フェルメウス5
結局断れなかった。泡立てた両手の泡はそのまま、桶ごとアトラさんの背後に移動する。金色の少しウェーブのかかった美しい長髪を前に
それもそのはずだ。血の
前世では国のお
「んっ……そのように軽く触られると、少しくすぐったいですわ」
後ろを振り向き僕に視線を向けながら、アトラさんが少し
「ごっ、ごめんなさい! わざとじゃなくて……」
手をわたわたと動かし、必死に
「分かっていますわ。頼んだのは私です、どのようにするかはあなたに任せますので、どうぞ思うままに洗ってください」
その言い回しは色々とまずいような気もするが、僕も一人の大人だ。子供の発言一つくらいでもう取り乱したりはしない。
一度深呼吸をして、覚悟を決める。減ってしまった泡を手を擦り合わせて再び増やして、さっき触れた部分以外に泡のついていない背中の、肩甲骨より少し下の位置に両手を押し付ける。アトラさんがまた「んっ」と声を出すが、聴覚からの情報を集中で
少しでも力を込めれば折れてしまいそうな
「……もう少し、力を込めても構いませんよ? 少し、くすぐったいです」
動かす度に小さく鼻から息を漏らすアトラさんの言葉に従い、一点二倍くらい込める力を強めて、背中に手を
アトラさんは、同じ年代の中だとだいぶ細いと思っていたけど、直接体に触れてみて一つ分かったことがある。アトラさんは脂肪が少ないことは言うまでもなく、筋肉も平均より少ない。今押し返してこないのは関係ないかもしれないが、背中は背骨や肋骨が姿勢を正していても浮き出ている。腕やお腹回り、脚なんかもかなり細い。食事が足りていないのではないか、とも思わなくはないが、昨日のプロティアの記憶を覗く限り、アトラさんはそれなりの量を食べるみたいだ。筋肉がつきにくいという、
こんなひ弱な体で剣など振れるのだろうか、と心配にはなるが、ここは異世界だ。地球とは色々と違うだろうし、今は様子を見ておくのにとどめておこう。
そんなことを考えているうちに、アトラさんの背中全面が泡で覆われいた。もういいかな、と判断して、椅子にしていた桶でお湯を汲んで初めに僕の手の泡を流し、桶いっぱいにお湯を溜めてからアトラさんの背後に再び陣取りアトラさんの背中に掛けて泡を流す。泡を乗せたお湯が、左手側にある排水溝へと流れていく。
排水溝の周りに生き残った泡が暗闇に少しずつ
「ありがとうございます、プロティアさん。力加減も程よく、気持ちよかったですわ」
そう言って笑みを浮かべる。蒸気に
「い、いえ……ほら、他も早く洗ってお風呂に入らないと、風邪ひいちゃいますよ! てか、ボクが引きますこのままじゃ」
「それもそうですわね。早く洗ってしまいましょう」
その後、なるべく急いで体、顔、髪と洗ってしまい――どれだけ頑張っても、腰近くまである白い長髪のおかげで十分は下回らなかった――、先にすぐそばでお湯に
「もう少し近くに来ません事?」
「……近いとせっかくの広いお風呂が堪能できませんので」
「そんなに縮こまって言われても、説得力がありませんわ」
おっしゃる通り、と心の中で思いながら、若干停止気味の思考回路を頑張って
僕はこれから、プロティアとして生きていくことになるだろう。少なくとも、今のところプロティアが本人に戻る方法は分からないのだし、その方法が見つかるまではそうなるはずだ。
この学園での目標としては、この世界についての
卒業後についてはまだ予想は立てられない。学園で何か問題が起きるかもしれないし、場合によってはこの街を出る必要すら出てくるかもしれない。ただ、何事もなく卒業出来たのなら、恐らく冒険者になって、まずはプロティアの育ちの場であるシンド村の
考え事に集中していると、いきなり背中にとすんと重みが加わり肩がビクッと跳ねる。何が起きたかはすぐに推測が立ち、増大していた脈拍も数秒で落ち着きを取り戻す。
「どうかしたんですか?」
「プロティアさんは、
「……まあ、多少」
アトラさんの体温を直接感じる分、少しドキドキするが、まだ裸を見ているときに感じていた罪悪感や背徳感に比べれば
「せっかく一緒にお風呂に入っているのに、離れ離れは寂しいですわ」
「……ごめんなさい。色々と、考えることがあって」
「そうですか……プロティアさん、昨日と
人格が変わったことを
「昨日はその、環境が急に変わってテンションが上がってたんだと思います。実際はこんなもんですよ、ボクは」
この言い訳なら、多少陰キャが表立ってしまったとしても、違和感は持たれないだろう。プロティアを演じていくとはいえ、
アトラさんの返答を待っていると、背中にかかる重量が増した。アトラさんが後ろに体重をかけたのだろう。
「重……くはないですけど、急に体重をかけられるとびっくりするじゃないですか」
「すみません。随分と後ろめたいことを言うものですから、後ろから体重をかければ少しは前向きになるのでは、と思いまして」
「そんなことで考えが変わるようなら、人間苦労しませんって」
「そうですわね」
ふふふ、と小さく可愛らしく笑うアトラさんに
「まだまだ先は長いのです。学園ですら二年もあります。プロティアさんが沢山のことを考えていることは分かっていますが、焦らず、一つずつ答えを見つけていけばいいと思いますわ」
……アトラさんの言う通りだ。僕はこれからプロティアとして、何年、何十年と生きることになる。この世界の一年は三百六十日ちょうどらしいから、日数にすれば二万日は優に超えるだろう。一日一つ答えを出しても、二万個も導けるのだ。女子として生きるのも、プロティアとして生きるのも、いずれは慣れる。剣士としてだって、魔法使いとしてだって、学べばいずれは強くなる。
焦って怪我して退場するより、ゆっくりでもゴールに
「……そですね。そうします」
「さて、あまり長く入っていても
「はい」
やっぱり、アトラさんが友達で良かったかもしれない。
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