冒険者学園3

 まんげな笑みを浮かべるピクシルを他所よそに、脱いだ衣服と入浴セットを拾って浴室に一番近いかごに近寄る。パパっと畳んだ後に籠の中に入れ、下着も脱いで全裸となる。本当は鏡で全裸を見ても問題なくなるよう練習するつもりだったが、そんな暇はなくなってしまった。ただ、ピクシルに対してイラついてるおかげで、今のところ気になっていない。


 タオルを持ち、髪をまとめるひもを腕に巻いて浴室に入る。中はヒンヤリとしており、湯船にお湯も入っていなかった。一番手なのだから仕方ないのだが、汗でれた上にピクシルのせいで冷え切っていた身体が更に冷えてブルっと震える。


「早くお湯入れないと……」


 タオルを入り口のたなに置いて、早足に湯船に近寄り、魔法でアトラさん宅のお風呂と大差ない大きさの湯船を満たす程度のお湯を作り出す。空気中の水分を使ったため湿しつが下がり、少しのどの乾燥を感じるが、作ったお湯から蒸発した水気がおぎなってすぐに回復する。空中に維持していたお湯をゆっくりと湯船に落とし、集中を解く。


 四十度弱程度を狙ってお湯を作ってみたが、本当に想定通りに作ることが出来たのか分からないため、湯船を満たすお湯の中に右手を入れてみる。


「ぅあっつ!?」


 指先が冷えているということもあるだろうが、一秒にも満たない時間ひたしただけで、指先がヒリヒリと痛む。体感、四十五度は超えている。温度計がないから正確には測れないが。


 後ろで浮いていたピクシルがボクの火傷やけどしかけた右手付近まで近寄り、あきれれ顔を見せる。


「まだまだ子供ねぇ」


 そういいつつ、何らかの魔法を使う。かざしたピクシルの右手とボクの指先の間で淡い薄緑の光が生じ、ものの数秒で指先の痛みが消えた。恐らく、回復魔法だろう。


「あんたに回復を使うのは二回目ね。ま、前回とは別の魔法だけど」


「二回目?」


 ピクシルと出会ったのはついさっきだし、少なくともボクの記憶にはピクシルに回復してもらった覚えはない。それに、別の魔法というのも気になるところだ。回復魔法には複数種類あるのだろうか。


「まあ、あんたが知覚してなくても仕方ないわ。ゴブリンとの戦いの最中、あんた毒で動けなくなって死にかけたでしょう?」


「……あ、ああ、確かにあったな!」


 一瞬思い出すのに時間がかかったが、恐らくボクとプロティアの精神が入れ替わった時のことを言っているのだろう。毒で動けなくなったはずなのに、ボクが表に出た時にはどくされていて疑問に思った覚えがある。


「つまり、あの時毒から動けるようになったのは、ピクシルが回復をしてくれたから……ってことか」


「そうよ。ついでに言うと、あの後魔法が再び使えるようになったのも私のお陰ね」


 ということは、ピクシルはボクとプロティアにとって命の恩人ではないか。知らなかったとはいえ、かなりしつけたいをとってしまったが……え、殺されないよね?


「殺さないわよ。あんたより酷い態度をとった奴なんて今まで何人もいたんだし、そのくらいで切れたりするほどきょうりょうじゃないわ」


 ピクシルの言葉にあんの溜息を溢す。ツンデレをほう彿ふつとさせるつんけんとしたキャラクターだが、その実かなり器はでかいようだ。四千年を超える長い生がそうさせるのか、はたまたボクの補助を頼んだ人への信頼がそうさせるのかは分からないが、この妖精は第一印象程酷い性格ではなく、案外信頼しても大丈夫なのかもしれない。まあ、ここで簡単に信頼出来ないのが陰キャのさがなのだが。


「……っと。あともう一つ、別の魔法ってどういうこと? 回復魔法にいくつか種類があるの?」


 浴槽の近くにある桶ですくったお湯で熱さに我慢しつつ体を濡らし、桶を椅子にして座りながらたずねる。ピクシルはすぐに答えをくれた。


すいさつ通りよ。回復魔法には二種類あるの。一つは通常の回復魔法。肉体の能力に作用して、回復を早めるの。さっきみたいな軽い火傷や切り傷なんかはこっちの方がいいわね。ただ、使いすぎると老化の進行が早まる、なんて話も出てるから、大怪我の時にはもう一つの方を使うのがいいわ。そのもう一つの回復魔法が、時空魔法に分類される回復魔法よ。ようじょとしては、ダメージを受ける前に肉体の時間を戻す、と言えばいいかしら。こっちの方が確実に回復するし、あんたも今の説明でなんとなく察したと思うけど、消費したエネルギーなんかも回復するわ」


 つまり、ゴブリン戦でピクシルの回復を受けた後、一度は限界まで使っていたエネルギーが回復しててんごくえんりゅうが使えたのは、この時空魔法の回復によってエネルギーが回復したから、ということか。


「話を聞く限り、時空魔法の回復を使った方が確実じゃないか?」


 ピクシルの説明を聞きながら作った泡で体を洗いながら、そう質問してみる。わざわざ使い分けているのだから、何らかの理由はあると思ってのことだ。


「効果だけを見ればね。ただ、時空にかんしょうするのはそう簡単なものじゃないのよ。時空魔法自体使える人はそういないし、使えても魔力とエネルギーの消費が他の魔法と比べていちじるしく大きいの。最悪、一人の大怪我を回復させるだけで魔術師が複数人ダウンすることだってあり得るわ」


「なるほど」


 要するに、ねんが悪いということか。確かに、そうなると使い分ける必要がありそうだ。少なくとも、戦いの中で時空魔法の回復を使うのは自殺行為に等しいだろう。


 体を洗い終わり、髪へと移行する。鍛錬での疲れで腕を上げるのも一苦労だが、屋外修練場での鍛錬だったこともあり汗だけでなく土などの汚れもあるため、頑張ってにゅうねんに洗う。


「……一瞬で体を綺麗にする魔法とか、ない?」


 頭をほぐすように洗いながら、ピクシルに聞いてみる。そんな魔法があるのなら使いたい。お風呂に入ること自体は好きなのだが、この疲れの中ほぼ毎日体と長髪を洗ってという作業をするのは、さすがに面倒くさい。


「知らないわね。ないなら作ればいいんじゃない? 新しい魔法を作ることこそ、魔法のだいなんだから」


 それはそれで面倒そうだが、とは思うが、確かに新しい技術を作るのは楽しいし、ボクの前世の最後数年はそうして過ごしてきたのだ。むしろ、新しい技術の開発こそボクのほんこっちょうではないだろうか。


 とはいえ、今日はもう疲れたし、既に体を洗い終わっている。お風呂を出た後から創作の時間としようか。幸い、実験をする時間はたっぷりあるのだ。工学系だったからこういった化学や美容に関してはもんがいかんだが、知識がない訳では無いし、やってみれば大抵なんとかなるものだ。


「そうだね、そうしてみるよ」


 毛先を丁寧に洗いながらピクシルに答える。身体洗浄魔法(仮)と同時に、トリートメントを作る魔法なり技術なりも考えた方がいいな。せっかくの綺麗きれいな髪なんだし、枝毛なんかが出来たらもったいない。


 そんなことを考えているうちに、髪も含めて全身を洗い終える。魔法の練習も兼ねて、空気中の水分から作ったお湯で泡を洗い流し――今回は温度もちょうど良かった――、腕に巻いていたひもで髪をまとめてから掛け湯をして体を温度に慣らし、ゆっくりと湯船にかる。


「ふぅ……」


 肺の中の空気を全部吐き出すつもりで、細く長く溜息をこぼす。まだ少し熱いが、時間が経って多少なり冷めたのもあって耐えられない熱さではなくなった。冷え切って流れが悪くなっていた血流の巡りが良くなっていくのを感じながら、全身を脱力させる。


 ――これ、マッサージしとかないと、明日筋肉痛で死にそうだな。


 そう思い至り、左腕を右手でほぐしていく。


 午後のたんれんは想像していた数倍厳しく、およそ十歳の少年少女に課すようなものではなかった。もちろん、地球での基準にはなるが。


 しかし、その内容はかなり入念に作られていて、そっきんきんどちらもまんべんなく鍛え、更にはインナーマッスルなどの体幹を鍛える項目もあった。無理をしないよう休憩時間も程よく用意されていたし、まるでトレーニングジムにでもいるかのような気分だった。行ったことないから分かんないけど。


 それをもってしても十歳にはこくなもので、全ての鍛錬を終えて立っていたのは、ボクを含む二、三人だけだった。


 ボクのルームメイト達は、カルミナは座り込んでいただけだったが、イセリーやアトラさんに至っては服や髪が汚れることなど気にならないくらいに疲れ切って、地面に倒れて棒になっていた。呼び掛けても視線を向けるだけで、身体がピクリと動くことすらなかったため、あれはしばらくあのままだろう。


「後で三人にもマッサージをするように言っといた方がいいかな……無理そうならボクがすることになるかもしれないけど」


 うら若き少女のマッサージというのは、精神が男であるボクとしては抵抗しかない。三人とも、自分で出来る程度には回復していることを祈ろう。


 両腕の揉み解しを終え、脹脛ふくらはぎに入る。鍛錬が始まるなり、いきなり屋外修練場百周などと言われた時は耳を疑ったが、本当にやらされたので脚はもうパンパンだ。一周は二百メートルトラックと同じくらいだったが、それが百周となれば約二十キロだ。フルマラソンの半分弱走っていることになる。日常生活なら自転車や車を使っている距離だ。それをランニングで、しかも十歳の子供にしろと言うのだから、この学園の教師は最早もはや人間では無い。悪魔か何かだと思う。


 未だ痛むがだいぶ柔らかくなってきた脚をムニムニと解しながら、視線を横にやる。いつの間にか桶にお湯を溜め、ピクシルがそこに浸かっていた。もちろん、裸だ。羽根はそのままだが。


 ボクはピクシルのような凄く小さい女性にれつじょうを抱く特殊性癖は持っていないから何ともないが、ピクシルの身体は人間のそれをフィギュアのごとくそのまま縮小したかのように同じ見た目で、一部の人は喜びそうだ。胸は目で見て取れる程度にはふくらんでおり、腕や脚、お腹周りはプロティアとそんしょくないくらいには引きまっている。


「……ジロジロ見ないでくれる、変態」


「妖精もお風呂に入るんだ」


 ピクシルのとうをスルーして思ったことを口にする。スルーされたのがしゃくに触ったのかちょっとムッとした顔を見せるが、すぐに元のまし顔に戻って答えてくれる。


「別に入らなくても問題ないわ。ただ、あんたがずいぶんと気持ちよさそうにしてるから、どんなものかと思ったのよ」


「入ったことないの?」


「ええ。この身体もたいしゃはしてるから、たまに身体を拭いたりはしてるけど、お風呂に入ったことはないわ。私の周りにこのんでお風呂に入る人があまりいなかったのよ。だから、今までかれなかった」


「そうなんだ。どう、気持ちいい?」


「そうねぇ……」


 仰向けに入っていたピクシルが、小さな水音を立てながらうつぶせになり、おけふちに腕を乗せてその上にあごを乗せる。数秒たっぷりと溜めてから、質問の返答をする。


「たまにならいいかもね」


「そっか。じゃあ、また人が居ない時に一緒に入ろっか」


「そうね。付き合ってあげるわ」


 相変わらず上からだなぁ、と思わなくもないが、ピクシルのこのキャラクターにも何となく慣れてきた。最初こそイラッとしたが、慣れてくれば飽きが来なさそうで案外楽しいかもしれない。


 そう思いながらマッサージを終え、あと少し温まったら出ようかな、と思っていると、背後でキィとちょうつがいがにきしむ音が聞こえ、首筋に冷気を感じる。誰か入ってきたようだ。


「おぉー、人がいないとやっぱ広いねー」


 少し鼻にかかった気の抜けた声の持ち主が、ぴちゃぴちゃと鳴らしながら近付いてくる。ボクの斜め後ろでかがみ、話しかけてきた。


「湯加減どう?」


「ちょっと熱くしすぎたかな。気を付けないと火傷やけどするよ」


「わぁ、そりゃ大変だ」


 気の抜けた返答に苦笑しつつ視線を右側に向けると、いつの間にか桶が浮いているだけでピクシルの姿は消えていた。どこに行ったのかと目の移動だけで探してみるが、どこにも姿は見えない。


『心配しなくても、ちゃんといるわよ。姿が見えないようにしてるだけ。あやしまれないように気を付けなさい』


 まるで脳内に直接話しかけるテレパシーのような方法でピクシルが話しかけてくるものだから、少し肩が跳ねてしまったが、気付かれていないことを祈ろう。


 ――分かった。


 向こうはこちらが考えたことを全て見抜けるそうだから、そう意識の中で返事をしておく。


 湯船にもたれかかるようにしてあおぎ見ると、カルミナがボクを覗き込んでいた。性格はともかく、体つきではルームメイトの中で最も女性らしいカルミナとお風呂を共にするのはかなりじゅなんであるが、今は屈んでいて見えちゃダメなところは脚で上手く隠れている。


「二人はどうしたの?」


「まだ休んでるよ~。人が少ない間にお風呂済ませたくて」


 どうも、カルミナもボクと似たような理由で重たい体にむち打って、早めにお風呂に来たようだ。


「さっさと体洗っちゃおー」


 そう言ってカルミナが不意に立ち上がる。見ちゃいけない! と腹筋を使し、上体を起こして視界からカルミナを外す。その直後。


「あっちゅ!」


 よく響く浴室の中で、数秒間残響が残るレベルの大声をカルミナが上げる。何事かとつい背後に振り返ると、左手の人差し指を右手で押さえるカルミナの姿があった。


ちゅうかんはしたぞ」


「えへへ、どのくらい熱いか確かめたくて……」


 やるなと言われるとやりたくなるのは、この世界でも同じなようだ。そしてそこで抑えられないのが、いかにもカルミナらしいなと思った。

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