魔法

 少しずつ温度に慣らしながら、カルミナは体を洗っていく。プロティアの記憶では、カルミナの裸を見るどころか胸を触ってすらいるのだから今更ではあるが、なかば不可抗力とはいえ裸をしっかりと見てしまったことで罪悪感にさいなまれながら、鼻歌交じりに泡を体に擦る音に耳をかたむける……ことはなく、なるべく意識から排除しようと耳がお湯に浸かるよう湯船にもたれかかりながら口までお湯に浸かる。他に何人も入った後のお湯ならこんなことは出来ないが、今はまだボクしか入っていないから許容範囲だ。


「それにしても、プロティアって凄いねー。あたしも結構体力には自信あったんだけど、昨日も今日も全然最後まで持たなかったよ」


「学園に入る前は、一日中特訓してたこともあったからね。でも、結構ギリギリだったよ。あと一時間長かったら、ボクもしばらく動けなかったと思う」


「あと一時間あったら、あたしは死んでたね!」


 自慢気に言うことではないと思うが、カルミナは胸を張ってそうな口調で言う。見ていないから分からないが。


「でも、これだけ厳しいなら、武器を使い始めるまでの二ヶ月間でかなりきたえられそうだね」


「確かに〜。ムキムキになっちゃうかな!」


「男子ならかく、女子では難しいんじゃないかな」


 苦笑をこぼしながら、ムキムキになる事に前向きなカルミナにつっこむ。「そっか〜」と残念そうな声が聞こえてくるが、「ま、ムニムニよりはいいか」といんを踏んで納得する。


 ムキムキなカルミナ……と、脳内で、マイクロとは言わないが、布面積が小さなビキニを身に着け、日焼けして真っ黒な肌でサイドチェストをしている光景を思い浮かべる。


 思わず吹き出しそうになり、耐えようと肩をプルプル震わせていると、カルミナが「え、どしたの?」と聞いてくる。なんでもないと答えたが、笑いをこらえながらだったせいでなんでもなくはなく聞こえただろう。だが、カルミナはそれ以上追及して来なかった。


 カルミナが桶でお湯をすくい、湯船の中のお湯の水面が揺れる。何度か繰り返しているあたり、身体を洗い終えたのだろう。お湯掬いが終わると、今度はシャカシャカという音が聞こえてくる。髪を洗い始めたようだ。


「そういや、カルミナの髪っていつも跳ねてるよね、左右ひとまとまりずつ」


「あー、これね。生まれつきなんだ。何をしても跳ねちゃうから、もう諦めて個性として受け入れてる」


 横に跳ねているせいで、まるで動物の耳みたいだ。真横に長く伸びている耳と言えば、羊だろうか。カルミナの髪は見事な黒色だから、黒毛の羊ということになる。まあ、おっとりしたイメージのある羊と活発なカルミナでは、あまり合わない気もするが。


 再び湯船からお湯を掬ったカルミナが、今度は髪の泡を流す。何度か繰り返した後、ふぅと息を吐く。数秒すると、桶を置くカポンという音が響き、ボクの隣にカルミナが恐る恐ると足をお湯にける。少し時間が経って温度もちょうどよくなってきたこともあり、カルミナはすぐに全身をお湯にひたした。


「ふあ~……」


 長々と息を吐きながら、カルミナがよくそうにもたれかかりながら膝を抱える。


「気持ちぃ……あたしなんかが、こんなに気持ちいいお風呂に入っちゃっていいのかな……」


「何言ってんの、いいに決まってるでしょ。そうだ、いつか温泉に連れて行ってあげるよ。こんな魔法で作ったただのお湯なんかと比べ物にならないくらい気持ちいいから」


「……その時は、みんなで行こうね」


「そうだな」


 ボクとカルミナ、アトラさん、イセリ―の四人で温泉となるとやはり気が引けるが、恐らく行けたとしてもだいぶ先のことだろうし、その頃には女子として女性陣に囲まれることにも慣れていてほしいものだが。


 ちんもくが浴室を満たす。あんまりしたくはないが、常に体か口が動いているイメージのあるカルミナが黙っていることにむずがゆい感覚がして、視線を左に座っているカルミナに向ける。ひざを抱え、ぎゅっと縮こまった姿からは、いつもの元気さは感じられない。温泉に行くときのことを想像でもしているのか、こうかくは僅かにだが上がっていて微笑を浮かべているが、まとう雰囲気はどちらかと言うとはかなさという言葉が合いそうだ。


 思いもよらない言葉が思い浮かび、理由がわからずカルミナを見つめ続けてしまう。ボクの視線に気づいたのか、カルミナがこちらに振り向き、暑さでこうちょうしていた頬をさらにあかくする。カルミナの変化に正気を取り戻し、申し訳なさであわてて視線を逸らす。


