カルミナ2
十分程、特に会話もなく二人で温まっていると、脱衣所の方から物音や会話が聞こえだした。
「そろそろ上がるか」
「そだね」
短くそう
入り口近くの棚に置いておいたタオルで全身の水分を拭きとり、脱衣所の中に入る。
脱衣所には既に数人の女子が来ていた。見覚えのある顔はなく、別のクラスか学年の人達だろう。なるべく見ないようにしつつ、ささっと着替えて後にする。
部屋に戻ると、アトラさんとイセリ―が部屋着に着替えてベッドに座ってまったりしていた。アトラさんはボクの、イセリ―は自分のベッドに腰かけている。汗は乾いているようだが、疲れはまだ抜けきっていないことが表情から見て取れる。
「おかえりなさい。すみません、ベッド使わせていただいてますわ」
「あ、はい、どうぞご自由に」
脱いだ制服はロッカーに
ロリやショタの汗が染み込んだ制服? 言い値で買い取らせてもらう、という人にとっては宝物に見えるかもしれないが、当事者であるボク達からすればこの服で午前の座学も受けねばならぬのだから
って、そもそも諸君って誰だよ。
そんなボケとツッコミを心の中で繰り広げつつ、アトラさんから少し距離を空けてベッドに腰掛ける。その対面で、カルミナもイセリーの隣に座った。
「カルミナさん、凄いですわね。あれだけの厳しい運動の後、すぐにお風呂に行けるようになっていたとは」
「え!? あ、はい! なんか元気余ってて!」
一週間経っても未だ慣れないのか、緊張した
「でも、それを言うなら、プロティアは最初からずっとなので、もっと凄いですよ」
「この人は例外です……あのエニアスさんですら辛そうにしているのですから」
「例外って……まあいいとして、エニアスって?」
初めて耳にする名前だ。ただ、アトラさんが例外らしいボクと同列に扱うのだから、かなりの実力者、それこそ鍛錬の最後に立っている男子二人のうちのどちらかだろう。まあ、どちらなのかは、なんとなく予想はつくが。
鍛錬が終わった時に立っているメンバーは、今日のカルミナのようにたまに一、二人加わることもあるが、基本的にはボクを含む三人が
「エニアス・ネアエダム。鍛錬でいつも最後まで立っている、紫色の髪をした方です。ネアエダム家は古くから戦闘を得意とする家系で、先の戦争では『戦場のネアエダム、一国に
予想は当たっていたらしい。アトラさんの話を聞く限り、相当な実力者のようだ。教室でも他の貴族とは違う雰囲気を持っていて、常に一人でいるだけでなく、他の男子がアトラさんや他の貴族の女子に言い寄っているにも関わらず、彼は一度もそんなことをしているところを見たことがない。
しかも、才能も努力も持ち合わせるプロティアと
「さて……イセリ―さん、私達もそろそろお風呂に行きましょうか」
「はい」
アトラさんとイセリ―が、ゆっくりと立ち上がる。少しふらついた足取りで、二人とも入浴セットをロッカーから取り出して部屋を出て行った。
二つの足音が遠ざかり聞こえなくなったかと思うと、対面から肺の中の空気を全て吐き切るんじゃないかと思わせるほどの、長い長い溜息が聞こえてきた。
「……一週間経ったけど、やっぱりアトラス……さんと一緒にいるの、慣れないや。プロティア~、何かいい方法ない~?」
アトラさんという緊張
「そうだな……アトラさんと二人きりの時間を作ってみる、っていうのはどうかな? カルミナはこれまでそういった時間を全然とってないから、一度やってみる価値はあると思う」
「うへぇ……アトラさんに、あたしなんかのために時間を使わせるなんて出来ないよぉ」
いい方法だと思ったが、
実際、カルミナがアトラさんと二人きりになったタイミングは、少なくともボクが
カルミナがアトラさんに慣れていないのは、やはり二人きりになるタイミングがなかったせいではないだろうか、というのがボクの見解だ。
「アトラさんなら、喜んでやってくれると思うんだけどなぁ……」
「それでも! あたしはあんまり、人に迷惑を掛けたくないの」
持ち上げた脚を振り下ろす勢いと腹筋で、カルミナが起き上がる。人に迷惑を掛けたくない。恐らく、カルミナの行動基準はこれなんだろう。一週間一緒に過ごして、カルミナは人に迷惑をかけるとか、人の
だから、逆に利用してみるとしよう。
「ボクが思うに、アトラさんはカルミナともっと仲良くなりたがっている。そんなアトラさんが、カルミナと仲良くなる機会を作ることを迷惑だなんて思うだろうか?」
「それは……でも、あたし……」
おおう、これは根深そうだ。あまり
「……ごめんね。プロティアの言ってることが正しいって、頭では分かってるの。でも、怖くて……」
「怖い?」
「……何でもない。忘れて。ちょっと、横になる」
そう言うと、カルミナは自分のベッドに入って、静かになってしまった。
怖い。何が怖いのだろう。これも、カルミナの過去に関係があるのか?
静まり返り、二人の呼吸音だけが響く部屋の中、妙な
その後、カルミナはお風呂から二人が戻ってくるまでベッドにくるまっていた。四人が
♢
時の流れは早いもので、転生してから一ヶ月が経過した。カルミナの本心が
午前は座学をこなし、午後は鍛錬。アトラさんとイセリーは、最初に比べて倒れ込むようなことはなくなったが、未だにすぐにお風呂に行ける元気はないようで、ボクとカルミナの二人で先にちゃちゃっと済ませる。
その後、全員がお風呂を済ませ、四人で夕食を食べて雑談をした後眠りにつく。
いくつか変わったこともあるが、ボクが早起きをして早朝トレーニングを始めたとか、カルミナが少しずつアトラさんに慣れ始めたとか、そのくらいだ。
カルミナとの仲は良くなっている……と、思う。休日に二人で出かけたし、カルミナがボクに甘えてくることも増えた。だが、まだ過去を聞くには至っていない。というより、どう聞けばいいかが分からない、というのが本音だ。
「はぁ……」
人間関係についての本ないかなー、と覗きに来た図書室で、探した
「今のところ大丈夫そうではあるけども……」
早いところ解決した方がいいことは確実だろう。どう手を差し伸べればいいのかは分からないが、話を聞くだけでも進展なはずだ。
まあ、その話を切り出せないでいた結果、一か月何の成果も得られなかったわけだが。
「あら、プロティアが図書室にいるなんて珍しい」
「……イセリ―。ちょっと野暮用でね」
話しかけてきたのは、数冊の本を持ったイセリ―だった。この世界の本は表紙以外は何も書かれていないらしく、一番上の本が植物に関するものだということしか分からない。
イセリ―は休日、図書室にいることが多い。ここが一番落ち着けるようだ。読書をしていると、内容に
「隣、いいかな?」
「うん」
ボクの返事を聞いて、イセリ―は微笑を浮かべて感謝を述べると、隣の椅子に腰を下ろした。すぐに読書へ入るのかと思っていたが、少しの間考える素振りを見せたかと思うと、ボクの方に体の向きを変えた。
「もしかして、ミナのことで悩んでる?」
「……よく分かったね」
「最近ずっと一緒にいるし、ミナと一緒にいる時のプロティア、よく悩んでるから」
なるべく表に出ないよう
「……任せ切りにしちゃってる身で、こんなこと言っていいのか分からないんだけどね。ミナのこと、プロティアに任せてもいいかな? 多分、ミナの心を救えるのは、今はプロティアしかいないと思うの」
「ボクしかいないって、どういうこと?」
「えっとね……」
イセリーがボクから視線を
一分かそこらが経つと、イセリーは一度
「プロティアは、今のミナのこと、どう思ってるの?」
「え、そうだな……元気だけど、凄く人の気持ちを大切にしていて、少し危うい感じがする……かな。二人きりになると、よく性格が変わるし」
「……ミナはね、演じてるの。元気なミナを……私のために」
カルミナが演じている、というのは薄々察しが付いていた。ボクの前でのみ性格が変わることから、どちらかはカルミナの後付けの性格なのだろう、と。
そしてそれがイセリーのためであることも。イセリーは過去に、何らかのトラウマを抱えている。恐らく、ゴブリンに対して。カルミナはイセリーを元気付けようとしたのか、まあ正確な理由は分からないが、元気に振る舞うことでイセリーを守ろうとしているのだろう。
これまでは推測だったが、イセリーの言葉のおかげで正しかったことが判明した。
「っ……ごめん、たくさん、話さなきゃ行けないことがあるのに、話せない」
眉を
「無理に話さなくていいよ。そのうちでいいし……カルミナから聞けるかもしれないから。実を言うと、ボクはずっとカルミナにどう接していいか、分からなかったんだ。カルミナは嫌がるかもしれないし、もしかしたら迷惑じゃないかって」
「ふふ、ミナと同じこと言ってる」
「え? あ、ああ、そうだな……案外、ボクとカルミナは似た者同士なのかもね」
人に対して何かをするとき、それが相手にとって迷惑かどうかを行動基準にしているところとか。でも、確実に違うところがある。それは、迷惑かもしれないと思ったうえで、カルミナはイセリ―のために動けたということだ。ボクは前世で、辛い思いをしている家族から、ずっと目を
本当にすごいと思う。ボクが出来なかったことを、今やって見せているのだから。
だからこそ、心配なのだ。前世でボクは、演じ続けることが出来なかった。最終的に逃げ、一人の世界へ
「一ヶ月間、迷い続けてきたけど。イセリーがきっかけをくれた。カルミナを任せてくれた。今日、カルミナと話してみるよ。すぐに事が済むかは分からないけど、何か出来ることをやってみるよ」
「……そっか。ありがとう」
イセリーの感謝の言葉に、一度頷く。
覚悟は決めた。今夜、この一ヶ月に及んだ迷いに、決別する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます