カルミナとイセリー4

 カルミナが考えるのにのめり込んでしまう前に、衣類を持って脱衣所を後にする。一度考えながら歩いてこけそうになったことがあるからか、それ以来移動中は考え事をしないようにしているらしいカルミナは、ボクが部屋に戻ろうと提案してすぐにけんに寄せていたしわをなくし、おっとりとした笑顔になった。


「そういえば、あたしのことはいいとして、イセリ―はどうする? 何かいい方法はあるの?」


「え? ああ、そうだな……さっきも言ったけど、ボクの見た感じ、イセリ―はある程度回復はしていると思う。残る問題は、トラウマの原因……ゴブリンに対するきょうふっしょくだけだと思うんだ」


「回復してる……? でも、イセリ―は昔みたいな活発さはないよ。今のままじゃ、昔みたいには戻ってないんじゃ……」


 この世界も……いや、恐らくこの世界の方がPTSDのようなしっかんかかる人は多いだろう。だが、カルミナは幼い頃の病気のせいもあって、箱入りで人と接する機会が少なかったはずだ。だから、知らないのだろう。


「……強いトラウマを抱えると、人の性格は変わることがあるんだよ。不可逆的に」


「えっ……」


 脳の機能や神経系に変化が生じることが要因とされているが、PTSDにより人格がへんぼうすることがあるそうだ。ボクが実際に見たわけではないのだが、そういった話はインターネットの海を泳いでいればいくらでも見つかった。うつの症状で性格が変わるとかもあるが、これも似たようなものだったはずだ。


 つまり、カルミナの目標であるイセリ―を昔の元気なイセリ―に戻すことは、ほぼ不可能と言える状況なのだ。もし奇跡的に、脳や神経系に問題がなければ戻る可能性はあるが、既に三年が経過してその間性格に変わりがなかったのだとすれば、難しいだろう。


 カルミナが足を止めて、こちらに体を向ける。濡れてからすの羽のように綺麗に輝く黒髪から、一滴のしずくが床に落ちた。


「じゃあ、もう、イセリ―は……」


「元には戻らない」


 カルミナが口をパクパクさせる。嘘だ、とか、そんなはずない、などと言いたいのだろうが、カルミナもどこかでその可能性を感じていたのだろう。目をうるませるも、認めたくないと目でうったえるも、次の言葉は出てこない。


「……カルミナは、今のイセリ―は嫌い?」


「そ、そんなわけないっ! あたしはどんなイセリ―でも大好きだよっ! でも、やっぱり……」


 あのイセリ―がいい、だろうか。イセリーは賢いし、器用な子だ。恐らくこのことを話して頼めば、かつての自分を演じてくれるだろう。今、カルミナがしているように。いや、イセリ―ならとっくにカルミナの「昔のイセリ―に戻したい」という願いに気付いていて、その上で演じていないのかもしれない。だとしたら、イセリーなりに考えてのことなのではないだろうか。


 とはいえ、本人に聞かなければ実際のところは分からない。きょう点として、今のイセリーのままトラウマをこくふくする、というのが、ボクの意見としては最適解だ。


「……プロティアが言うんだから、もしかしたらもう戻らないのかもしれない。でもっ、あたしは諦めないよ。無理だとしても、絶対にイセリーを元に戻す方法を探すから!」


 こういう諦めの悪いところは、カルミナのいい所なのだろう。同時に、自分を苦しめる欠点でもあるかもしれないが。


「分かった。ボクはイセリーのトラウマ克服にじんりょくするから、カルミナはイセリーが元に戻る方法を考えてみて。こっちのことが済んだら、ボクもカルミナに協力するよ」


「プロティア……うん! 絶対見つける!」


 ひとみおくに、炎がちらつくような錯覚を覚えるほど、カルミナの決意は固かった。ほぼ不可能であるとは思うが、カルミナなら何か妙案を思いつくのではないだろうか、と思わせるほどに。


 カルミナは大きな問題を二つ同時に直面することになるし、ボクも出来る限り協力しよう。


 部屋に戻ると、アトラさんがボクのベッドに腰掛けて、物思いにふけっていた。ボク達が部屋に入ったのに気付くのにも数秒遅れていたし、余程真剣に考え込んでいたのだろう。部屋の中を見回してみるが、イセリ―の姿は見えなかった。


「あ、お帰りなさい」


「ただいま戻りました。イセリーはいないみたいですね」


「ええ。風に当たってくる、と言って先程部屋を出て行きましたわ」


「そですか」


 二人に何かあったのだろうか。イセリ―がカルミナ関係なしに一人になるのは珍しいし、アトラさんがここまで負の感情を表に見せるのも見たことがない。けん……ではなさそうだが。


「何かあったんですか?」


「え? 何故そのようなことを?」


「いえ。アトラさんが思い悩むのを表に出すのって、珍しかったもので」


「……わたくしのポーカーフェイスもまだまだですわね。先程、イセリ―さんの昔の話を聞かせていただきましたの。それについて、考え事をしていただけですわ」


「え、イセリ―が……?」


 予想外の理由に驚いたが、隣にいたカルミナはそれ以上に顔をきょうがくあふれさせていた。それもそうだろう。心を閉ざしてしまったはずのイセリーが、出会ってまだ一か月やそこらのアトラさんに過去の話をしたのだから。


 ただ、ある種の納得もあった。イセリーはアトラさんと二人でいることが多かったし、アトラさんは器が大きく優しい、信頼の出来る人だ。その上、聞き上手だから話しやすい。ボクと違って人と関わることにも慣れているし、精神的には男性であるボクよりも、元からの女性であるアトラさんの方が話しやすくて当然だろう。


 しばしの沈黙が続いていると、カツカツというくつおとろうから聞こえてくる。音はしばらく続き、部屋の前まで近付いて止んだ。扉のノブが捻られ、静かに開く。姿を見せたのは、言うまでもなくイセリ―だ。寝間着のまま、いつもはうなじの位置でまとめている髪も下ろしている。


「あれ、二人とも上がってたんだ」


 話し終わった時の状態は分からないが、イセリ―の表情は昼間ボクに話そうとして見せた表情とは真逆で、どこか晴れた様子を感じさせた。抱えている悩みをアトラさんに話したことで、気が楽になったのだろう。


「イセリ―……その、大丈夫なの?」


「うん。話してるときはちょっと苦しかったけど、話し終わった後はなんかすっきりして。ミナもプロティアに話したんでしょう?」


「え、何で知って」


「実は私とプロティア、裏で繋がってたの」


「うええぇえ!?」


 なんつー言い回しだよ。間違っちゃないけども。


 イセリ―が左目でウインクをし、人差し指を立てた左手を唇にあてがって言った言葉に、心の中でツッコミを入れる。こういうお茶目なところは、昔のごりなのかもしれない。


「ふふっ。昔と変わらず反応が良くて、ミナを揶揄からかうのは楽しいわね」


「イセリ―の意地悪なところは相変わらずだね! あたしは心配してるのに!」


 カルミナが目尻に涙を浮かべ、頬を膨らませてイセリ―を睨む。カルミナは揶揄われたことにぷりぷりすることに必死で気付いていないのかもしれないが、これはイセリ―なりの「変わっていないこと」の表現なのだろう。性格が変わって活発さこそなくなったけど、あなたとの関係が変わってしまったわけじゃない。こうやって昔と変わらず揶揄ってるのが何よりの証拠、と。


 イセリ―にしては不器用なやり方だなぁとは思わなくもないが、イセリ―だってまだ子供なのだ。こういう時にどうすればいいかなんて、簡単には思いつかないだろう。てか、ボクも知らん。


「アトラさん、プロティア。面倒ばかりかける二人かもしれませんが、これからも友達でいてくれますか?」


 一度呼吸を整えたイセリ―が、視線をボクとアトラさんに向けてそう言う。アトラさんと一瞬のアイコンタクトをわし、イセリ―の問いに答える。


「当然。出来ることがあったら何でも言ってくれ」


「ええ。私も、りょくながらお手伝いさせていただきますわ」


「ありがとうございます」


 礼を言いながら、イセリーは笑みを浮かべる。ボク達から満足のいく返答が得られたからか、今度はカルミナへと再び向き直る。


「心強い仲間も得られたし、一緒に頑張ろうミナ。あの頃みたいに一緒に、あの頃以上に楽しくするために」


「……うん!」


 丸く収まった。丸く収まった……のだが。


「これからのことを話そうと思うのだけど……カルミナ。これはどういうことだね」


 ボクはカルミナの腕の中へと収まっていた。


 これからの二人についての話をしよう、ということになり、いつものだんしょうじんになろうとしたところ、カルミナに呼び寄せられて後ろを向くように言われた。それに従った結果、後ろから抱き締められてそのままカルミナが座ったため、ボクは大きめのお人形よろしくカルミナの膝の上に乗せられ、腕の中に収まっている。


「どういうって、プロティアのことを意識するようにするんだったら、一番近くにいる方がいいかなって」


「にしても近すぎやしないかね。近いというか、もう触れ合いまくってるんだが」


「こうしてるとなんか落ち着くって、お風呂場にいるときに気付いたんだぁ」


 背中に当たる胸が! 胸がっ!


