フェルメウス4
シュルシュル、と
「んっ……ふぅ」
少し色っぽい声に、肩がビクッと跳ねる。心臓の音は、かれこれ十数分間高鳴りっぱなしだ。
僕は今、フェルメウス家の脱衣所にいる。背後にいるのは、言うまでもなくアトラさんだ。
だが、僕にとってその配慮は、少なからずありがたくないものだった。何せ、僕は数時間前まで成人男性だったのだ。
断って別々に入るようにするか? とはいえ、この状況は配慮の上でのことだ。どんな形であれ、断れば失礼に当たるだろう。それにお湯はフェルメウス家の人が入れてくれた以上、冷めてしまうなどして無駄には出来ない。というか、ここで断れるなら陰キャなどやっとらん。どこぞのヒーローもそう言っていた。やはりここは、魔法でなんとかするしか……そう思い悩んでいたためか、僕は背後に気配が近寄っていることに気付けなかった。
「いつまでそうしているのですか?」
「んぃ──────ッ!?」
少し弾んだ声音が
なんだ、今の……ゾワゾワというか、ゾクゾクというか、
体中の力が抜け、その場に
女子というものはこんなに敏感なものなのだろうか。いや、服の上から背中をなぞられただけで立っていられなくなるほど敏感なのは、それこそエロゲの世界や何らかの
「その、大丈夫ですか? すみません、その、凄く集中していらしたので、少し悪戯をしてみたくなってしまい……プロティアさん、とても敏感なのですね。
視線を合わせるようにアトラさんがしゃがみこんで言う。何も身に着けていないため、色々と見えてしまいそうなのを視線を逸らして見ないようにしつつ、今の言葉を
やるつもりは
「……対策を
アトラさんに聞こえたかは分からないが、小さい声で呟く。しかし、対策と言っても体質を変えるなど容易なことではない。考えられる手立てとしては、前もって危険を察知するという予防形式くらいだろう。その察知方法はプロティアの索敵を使えるようになれば問題ないだろう……僕に使えるのか分からないが。
「へくちっ」
隣から可愛らしいくしゃみが聞こえてくる。アトラさんはズズっと鼻を
少しふらつきながらも立ち上がり、制服の前ボタンを外していく。全て外し終え、ポロシャツと似た上着を脱ぐ。スカートも留め具を外し、足元へと落とす。これで、ブラとショーツという下着だけの姿となった。ここで、次の
T《トランス》S《セクシャル》には、二つのパターンがある。一つは、何らかの
すぐに、それこそ数時間や数日で元に戻れるのなら、まあトイレはともかく、お風呂はいいだろう。だが、僕の場合は元に戻れるか
再び覚悟を決めて、目を閉じてスポーツブラに似た肌着を脱ぎ去る。そして、勢いそのままショーツも下ろす。意を決して目を開けて、自分の体を見下ろす。なだらかな胸部、歳の割に引き
ビビりすぎか、と内心
「では、入りましょうか。髪はこちらで結わえてくださいませ」
そう言ってアトラさんが
紐を受け取り、アトラさんを真似て左腕に巻き付けてから、先に風呂場へと向かい始めたアトラさんの斜め後ろに駆け寄る。真後ろからだとお尻を見てしまいそうで、申し訳ないし。
歩く速度を合わせつつ、横目でアトラさんの横顔を眺める。金髪
どちらが近いかと言われると、微妙なラインだな……そんなことを考えていると、視線を感じたのかアトラさんがこちらに顔を向けて、眉をハの字に下げて微笑を浮かべる。
「どうかしましたか? 私の顔に、何かついていますの?」
「あ、いえ……綺麗なお顔だな、と眺めていました。すみません」
本心を述べつつ、ほぼ反射的に謝罪をする。
「……謝ることはありませんわ。ありがとうございます。ですが、そういうプロティアさんは私よりも可愛らしくありましてよ?」
「うえぇ……? そうですか?」
アトラさんは可愛さと綺麗さどちらも
「……アトラさんより、という部分は否定しますが、可愛いという点に関しては同意します。ありがとうございます」
「あら、自分で自分を可愛いというほどに自信があるのですね」
僕の場合は完全に客観的な意見なんだけどね。そう思いつつ、自分の見た目に自信がありそうなアトラさんに先程の仕返しの仕返しとばかりに言い返してみる。
「そういうアトラさんも、自信あるでしょう?」
「ええ。貴族たるもの、
二人顔を見合わせて、ふふっと笑みを溢す。ああ、こうして誰かとふざけた言い合いをしたり、笑い合ったりするのはいつぶりだろうか。こんなやり取りをできる人が、何人いただろうか。それこそ、幼かった頃の妹くらいではないだろうか。アトラさんは、人の感情を読み取る力が強いのか、こちらの様子に合わせた返答をしてくれる。それに、友達という近しい距離感だからこそ、話しやすさがある。
浴室に
物思いから現実へと意識を戻し、浴室の中を見渡す。
「おぉ……」
足場から湯船まで、すべてが
「広いでしょう? 学園のお風呂よりも広いんですのよ。こんなに広くても、一度に入るのは数人で、ただお湯を作る方々が大変なだけですのにね」
「魔法で入れているんですか?」
「いえ、魔道具ですわ。あれを使いますの」
そう言って、いつの間にか
「数人がかりでこの石に魔力を流し込み、地下に貯めている水を温めて湯船に移していますの。
「なるほど」
いくつもの魔法を組み合わせる、なんて高度なことはせず、魔道具に魔力を流すだけで作業を終わらせているのか。規模によっては効率的かもしれないが、このサイズとなるとただただ大変というアトラさんの意見に賛同だ。僕だって出来れば、魔法でこのサイズの湯船をお湯で満たすなんてことはしたくない。
「では、髪と体を洗ってから入りましょうか」
そう言って渡してくる桶を一つ受け取る。その中には、乳白色の
「……素手なのか」
「? プロティアさんはいつも、どうやって洗っているのですか?」
やばい、聞こえてた、と思うも既に遅く、慌てて記憶の中のプロティアの入浴シーンを――申し訳ないと思いながらも――思い出す。泡立った髪の毛を尖らせて遊んだり、泡のついた手を重ねてから円を作ってそこに出来た薄い石鹸の膜に息を吹きかけてどれだけ
「えと、素手ですね。アトラさんは貴族なので、家ではもっとこう、へち……じゃなくて、ふわふわで泡立ちのいい道具でも使ってるものと思ってたので」
一秒にも満たないくらいの速さで言い訳を考え、アトラさんの質問に答える。ヘチマと言いそうになったが、こっちの世界にあるか分からないし、そもそもヘチマは日本語なのだから伝わるはずがないため
アトラさんは僕の返答に、左腕だけ泡に塗れたまま動きを止め、「なるほど」と小さく呟きながら丸くしていた目を少し細める。視線を僕から外し、左手で右腕を擦り始めて数秒してから、続きが返ってくる。
「そのような道具があれば便利なのですが……世の中、そうなんでも便利に、とはいきませんわね」
「……そのうち作られると思いますよ。人間って、便利のためなら魔法なしで魔法みたいなものも作っちゃうので……多分」
実際、地球でも
とはいえ、アトラさんはそんな世界のことは知らないのだ、変に思われないためにもお茶を
いつまでも突っ立っていてはおかしいので、アトラさんに
「な、なんでしょう」
「プロティアさん、
「はい!?」
唐突な提案に、裏返った声が出る。急に、なんで、何がどうしてこうなった、と頭の中をクエスチョンマークが飛び交い、状況の理解がまだ出来ないでいる。
「友達はお風呂で背中を流し合うものだと聞いています! 本当は私がプロティアさんのお背中を流したいところですが、先程のようになっては大変ですので、お願いしてもよろしいでしょうか?」
アトラさんがプロティアの友達でよかった、僕はさっきそう思った。
少し落ち着いた頭でそう決意し、目を閉じて体ごとアトラさんの方に向く。そして、言うぞ、と心の中で何度も唱えてから、息を大きく吸い、目を勢い良く開けて口を開く。
「あっ……」
目を開けた瞬間、視界にアトラさんの
「……喜んで」
ここで断れる勇気があるなら、前世で最初から友達作って楽しくやれてたよこんちくしょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます