カルミナ2

 十分程、特に会話もなく二人で温まっていると、脱衣所の方から物音や会話が聞こえだした。


「そろそろ上がるか」


「そだね」


 短くそうかわして、そろってお風呂を出る。


 入り口近くの棚に置いておいたタオルで全身の水分を拭きとり、脱衣所の中に入る。


 脱衣所には既に数人の女子が来ていた。見覚えのある顔はなく、別のクラスか学年の人達だろう。なるべく見ないようにしつつ、ささっと着替えて後にする。


 部屋に戻ると、アトラさんとイセリ―が部屋着に着替えてベッドに座ってまったりしていた。アトラさんはボクの、イセリ―は自分のベッドに腰かけている。汗は乾いているようだが、疲れはまだ抜けきっていないことが表情から見て取れる。


「おかえりなさい。すみません、ベッド使わせていただいてますわ」


「あ、はい、どうぞご自由に」


 脱いだ制服はロッカーにわれているのか、目に見える場所にはない。


 しょくんは制服その他衣類の洗濯はどうしているのか、気になっているだろう。予想はついているだろうが、平日に洗濯をするなどという元気が残っている生徒はほぼいない。ゆえに、休日に一気にすることになる。つまりだ。この制服は五日分の汗を吸い込んでいることになる。最終日には、自分でもニオイが分かるくらいには大変こうばしくなっている。


 ロリやショタの汗が染み込んだ制服? 言い値で買い取らせてもらう、という人にとっては宝物に見えるかもしれないが、当事者であるボク達からすればこの服で午前の座学も受けねばならぬのだからかつ問題だ。せめてもう一着用意するか、やはり鍛錬用の体操服のようなものを導入するべきだろう。いっそのこと、カルミナの実家である服屋に頼んでみるのもいいかもしれない。


 って、そもそも諸君って誰だよ。


 そんなボケとツッコミを心の中で繰り広げつつ、アトラさんから少し距離を空けてベッドに腰掛ける。その対面で、カルミナもイセリーの隣に座った。


「カルミナさん、凄いですわね。あれだけの厳しい運動の後、すぐにお風呂に行けるようになっていたとは」


「え!? あ、はい! なんか元気余ってて!」


 一週間経っても未だ慣れないのか、緊張したおもちで、いつもよりうわった声のカルミナがアトラさんの感心の言葉に答える。背筋をピシッと伸ばし、拳を握り腕もピンと伸ばしている姿は、あたかも就活生のようだ。就活したことないけど。


「でも、それを言うなら、プロティアは最初からずっとなので、もっと凄いですよ」


「この人は例外です……あのエニアスさんですら辛そうにしているのですから」


「例外って……まあいいとして、エニアスって?」


 初めて耳にする名前だ。ただ、アトラさんが例外らしいボクと同列に扱うのだから、かなりの実力者、それこそ鍛錬の最後に立っている男子二人のうちのどちらかだろう。まあ、どちらなのかは、なんとなく予想はつくが。


 鍛錬が終わった時に立っているメンバーは、今日のカルミナのようにたまに一、二人加わることもあるが、基本的にはボクを含む三人がじょうれんだ。その残りの二人というのは、一人はかなり体格のたくましい男子で、もう一人は普段からよく一人でいる紫髪の美少年だ。ボクの推測では、後者がそのエニアスという人物だろう。鍛錬中のオーラが周りと違う。


「エニアス・ネアエダム。鍛錬でいつも最後まで立っている、紫色の髪をした方です。ネアエダム家は古くから戦闘を得意とする家系で、先の戦争では『戦場のネアエダム、一国にあたいす』などとうたわれる程の実力を持っています。その長男であるエニアスさんも、魔法は使えませんが、剣での戦いはあなたにもまさらずとも劣らないと思いますわ、プロティアさん」


 予想は当たっていたらしい。アトラさんの話を聞く限り、相当な実力者のようだ。教室でも他の貴族とは違う雰囲気を持っていて、常に一人でいるだけでなく、他の男子がアトラさんや他の貴族の女子に言い寄っているにも関わらず、彼は一度もそんなことをしているところを見たことがない。


 しかも、才能も努力も持ち合わせるプロティアとそんしょくないと思われているというのは、聞き捨てならない。関わりを持つかは分からないが、注目はしておいて損はないかもしれない。