「そ、そろそろ出るよ! 結構長いこと入ってたから、逆上のぼせちゃいそう」


「そ、そっか。あたしはもうちょっとゆっくりしてから出るよ」


 カルミナを見ないようにしつつ、足早に浴槽から離れる。入り口付近に置いておいたタオルを回収し、体と髪の水分を拭き取る。妙な気まずさを感じながら、浴室を後にした。


『あの子も、なんねぇ』


「どういうこと?」


 不意に聞こえたピクシルの言葉に、普通に話しかけてしまう。脱衣所には既に何人かの人が来ており、やらかしたかと思ったが、運よく誰も聞いていなかったようだ。


 小さく溜息を吐くと、目の前にピクシルが姿を見せた。恐らく魔法でボクにだけ見えるようにしているのだろうから、慌てずにピクシルの存在を意識しすぎないようにしつつ、自分の衣服を置いた籠に近寄る。


『こればっかりは話せないわ。人の内心を勝手に話しちゃいけないことくらい、私も分かっているもの』


 ――それもそうだな。


 思い返してみれば、お風呂の中でのカルミナはいつもと全く違うようそうを見せていた。妙に落ち着き払っていたし、今朝カルミナが起きた時にも感じた、闇のような、どこか触れにくいものを垣間かいま見たような気がする。


 ピクシルの言う「難儀」がこれを指しているのかは分からないが、全く関係していないということはないのだろう。ただ、ボクはカルミナの変化を感じ取ることが限界で、それ以上は何も分からない。推測を立てることすら出来ない。


 クソ、前世でろくに人と交流してこなかったツケが回って来ている。今更、何を言っても変わらないが、せめてもう少し人と関わっておくべきだったんだ。そうすれば、カルミナのために今ボクが出来ることの一つや二つ、思い付いたかもしれないのに。


 それに、闇を抱えているのはカルミナだけじゃない。アトラさんは分からないが、イセリーは確実に何かを抱えている。プロティアだってそうだ。産みの親が誰かも分からなければ、左手のきずあとも何か分からないし、分からないことだらけだ。


 ――焦らず、一つずつ答えを見つけていけばいいと思いますわ。


 昨日、アトラさんに言われたことを思い出す。そうだ。焦る必要は無い。分からないことは、一つずつ分かって行けばいいんだ。カルミナのことも、イセリーのことも、プロティアのことも……まだ知り合って数日もってないんだ。分からなくて当然だ。


 まずは、仲を深めるところからだ。前世では避けてきたことだが、今度はもう逃げない。今はもう日向ひなたそらではなく、プロティアなのだから、周りに不幸が及ぶなんてことは無いはずだ。


「今度は、後悔がないようにしないと……」


 部屋着に着替えつつ、誰にも聞こえない声で呟く。


 服を着終え、濡れた髪はそのまま脱衣所を出る。今からお風呂に入ろうとする他の生徒とぶつからないように気を付けながら、早足に自室へと向かう。


 部屋に入ると、中は無人だった。イセリーのベッドの上に制服が置いてあるのを見る限り、残りの二人も一度部屋に戻って、部屋着に着替えてからお風呂に向かったようだ。どこかですれ違ったのかもしれないが、人が多過ぎて気付かなかった。


「ちょうどいいや。ピクシル、今のうちにいくつか聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


「何、私に答えられる範囲でなら何でも答えるわよ」


 たのもしい返答にありがと、と感謝してから、自分のベッドに座る。使い終わったタオルや下着をたたんでから、魔法で髪を乾かしつつピクシルに質問を伝える。


「まず聞きたいのは、魔法についてだ。ボクは元々魔法が存在しない世界から来たから、イメージで現象を起こせるもの、その現象を起こすのに魔力とたいしゃで生じるエネルギーが必要である、といったことくらいしか分かってないんだ。だから、魔力が何なのか、どういう原理であんなにさいな現象を引き起こしているのか、その辺を教えて欲しい」


「本当に魔法が無い世界だったんだ、あいつの元いた世界って。想像も出来ないわね……魔力がなけりゃ、私は存在しないんだし」


 ピクシルのいう「あいつ」というのは、おそらくボクの前にいた転移者のことだろう。どんな人なのかは分からないが、この世界に多大なえいきょうを残していることは確かだ。一度会ってみたいとは思わなくもないが、数千年前に転移してきたとピクシルが言っていたし、その後行方不明になったのならば、生きている可能性は残念ながらないだろう。


「そうね。まずは魔力について説明するわ。魔力というのは、一つの物質よ。そこらに幾らでもある、極々ごくごく小さな粒子。でも、ただの粒子じゃないのよ」


 粒子だけど、ただの粒子ではない。そう聞いて、一つの可能性に思い至る。


「もしかして、波の性質を持つとか?」


「よく分かったわね。魔力は粒子でありながら、波の性質も持つ特殊な物質なの」


 ピクシルが驚きで目を見開いて、説明を付け加える。魔力が粒子であるという仮定はしていたが、りょうと似た存在だとは予想していなかった。


「あんたの世界にも、似たようなものがあるの?」


「ああ、量子って呼ばれてるものが粒子と波どちらもの性質を持っているんだ。量子は、物質の最小単位としてていされてるものだよ。代表的なのは陽子と電子、中性子、あとは光子フォトンかな。光子は光のことね」


