらの酸化作用が殺菌効果を持つ。菌の細胞膜や細胞壁を破壊し、へんせい――簡単に言えば、タンパク質の機能を変えて害をなくしている――させることで人体への影響を無くしている。


 一分ほど経ったので、カルミナに「もういいよ」と言うと、巨大なお湯の魂は動きを止めて、湯船へとゆっくりと落ちていった。ボクも、塩素への干渉をやめる。数秒もすれば、塩素は全て魔力に戻って、水中の塩素濃度は限りなくゼロになるだろう。既存のものはあるが。


 一度、アトラさん家やここのお風呂は消毒されてるのか、とピクシルに聞いてみたが、一応水をじょうする魔法陣は開発されているらしく、地下に貯蔵している水を温めると同時に殺菌もされているようだ。そっちを使えばいいじゃないかって? 魔法の練習も兼ねてるからいいの。


 湯船に近寄り、手を浸けて温度を確かめる。四十度くらい、完璧だ。塩素の刺激臭ももうなくなっている。


「よし、入ろっか」


「わーい、お風呂〜」


 お湯の張り替えに数分時間を要したため、少し体が冷えてしまった。ボクも、早くお湯に浸かりたかったから、足先から温度に慣らしつつなるべく早くお湯に全身を浸ける。


「「ふぃ〜」」


 二人揃って、長く息を吐く。体の外側から、じんわりと内側へ温度が染み込んでいく。


「今日で一か月か……」


「そうだね~。色々と大変なことはあったけど、あたしは凄く楽しかったな~」


「ボクも同じ意見だよ……ところでカルミナ、ボクの記憶が正しければこの一か月間、毎日お風呂を共にしてる気がするんだけど」


「うん、そうだね……あっ、もしかして嫌だった!?」


 自覚はあるみたいだし、やっぱりして一緒に入っていたようだ。そして、ここで嫌だったかと聞く当たり、カルミナのネガティブ思考も相変わらずだ。


「嫌じゃないよ。もう慣れたし」


「……初めは嫌だったってこと?」


「嫌というより、あまり誰かと一緒にお風呂に入った経験がなかったからさ、カルミナだろうとアトラさんだろうと、ちょっと拒否感があったんだよ」


「そっか、あたしが嫌だったわけじゃないんだ……」


 ちょっと焦った雰囲気をにじませたカルミナだったが、説明を聞いて安心したようだ。さて、ここらで本題に入るとしよう。


「一緒にお風呂に入るとき、いつも思ってたんだけどさ。カルミナってボクと二人きりの時だけ雰囲気変わるよね」


「っ……まあ、気付くよね」


 肩をぴくっと跳ねさせ、伸ばしていた脚を曲げて、腕で抱きかかえる。一か月前、カルミナがお風呂に入るときによくしていた姿勢だ。カルミナが動いたことで揺れる水面を眺めながら、発言を続ける。


「ずっと聞こうとは思ってたんだ。どうして幼馴染のイセリ―じゃなくて、ボクの前でのみそうなるのか。何が理由でそうなるのか……って。もちろん、無理やり話させようなんて思ってはないよ。ただ、仲間として、ルームメイトとして、なにより友達として。知りたいし、何か力になれることがあるなら手伝いたい、そう思っただけだよ」


「……これ、話したらイセリ―に怒られるかな」


「さあ、それは分からないなぁ。まあ、もし怒られるのだとしたら、一緒に怒られるよ。話させたのはボクの方だし」


 ボクにカルミナのことを任せてくれているし、怒られるようなことはないと思うが。


 ちらりと隣を見てみると、きゅっと丸く小さく縮こまり、口を横一文字に引き結んでいた。目は半分閉じられており、話すかどうか、よっぽど悩んでいるのだろう。なんとなく予想はしていたが、こうも悩まれると本当に聞いてよかったのか自信が持てなくなる。いや、もうここまで来てしまったからには自信を持って進むしかない。逃げ腰はやめるって決めたんだ。


「かる――」


「よしっ」


 話しやすいよう、何か話しかけようとしたと同時に、カルミナが上体をがばっと起こす。いきなりだったものだから、今度はこちらが肩を跳ねさせてしまう。


「プロティア。あたしがこんな風に性格が変わるのはね、昔あったことが理由なの。プロティアはシンド村の出身だったよね?」


「出身ではないかもしれないけど、育ちはそうだよ」


 元々は捨て子だから、本当の生まれはシンド村ではない可能性も十分ある。今は関係ないだろうが。


「そうなんだ。そっちの昔話も、いつか聞きたいな……えと、じゃあ三年前のことは、経験したんだよね?」


 三年前、ということは、例のゴブリンの魔災のことだろう。ボクの精神的には経験していないが、プロティアとして経験した記憶はあるので、ここは頷いておく。


 一つ間を置いて、カルミナが続ける。


「……実はね。イセリ―も、あの魔災の被害者なんだ」



 一方その頃、寮の一階東端の部屋にて。


「カルミナさん、今日もプロティアさんとお風呂に行きましたね。イセリ―さんにおいては、きゅうゆうを取られて寂しいのではありませんか?」


 アトラスティが、教科書に目を落とすイセリ―にそう問いかける。かれこれ一か月、毎日お風呂を共にしているプロティアとカルミナについて、イセリ―がどのように思っているのか聞きたくなったのだ。もちろん、悪意は一ミリもない。アトラスティはそういう子だ。


「そうですね……寂しさは、少しあります。でも、どちらかというと、嬉しさの方が大きいです」


「嬉しさ、ですか? 意外ですね」


「ふふ、そうですね……」


 これは、少し踏み込みすぎただろうか、というしょうそうかんがアトラスティの中に生まれる。無意識に相手の心の中に土足で上がってしまうことが、アトラスティの自他ともに認めるいいところであり、悪いところでもある。今回も、もしかしたらやらかしてしまったのではないか、とイセリ―のちんうつとした表情からかんぐってしまう。


 プロティアさんに、なるべく本人から話すまでは、こちらからは手を出さないでおこう、と言われていたのに、守れなくてすみません、という謝罪を、今はお風呂で温まっているであろうプロティアに送る。この空気、どうしよう、と頭を悩ませていると、イセリ―が先に言を発した。


「……隠し事は出来る限りなしに、でしたよね」


「え? ええ、確かに言いましたが……」


 無理に話す必要はありませんよ、と付け加えるか、一瞬のしゅんじゅんの隙に、イセリ―は一度深呼吸を終え、覚悟を決めた目を見せる。


「アトラさんになら、話せるかもしれません。聞いていただけますか? 私と、ミナの過去の話を」


 断るすべなど、彼女にはなかった。

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