「さて……イセリ―さん、私達もそろそろお風呂に行きましょうか」


「はい」


 アトラさんとイセリ―が、ゆっくりと立ち上がる。少しふらついた足取りで、二人とも入浴セットをロッカーから取り出して部屋を出て行った。


 二つの足音が遠ざかり聞こえなくなったかと思うと、対面から肺の中の空気を全て吐き切るんじゃないかと思わせるほどの、長い長い溜息が聞こえてきた。


「……一週間経ったけど、やっぱりアトラス……さんと一緒にいるの、慣れないや。プロティア~、何かいい方法ない~?」


 アトラさんという緊張いんから解放されたカルミナが、イセリ―のベッドに倒れ込みながら聞いてくる。


「そうだな……アトラさんと二人きりの時間を作ってみる、っていうのはどうかな? カルミナはこれまでそういった時間を全然とってないから、一度やってみる価値はあると思う」


「うへぇ……アトラさんに、あたしなんかのために時間を使わせるなんて出来ないよぉ」


 いい方法だと思ったが、きゃっされてしまった。


 実際、カルミナがアトラさんと二人きりになったタイミングは、少なくともボクがあくしている範囲では一度もない。ボクは、少女プロティア時代も含めれば何度もあるし、イセリ―はボクとカルミナが二人でいることが多いため必然的にアトラさんとサシになる機会は多い。結果として、一週間でもうかなり打ち解けている。


 カルミナがアトラさんに慣れていないのは、やはり二人きりになるタイミングがなかったせいではないだろうか、というのがボクの見解だ。


「アトラさんなら、喜んでやってくれると思うんだけどなぁ……」


「それでも! あたしはあんまり、人に迷惑を掛けたくないの」


 持ち上げた脚を振り下ろす勢いと腹筋で、カルミナが起き上がる。人に迷惑を掛けたくない。恐らく、カルミナの行動基準はこれなんだろう。一週間一緒に過ごして、カルミナは人に迷惑をかけるとか、人のおんけいしょうであやかることを良しとしない傾向があることに気付いた。いい心掛けではあると思うのだが、カルミナのそれは少し行き過ぎているんじゃないかと思うこともある。


 だから、逆に利用してみるとしよう。


「ボクが思うに、アトラさんはカルミナともっと仲良くなりたがっている。そんなアトラさんが、カルミナと仲良くなる機会を作ることを迷惑だなんて思うだろうか?」


「それは……でも、あたし……」


 おおう、これは根深そうだ。あまりいして嫌われるのは避けたいし、どうしたものか。


「……ごめんね。プロティアの言ってることが正しいって、頭では分かってるの。でも、怖くて……」


「怖い?」


「……何でもない。忘れて。ちょっと、横になる」


 そう言うと、カルミナは自分のベッドに入って、静かになってしまった。


 怖い。何が怖いのだろう。これも、カルミナの過去に関係があるのか?


 静まり返り、二人の呼吸音だけが響く部屋の中、妙なむなさわぎで早くなった鼓動の音が、異様に五月蠅うるさく感じた。


 その後、カルミナはお風呂から二人が戻ってくるまでベッドにくるまっていた。四人がそろった後はいつも通り元気にふるっていたが、ボクの頭の中はどうしても、さっきの怖いと言ったカルミナの顔が貼り付いて離れなかった。



 時の流れは早いもので、転生してから一ヶ月が経過した。カルミナの本心が垣間かいま見えたあの日からも、ボク達の日常は大きく変わることはなかった。


 午前は座学をこなし、午後は鍛錬。アトラさんとイセリーは、最初に比べて倒れ込むようなことはなくなったが、未だにすぐにお風呂に行ける元気はないようで、ボクとカルミナの二人で先にちゃちゃっと済ませる。


 その後、全員がお風呂を済ませ、四人で夕食を食べて雑談をした後眠りにつく。


 いくつか変わったこともあるが、ボクが早起きをして早朝トレーニングを始めたとか、カルミナが少しずつアトラさんに慣れ始めたとか、そのくらいだ。


 カルミナとの仲は良くなっている……と、思う。休日に二人で出かけたし、カルミナがボクに甘えてくることも増えた。だが、まだ過去を聞くには至っていない。というより、どう聞けばいいかが分からない、というのが本音だ。


「はぁ……」


 人間関係についての本ないかなー、と覗きに来た図書室で、探した甲斐かいなく読書用の椅子に腰掛けて項垂うなだれつつ、長い長い溜息を溢す。そりゃ、ここは冒険者学園なのだから、そんな本が置かれているわけがない。