「へぇ、光って魔力と似たようなものだったのね。てっきり波だけだと思ってたわ。あいつはそんなこと教えてくれなかったし。そう考えると、あんたの世界は結構文明が進んでるのね」


「魔法はないけどね。この世界より数世紀は進んでると思うよ」


 この世界の文明レベルは、大体中世くらいだ。魔道具なんかはあるが、それをのぞけばそんなものだろう。


「ふーん、面白そうね、あんたの世界も」


「あはは、どうかな……」


 紛争や戦争はえないし、どの国も少子高齢化は進むし、生きにくさも強まっていく。人々は己の日々にじんりょくすることしか出来ず、時には他者から奪いもする。文明は進めど、人生が豊かになるとは限らないし、こんな世界が面白いかは分からない。少なくとも、ボクはこの世界に誰かを招待したい、とは思わない。


「ま、行くすべもないんだし、そんなしんくさい顔しなくていいじゃない。今は今を考えましょ」


「……そうだね」


 ボクはもう、あの世界とのつながりはなくなったんだ。どうすることも出来ないことより、どうにか出来る、目の前にあることに集中する方がいいだろう。


「で、魔力が粒子と波の性質を持つところまで話したわよね」


「うん」


「魔法がほぼどんな現象でも引き起こせるのは、この二つの性質を持ってることが重要になってくるのよ。魔法が発動するまでのていを説明するわね。まず、空気中にある魔力が呼吸やけいで体内の魔力器官にちくせきされるの。そして、イメージとエネルギーを加えることで、魔法になるの」


「待った! 魔力器官って?」


 確かに、ゲームや異世界物のラノベなんかで、似たような単語を聞いたことはある。しかし、どんなものかは作品によって違ってくるため、聞いておいた方がいいだろう。


「臓器よ。気管から心臓に向けて伸びてる、途中に球体がある管みたいなものね。球体が取り込んだ魔力を蓄積しておくしょ。で、魔法になったり溢れた魔力は心臓へ送られて、血液に乗ってりょくせんから体外に放出されるの。魔力腺っていうのは、魔力の出口みたいなものね。体の至る所にあるわ」


 汗腺みたいなものだろう。とはいえ、ここまで来るとこの世界の人は構造から完全に地球人とは違うと思っておいた方がいいだろう。大まかな臓器とかは一緒だろうが、魔力器官だの魔力腺だのの違いだけでなく、筋肉や骨なんかにも差があるはずだ。じゃなきゃ、ホブ・ゴブリンとまともに戦えるはずがないし、魔法の影響にも耐えられるとは思えない。今日の鍛錬だってこなせていなかっただろう。


 どう違うかまでは、かいぼうなりなんなりしてみないと分からないが。


「悪い、話の腰を折っちゃったな。続きお願い」


「ええ。魔法になる過程は話したわね。次は、魔法がどうような現象を起こしているのかね。かんけつに言えば、魔力同士の結合と魔力が持つ振動数の組み合わせで決まるのよ」


 結合と振動数……確かに、結合の仕方は色々あるだろうし、振動数も小数点まで含むのなら組み合わせはほぼ無限大だ。それだけで色んな現象を起こせるのか、とも思うが、人体だって元は原子の結合からなっているのだし、そういうもんだと思うしかないだろう。


「そうか、エネルギーはその結合と振動数を与えるのに使われて、その結合と振動数が初期状態に戻る際に放出するエネルギーが魔法となって具現化するってことか」


「今のでそこまで理解しちゃうんだ……結構頭いいのね」


「あ、えと、似たような現象を知ってて、もしかしたらって思ったんだよ」


 められると思っていなかったため、少々照れ臭さを感じ、ピクシルから視線を逸らしながら右手でうなじあたりを揉む。癖のようなものだ。


 似たような現象というのは、原子スペクトルのことだ。高校の理科で習うそうだが、紫外線などで得たエネルギーにより電子が他のどうへと移動しーーれいじょうたいと言うらしいーー、この状態は不安定なため元に戻る際に得たエネルギーを光のような電磁波として放出する、というものだ。これと似た原理なのでは、と予想してみたが、どうやら当たっていたらしい。


 魔法がどんなものか、頭の中でイメージを作り上げていると、部屋の方へと足音が近付いて来ていた。隣の部屋かな、とも思ったが、ピクシルが「あら……」と小さく言ったのを聞いて、同室の誰かだと予想がつく。多分、時間的にもカルミナだろう。


「今日はここまでね。また聞きたいことがあるなら、時間のある時に」


「そうだね。ありがとう、助かったよ」


 魔法について詳しく知ることが出来た。これは、大きな一歩と言えるだろう。地球とは大きくことなる部分であるわけだし、その知識があるだけでもこれからの生きやすさは大きく変わってくる。


 それに、ここまでこんせつていねいに教えてくれたのだし、もうピクシルを疑う必要はない。これからは、補助役……いや、仲間として信頼していいだろう。


「また頼むよ」


「ええ」


 そう応えて、ピクシルの姿が消えた。髪を乾かすために魔法で出していた温風を止め、乾いたことをぐしで確かめながらカルミナが部屋に入ってくるのを待った。

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