 しかし、出来ることは協力すると言った手前、カルミナなりに考えて出したのだろう抱きかかえ作戦と言う結論に文句を言えない。カルミナが落ち着くのであれば一番有効だろうし、ここはもうボクの大和やまと魂燃えさかる精神力で耐えきるしかあるまい。何たるぎょう、まさに地獄。やはり転生ではなく地獄送りがボクの結末には相応ふさわしかったようだ。南無。


 ボクを膝に乗せ、己のあごをボクの肩にちょこんと乗せてあんじゅうの地を見つけてしまったカルミナのことは、天国と地獄の狭間はざまで悟りを開きそうになりつつ諦めて、とりあえず本題に入ることにする。


「まずはカルミナについて話そうと思います。カルミナは今、ボクと二人きりの時とそれ以外の時で性格が変わってしまう状態です。この状態はあまり良くないので、性格を一つにまとめようと思ってます。今考えている方法は、なるべくボクとカルミナは同伴して、どんな状況でもボクを意識することで本来の性格を維持し続ける、慣れてきたらボクなしでも出来るようにして、その後今の性格と組み合わせていくって感じですね」


「ということは、しばらくはプロティアさん以外のわたくし達への反応が遅れたり、なかったりするわけですね」


「はい、そうなる可能性が高いと思います。ですので、反応がなくても気を悪くしないでください。さっきゅうに反応が欲しい時は、ボクを介してください」


 アトラさんとイセリーが頷き、カルミナの今後についての説明は終わった。理解の早い二人のことだし、きっと大丈夫だろう。


「次はイセリーだけど……イセリーには、過去のトラウマに対する本格的な治療を始めようと思う。正直、ボクは専門家じゃないから正しく出来るか分からないし、万一の為の精神安定剤なんかも用意出来ないから不安はある。だから、今すぐ無理にやれとは言わない。どうするかはイセリーの判断に任せる」


「……私も、怖い。でも、ミナに負担はもう掛けたくないし、シンド村に面してる以上この街にゴブリンがいつ攻めてきてもおかしくない。実際、プロティアはゴブリンと西門で戦ったわけだし。お願い。逃げないから、逃げたくないから、プロティアのやれるだけの方法で、私の治療をして欲しい!」


 左隣で姿勢を正し、決意の籠った目でボクを見つめてくる。これなら、大抵の苦は乗り切れるだろう、そう思わせる目だ。信頼してくれているんだから、やれるだけのことはやるとしよう。


「オーケー、それじゃあイセリーの治療も同時並行でやって行こう」


 一度頷くと、イセリーの表情はほころんだ。


「私はプロティアさんのような知識はありませんので、手伝えそうなことはお申し付けください。その、一人だけ何もすることがなくて、け者のようで少々寂しいので……」


 なんなら、今も一人だけボクのベッドに腰掛けている。表情は苦笑のように見えるが、その実寂しがっているのかもしれない。貴族として生まれてこの方ずっとポーカーフェイスをやってきていただろうから、感情を隠すのが上手い人だ。素直だからこうして言葉にしてくれるが、表情だけから読み取ろうとすれば、正確に読み取れる自信は全くない。


「分かりました。じゃあ、二人ともっと仲良くなってください。信頼できる人が多ければ多いほど、人は精神的に余裕を持てるので」


 その上、アトラさんは上級貴族だ。親しい人に上流階級の人がいるとなれば、どんな人でもありがたいだろうし、実家があきないをしている二人にとっては貴族のお得意様が出来るかもしれないのだ。こういったそんとくかんじょうを抜きにしたとしても、アトラさんは付き合っていてとても楽しい人だ。色々と苦労もあるけど……。


「では、この四人でもっと仲良くなっていきましょう! プロティアさんも一緒に、ですよ」


 二人と、の部分に疑問を抱いたのか、アトラさんが四人で、プロティアさんも、と付け加えてくれる。この人のこういうところが、大変なところがあっても、友達でいたいと思わせるんだろうなぁ。


「はい、喜んで」

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