「今のところ大丈夫そうではあるけども……」


 早いところ解決した方がいいことは確実だろう。どう手を差し伸べればいいのかは分からないが、話を聞くだけでも進展なはずだ。


 まあ、その話を切り出せないでいた結果、一か月何の成果も得られなかったわけだが。


「あら、プロティアが図書室にいるなんて珍しい」


「……イセリ―。ちょっと野暮用でね」


 話しかけてきたのは、数冊の本を持ったイセリ―だった。この世界の本は表紙以外は何も書かれていないらしく、一番上の本が植物に関するものだということしか分からない。


 イセリ―は休日、図書室にいることが多い。ここが一番落ち着けるようだ。読書をしていると、内容にぼっとうして余計なことを考えなくて済むし、気持ちは分からなくもない。それに、かなり本の種類もほうだから、今後はボクも活用しよう。


「隣、いいかな?」


「うん」


 ボクの返事を聞いて、イセリ―は微笑を浮かべて感謝を述べると、隣の椅子に腰を下ろした。すぐに読書へ入るのかと思っていたが、少しの間考える素振りを見せたかと思うと、ボクの方に体の向きを変えた。


「もしかして、ミナのことで悩んでる?」


「……よく分かったね」


「最近ずっと一緒にいるし、ミナと一緒にいる時のプロティア、よく悩んでるから」


 なるべく表に出ないようつとめていたつもりだったが、イセリーには見抜かれていたらしい。


「……任せ切りにしちゃってる身で、こんなこと言っていいのか分からないんだけどね。ミナのこと、プロティアに任せてもいいかな? 多分、ミナの心を救えるのは、今はプロティアしかいないと思うの」


「ボクしかいないって、どういうこと?」


「えっとね……」


 イセリーがボクから視線をらす。考え事をする時の癖のようで、いつも誰とも視線がまじわらないようにする。視線が合わない間は、何をしてもイセリーの反応は遅れるため、かなり深くあんしているのだろう。


 一分かそこらが経つと、イセリーは一度うなずいてから再びボクに視線を向けた。一重ひとえの優しい目からは、どこか覚悟が決まったような雰囲気を感じた。


「プロティアは、今のミナのこと、どう思ってるの?」


「え、そうだな……元気だけど、凄く人の気持ちを大切にしていて、少し危うい感じがする……かな。二人きりになると、よく性格が変わるし」


「……ミナはね、演じてるの。元気なミナを……私のために」


 カルミナが演じている、というのは薄々察しが付いていた。ボクの前でのみ性格が変わることから、どちらかはカルミナの後付けの性格なのだろう、と。


 そしてそれがイセリーのためであることも。イセリーは過去に、何らかのトラウマを抱えている。恐らく、ゴブリンに対して。カルミナはイセリーを元気付けようとしたのか、まあ正確な理由は分からないが、元気に振る舞うことでイセリーを守ろうとしているのだろう。


 これまでは推測だったが、イセリーの言葉のおかげで正しかったことが判明した。


「っ……ごめん、たくさん、話さなきゃ行けないことがあるのに、話せない」


 眉をひそめ、下唇を噛んでイセリーがうつむく。話さなきゃ行けないこと、というのは、過去のことなのだろう。ボクにカルミナを任せる以上、知っておいた方がいい過去の話。


「無理に話さなくていいよ。そのうちでいいし……カルミナから聞けるかもしれないから。実を言うと、ボクはずっとカルミナにどう接していいか、分からなかったんだ。カルミナは嫌がるかもしれないし、もしかしたら迷惑じゃないかって」


「ふふ、ミナと同じこと言ってる」


「え? あ、ああ、そうだな……案外、ボクとカルミナは似た者同士なのかもね」


 人に対して何かをするとき、それが相手にとって迷惑かどうかを行動基準にしているところとか。でも、確実に違うところがある。それは、迷惑かもしれないと思ったうえで、カルミナはイセリ―のために動けたということだ。ボクは前世で、辛い思いをしている家族から、ずっと目をそむけてきた。料理とか、勉強とか、家族のためと思ってやったこともあるが、やらざるを得なかったからやったという側面の方が大きい。だが、カルミナは友達のために、自分をいつわってまで頑張っているのだ。


 本当にすごいと思う。ボクが出来なかったことを、今やって見せているのだから。ひそかに尊敬すらしている。


 だからこそ、心配なのだ。前世でボクは、演じ続けることが出来なかった。最終的に逃げ、一人の世界へふさぎ込んでしまった。逃げたボクでさえ、精神的に苦しんだのに、逃げずに頑張り続けているカルミナがなんともないはずがない。


「一ヶ月間、迷い続けてきたけど。イセリーがきっかけをくれた。カルミナを任せてくれた。今日、カルミナと話してみるよ。すぐに事が済むかは分からないけど、何か出来ることをやってみるよ」


「……そっか。ありがとう」


 イセリーの感謝の言葉に、一度頷く。


 覚悟は決めた。今夜、この一ヶ月に及んだ迷いに、決別する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る