冒険者学園2

 二つの学年のほぼ全員がつどう人口密度がとんでもない食堂で朝食を終え、部屋に教科書を取りに帰ってからAクラスの教室へ向かう。


 ここで一つもんが浮かぶ。ここは地球とは別の異世界であり、この世界特有の文字や言語がある。しかし、冒険者学園のランク――プロティアの記憶によれば冒険者のランクも――は英文字のアルファベットでひょうされる。つまり、Aクラスというのはこの世界の文字の一番最初の文字を分かりやすくAとボクがかいしゃくしたのではなく、実際に英文字アルファベットのAなのだ。


 この世界……は主語が大きいかもしれないので、この国フォーティラスニアでは、フォーティラ語という言語が使われており、それにともなう文字も存在する。フォーティラ語が日本語と発音や文法が似ている、というのがボクが違和感なく「ボク」という一人称を使ってしまった理由だったが、実は文字も日本語とよく似ている。フォーティラ語の文字は三種類あり、それぞれ発音文字、下級文字、上級文字――あくまで日本語に訳した場合の呼び方だぞ――だ。発音文字はアルファベットに似ていて、口の形や舌の動きがもとになっているのだろう。下級文字は平仮名やカタカナにあたいするもので、発音文字の組み合わせのようだ。成り立ちを見れば、ハングルの方が近いかもしれない。上級文字は漢字だろう。中には漢字と全く同じものもあるように思える。


 これだけりっな文字がありながら、異世界の文字であるアルファベットを使っているのは、何か理由があるのだろうか。そもそも、何故この世界に地球の文字があるのか。もしかすると、前にも思ったことだが、ボクより前に他の地球からの転生者や転移者がいたのかもしれない。その人が冒険者ギルドや学園のかいせつたずさわっていたり、その人が伝えたアルファベットを今の時代でも使っていたりといった理由なのだろうか。ただ、少なくともこの世界に地球出身の誰かがいた可能性は高そうだ。


「今日はゴブリンについて話をする。本来はもう少し先に教えるのだが、わけあって前もって触れておこうということになった」


 ランクで使われているアルファベットについてこうさつめぐらしていると、いつの間にか今日最初の授業である魔物の授業が始まった。訳というのは、間違いなく先日の襲撃のことだろう。


「せんせー!」


 少し鼻にかかった、この世界に来てからはかく的聞き慣れた声が教室にひびわたる。視線を左前に向けると、立ち上がったカルミナが右手を真っ直ぐに上げていた。何事かと教室内の全員がカルミナに視線を向けている。


「朝からイセリ―の調子が悪そうなので、保健室で休ませてあげてもいいですか!」


「……何故今になって言う。朝から調子が悪かったなら、休めばよかっただろう」


「えと、そ、それはぁ……授業はなるべく休まない方がいいかなぁて……」


 ピンと伸びていた右手が尻すぼみになる声と一緒に下ろされていく。実際、イセリ―は朝の時点では全然元気そうだったし、朝食もしっかり食べていた。カルミナが何故こんなことを言ったのか、いまいち分からない。


「まあいい、れて行ってやれ。なるべく早く帰ってくるんだぞ」


「はい!」


 声に元気が戻ったカルミナが、ななめ後ろのイセリ―に近寄り、一緒に教室を出て行く。遠目に見ただけだが、確かにイセリ―はどこか調子が悪そうだった。まるで、パニック状態にでも陥ったかのようにどうこうが開き、顔色もあおく、浅い呼吸をしていた。イセリ―の二つ前に座っているアトラさんと視線が合うが、お互い何も分からない、ということだけは伝わってきた。


「では、授業を始める」


 そうして授業が始まった。イセリ―のことは心配だが、ゴブリンはいずれシンド村を取り返す時に戦うことを想定して、話くらいは聞いておいた方がいいかもしれない。そう思い、頭を振ってイセリ―のことを意識から追い出す。


「ゴブリンはどこにでもいる一般的な魔物だが、恐らく一般的な魔物の中では最もきょうだ。一体でいる分には脅威度ランクはEだが、基本群れで行動するため、危険度は大きく上がる。ゴブリンは人間を襲うことを最大のかいらくとしており、女は子供を産ませるために捕らえ、それ以外はがんとしてもてあそぶ。三年前のシンド村のことが記憶に新しい者も多いだろう」


 三年前のシンド村。この世界に転生して、幾度となく聞いた話だ。


 それに、プロティアの記憶にも強く刻まれている。転生した直後に、ボクとプロティアの記憶がごちゃ混ぜになった時、ボクの記憶は死ぬ直前が中心ながらも全体的にまわったが、プロティアのものはほとんどがこの時の記憶だった。


 せんめいで、それでいておぼろげな。覚えているんだけど、出来れば忘れてしまいたいような。そんな記憶だ。きっと、プロティアは心の奥底では忘れてしまいたいのだろうけど、忘れてしまったら今プロティアが頑張る理由も、母親や亡くなった知人達の生きたあかしも消えてしまうから。だから忘れない、覚えておく、脳内に、心に刻んでいるのだろう。


 本当に強い子だ。ボクには出来なかった。いや、初めは頑張ったけど、どこかでぽっきりと折れた。多分、大学を出てから。どうしてかは、思い出せない。工房を作ってこもる前で唯一覚えているのは、母校の小学校に行ったことだ。そこでかつての担任と話をして――そこで記憶はれている。よく頑張ったな、とか、辛かっただろう、とか、お前は私達のほこりだ、とか言われたことは覚えているけど、その後を思い出そうとすると、ノイズがかかったようにフェードアウトする。脳が、心が思い出すことをきょぜつしているんだと思う。


「その後、村はゴブリンにせんきょされこんにちまで至る。いずれ、奪還作戦を行うこともあるだろう。その時に、この中からおもむく者もいるかもしれない。その際、今日学ぶことは活かせる可能性が高い。よく聞いておくように」


 三年前の話に一区切りつき、奪還作戦という言葉に意識を戻される。


 是非参加したいものだが、周りの様子を見るにそのつもりがある生徒はほとんどいないようだ。それもそうだろう。大半はシンド村のような小さな村などがんちゅうにないお貴族様なのだから。参加する意思のある貴族など、精々アトラさんくらいだ。教室に居れば、カルミナやイセリ―も何らかのポジティブなアクションを見せたかもしれない。


「ゴブリンの装備は基本的にはこんぼうや人から奪った武器だ。整備は行き届いていないため大した攻撃力ではないが、寄ってたかって狙われた場合、無事では済まないこともある。また、群れによっては武器に毒をっていることも確認されている。めっにないことだが、警戒しておくようにした方がいいだろう」


 武器に毒を塗ったゴブリンの群れというのは、じっちゅうはっ昨日の話だろう。これまでにいなかったとも限らないが、こうして話に出す以上昨日のことがあったからこそではあると思う。


 あの毒はやっかいだったな……プロティアも一度は動けなくなってユキナもろとも生け捕りにされそうになったし、ボク以外にもあの毒のせいで袋叩きにされて死にかけた人もいたそうだし。ボクとプロティアの意識が入れ替わった時、どういうわけか毒の効果がなくなっていたから事なきを得たが、もしそうじゃなかったらさすがにまずかったかもしれない。魔法でどうにかしようにも、魔法の感覚を掴む暇すらなかったし。


 ゴブリンとの戦いに思いをせていると、話題は次の物に進んでいた。


「ゴブリンは基本連係を取らない。しかし、群れによってはとうそつの取れた動きをするものがあることもまれに報告されている。奴らはこうかつでいてざんにんだ。はなく、己の思うがままに人を襲う。老若男女、階級なんかは関係なくだ……帰って来たか。座れ」


 かれこれ十数分ほど授業時間は進み、カルミナが教室に帰ってきた。イセリ―は一緒ではなさそうだ。かなり体調が悪そうだったし、午前中に戻ってくるかどうかも微妙かもしれない。


 返事をしてカルミナが席に戻ると、授業は再開した。どうやらこれからゴブリンの種類を見ていくようだ。教科書の次のページを開くよう指示が入る。授業が始まってすぐに開いておいたゴブリンの項目の最初のページから一枚めくり、次のページを開く。そこには九体のゴブリンが描かれており、左からゴブリンの雌雄しゆう、ホブ・ゴブリンの雌雄、クイーン・ゴブリン、キング・ゴブリン、ゴブリン・ロードらしい。ゴブリンという名前の時点で地球人が関わっている可能性がのうこうだが、大きい、おう、王、神などという命名方法がまさにだ。分かりやすいからありがたいが。


「原理はいまだ解明されていないが、魔物の中には進化する種類がいる。ゴブリンはその中でも最も有名だ。ゴブリンから始まり、雄はホブ、キング、ロードと続く。メスはホブ、クイーン、ロードだ。ただ、ホブより上が観測されることは統率されたゴブリンの群れが現れることと同じくらいに稀だ」


 ――それって裏を返せば、キングやクイーン以上のゴブリンが現れた時に統率の取れた群れが現れるのでは。


 そう疑問が浮かぶが、ここで質問するような度胸はボクにはない。今後の参考に、と心のノートに書きしるしておく。


「ゴブリンが脅威と言われる理由はもう一つある。はんしょく力だ。ゴブリンはゴブリン同士、対人関係なく一度に数体の子を成す。その上、成長が早く半年も掛からずに戦力と呼べる程に成長する。故に、ゴブリンは群れをいっそうしてしまわない限り短期間で増え、人を襲う」


 ゴブリンの繁殖力は数多くの作品で取り上げられるが、この世界のゴブリンも例に漏れていないようだ。もし先日のゴブリンがせんえい部隊どころではなく、端くれだとすれば、シンド村にはあれ以上のゴブリンが数百、数千体いる可能性があるということになる。場合によっては、ウィザードの数も一体どころか数十体いてもおかしくないだろう。村への影響を考えなければ魔法で一掃出来るかもしれないが、もし正面から戦うとなれば多少のせいまぬがれないかもしれない。


 それに、万一全勢力でフェルメリアへ攻めてきたとしたら、この前のように防衛し切れるか分かったものではない。対応が遅れるようなことがあれば、一般民に被害が出ることも十分に有り得る。食料等の問題もあるだろうからそう簡単に数が数千に至るようなことはないと思うが、この世界の知識が疎いボクの予想では当てにならない。


「もし群れのゴブリンと出会でくわしたならば、無理に戦わないことをオススメする。奴らに同情などはなく、群れ以外の生命は玩具や食料程度にしか思っていないからな。ギルドに伝え、十分な戦力を整えてからそうとうするようにした方がいいだろう。対して、一体のみと出会した場合は、すぐに殺さずに後を追うようにしろ。集団で生活する以上、奴らは巣を作る。その巣を見付けレイドを組んで一掃することが好ましい」


 こうしてすぐに三十分が過ぎ、一コマ目が終わった。イセリーは教室に戻ってくることはなく二コマ目も始まり、結局次に姿を見せたのは昼食になってからだった。

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